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序章


※※


 昔々の御話。

 ソレは、パンドラの箱と呼ばれていた。

 全ての災厄が詰まっていると云われる、この世の全ての事象を負へと導く神代の神器。たびたび、それは神の手によって開かれ、世界に混沌と再生の循環をもたらしていた。

 ある時、神がその箱を開け放つと中から荒び狂う死の風が飛び出して、その拍子に、神はその箱を緑深き地上の森へと落としてしまった。

 幸い、落ちた箱は咄嗟に閉じられいたので、箱の中の災厄がすべて流れ出ることはなかったが、神が森へ降り立ちその箱を探してみたが、結局、見つからなかった。神は、箱が神以外が開けられないことと、且つ、人間にとっても災厄の詰まったソレは持ち主の運命を負の方向へ導くだけの物であったので、いつしか探すのを止めてしまった。

 そして、件の箱であるが。いくら箱と云えど、神の調度品である。何の因果か、死の風の起こした竜巻から逃げるように森を横切っていた商隊が、その煌びやかな外装を施された箱を見つけてしまったのである。

 当然、商隊はその見るも美しい箱を拾い、そのまま遠い異国へと運んでしまった。

 旅先で彼らは、その箱を何とかして開けようと色々と試みるが、結局、箱は開かないまま。それどころか、この箱を手に入れてからというもの良いことがない。商隊の人間が次々と病に倒れ、積荷は盗まれるなり、燃えるなりして、手元に残ったのはこの煌びやかな箱のみ。結局、商隊は解散を余儀無くされ、箱も他人の手へと渡る。

 そうやって、次から次へと世を渡り、最後には、パンドラという美しい女性の手に渡った。

 パンドラは教会の僧侶で神に仕える者である。彼女は生まれたときから神の祝福を受け、数々の奇跡を起こし、聖女と呼ばれていた。

 ここで、神の誤算が起きる。なんと不幸にも、神の祝福を受けた彼女にはその箱を開けることが出来たのだ。そして、彼女はその箱を開けてしまったのである。



 ――――可能性の世界は『運命』という名の一つの世界に収束し、生命は滅びの道へと強制的に進まされる。



 それに気付いたパンドラは、死に物狂いでその箱を閉めたがもう遅い。世界は、今まで開放されずにいた膨大な混沌に飲み込まれた後だった・・・・・・・・。

 パンドラは神に嘆いた、自分の罪を。

 パンドラは神に叫んだ、自分の罰を。

 しかし、神はそれに答えなかった。それが、女の『運命』だったから。そして、その箱が二度と開かれないように守り続けるのも又、パンドラの宿命であった―――。



※※



序章


□□□


 昏い、昏い闇の中。

 昏いということを知らず、明るいということも知らず、ただ生きているだけの生命。まだ産まれてもいない存在。


 ――産まれるのが嫌だった。


 それは原初の記憶。いや……それは彼にとって、原初の未来だった。

 母親の胎内にいた自分は未来を嘆き。そして、恐怖していた。外に出た自分が見せ付けられる現実、起こるかもしれない運命を。


 ――産まれたくない産まれたくない産まれたくない産まれたくない産まれたくない産まれたくない産まれたく・・・・・・・・・・・・。


 そんな願いも虚しく、自分は『この世』に誕生してしまった。

 自分はあまりの哀しみに大声を上げて啼いた。哀しくて泣いた赤ん坊など自分が初めてではなかろうか。

 余程の難産だったのか、医師たちに安堵の表情が広がる。そして、産まれた我が子を目にした母親の笑顔が、とても痛くて、哀しくなった。


 ――その笑顔を見ると、いつもそこで俺の『夢』は終わる。




 ゴゥオオオォォゥ! 


 身を切り裂く程の暴風が脳内に叩きつけられる。もちろん、比喩だ。実際には、そよ風ほども吹いていない。

 ただ嵐と吹雪と竜巻をごちゃ混ぜにしたような『音』が聞こえてくるだけだ。

 だが、アタマに直接響いてくる轟音などは、ノイズを通り越して暴力である。


 ゴオゥオォォーー!


 ――いつもより、『音』が・・・・・・近い。


 ズキズキとするアタマの痛みなど精神の外枠へと追いやり、そんなことを思う。アタマの痛みなど子供の頃からずっと経験している、もう慣れたものだ。

 問題は、それがいつもより酷いということだ。

 過去に40度を超す高熱に罹ったときの状態に似ているが、だがこれは病気ではなく、音による精神への侵略だ。

 普段ならもっと風の音は遠い。

 暴風だろうが、そよ風だろうが、聞こえていたとしても部屋の外から聞こえる音程度で、気にすることはない。しかし、今自分を襲っている暴風の波は、まるで部屋の中で吹き荒れているように、近い。


 ――ああ、そうか・・・・・・コレは・・・・・・・・・。


 ふと気付く。


 ――俺から聞こえてくるのか。


 それに気が付いた瞬間、意識を埋め尽くす光の奔流が押し寄せてきた。俺は、その光に身を任せ、精神を埋没させていった。





 ガバッ!

