スマートフォンを落としたので、異世界に誘われた。でも行かない。
「貴女の落としたスマートフォンは、このI○Sのスマートフォンですか? それともAndr○idのスマートフォンですか?」
沼から現れた、女神風の人影はこちらの姿を認めると満面の笑顔でそのようなことを言ってきた。
その右手には最新式のiPhoneを、右手には国産有名メーカーのばり高いスマホが握られている。
MNPでもしなければ、なかなか手が出せないお高い携帯端末である。
さて。なんで私がこんなところに来ているのか、というところから話をしなければならない。
それは、まぁハイキングというやつである。
がっちがちの登山家というわけではなく、ただ森林浴をしたり散歩をしたりするのが趣味で、休みになるとこうして一人でとてとてと森とか低めの山に入ったりする。
都会の人付き合いから疲れたときは特に、この一人ハイキングはいいもので、木々のざわめきを聞いていると、すっきりするというか、とにかくリフレッシュできるのだ。
もちろん、そんなときは、日頃の些末な問題は考えない。明日から仕事やべぇとか、考えない。
一昨日落としたスマートフォンのことだって考えない。そう決めている。
なのに、目の前のなんだか人外っぽいものは、その心の傷をざっくりえぐってきたのだった。
まあ沼に浮かんでいるので、人外でいいだろう。女神かどうかはわからないけれど。
ちなみに、金の斧の原典では、ヘルメス神があの役をやっているのだそうだ。
あまり神話に詳しくはない身でも知っているほどの神様である。
「あの。それって両方とも防水機能ついてましたっけ?」
「へ? ああ。はいはい。ついてますよ。生活防水です。沼にぽちゃっても大丈夫!」
どやぁと、新商品を説明するかのごとくな彼女の顔に少しいらっとする。
もちろん、スマートフォンは電車に置き忘れただけであって、沼になど落としているはずもない。
「両方とも私のではありません。それと高価な品なので、ちゃんと元あった場所に返しておいてくださいね」
最近、スマートフォンの盗難が相次いでいるという話もあると少し忠告のような形で話をすると、これは別に盗ったとかそういうのではなくぅーと情けない声が彼女から漏れた。
「うぅ。せっかくお賽銭を貯めて買ったのに。盗難呼ばわりはひどい。ひどいのです」
「お賽銭って……お社もろくになさそうなのに、どうして集まるのか」
「ありますもんっ! 私こーみえて、神。お社だって、いちおう、ちょっと離れたところにあって、地元の人達がお願い事したりとかしてきて、ちょこっと叶えてみたりとかしてますもんっ」
なんか、軽いのりの神様に、ちょっとからかってしまいたい気持ちになる。
「その神様がどうしたって、こんな沼で金の斧ごっこなんですか? そもそも私、この沼にスマートフォンを落としたことなんてないですし」
「私だってこんなことやりたくないんですっ。でも霊格がどうのとか、次の査定でどうしたってこれをやらないと……って。まずっ。これは秘密。内緒。聞かなかったことにして、リテイク」
ぷりーず、と言われて、フリーズしてしまった。残念女神っていうのが世の中にはいっぱいいるそうだけれど、実際目の前にいるとがっくりきてしまう。
「おぉっ、人間よ。我はスマートフォンを落としたかどうかを聞いただけである。この沼で、なぢゅ」
「あ、噛んだ」
無理に荘厳そうな口調で語ろうとするからだ。
でも、言いたいことはわかった。確かに私はスマートフォンを落としている。落としているから、金の斧ごっこをしようということなのだろう。
「こ、この沼で落としたかどうかなんて関係なくてですねぇ。落とした事実があれば反応する仕掛けです。イベントです。フラグを持ってる人が通ると始まる自然イベントです」
