『仲良し小好し』
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リリーの兄が消えた。
その知らせは2人の耳にもすでに届いていた。
当の本人の口からその話を聞いたわけではない。人伝いにリリーが兄を探して町中を走り回っていたことを知ったのだ。それを聞いた僕たちはリリーの家に向かったのだが。
面会謝絶。
扉を叩いても全く反応がなかった。留守なのかとも思ったけれど、明かりがつくし、生活音は聞こえる。リリーには悪いが、壁に耳を立てさせてもらった。誰かに家を乗っ取られているわけじゃなければ、リリーはここにいるハズだった。
「どうするラビィ?もう半日、この扉の前で棒立ちだ。」
丸みのある三角形が頭の上で寂しげに萎れている。綺麗な顔の少年が、腕を組んで、空を睨みつけていた。彼の名前はルーク。勉強も運動もできる完璧超人で、僕の親友の一人だ。
そろそろ夜になろうかという時刻。紫色の雲が、桃色の空の上に浮かんでいる。騒々しい野鳥の鳴き声も闇に消え、家々に灯り始める明かりが、子供である僕たちを家に帰るように追い立ててくる。
「うーん…。扉をぶち壊すとか?」
冗談だ。当たり前だけど。
どうする?なんて言われたって、どうしようもなかった。昼に噂を耳にしてから、ずっとここに立っているのだ。裏手の窓にも周って、名前を名乗ってみたけど、事態は何も変わらなかった。声は絶対に聞こえているハズなのに、返事がないのだ。
気分が暗く沈んでくる。前を見て喋るのが嫌になって、口から何度もため息が漏れた。ぐしゃぐしゃに絡まった毛糸のような、はっきりとしないもやもやが、心に鎮座している。
不愉快、な気分だった。
時間の無駄だとか、足が疲れただとか、気落ちしているであろう友人を前に、そういう私情はない。
どうしてリリーは僕らの前に姿を現してくれないんだろう
日中、リリーの家に到着して、扉をノックした時。頭に現れた小さな疑問だった。
疑問はどんどん糸のように紡がれ、丸く転がった。そしたら今度は複雑にねじ曲がり始め、糸の終わりがどこにあるのかわからなくなった。
疑問の答えがわからないのだ。いや、答えなんてそもそも見つける事ができるのだろうか。もう僕には、足に絡まりつく、蔦のようにしか思えなかった。
毛糸が水を吸ったようにどんどん重さを増している。
「もうすぐ夜になっちゃうし、ラビィは帰った方がいいよ。お前の家、門限厳しかったよね。」
ルークは悲しげな表情で僕にそう告げた。君だって、いつもだったら家に帰ってる時間じゃないか。
「そんなの関係ないよ。非常事態でしょ。」
僕は呆れたようにそう答えた。
関係なくなんて無いけど。これは僕の守り通したい不合理な意地だった。
僕の母親は帰宅時間に煩い。いつもはとてもやさしい性格なのだが、怒るとすごく怖い。
母親に、「僕の親友の兄がいなくなって、僕らの関係が非常事態なんだ。門限なんて守らなくてもいいだろ‼」と言い訳した所で、ひっぱたかれる事は変わらない。おそらく理解もされないだろう。余計に神経を逆撫でしてしまうだけだ。
だけど、僕はこの問題を先送りにして帰ることができなかった。こういうのは時が解決してくれることなのかも知れないけど、親友が苦しんでいる時に知らんぷりをしてのうのうと帰宅することが、薄情な行為のように思えたのだ。
それに、疑問が解決しない以上、諦めるなんて絶対に嫌だった。
「そうだね」
ルークは静かに笑い声を漏らした。重い空気が僕ら二人を取り巻いてから、初めて見せる笑顔だ。
彼もきっと僕と同じ疑問を抱えているのだろう。先ほどから、口数が少なく、考え込んでいる様子だった。
「リリーは僕らにどうして欲しいのかな。」
僕は疑問を口にした。正解の答えなんてわからないけど、彼の意見が聞いてみたかった。