 音にすればそんな感じ。

 紫苑は、勢い良く体を起こした。が、起きてすぐに急に体を動かすのは良くなかった。眠っていた体に急激に血液が流されたため、軽い貧血が起こって眩暈と、吐き気がこみ上げる。

 折角の布団なのだ、大人しく布団の中へと逆戻り。右腕を目蓋の上に乗せ、まだ正常に機能していない眼を、着けっぱなしの蛍光灯から守ってやる。

 その状態のまま、寝ぼけた頭に思考を巡らせる。


「・・・・・・ユ、メ・・・?」


 喉から、嗄れた声が漏れた。

 そうだ、夢を見ていた気がする。いや、それが本当に夢だったのかは分からない。だって、今まで、夢の中で――――。


「・・・・・・・・・・・・あれ?」


 今気付いたが、先刻までの感覚が嘘だったかのように、頭の中はとても静かだ。頭痛もない。意識はまだ朧気であるが、まるで頭の中が空っぽになったかのようにスッキリとしていた。

 やっぱり、アレは夢だったのかな?

 まだ明朗ではない頭でそんなことを思う。ふぅ、とため息をつきながら目蓋を蔽っていた腕を下ろす。


「て、あれ!?」


 思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。

 紫苑の目の前には、見知らぬ天井が広がっていた。ウチの蛍光灯は電球タイプであって、決して棒状のタイプではない。

 再び(今度は体に悪くないようゆっくりと)、体を起こす。うん、今度は大丈夫だ。

 さて、自分がいる部屋全体に視線を巡らせる。

 そこは少し広めの個室で、学校の廊下を思わせる真っ白な床。自分の寝ているベッドの横には簡素な木製の棚が置いてあり、数冊の雑誌が置かれてある。何故か、雑誌はどれもが女性が読むようなファッション雑誌だ。

 絶対に紫苑の持ち物ではない。あとはコレと言って、この部屋に物は置かれていなかった。なんともシンプルで簡素な部屋だ。

 右手に見える窓には、これまた真っ白なカーテンが閉められていた。隙間から見える外の色はすこし暗い。明け方か、これから夜になるのか判断に困る。


「えーと……此処、どこ?」


 どう考えても自分の部屋でないことは明らかだ。

 左手奥にこの部屋のドアが見える。普通の家ではちょっと御目にかかれない、大きな棒状の取っ手の付いた横にスライドするタイプのドア。そういえば、小学校の保健室はあんな感じだったな〜。と、思いつつ自分の置かれている状況を考えてみる。

 指差し確認の形にした右手をアゴの下へ。

 まずは、なんで自分が此処にいるかだが・・・・・・うーん、それが、全く持って分からない。こんなところに来た記憶もないし・・・・・・というか、最近、自分は何をしてたっけ?

 思い出そうとしてみたが、綺麗さっぱりなにも出てこない。寝ぼけて思い出せないとかそういうレベルではなく、自分がどの学校に通って、どんな生活をして、どんな友達がいたのか。そもそも学生なのかどうかすらも思い出せないのである。どうりで頭の中がすっきりしていると思ったら、まさか本当に空っぽになっているとは。

 流石に、自分の名前と年齢は思い出せるが、その他の、日常生活のすべてが自分の記憶からごっそりと抜け落ちていた。


・・・・・・・・・うーん、参ったなぁ。コレって、もしかして、俗に言う記憶喪失ってやつかな?


 そんなに困った風でもなく、首をひねりながらため息をついた時だった。


 ガラッ!

 ビクッ!

 2センチほど浮いた。気分的に。

 咄嗟に、急に開かれたドアへと視線を向ける。他人が考え事をしている時にいきなりドアを開けないで欲しい。ビックリするではないか。

 と、勢い良くドアを開け放った人物と視線が合う。


「あ・・・・・・」


 思わず、声が漏れた。そこには見知らぬ美少女が立っていた。

 パッチリとした瞳。まだ幼さの残る端整な顔立ち。そして、腰まで伸びる艶を帯びた髪。あんまりの可愛さに、絡み合った視線を外せず、恥ずかしげも無くぼーっと見つめてしまう。対する見知らぬ美少女も、パッチリとした瞳でこちらを凝視している。

 ・・・・・・・・・・・・見詰め合うこと約5秒。


「お・・・・・・・・・」

「お?」

「お父さん、お母さんッ! お兄ちゃんが起きた〜〜!!!」


 見知らぬ美少女は、ぐるんと回れ右をすると、疾風のように駆けていった。呆けたまま残される俺。


 うーん、声も可愛いな〜・・・・・・・ん? 今、変な単語が聞こえなかったか?