「このゲームっぽい世界は、さすがに社会人五年目にはきついわー」
いやぁ、これでも私は学生時代はゲーマーって言われてましたよ。そういう世界観はわかってるつもりだけれど、現実とゲームはごっちゃにしない主義です。
「それで? どちらのスマートフォンですか?」
「だから、両方とも違うっての」
「では、貴女のスマートフォンはこちらでしょうか?」
湖面をかつんとつま先ではじくと、今まで風で揺れていた表面が静止し、そこに一つの映像が浮かびあがる。
現物をとりだして確認をするかと思いきや、そんなことはなかった。
「Wind○ws phoneというやつですか。へぇ……こんなのあるんですねぇ。ほとんどの人がリンゴか人形かだと思っていましたが。おねーさん、割とヲタクなのですねぇ」
「うっさいなぁ。仕方ないじゃない昔からキワモノガジェット大好きなんだもの」
使いやすさ、という点で言えば、たぶんほとんどの人が使っているリンゴか人形がいいに決まっている。多くの人が使っていると言うことはそれだけサービスも充実していて、アプリなんかも多いということだ。
その点、私が使っていたものは、いろいろな制限があってちょっとクセがある。
こういうものが私は昔から大好きなのだ。大衆向けの大きな電気店よりも、某電気街のさらに奥のほうにあるような店で、発掘作業をするのがなにより楽しい。
というか、ポケットポストペットというものをみなさま見たことがあるだろうか。
アレを入手したときは、テンションが上がった。クラスメイトからは変な目で見られた。べ、別にいいじゃないのよ。すんごい可愛かったんだから。おにーちゃんからもらった時は中学生ながらに、大興奮してしまった。
投げ売りで売ってたから買ったものの、男が使うにはさすがにハードルが高すぎた、とかそんな理由だった気がする。
確かにボタンもあのサイズだと男の指だと使いにくいかもしれない。
「それはともかくです。このスマートフォンなのですが……取り戻したくないですか?」
「へ? それは正直に話せば最新式スマホもあわせて三つこっちに渡してくれる流れじゃないの?」
「世の中そんなに甘くないです。そもそも金の斧くらいなら、神様ならどうとでもなりますが、人間の英知の詰まった禁断のリンゴと、自動人形なんて神様だろうと、購入する以外に用意するすべはないのです」
たった二台だけの大切なものなのですから、気前よく渡して大団円なんてできないと彼女は遠い目をして言った。
世知辛いなぁ、神様の世界も。
「さて。それでこのスマートフォンなのですが……実は、異世界にあります」
「……でたよ、女神と異世界」
「こほん。異世界を信じないのですか? そこは楽園、桃源郷。チートをもらって無双する夢の世界ですよ? スマートフォンを探して異世界探索です。私の力で肉体強化とかもしてあげます。あっちの住民達は強いですからね。それでもひゃっはーできるくらいにはできます」
ほれ、さっさと沼に。ダイブしちゃいましょ-。異世界への扉は湖面だったー的な感じでーとくいくいと手招きをされてしまった。
確かに、某古いゲームだと、旅の扉は水面みたいな画像だったけれど。
これが異世界への扉か、と言われるとなんか胡散臭い。というか。
厨二くさい。
「ええと。そろそろハイキングに戻ってもいいかな? お腹も空いてきたし見晴らしの良いところでおにぎりでも食べようかなって思ってるんだけど」
「……スマートフォンですよ!? 無くしたスマートフォンがどうなってもいいっていうんですか?」
やんわり断ったら思い切り悲壮な顔をされてしまった。
そして、スマートフォンの販売員もかくやという勢いで食いつかれた。
今買わないと、変えないと損ですよ! 是非うちのキャリアにー、なんていうアレだ。
