老樹林の森
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ロムは老樹林への扉がある花畑へ歩を進めていた。
花畑と言っても今は季節じゃない。一見雑草と見紛う緑が広がっているだけだ。
今夜は早く起きすぎた。
胸がざわざわして落ち着いて寝ることが出来なかったのである。でもロムに思い当たる節は無く、何か正体不明の悪魔にでも誂われているようでとても不快な気分だった。
最近魔物退治が急がしすぎて疲れているのだろう。
そう結論付けロムは、いつもよりかなり早く家を出たのだった。
寝不足の頭は調子を狂わせる。ロムは普段物事を考えながら歩いたりしない。
ふと、昼にラビィが言っていた言葉を思い出した。
もし僕がこの町を出て冒険者になっていたら-
なんとなく、ルークのことを思い出した。
ロムには双子の弟がいた。
いたというのも今は何処にいるのかわからないからだ。いや、推測はできる。おそらく死んでいる。
その弟の名前がルーク。ロムよりも若干後に生まれた癖に、全てのことにおいてロムに勝っている可愛くない弟だった。
ルークはよく自分の夢は大陸中を研究して回ることだと語っていた。
出来が良く、高い志を持った弟が、ロムは昔大嫌いだった。
家では口を利かず、外でも全く違う友好関係を持つようにしていた。ルークの行動範囲に入らないように細心の注意を払っていた。
前者が原因で親を頻繁に困らせた。ロムは当時相当捻くれた子供だったと自分で思っている。
だから知らなかったのだ。
ルークが、町の外に続く出口を見つけてしまったことを。
まだまだ無力な子供なのに、その出口を開いてしまったことを。
ロムが弟のことを気にかけていたら、弟はいなくならなかったのだろうか。
弟のことはきっぱり忘れたフリをして、考えないようにしていた。
思い出してもどうすることも出来ないし、過去に囚われてウジウジしているのは性に合わなかったから。
だから今日は偶然。本当にたまたま記憶の奥底からひっそりと、弟がやって来たのだった。
魔物退治の前だと言うのに、集中ができない。胸のざわめきがどんどん大きくなっていっているような気がする。
ロムは悪い考えを振り払うように頭を振ると、老樹林への道を急いだ。
ロムは老樹林への入り口にたどり着くと、異変に気が付いた。
扉を開いた形跡がある。
魔術にはあまり精通していないロムだが、毎日使っていればこの魔方陣の仕様はおのずとわかってくる。
魔方陣の中心部にある赤い円に手をかざすと、木に魔力が走り、円の周囲の文字が光りだすのだ。
扉を開いた後も、文字はしばらく輝き続け、じょじょに元の赤色に戻っていく。
そして今、ロムの眼前には鈍く輝く魔方陣が描かれた木の壁があった。
普段なら別に驚くようなことではない。ロムより先に活動を始めた警備隊のメンバーがいるというだけの話だ。
しかしまだ夜は浅い。
ロムは他の隊員達が、各自どれぐらいの時間に来るのか把握している。いつも深夜に入って昼前くらいに町に帰っているようだ。
朝には町に帰っているロムでも早いと感じるこの時間。他のメンバーが使ったとは考えにくい。
出かけるのであれば警備隊が同行するが、そんな話も聞いていない。
もしや誰かが迷い込んだのか?
まさかそんなこと。
ロムはすぐに否定した。
この場所の存在を知っている住人はごく少数だし、木々に覆われており、偶然見つけられる場所ではない。
でも、もし奇跡的にこの魔方陣に気づいて、外に出てしまった住人がいたら…?