「オニイ……チャン?」


 て、俺のコト?


 再び、1人にされた俺。少し哀しい。

 まあ、そんなことより、先ほどのあの美少女の台詞が気になってしかたがない。

 俺が・・・・・・お兄ちゃん? そんなことあるはずがない。何故なら、俺には妹はいないからだ。正真正銘の一人っ子である。

 眼を覚ます前の記憶が無かろうが、それだけは、何故か実感できた。


「ッ・・・・・・!」


 一瞬、頭の中にノイズが走った。実際に頭が痛んだわけではない。コレは、『記憶』の痛みだ。まるで思い出すなと言わんばかりに酷く痛む。紫苑は、頭を抑えて布団の上にうずくまった。

 そうしている内に部屋の外がなにやら慌しくなった。慌しさの中に、小鳥の囀るような声が聞き取れる。

 この声は、先刻のコだよな・・・・・・。


 待つこと数秒、開け放たれたままのドアから3人ほど人影が駆け込んできた。

 1人は先刻の美少女、1人は綺麗なお姉さん、そして残りの1人は、俺の父親だった。


「あ、父さ・・・・・・」

「お兄ちゃん!」

「フゴッ!」


 父親を見かけて、思わず声を掛けようとした刹那、先ほどの美少女がいきなり突進をかまして来た。アゴに鋭い頭突きを食らう俺。

 肉体に10のダメージ。

 精神力20の回復。


「ねえ、お兄ちゃん! 痛いところない? 大丈夫!?」


 軽く涙目でこちらを見つめる、俺をお兄ちゃんを呼ぶ見知らぬ美少女。

 痛いところといえば、先ほどの頭突きを受けたアゴくらいなものだが。今はそれを言うのは止めておく。しかし、この状況はどうしたものか。未だ理解できないという顔で自分の父親を見ようとして、その横にいる綺麗なお姉さんと目が合った。


「よかった〜。大丈夫、紫苑くん? こら、円、紫苑くんは怪我してるのよ。抱きついちゃ駄目でしょう?」

「あややや、ごめん! お兄ちゃん。 あまりにも心配してたから、つい・・・・・・」


 とても柔らかい表情のお姉さん(こちらも美人)に言われて、すばやく紫苑の体から離れて、しゅん、とするマドカと呼ばれた美少女。

 やっぱ、間近で見ると更に可愛いな〜、困った表情もサイコーだ・・・・・・なんて、考えている場合ではない。

 今は、この状況を把握しなくては。


「あのさ、父さん」


 紫苑の声を聞いて安心したのか、顔を綻ばせる父親。こんな顔をされると実に言いにくい。まあ、どのみち聞かないといけないことだし。


「何だ、紫苑」

「いや、ちょっと聞きたいことがあるんだけどね。俺、なんでこんなところにいるの? あと、この娘と、そこにいるお姉さん、ダレ?」


 指を、美少女からすぃ〜と、綺麗なお姉さんへ。

 空気が凍りついたのがなんとなく分かった。紫苑の言ったことがよく理解できていないのか、きょとんとこちらを見返す父親と美女2人。そして、さらに一言。


「もしかして、『お兄ちゃん』って、俺のこと?」


 普段はとても温厚な父親の顔が強張っていくのが分かる。俺が冗談を言っているのだろうと、思い込もうとしている表情だ。あとの2人は少し戸惑った顔をしている。状況に付いていけてないのだろう。俺だってそうだ。

 未だに分かっていない自分の状況だが、先ほど自分で出した記憶喪失という結論に間違いはあるまい。

 自分の事ほど、自分では分からないというが、本当だね。今まで自信がもてなかった考えが、他者のリアクションが伴えば、アラ不思議。自分が記憶喪失だという考えに納得がいくんだから。

 けど、状況を理解するにはまだまだ情報が少なすぎる。それは父親とてお互い様のようだ。


「オイ・・・・・・寝ぼけてるのか? 沙希さん――お母さんと妹の円だぞ、大丈夫か?」


 切羽詰った父親の声。

 普通なら可笑しな発言だ。家族にそんな説明をするなんて、俺の発言が冗談だと仮定しても、普通は息子にそんなことは言わない。

 恐らく父親も、俺と同じ考えに到ったのだろうが、簡単にそんな考えに持っていかせる俺の状況って一体・・・・・・・・・・・ん?


