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黒猫

地図の上では単純に見えたはずの道が、歩いてみると実際には道幅が思っていた以上に狭く随分と複雑だった。


おまけにマウランダースへ向かって大きな通りから一本、二本と道を入って行くにつれて人影もなくなり、ついには前を向いても後ろを向いても誰も歩いていやしない。


それどころか車一台通り過ぎない。


黒いのら猫が一匹、俺の前を横切って行った。


真昼のゴーストタウンだ。


雑貨屋から一〇分も行かないところに、マウランダースの赤い看板は見つかった。


看板には店名の他に鮭のレリーフが施されている。


雑貨屋のお婆さんが『スモークサーモンが美味しい』と言っていたが、これは期待できそうだ。


俺はすぐに店へ入ろうとした、が……。


足がドアの直前でピタリと止まる。


マウランダースがある袋小路の建物と建物の間、その遥か奥に石造りの高壁がやけに冷たそうに聳えているのが目に映った。


そしてその手前には、俺の背丈の一・五倍はありそうな真っ黒に塗られた鉄柵が行く手を阻んでいて、括りつけられているものはおそらく『立ち入り禁止』の看板。


――なんだあれは?


ただの壁だろう、と無視できない雰囲気が漂っていた。


試しにそのすぐ隣の建物との隙間も覗きこんでみる。


そこからも同じ石壁と柵が見えた。


ひとことで言えば、異様だ。


俺は即座に左手に握っていた地図と今いる位置とを確かめてみた。


腕時計に付属している小さな方位磁針に示された方角と照らし合わせて、背筋が不覚にもゾゥッとした。


地図上でその方向にあるのは、明らかにあの真四角に塗りつぶされた空洞のような場所。


背筋に感じた悪寒はビリリと頭の天辺まで突き抜け……子ウサギちゃんを叩き起こしていた。


俺は勢いよくドアを開けると、マウランダースへ入った。


「いらっしゃいませ」


通りにはあんなにひと気がなかったのに、店の中は思いのほか混んでいた。


いったいどこから湧いてきたんだろうかと疑いたくもなる人の数だ。


カウンター席が八つに四人がけのテーブル席が六つ、それらが大方埋まっている。


客はこの街の人間らしく年配者ばかりで、むしゃむしゃとサンドイッチやらサラダやらを食べている。


カメラとバックパックを見て慣れない土地に困っている若者とでも思ったんだろう。


ウエイトレスが笑いながらゆっくりとした口調で声をかけてきた。


この中では若い方に属する、俺の倍以上も年上の熟年女性だ。


「お一人様でしたら、奥ですけれどカウンターが空いていますが」


「あー……いや、どうしようかな――持ち帰りもオッケーだっけ?」


俺は逸る気を抑えながら尋ねる。


「ええ、定食以外のサンドイッチなら包むこともできますよ」


ウエイトレスがメニューを持ってきて説明してくれる。


俺は雑貨屋のお婆さんに勧められたとおり、スモークサーモンのものと、それとは別に鳩ハムのを選んだ。


それからおよそファーストフードとはいえない時間を待たされて、ウエイトレスが紙袋に入れた品を持ってきた。


「お待たせしました、七ペナと八十五セティです」


俺は代金を払う。


そして軽く鎌をかけた。


「ここは袋小路みたいだけど、建物の間を通って向こう側へは抜けられないかな」


ウエイトレスはちょっと首を傾げた。


「向こう側へというと……ここを真っ直ぐ北側へですか?」


そう言って不審な柵のある方角を指す。


「そうそう」


「それは無理ですよ」


ウエイトレスはカラカラと笑った。


「通れなくなってますもの」


「そうなの? なぜ?」


「大きな柵があって、その先にはぐるっと高い壁が続いているんです。向こう側へ行くなら、カームディ通りをまわって行くしかないんですよ、ちょっと遠いですけどね。お客様は――」


「おっと、留学生じゃないよ。単なる旅行者だ」


言われるより先に俺は言ってやった。


ウエイトレスは、「まぁ驚いたわ。今わたし、留学生の方なんじゃないかって言おうとしてたんですよ」と言ってまたカラカラ笑う。


だろうね、とため息混じりに肩を竦める俺。


「わたしもね、たまに思うんですよ。この先を真っ直ぐ向こう側へ抜けられたら便利なのにって。――しかたのないことです……ここだけの話ですよ、あそこは曰わくつきの」


「曰わくつき?」


突然声を低めたウエイトレスに、俺は訊き返してしまった。


「ええ。税金で壁と柵を作った当時の市長に、わたしたちの誰もが心から感謝してますよ。曰わくつきの古屋敷を囲う大切な壁と柵ですもの。おかげでわたしたちは安心して暮らせます。ここ何年かニュースで騒いでいる隕石の方がよっぽど恐ろしいわ。あんなものがここへおちてきたらどうしましょう、大変だわ」


バダコにも去年、人の頭くらいはある隕石が落っこちてきて大騒ぎになった。


この隕石落下は数百年に一度程の割合で集中的に起こるのだ、と専門家が熱く論ずるのをテレビで見かけることもあった。


今年に至ってはバダコのすぐ北にある国でひとつ、赤道に近い国でひとつ、その西方にある国でひとつ落下が確認されている。


大洋や密林へ落ちて未確認のまま放置されている隕石もあると考えられているから、それらを全て数えると結構な数になるとも言われている。


しかし、ミロンズタウンのど真ん中にあるものがこれで判明した。


真四角に塗りつぶされた地図の中心部に鎮座するのは、防壁に囲まれた曰くつきの古屋敷。


何某かの不吉ないわれから人々の暮らしを切り離しているというわけだ。


世界を見渡せば、その手のサイキックな恐怖名所は少なくない。


壁を作って囲うなどという例はあまり見たことがないが、大仰な措置をとりながらミロンズタウンが恐怖名所として有名にならないという例もまた珍しい。


ウエイトレスは隕石の脅威に表情を曇らせてしまった。


俺は逸れた話を戻しておく。


「当時というと、結構古いものなの?」


「それはもちろん。わたしのお婆さんの時代より、もっとずっと前の時代ですからね。ミロンズタウンへいらした旅の方には、ただのつまらない古壁をながめるより運河通りを歩くのをお勧めしますわ。南東の方角ですよ」


「行ってみるよ」


「かなたまで。ありがとうございました」


「ああ、かなたまで」


礼を言い、俺はマウランダースを出た。


すでに散策し終わった運河通りのある南東へ背を向けて、石畳の細道を歩き出す。

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