そんなことはないと思うが、万が一に備えておくのは悪いことではない。
ロムは白く輝く夜の森へと駆け出した。
迷宮【老樹林の森】
この迷宮は腕利きの冒険者達には白夜の老樹林と呼ばれている。
高価な素材やお宝を発見した報告は無いため、人気が無く大変静かな場所である。
最寄りの町であるトランダ周辺は、道も整備されており初めて迷宮探索を行う初心者にもおすすめの場所と言えるのだが、奥地に足を踏み入れた瞬間。その評価は一変する。
道は森の途中までしか続いていない。高い木々がまるで何かを隠す壁のように立ち塞がり、その後は鬱蒼と茂る暗い森の中、獣道を進んでいくしかないのだ。
奥地に潜む、トサカトカゲをはじめとする凶暴な魔物に暗闇で襲撃される。それは前後左右だけでなく、地中や空中からも覚悟しなくてはならない。
上級者でも命を落としかねない、非常に難度の高い迷宮である。
現在までこの迷宮の最深部にたどり着いた冒険者はまだいないらしい。
それ故にギルトは時に高名な冒険者を派遣するのだが、それでも攻略することはできなかった。最深部の情報をギルト研究員が聞き出そうとしても、黙って首を横に振るだけで情報は手に入らなかった。彼らには一つ共通点があり、皆剣を持った獣人に異常に恐怖をみせる。しかしその事と老樹林の森の関連性は分かっていない。
群青と深緑を混ぜ合わせた黒を、白い光が貫く。
地面から伸びる無数の幹。湯気や靄のようにふわっとしていながら、氷のように冷たく光輝き、唯一無二の幻想的な光の柱を作り出している。
光の臨界は白。人影は黒。腐葉土に色ガラスのようなグラデーションが広がっている。森にある様々な植物や葉が地面にばらまく、色とりどりの影。
自然が作り出した絵画。禁足地を侵す足跡が2つ。
「これが老樹林の森…。すごい綺麗」
発光する樹木に手をかざし、感嘆の声を漏らした。
兎の獣人は、あっちへこっちへと振り向き、あたりを見回した。彼の目が輝いて見えるのは木々の煌めきだけではないだろう。
本当に近くにありながらも、ずっと手にする事のできなかった憧れの地に今、自分の足で踏み入っているのである。
彼にとっては本の中でしか見たことのない、初めて見る外の世界だ。
「ここの木は長い年月の間、魔物達から分泌された微量な魔素を吸収し続け、独自の進化を遂げたの。って言わなくてもラビィは知ってるか」
少し先を進む少女が振り向いて声をかけた。見守るような優しい目をしている。
「もちろん。だから警備隊に遭遇する危険を冒してまで、夜に出発したんだよ」
夜になると老樹林の木々が発する光は、魔物の気性を鎮める効果がある。
一つの枝の発光は決して強いものではないが、膜のように森全体に覆いかぶさり、葉で作られた天蓋付近は、昼よりも明るい。
下に行くほど暗がりになるが、幹が光の柱となって地面を照らしている。
明るく見通しがきき、魔物の凶暴性が失われた今が老樹林を通過する絶好のチャンスだった。
大きな葉っぱの下で眠り込むクロネズミの姿がある。
それだけでラビィは胸がどきどきとして楽しかった。
背負ったリュックサックの紐を強く握る。
胸躍るような冒険が記された本を思い出す。あの本がラビィを町の外へと、迷宮へと駆り立て、今ラビィはここにいる。
ここが迷宮。僕の冒険はここからはじまるんだ。
背後から枝を掻き分けるような音が聞こえた。
リュックの横からはみ出た剣の柄の部分を、掴み引き抜く。
「どうしたの?」
リリーが心配そうにこちらを見た。
人間の耳には聞こえない音だろう。でも確かに僕の耳には聞こえている。
硬い爪が枝を折り、毛のような柔らかいものが葉っぱと擦れる音。音の大きさからして、小型ではない。
距離は近くないけど、向こうの方が足は速そうだ。このまま進んでいけば、ばったり出くわしてしまってもおかしくない。
「とりあえず進もう。リリーも前、気を付けて。」
「う、うん。」
ラビィは剣を出して、いつ襲撃されても対応できるように備えた。
しばらく森を進んでいると、音はだんだんと大きくなってきた。
かなり近くまで来ている。ラビィは柄をに握りしめた。初めて動く魔物と相対する。
物怖じはしない。心臓は煩かったが、恐怖以上の快感がラビィの頭を支配していた。
迷宮に生きる魔物は、立ち入る者の行き先を阻む。
めでたしめでたし、で完結した冒険記は殆ど存在しない。
冒険記を執筆する程の名の通った冒険者達は皆、魔物に襲われて死んでいった。
彼らは無謀な旅をしていたわけではない。腕に確かな自信を持ち、明晰な頭脳を持って、信頼する仲間と共に、魔物に挑んだ。
ある意味彼らは馬鹿だといえる。その才能を別の事に活かしていれば、命を失うことはなく、充実した一生を終えることができただろう。
大都会で会社の経営者になれば莫大な富を。芸術家であれば後世に残る作品を。職人であれば一流の技術を。主婦になって幸せな家庭を。
宗教を広めて大陸中を征服して手に入れることだってできたかもしれない。
有能な彼らは、自身の冒険心に逆らえず、ただ次の町や自然を目指した。そして皆一様に、何の縁もゆかりも無い土地で死体となる。
ラビィはそんな人々が書いた冒険記に憧れている。
ラビィはここでは死なない。だが、彼が本物の冒険者になった時、彼も死ぬのかもしれない。
兎の獣人は笑って剣を構えた。
その笑顔は彼の人生の中で一番楽しそうなものだった。
ロム「無事だといいが…」