「母、さん?」


 丸くした目で、サキと呼ばれたお姉さんに視線を移す。

 お母さんということは、つまり俺の隣にいる美少女が妹だとすると、その母親ってことだよな? んで、つまり、それは?

 彼女は紫苑がお姉さんと称す通り、本当に若い。姉妹に見える母娘とかは良く聞くが、この母娘が家族だと聞かされた時、間違っても親子という単語は絶対に出てこないであろうほどに。

 『一体、いくつなんだ』とか、『父さんそれは犯罪だよ』とか、『本当に親子なのか』とか。言いたいことは多々あるが、それよりも何よりも、父親に言っておかなければいけないことがある。


「でも、だって、母さんは死んで・・・・・・・・ッ!」


 風が吹いた。

 同時に、部屋に入ってくる白衣の天使と、真っ白な白衣を着た男性。


 ああ、なるほど。此処って、病院だったんだ――納得。



 時間は進んで30分後。

 紫苑の目の前には白衣を着たイケメンの丸眼鏡、もとい、ここ清華総合病院の副院長である相馬和真先生が座っている。

 なんで名前まで知ってるかって? だって、胸にネームカードがあるんだもん。

 相馬先生は小さなペンライトで俺の眼を視たり、身体を直接触って痛いところは無いかと聞いてくる。特に痛いところも無いので、痛くない、と正直に答える。


「自分の名前は言えるかい?」

「カガミ シオン、です」

「ふむ。では、こちらの紙に名前を書いてみて」 


 後ろにいた看護婦さんがクリップボードを渡してくれた。備え付けのボールペンで、クリップボードに挟まれていた紙に名前を書く。


 ガリ・・・・・・。

 ちょっと、インクが出にくいで、ぶんぶんと勢い良くペンを振ってみる。

 カリカリ。

 うん、今度はちゃんと書けそうだ。


 紙に『嘉神【スペース】紫苑』と書く。【スペース】はもちろん空白のことですよ?

 クリップボードを相馬先生に返す。軽く紙を見たあと、看護婦のさらに後ろにいる俺の『父親』にクリップボードを渡した。

 それを見て頷く父さん。その隣には沙希さんがいて、そして先刻の美少女、円ちゃんもいる。見た目、まるで姉妹のように見えるが、どうやら本当に親子のようである。信じられない。

 渡された紙を見て、コクコクと頷く美女が2人。

 この2人が、俺の『母親』と『妹』だとは。正直な話、まったくそんな実感が持てなかった。

 心配そうに見つめる3人。医師の先生に次々と質問される俺。

 ちょっと、疲れてきたが、自分の現状が大体分かってきたので、まあ良いだろう。

 先ず、俺が何でこんなところにいるか。相馬先生の説明によると、それは3日前のことらしい。どうやら自分は市内の高校に通っている学生で、ちょうど夏休みに入ったばかりで終業式の帰りだったとか。

 帰り道、彼が横断歩道で信号をまっていたら、隣にいた女の子の犬が何かの拍子で飛び出してしまったらしく、その犬を捕まえようと女の子も飛び出してしまったらしい。運の悪いことにちょうどそこに大型トラックが来て、女の子を助けようと俺も飛び出して、結果、女の子は突き飛ばされて無事だったが、トラックに衝突した俺は奇跡的に怪我はしなかったものの、意識不明の状態で3日間眠っていた、らしい。

 奇跡的に、という部分にも理由はあって、衝突したトラックだが、俺が当たった場所は車に追突したのではないかと云うくらいへこんでいて、俺自身も10メートルほど吹き飛ばされていたらしい。

 本当、運が良いのか悪いのか。まあ、女の子も犬も無事で、誰にも怪我がなかったのなら良しとするか。

 他人の命と自分の記憶、比べるまでも無い。


「紫苑くん、聞いているかい?」

「は? ……えーっと、何でしたっけ?」


 どうやら、事故の説明を思い返していて、ぼーっとしていたようだ。

 相馬先生が顔を覗き込んでいる。


「えと、つまり思い出せるのは小学校までの記憶で、それ以降の事は思い出せないんだね?」

「あ、はい。といっても印象に残っている出来事なんて、母さんの葬式くらいだから、たぶん小4の時くらいまでですけど・・・・・・」

「そうですか。と、今日は此処までにしておこうか。あまり無理もさせられないのでね。あ、お父さん、少しお話したいことがあるのでこの後、お時間よろしいですか?」


 クリップボードの紙になにやら書き込んでそれを看護婦さんに渡すと、先生は父さんに声をかけるて退室していった。父さんも一緒に部屋から出て行く、それに続いて沙希さんも出て行った。

