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リング

「けれど古の怨念は、その監視棟をあっという間に食いものにして棲みついたんだ。バナードを転々としていた俺の耳にも噂話はいくつも届いたよ。間もなく配属された派遣隊からの連絡が絶えたとか、監視棟に入った者は誰一人戻って来なかったとか。そのうち心配した親族や友人らが、監視棟の傍に大勢居座って野営を始めた。彼らを相手に商売を始める者まで出てきて、監視棟の周りには小さな街ができていった。噂が噂を呼んで、皮肉なことにその街はどんどん賑わっていったんだ。運河が整備され、道には歩きやすいよう石畳が敷かれてね」


「それがミロンズタウンか」


あきれて俺が口にした街の名を、ファーディンは否定しない。


「退去命令も口封じも、親族を案じる人々の思いや強い好奇心の前にはさほど効果がなかったみたいだ。やむを得ずフィーン政府はミロンズタウンの中心部に高い隔壁を造って、シークレットバーリーには一切近寄れなくするという強行手段に出た。国際保安局にも歴史の隠蔽を迫られ、強力な呪いで壊すこともできない建物に対して他に打つ手が思いつかなかったんだろう」


「それこそ監視棟に土を盛って山にしたり、コンクリートで固めてしまったって街の景観的に不自然すぎて、逆に目立ちすぎるしな」


「それ以前に遺族が黙っちゃいないでしょ。シークレットバーリーの中から出てこられないだけで、家族や友人は生きてると信じている人たちが寄り集まってできた街なんだから」


「大罪だな」


俺はあえて身を乗り出して言い放ってやる。


「ああ……さすがに懲りたよ」


ファーディンは目元を手のひらで覆った。


「二〇〇年だぜ?」


「この先も続くんだ。教訓だよ。楽土の財宝には決して手を出すべからず」


その言葉に、俺の背筋がぴんと伸びる。


「そうか、扉を開けただけでディアードがあれほど怒るわけがない。おまえたちは楽土に侵入して古の財宝に手を出したんだな? シークレットバーリーの地下に財宝はあったんだな」


つい熱くなって詰め寄ってしまった俺は、ファーディンの冷たい視線で我に返った。


「じょ、冗談だって。そんな恐ろしい財宝なんかに金を詰まれたって関わるもんか」


「あんたがセレほど金の亡者じゃないところだけは救いだよ。ま、ともかく今回のことで爺さんの気がかりもやっとなくなったってことだ。二〇〇年前にかけた封印の精度を爺さんはずっと気にかけてたからね。これからは体を張って扉を守ってくれるよ」


