幼稚園年長篇その1 霊視能力者修道女(シスター)紫子
2023年春-桜の花も咲き始めたころ、札幌市北区に所在する某カトリック系幼稚園では厳かな雰囲気のもと教職員である2・3名のシスターと園児たちが朝のお祈りを捧げていた。
シスターたちのなかで最年少の園田紫子はこの幼稚園に勤め始めて半月も経たない新米教諭であり、仕事も先輩のシスターたちに手取り足取り教えてもらうことが非常に多い。
中学から女子校育ちの紫子は、高校一年生のときにカトリックの洗礼を受け高校卒業後は女子修道院で聖職者になるための生活をおくるかたわら短大の幼稚園教諭養成課程で学びこの幼稚園に勤務するはこびとなった。
しかしながら新入りの紫子にとって朝のお祈りの時間は少々窮屈なものである。
お祈りの最中にもかかわらず紫子は急に眠たくなったり腹の音が“グー”と鳴ったりしてしまいそうな時もあるがそこは聖職者の務めとして最低限我慢することを心がけている。
お祈りも終わりに近づく頃、紫子はどこからともなく怪しい気配に気づいたかの如くそれまでのひたすら神に祈りを捧げる態度から一転、急に落ち着きがなくなってきた。
「園田さん、どうかされましたの?」
「いえ、何でもありません。」
年輩のシスターが心配そうに問いかけたのに対し、紫子は何もなかったかのように答えた。
お祈りの時間が終わった後は自由活動もしくは集団活動の時間に入る。
この幼稚園では生活教育や感覚教育・コズミック教育などといったモンテッソーリ教育の手法に基づいた園児自らの意思を尊重した教育がおこなわれており、「心を育てること」をモットーとしている。
またクラス編成も、3歳から6歳までの園児が混ざりあうかたちで編成がおこなわれており、紫子が担任するC組には年少・年中・年長とあわせて15名の園児が在籍している。
この日C組では集団活動の一環としてシスターと園児たちがプチトマトの収穫をおこなっていた。
このプチトマトは幼稚園の校庭の花壇において以前から栽培がおこなわれているものであり、気温も暖かったので収穫日和であった。
元気いっぱいの園児たちがプチトマト収穫のために走り出していくなかで、園児たちを引率していたシスター紫子は何らかの気配に気付き始めた。
修道服姿に麦わら帽子、両手に軍手をはめた姿の紫子は最初はそのような気配を気にもとめず園児たちとともにプチトマトの収穫に精を出していた。
しかしながら時間が経つにつれて紫子はその気配の正体が何であるのか薄々と気づきはじめていた。
「もしかして幽霊?」
そう紫子は確信した。
実は紫子には霊視能力があり、女学生時代には学園の宗教行事としての慰霊祭があった時や修学旅行で長崎などへ行った際には物故者の幽霊とコンタクトする機会がしよっちゅうあり「死んだ人の幽霊が見える」と言ってしまうことも非常に多かった。
また女子修道院で生活している現在でも時々、学園の創立者であるドイツ人の司教や修道女もしくは長らく学園の理事長をつとめていた日本人修道女の幽霊と接する機会も非常に多い。
プチトマト収穫の時間も終わりに近づき幼稚園の職員たちが昼食の準備にとりかかろうとした頃、紫子の視線の先には幽霊の正体がはっきりと映しだされた。
「あの・・・・・お名前は何とおっしゃいますか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
紫子が丁寧な口調で質問したのににも関わらず、雅司は終始無言を貫き通した。
紫子には幽霊の正体がわかるような気がしてならなかった。
あの幽霊は6年ほど前に生きるのが嫌になって創生川に身を投げた男性-田中雅司-だということを。
雅司の服装は使い古しのフード着きジャンバーにヒザに穴が開き始めたジーンズ、10年以上掃きくずしてきたシューズといったいかにも浮浪者といってもいいようなものであった。
「このままではあの幽霊が園児たちに危害を加えるかもしれない。」
「聖職者として園児たちを守るためにもあの幽霊だけは絶対に排除しなければならない。」
わが身を切る覚悟でそう決心した紫子は、自らの霊感を頼りに幽霊-田中雅司と全面対決に名に出すことを決心した。