 あとには、妹だという円ちゃんと紫苑だけが残される。うーん、気まずい。

 向こうはこっちを兄といってくれるが、こっちは彼女を妹だと実感できない。恐らく、すっぽりと記憶から抜け落ちている小4以降に、父さんが再婚したのだろうが。さて何を話して良いものか。向こうもこっちの考えを察してか、緊張した面持ちで俯いている。これではまるで俺が彼女を苛めているみたいで居心地が悪い。


「えーと、円ちゃん、だっけ?」

「・・・・・・・・・・・・」


 沈黙に耐えられなくて声をかけてみたが、言った後に、しまった、と思った。こくんと頷いてはくれたが、その表情は明らかに哀しそうである。

 今まで兄と慕っていた人間から、他人のように言われたら当然の反応かもしれない。しかし、声をかけてしまった手前、このまま黙っているのも忍びない。


「んと、沙希さんと父さんが再婚したのって……いつ?」

「……6年、前」


 良かった、少しぎこちないがちゃんと答えてくれた。

 しかし、6年前か。確か、今が高校2年だって話だから。えーと、俺が小5の時か? 案外、早めに再婚したんだな。まあ、母さんのことを考えると、喪に服してるよりはさっさと再婚した方が喜んでくれると思うけど。


「そっか。それじゃあ俺は、円ちゃんと沙希さんのことなんて呼んでたのかな? なんか俺の発言でみんなを傷つけちゃってるみたいで。あの、えーと、良かったら、これからマドカって呼んで良いかな? 兄妹なら当然のことだと思うから」

「! ……うん」


 ちょっと、気恥ずかしくて頬をかく。円は、紫苑の言葉がよほど嬉しかったのか、彼女も気恥ずかしそうに頷いてくれた。

 良かった、やっぱり、女の子は笑顔が一番だ。


「良かった。じゃあ、円。普段の俺ってどんなだったかとか色々聞きたいんだけど良いかな?」

「うん、分かった、良いよ。 そうだよね、一番大変なのはお兄ちゃんだもんね。ごめんね、気を使わせちゃって」

「いや、俺の方こそ、無神経で……ゴメン」

「ううん、良いの。やっぱり、お兄ちゃんは、お兄ちゃんだって分かったから」


 今度は、屈託のない、幼いまでの無垢な笑顔を向けてくれる。恐らく、これが彼女の本当の笑顔なのだと、記憶の無い自分でも分かった。そして、この笑顔を守ってやりたいと思っていたことを、心のどこかで思い出したような気がした。

 円が何から話そうかと考えている。その姿が、何だか小動物を見ているようで微笑ましかった。と、そんなことを思った時だ。


 ゴオオォゥゥオゥウーー!!


 頭の中を埋め尽くす暴風の音に、紫苑は身震いした。


「えっ、お兄ちゃん! 大丈夫!?」


 突然、表情を歪めて身体をくの字に折り曲げた紫苑に、円は驚いて肩を抱くように寄り添い、悔しそうに歯噛む紫苑の顔を心配そうに覗き込んできた。

 まったく、守ってやりたいなんて、思った傍から彼女にこんな顔をさせるとは、アニキ失格だな。

 心の中で悪態を付いたが、いまはそれど頃じゃない。

 『音』が、いつもより鮮明に頭の中を轟いていく。まるで自らの苦しみを撒き散らさんとするように、音は暴力を以って頭の中で右往左往と暴れ狂う。


「ぐぁ……そうか、ここは病院、だっけ。 記憶喪失だからって、うっかりしてた。いま、近くに居なくたって、急患っていう、可能性も……あったじゃないか」

「大丈夫!? もしかして、お兄ちゃん。また、『聞こえ』るの!?」


 その言葉に、咄嗟に顔を上げた。目の前の、心配そうに見つめる美少女の瞳を凝視する。


「なんだ、円は俺の力を知っているのか――」


 円は、頷きはしなかった。

 ただ、、不安そうに見つめ返してくれる円の澄んだ瞳を見て、なんとなく知っているのだと理解してしまった。

 父さんと母さんしか知らなかったはずの俺の秘密――それを彼女は知っているんだ。


 そっか、俺たち、ちゃんと家族だったんだな。だったら、知っていて、当然か。


 ――そう俺は、ヒトの『死』を聴くことができる。


 失ったはずの記憶がズキリと痛んだ。


遅筆ですが、これからちょくちょく上げて行きたいと思います。

感想などがあれば、よろしくお願いします。

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