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2018.6.2 主人公含めた一部の登場人物の名前を変更しました
藤後優→藤後錬
伏見真→伏見秀
「鍵山さんこれ資料です。今日はお疲れ様でした」
「ありがとう。ここ最近体調崩してるみたいだし気を付けろよ、お疲れ様」
明日の会議のために作成した資料を手渡して退勤の挨拶を交わすが、珍しい気遣いについ苦笑する。それを見た上司の鍵山剛は、彫りの深い顔をわざとらしくしかめる。
「なんだ、人が心配してるのに笑うなんて随分と余裕だな?」
「すいません、珍しいことを聞いてしまったので」
「なんだそれ……お前が病気にかかってる方が珍しいだろ。社内でインフルエンザが大流行してるときでもなんともなかったくらいなのに」
また、同期でもあり十数年の付き合いがある剛の言葉に俺――藤後錬は心の中で密かに同意する。
「私も年ですかね、体調には気を使っていたのですが――」
「かもな! お前ももうそろそろ昇進しても良い頃合いだろ。上に上がれば部下に仕事を押し付けて楽になれるし、そこまで気をつけなくてもよくなるぞ」
寄る年波には勝てない。そんな自嘲が出かけるが、自信たっぷりな剛の言葉に眉をひそめる。
「あいにくそこまで神経図太くないんで。そういえば鈴川さんから後で話がある、と伝言頼まれましたよ……メールで送っても無視されるだろうからと」
「嘘だろ……わ、わかった」
「しっかり、してくださいね」
先程とうって変わって萎れた表情の剛に念押ししたあと、自分のデスクを簡単にまとめて廊下に出た。
早めに切り上げたものの、一週間ほど仕事を詰めていたせいか不調の上に疲れが重なって体が重い。一度立ち止まって大きく息を吐けば、後ろから声をかけられた。
「先輩……大丈夫ですか?」
「伏見さんですか……えぇ、まぁ大丈夫ですよ」
振り返れば後輩の伏見秀が心配そうな顔をしてこちらを覗きこんでいた。
「いや、だいぶ体調悪そうに見えますけど。先輩が体調崩すなんて明日は槍でも降りそうですね」
「そこまで……まぁ伏見さんも気を付けてくださいね、いつまでも元気な体でいれるわけではないですから」
そんなに珍しいか、と後輩の冗談に少し傷付きながら言葉を返す。
「そんなおじいさんみたいな。先輩もいうほど年取ってないですよね?」
「いうほど若くもないですよ……そういえば何か急用でも? 今そっちはミーティングの時間じゃ?」
秀の所属する部署の予定を思い出して疑問を口にすると、疲れた顔をして話し始めた。
「なんか別件で取引先の会社と色々あったようで、上司と他数人がそっちの対応に行ったんですよ。ミーティングに関してはまだ時間の余裕があるものなのでとりあえず明日へ延期して……俺はその他がするはずだった仕事をやってましたよ」
「そっちも大変そうですね」
「全くですよ……とりあえず他の仕事も含めて一段落したんでいまから俺は休憩に行きますけどね!」
――だいぶたまってるなー。
そんな風に思いながら話を続ける後輩に相槌を打ちつつ歩いていればエレベーターの前にたどり着く。三階上を示す階数表示を見上げ、降りてくるまで扉の前で待つことに決めた。
「あの人今日も俺に押し付けて――っと、すいません……先輩もう帰るんですよね?」
「そうですよ、近いうちに久しぶりに飲みにでも行きますか? そのときに続き聞きますよ」
話に夢中になっていたことでバツが悪そうにしていた秀へ提案すれば、パッと顔が輝き喜んだ表情を見せて
「良いんですか!? ありがとうございます!」
ガッツポーズをする姿に笑いをこぼせば、到着する音が聞こえて扉が開いた。
「それではお疲れ様でした」
「はい! お疲れ様でした!」
エレベーターに入りながら手を振れば、秀は軽く頭を下げて離れていく。扉が閉じて一人になれば、中に設置された鏡で自分の顔を確認した。
――どうみても大丈夫、じゃないな。
元々細く目付きの悪い、更に少しでも目を細めればさも睨んでいるように思える顔は青白くやつれている。さながら幽鬼、とまではいかないが、他人から見れば一目で分かるほど。
――朝はここまで酷くなかったんだけどな。
そう思い、一階についてエレベーターが開くと足早にビルを出た。
暦の上では夏も終わってだいぶ経つものの、雲一つない快晴に、ビルやアスファルトからの照り返しのせいか汗で未だにシャツがべったりと張りつくほどに暑い。ネクタイを緩めていると薬が無いことを思い出して家近くのコンビニに寄る。
『驚愕! あの歴史上の女傑が実は男だった!?』
そんな一文が目立つ雑誌に目を引かれて軽く読んでみれば、到底信じられないような――歴史に名を残す女性の一部が元々は男性であり、現代的な手術による性転換でなく超自然的な現象により肉体が女性のものへと変化した――内容が疑わしい根拠を元に、やたら仰々しく長々と書かれていた。
「……早く帰って寝ないと」
雑誌と一緒に目的のものを購入してアパートに帰ると、机の上に買い物袋を置いて一人掛けのソファに座り込む。
「怠い……あー、風呂入らないと」
服を着替えるためにもう一度動こうとするが、不調の上にここ数日はいつもより仕事に打ち込んでいたせいかすぐにそのまま寝てしまった。
「――うぅっ、寒い……」
酷い寒さに体を震わせ目を覚ます。窓を見れば夕日が差し込み、数時間ほど自分が寝ていたことに気付く。立ち上がろうと肘掛けに手をつくが、思うように力が入らず手を滑らせて体を床に打ち付ける。
「いってぇ……くそ……さっさと寝れば良かった」
弱々しく悪態をつきながら這い這いの形で台所にたどり着くと、夕食用のカップ麺と薬を用意する。湯を沸かす間に、汗でぐっしょりと濡れた服を脱いで新しく着替えようとするが、やはり体を思うように動かせない。
「明日までに治ればいいな……」
苦戦の末に着替えた後は、酷く痛む頭で明日の予定を考えながら食事を済ませ、脱いだ服や食べ終わったカップ麺の片付けもせずにそのまま床に入った。すると間もなく睡魔が襲ってきて一気に瞼が重くなる。抗うことなく目を閉じるとすぐに眠ることが出来た。
「うぁ……ぐっ……っ!」
夜中、苦しみに呻き声を上げて再び目を覚ます。心臓は激しく脈打ち、体はまるで融けているのかと錯覚するほどに熱く、それでいて凍えるほどの寒さも感じ、指一本も満足に動かすことすら出来ずに掠れた呼吸を繰り返すばかり。
――だれか。
助けて。そんな思いを最後に、再び意識を手放した。