「悲しい事があった時は、友達に傍にいて欲しいもの。ってよく言うよね。」
でも。と彼は気まずそうに続けた。
「一人になりたい。っていう感情があるのも知ってる。」
僕らは再び黙ってしまった。
後者ならば、リリーは一人で解決したがっている。人の助けはいらないということだ。そうなら、こうやって疑問を持ち、家の前で待機することでさえ、有難迷惑ということだろう。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼‼」
僕は声にならない声で唸った。
そして。とにかく激しく
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ
リリーの家の扉をこじ開けようとした。ついでに何回かけたぐった。
本気で扉を壊そうとしているわけじゃない。大きな音を出して、こじ開けようとしている事をリリーに知らせようとした。
「家が壊れるよ。やめろって。」
ルークが後ろから、素早く僕の腕を掴み、後ろに引きずり込んだ。僕は短い草の上に倒れ込む。柔らかな土の匂い。服はたぶん悲惨な有様になっている。
ごめんね。きっと、待ちくたびれて、気が触れたかとでも思っているだろう。
僕は友人の頬を殴った。
僕より遥かに身体能力の高いルークだが、流石にあまりに急な奇行には対応できなかった。
誰もが褒めたたえる、美形の顔に醜い跡ができる。
「何するんだよ急に‼」
彼は頬を抑えて、感情を爆発させたかのような激高した声を上げた。
ただ、表情は笑っていた。僕の狙いが言わずとも伝わったようだった。
僕らは結構大きな声を上げながら、殴り合いの喧嘩をした。
立ち並ぶ住宅、夜になろうかという濃い紫の空の下、親友の家の扉の前で。町の静かな通りに僕らの怒声が響き渡る。
待ち望んだ彼女は突然現れた。
「やめて」
激しい音の波が止み、凪の黄昏に戻る。
腰まで届きそうな長い黒髪が、ばらばらの方向に跳ね上がっている。服は寝間着のままで、袖には細かいしわが大量に付いてしまっている。黒髪に包まれた顔が普段より数段白い。
右から左に流れる茶色の瞳。それは微かに揺れた後、中央で固定された。
扉を開けた彼女はとても驚いた顔をしていた。
「どうしたの二人共、傷だらけだよ。手当するから早く上がって。」
作戦成功だ。
リリーの後に続いて家に入る。かなり長い付き合いだけど、お邪魔するのは初めてだった。
唾をごくりと飲み込んだ。少しだけ緊張してしまう。
僕の腕に鋭い痛みが走った。消毒液を含んだ、白い清潔な布切れが傷の上に乗せられている。リリーは皮膚の捲れた、白い膜の周りを丁寧に拭き取っていた。
包帯が腕に巻かれる。テープの端を切り取る鋏の音。
手当が終わった。
部屋に通された後、僕らは一言、二言、綿に包んだ言葉を彼女に投げかけた。
形の良い赤い唇はほとんど開かれず、短い単語が発せられる。
はっきりとしない、後味の悪い答え。彼女は僕らの質問に取り合う気がないのだろう。よそよそしい態度にぼんやりと拒絶の意が感じられた。
リリーの対応に気まずさを覚え、少し重たい位だった口は、今はまるで鉄糸で縫い付けられたかのように動かなくなっていた。
何年も一緒に、人生の何割かを共に過ごした友達に僕はなんと言葉を掛けたらいいのかわからなかった。
生き生きと光を宿していた瞳は伏せられ、目線は薄暗い床の上を漂っている。人形のような無の表情。
親友と全く同じ姿をした、別人の登場に、戸惑いを隠せない。
「もう二度と、私の前には来なくていいから。」
毅然とした、氷のような声が、彼女の口から吐き出された。
冷たい風が背中を通り抜けた時のような。心をぞわぞわとさせる衝撃が全身を凍らせる。喉に砂でも張り付いているのだろうか。息をのみ込むこともできない。
茶色の丸い瞳がこちらを睨みつけている。
「どうしてそんなこと…」