「戻ってくるなら嬉しいっていうのはあるけどねぇ……異世界にまでいって取り戻す必要はあるかって言われるとちょっと」
「ええぇー。個人情報満載ですよ? みんなに貴女のプライベートが大暴露です。連絡先はもとより恥ずかしい写真だったりもいっぱいで、お付き合いしている方の画像データとかも掲示板に貼られたりとかしちゃうかもっ!」
「いや、異世界に掲示板は……っていうか、貴女の言う異世界ってどういう設定なの? 中世ヨーロッパもの? それだと電気はどうするの? 科学技術が発達してるの? そもそも写真っていうガイネンがあっちにあるの?」
「えと、それはその……ですね。えっとこんな感じの異世界、です」
こつんとつま先でもう一度湖面をたたく。
すると、そこにはいちおうリアルに動いている人達の姿が映った。
ふむ。見た感じ、いかにも異世界もの、といえる中世ヨーロッパ風の町並みだろうか。
人々は薪で湯を沸かし、移動は徒歩か馬車を使っている。
電気の欠片もなさそうな世界観である。
「これ、電気、ない、よね?」
「ない、ですね……」
ま、間違えました、リテイクで。と彼女はもう一度かつんとカカトを湖面にうちつけた。
「こりゃまた、すごいのを持ってきたね。近未来ですか」
画面が変わって今度は、超高層ビルが乱立して、車がびゅんびゅん走っているものに切り替わった。
現代から、近未来という感じの異世界だろうか。
現代知識チートとか一切使えないたぐいの異世界だ。需要は当然ほとんどない。
「そ、そうです。ここにあのスマートフォンがぽちゃっとしてます。さぁ、取りに行きましょう。個人情報の塊を取りにいこうではないですか」
あからさまに怪しい挙動の女神を前に、はぁとため息を漏らす。
異世界転移ができるよ! ほれ、こっちだよ! といわれてそれに乗る人はどれくらいいるのだろうか。
疲弊した昨今なら、割といるのかもしれないけど、私はさすがにそこまですり切れてないよ。
こっちの世界はそれなりに楽しいし。なによりキワモノガジェットがいい。
「別に、いいかなぁ。無くした時は確かにへこんだけど、もういいの、駅にも連絡いれたけど落とし物リストにはなかったし。みーんな届いてるのはキャリアスマホだし、どうせキワモノスマホなんて見向きもしないもの」
「なっ。個人情報は!? なによりも大切な個人情報ですよ? 取り返さないとまずくないですか?」
「……必要な連絡先はメモがあるし、それに、ほら。あのスマホの電話帳ったら、真っ白なのよね」
「な、ん、と」
一言一言区切って言われるほどにショックだっただろうか。
電話帳に登録されてるのが片手の指で足りるというと、哀れそうな顔を向けられるのだという。
でも、これにはちゃんと理由がある。
「サブ機、なんだよね、あれ。見た目スマートフォンだけどwifiの電波ないと繋がらない子。二画面同時操作ができないからさ、二台持ちしてんの」
「……わーいふぁーい? ほわーい? なんですそれ」
きょとんとした様子の女神は、なにをいってんのこいつという様子で、心底わかりませんというようすだった。
そう。私が無くしたスマートフォンは厳密にいえば電話ではない。
どうしてもwindOws phoneが使いたくなった私は、基本で使っているスマホの他にディザリングして使えるものを用意したのだった。もちろんキャリアの契約はなし。タブレットのような扱いとでも言えばいいだろうか。
なので、中に入っているデータもたかがしれていて、せいぜいがネット上でのログインパスワードとか、追加でいれておいたアプリの趣味が悪いこととか、それくらいなものでしかない。
パスワードはもう全面的に変更済みなので、悪用されることもないだろう。
電話をしないから、電話帳はからっぽ。別にぼっちだから空っぽというわけではないのだ!
