『お兄ちゃんの失踪』
見てくれてありがとうございます!!
めちゃめちゃ嬉しいです!
薄暗い闇の中。寝静まった少女の横で、男の影が動いていた。
影はなるべく物音を立てないように、家を動き回り、戸棚を開けた。
ごちゃごちゃと、統一性の無いガラクタが押し込められている。男は、物と物の間にできた歪な穴に腕を突っ込み、お目当てのものを掴もうと、ゴソゴソと動かした。
ガラン
何か固いものが床に転がる音。静寂の空間に大きな音が響いた。男は背後を振り向き、少女の顔を伺った。少女の瞳は閉じたままだ。
胸を撫で下ろす。男は少女に自分の姿を見られるのが嫌だった。自分勝手な理由だ。
本来であれば、今日の計画は事前に少女に言っておくべきことだったのだ。
男はそのことから逃げてしまった。だから今こんな風に、泥棒のように息を潜めて、準備をしなければいけなくなってしまったのだ。
男は今夜、自分を育ててくれた町を出ようと思っていた。
その相談を唯一の肉親である妹にすることができなかったのである。
決意を固めたのは最近の話ではない。もうすでに何年も前から、男の胸の中には町の外の世界に憧れる気持ちがあった。この深い森の外の世界が描かれたいくつもの本を、何度も何度も読み返した。
この場所は、大陸に存在する小さな国の、更に小さな町という区分で分けられたものの一つでしかない。他の国には、文化も外見も違う人間たちが住んでいて、この場所とは全く違う木や草が生えている。大陸の外には海と言われる水面が無限に広がっているそうだ。
男はいつしか、【冒険者】となり大陸中を旅することを夢見るようになっていた。
でも、男には年の離れた妹がいた。両親は妹が物心ついた頃にはすでに傍にはいなかったので、妹の世話はすべて男がやった。
男が、家事をこなしたり、お金を稼ぐことに時間を使っている時、同年代の少年たちは、何も気にせず遊びまわっていた。近所の住人たちが、可哀そうな兄妹の事を気にかけてくれていたため、命の危機を感じることは全く無かったが、何故自分だけがこんなにも苦労しなくてはならないのかと疑問に感じていた。
妹を世話するために必要以上に家を空けることができなかった男にとって、読書は一番の娯楽だった。本に書かれた外の世界に男は魅了された。
あの本に描かれた自然が、町が、脳裏に鮮明に焼き付き、離れることはなかった。
男はやっとのことで、目的の物を引っ張り出した。ランプだ。ごてごてと部品部品が大きく、取っ手や装飾が錆びついてしまっている。
これが最後の荷物だ。鞄を開き、積み重なった食料や地図の上に乗せる。
何も知らない顔ですやすやと眠る妹の顔を覗いた。
今まで沢山苦労はしてきたが、自分に甘えてきてくれる妹のことを嫌いだと思ったことは一度もない。妹の年齢は今年で12歳になる。妹と二人っきりで暮らし始めた時の男の年齢と同じだった。気が弱く、町の遊び相手の子供たちと比べると力も弱いし、体格もかなり小さい。
だが、頭の回転は悪くない子だ。きっと一人でもうまくやれるだろう。何かとあるとすぐに兄を頼る癖がついてしまっしまっているのは心配だけど。
もし、この町を出て旅に出たいと妹に告げれば、一瞬驚いた顔をして、その後世界が終わるのかというぐらい泣き出す。間違いなく2,3日は泣き続けるだろう。
男はそう予想していた。けれど妹に自分の決意を話すことができなかったのは、単に泣かせてしまうのが嫌だったわけではない。
おそらく、妹は絶対自分のことを責めないのだ。只々、涙を流し続けるだけ。
どうして、と疑問を口にすることは無い、私を置いていくの?と男を困らせるようなことを言うことも無い、行かないで、なんて絶対に言わない。
妹は幼いながら、相手の感情を察するのがとても上手だった。男が子供でありながら、お金を稼ぎ、自分より年下の妹の世話をするという特別大変な生活を送る中で、それを投げ出すことがなかったのは、妹のそういう性質に助けられていたからだ。
男は自分が妹を傷つけてしまうかもしれないという自責の念に耐えることができなかった。しかし【冒険者】になる夢を捨てることはできなかった。
リリー、何も言わずに出ていく兄ちゃんを許してくれ。俺の夢なんだ…。
大きな手が少女の頭を撫でた。壊れやすい大切な宝物を扱うような優しい手だった。
影はしばらく少女の寝顔を見つめると、鞄を背負い、夜の町へと消えていった。
リリー「お兄ちゃん、どこ行っちゃったの…?」