ルークが、リリーの傍に駆け寄った。僕は絨毯の上に座り込んだまま、彼女の顔を呆然と見つめる事しかできなかった。
リリーの目尻に涙が溜まっていく。
「お兄ちゃんは家族だから。血のつながりがあるから仕方なく、リリーの面倒を見てくれてたの…」
リリーはぽつぽつと話し始めた。
こんなに子供っぽいリリーは久しぶりに見る。いつもはませた態度で、僕らのことを馬鹿にしたりする癖に。
「リリー知ってた。お兄ちゃんはリリーがいなければ、もっと自分の好きな事がいっぱいできたって。」
「何か一緒にするにはお荷物だから…。一緒にいたら本当にやりたいことできないから邪魔で、邪魔で、邪魔で、邪魔で。お兄ちゃんと一緒に何かをやる人にとっては迷惑で…」
長年こんな事を考えていたのか。
体に休息を与え、心にも安らぎを与えるための【家】という場所の中で。
ずっと素直になれなくて、自分の弱い部分を出せなくて、僕らには大丈夫だと嘘をついていたんだ。そして浮かび上がった答えの出ない問題から、目を反らして、平気そうな笑顔で笑ってたんだ。
「でもリリーは不器用で、のろまで…。お兄ちゃんがいないと何もできないから…、頼るしかなくて。」
「リリーがいなくなれないから、お兄ちゃんが自分でどこかに行っちゃうのは仕方ないんだよ。」
水を張っていた瞳から、雫が白い頬を伝っていく。
1本、2本、…次々と水跡が新しい線を描き、ベージュの絨毯に黒い雨が落ちる。
瞬間、堰を切ったように、ボロボロと大粒の涙が零れだした。
「リリーはそれを笑って送り出してあげなきゃいけないの。悪者のリリーに泣く権利は無いから。」
言葉は最後、悲痛な叫びに変わっていた。
もうまともな発声ができていない。甲高い悲鳴のような音が、生硬な語を作り出している。
「きっといつかお兄ちゃんはどこかに行って。お兄ちゃんの一番は、リリーじゃなくなって。知らない所で幸せになるの。」
「二人だってそう」
不規則で苦しそうな呼吸。でも僕は「それ以上言わなくてもいいよ」とは口にできなかった。
ここで自分の口から、全てを吐き出してしまった方が、リリーは楽になるのではないかと感じていたからだ。
「小っちゃい頃から一緒にいるから、仕方ないから、リリーと仲良くしてくれるだけで。本当は……………」
リリーは兄が目の前からいなくなってしまった事が不満だったのではない。
邪魔者だと思われる事。
そして、邪魔者の癖に泣いてしまう弱い自分が不満だったのだ。
リリーの感情の正体が分かった。怖かったんだ。自分の兄と同じように、僕らがいつかリリーの事を邪魔者だと思うんじゃないかって。
僕はリリーの傍に寄って、膝に置かれているリリーの腕を取った、想像より小さな手をぎゅっと握る。冷たい。ずっと家の中にいたのに。
「僕はリリーの事を邪魔だなんて思ったことないよ。一緒にいれて楽しいし。今後も思うことはないよ。」
「ほっとした。リリーは僕らの事をいらないって思ったわけじゃなかったんだ。」
女性よりは低い。けれどまだ少年っぽさが残る、柔らかく心地の良い声。
ルークは優しい微笑みで、リリーを見つめていた。
そんなこと思うわけ…
リリーが言葉を最後まで紡ぐより早く、ルークの体が彼女の方に伸びた。首と肩の間に手を回して、抱き着いている。
「良かった」
ルークの声が震えている。もしかして泣いてるのか?
彼の顔を見ようとしたが、どんな表情をしているのか分からなかった。
視界がぼやけている。瞼が熱い。これは、僕も、もしかして。
ルークと二人で、泣き喚くリリーを一晩中慰め続けた。慰める方も涙を流し続けているという奇妙な状態だった。
門限どころか、外泊してしまった僕は母親に大目玉をくらった。
次の日も彼女は不安定な様子だったが、数日間もすれば、普段通りの生意気な笑顔を見せるようになっていた。
ルーク「明日は久々に追いかけっこをしてみない?いい場所見つけたんだ。」