もちろん……メインのスマホにメッセージがくるかといわれたら……うん。お察しください。
「くぅっ。せっかくの贄なのにー。後生ですよぅ。ほれ。池に足をつっこみましょう。片足どころではなく両足ともずっぽりいっちゃいましょう」
異世界。ほれっ、異世界と、自称女神さまは自棄を起こしたようにこちらの肩をつかんできた。
割と腕力はあるようで、掴まれた肩が痛い。
「お断りです。どうしてスマホ一個のために異世界に、それも胡散臭い異世界に行かなきゃならないんですかっ」
どうみたって、異世界の話は胡散臭い。設定だとかがずさん過ぎるし、なにより取って付けたような対応があからさまに嘘くさい。スマートフォンのデータの件があろうとなかろうと、私はこの女神さまを信じる気にならない。
「いけぽちゃ。いけぽちゃをーお願いしますよぅ。私の神格の中に、迷い人を誘って沼に沈める的なのがあるんですよぅ。昔は豊作祈願で村の生け贄じゃーとか、いろいろあったんですよぅ。でもデジタルな最近だと、農作物は肥料で育てるし、何をするにも科学科学ですぅ。だーれも生け贄とかくれないですし。二百年に一人くらいは生け贄もらわないと、査定で降格されてしまいますぅー」
「ちょ、ちょっとまって! なら、貴女、私を沈めるためだけにさっきまでの芝居をしてたわけ?」
胡散臭い、嘘くさいとは思っていたけれど、まさか自分を沈めて殺すためのやりとりだったのかと思うと、いきなり背筋がぞわりと冷たくなった。
あれか、この話はホラーなのか? あれ。童話じゃなかったっけ? ヘルメスさんは斧をくれるんじゃ無かったっけ? 斧を持って襲ってきたりはしないよね?
「そ、そーです。今となってはネタばらししちゃいますけど。今時の人間は、スマートフォンを命より大事にする。それを取り戻すためなら異世界にだって行ってしまうだろう。それを餌にすれば池ぽちゃ、いけるんじゃね? って助言をいただいたんです」
別の神様から助言をもらったのだろう。そっちの神もやたらちゃらい軽い感じだけれど、なかなかにひどい話である。
まあ神からしたら人間の一人や二人など、供物の一つ程度の認識しかないのだろうけど。
「しょうがないなぁ……」
がっくりとうなだれてしまった女神を見下ろしながら深いため息。
先ほどの馬鹿力があれば引きずり込んだりということもできそうだけれど、あくまでも納得済みで逝かせる必要があるということなのか。
にしてもどうしたものか。
このままだとこの近所で、新たなる失踪事件がおきてしまう。
「えっと、んーっと、あっ。あったあった」
「えっ、なにをしてるんです?」
ごそごそとバッグの中に入っていたソーイングセットと、白い紙をとりだして、小さいはさみで器用に人の形にカットしていく。
「いやぁ、無いよりましかなーって。よしっ。完成っと」
ほいと、できあがったモノを見せた。
「ひと……の形?」
「そ。さすがに生け贄の習慣とか今の世の中問題になっちゃうっていうんで、身代わりみたいなもの、かな」
やらないよりはマシでしょ? というと、人間さぁんと泣き付かれてしまった。
ほら。よく祭りとかであるじゃない? 元々は生け贄の風習があってーそれが転じてみたいなそんな話。
それを参考にしてみたのだけど。
「これで、とりあえずこんなことはもうやらないようにならないかな?」
どう? と恐る恐る声をかけると、彼女は沈みゆく人の形をした紙をじっと見つめていた。
「わ、わかりましたっ。神事考課の担当に聞いてみます。もしこれで済むなら私だって無理に人を沈めたいとか思いませんし」
「そっか。それなら、ひとまず安心、なのかな」
ふぅと、とりあえず発展的なことが出来たのに安堵した。その神事考課をする人がどう判断をしたにせよ、こちらでできることはここまでだ。
「さて。それじゃ今度こそ私はハイキングに戻るよ? 景色の良いところでご飯を食べるという目的があるんだし」
「あ、それなら良いところがあるのでご案内しますよ」
せめてご迷惑をかけたかわりにそれくらいはさせてください、という彼女に、一言こう堪えた。
「異世界は勘弁してね」
そして連れて行かれた先の景色はというと。
確かに、どこまでも広がる空と眼下の景色と。
この世界もまだまだ十分に美しいと思えるような。
そんな景色なのだった。
作者先日スマホを落としましてね、ついうっかり構想をしてたら書いてしまった感じで。
ポケポスとかはもう15年前のアイテムなので作者の年齢もわかってしまいますね! でもあのかわいさったら女子高生のマストアイテムだと思うのです。もちろん今時のスマホも可愛いの多いのですけれどもね。
それと、今回のお話は男の娘はだしませんでした。女神さまについててもいいかもとか思ったりもしたけど、そこに意味を持たせるのが大変そうだったので。