ファーディンは開けもしない缶紅茶を、横の空いた席にコツンと置いて大きく息をついた。


あの時、俺はディアードに向かってメメルを投げつけた。


小瓶は砕け、扉は再び閉じた。

「そういやあの液体爺さん喋ってたよな? って、おい、口はどこにあったんだ?」


「さあ。それが説明できれば、陽の落ちた後に限って俺の全身に古傷が蘇るのも、セイリードが少女の姿になっている理由も説明できるだろうよ」


さすがにそこまではファーディンもわからないらしい。


俺にもさっぱりわからない。


そのとき、通路の向こうからやってくる少女と、少女に手を引かれた女の姿が目についた。


「さて、そろそろ行きますか」


腕時計を見やり、ファーディンが立ち上がる。


「やっぱりどうも納得いかないんだよな。なんで俺がおまえと同じ便でケンプリードへ帰らなきゃいけないんだ?」


不承不承に俺も立ち上がる。


缶紅茶を勧められたが、断った。


「いちいち文句言うなよ。この時間を逃せば次の直行便は夜だから俺は乗れない。仕事の都合もあるからこの便に乗るしかないんだ」


「仕事ねえ。景気のいい話で羨ましいことで」


「そうでもないさ。軽くへまをした分、取り返さなきゃ」


「へま? おまえが?」


上司の前でひたすら詫びる彼の姿というのも、それはそれで想像しにくい。


ファーディンは苦笑いを返すだけに留めた。


俺も別に興味がない。


勢いで訊き返しただけだ。


「あんたも仕事が欲しいなら、いつでもボスに紹介するって、昨日から誘ってるじゃないか」


ファーディンが話を戻し、俺は遠慮なく嫌な顔をしてやる。


「紹介の際には『死をも恐れぬ好奇心異常のカメラマン(曰くつき)』とか言う気だろ」


少女たちに手を上げ合図を送りながらファーディンがさらに無遠慮に笑ったので、もしかすると本気でそうするつもりなのかもしれない。


この男ならやりそうだ。


昨日、俺はファーディンに《ブラック・ドッグ》という組織の話をされた。


待遇もそこそこよく、なにより仕事さえこなせば所属員の個人的なことについていちいち深入りされないところが呪われ男にとっては都合がいいらしい。


そして大半は人助けになる仕事が多いのだそうだ。


今の俺にカメラマンの仕事への復帰が望めるのかとファーディンに鋭く突っ込まれ、かなり真剣に考えた。


カメラマンどころか、このままでは社会復帰さえ危ぶまれる。


いっそ思い切ってファーディンのような生き方を選択する方が正しいんだろうか。


「ゴメンゴメン、お待たせえ!」


プラム色の涼しげなサマードレスの裾をひらひらさせてやってきたのはセイリードだった。


「すごいねえ、この空港ってところ! 建物の中なのにお店がたくさんあって、あっちの方なんて噴水があって公園みたいになってたよ」


二〇〇年ぶりに外の世界を歩くセイリードには、見るもの触れるものすべてが物珍しく新鮮だ。


わかっていても彼女と同じ高揚を俺は数秒も維持できない。


手を引かれてやってきたフリアも、セイリードのはしゃぎようを眺めて微笑んでいた。


俺はそんなフリアを眺めていた。


胸の内は複雑だった。


ファーディンが片膝をつき、セイリードに目線を合わせる。


「ミロンズタウンへはちょくちょく寄るよ。俺もみんなに会いたいから」


「うん。あたしもモートンさんが退院するまではフリアと一緒にあのお屋敷にいるよ。その後のことはまだなにも決めてないけど……しばらくはミロンズタウンにいると思う。――え、なに?」


スッと伸ばされたファーディンの手がセイリードの髪に触れ、彼女は目を丸くする。


「せっかく外へ出て来れたんだからもっとおしゃれしなきゃ。いらなくなったらセイリードの好きにしなよ」


ファーディンはそう言ってネクタイ代わりのスカーフからサファイアのリングをはずし、セイリードの髪飾りに通した。


「でもこれって……ねえファー、あたし」


セイリードが神妙な顔で言葉を詰まらせる。


床に落とした視線も、どうしていいかわからずやり場に困っているようだった。


そんな彼女にファーディンはさらりと言った。


「先に言っとくけど、ニセ物だからそれ」


「ニセ――?」


なにかを言いかけようとしたセイリードが唖然となる。


「ああ安物。だからお礼はいらないよ」


アハハと笑うファーディンから、セイリードはぷいっと顔を背けた。


それから小さな紙袋を押しつける。


なぜか俺にまで同じ袋が乱暴に投げつけられる。


「二人にお土産だよ」


乱暴にしたせいで開いた口のところから中身が転がり落ちた。


拾い上げて、俺はそれと目が合ってしまった。


――ピンク色の子ウサギちゃん?


「セイリードったら、お買い物の途中で絶対にそのキーホルダーを二人へのお土産に渡すんだってきかなくて」


フリアが困ったように説明した。


セイリードの気分の高揚はフリアにも止められなかったようだ。


「だってすっごく可愛いでしょ?」


衝撃的過ぎて俺はしばらく声も出ない。


「……よ、よう相棒」


「相棒? そんなしかめっ面して気に入らないわけ?」


「いや、こっちの話だ。新しいカメラを買ったらぶら下げとくよ」


――まあ、可愛いには可愛いんだが。


とうとう俺の相棒が実体化してキーホルダーになりすまし、店先に並んでいたとは驚きだ。


不覚だった。


「ファーのにも同じのが入ってるからね!」


「それはどうも、大切に使わせていただくよ。【青藍】も、また仕事でそのうちに。今回の恩は数倍返ししておいたからね、貸し借りはなしだよ。――じゃあ、おつかれ」


ファーディンが恭しく紙袋を持ち上げて見せると、ようやくセイリードも明るくンフッと笑い返した。


フリアの顔で話していた【青藍】は、一瞬だけぴりっと緊張に包まれた表情を見せた。


意味深なファーディンの言い回しが気にならないでもなかったが、閉鎖的な《ブラック・ドッグ》絡みの話では俺は部外者と変わらない。


「ロッシュさん、傘はありますか?」


いつもの顔に戻ったフリアが唐突に言い出す。


「傘?」


「雨になりますから」


彼女があまり冗談を言うタイプではないのは、この数週間で重々承知だ。


「ケンプリード空港は晴れの予報だよ」


「そうですか……でも、あちらへ着いたらすぐに傘をご用意した方がいいと思います。必ずそうしてくださいね」


「――わかったよ、いろいろありがとう。またね」


「ええ、また」


お別れか、と神妙に俺も軽く手を上げた。

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