亀裂
足元が微かに揺れている。
ゴ、ゴゴゴ……
嫌な音がして俺の体が急に傾いた。
足元の岩盤が崩れて体が大きく宙に投げ出される。
夢中で伸ばした指先が岩盤の縁を滑り、虚しく空気を握り潰して、離れた。
「ロッシュ!」
「カートレイさん!」
セイリードとフリアの悲鳴。
俺の体は亀裂へと落ちていく。
底は闇。
一度落ちたら二度と這い上がってこれない深淵。
「うわあぁぁ――あっ?」
迸り出た俺の悲鳴が、途中で断たれる。
「掴まれ!」
濃い土の匂い。
亀裂の断面が鼻先に触れ、頭上から声がした。
俺の体は空中で吊り下げられ、静止していた。
信じられない。
岩盤を掴み損ねた俺の手を、ファーディンが腕を伸ばしてぐっと掴んでいた。
「絶対……絶対に落ちるなよ。絶対だからな!」
男の腕は震え、顔は恐怖にとらわれ愕然としていた。
あのディアードと対峙しても落ち着いた態度でいた人間とは別人に見えた。
「落ち、るかよ……だから早……く……早く……」
俺の声が掠れる。
足元に広がるのは、すべてを、世界を飲み込もうとする闇色。
しっかりと互いに握りこんでいたはずの指が、ヌルリと滑った。
ぎょっとして見上げると、ファーディンの指の間から見る見るうちに深紅の液体が伝い、あっという間に俺の上着をも染めていた。
「おまえ、腕が」
血の臭いが鼻についた。
俺が見ている目の前で、見えない刃物に深々と切り裂かれるかのように男の白い肌が細く無数に破れ、鮮血が弾けていた。
傷はやがて首筋や顔にまで達し、ファーディンのワイシャツを強烈な赤に滲ませる。
俺がさっき金髪碧眼の色男と呼んだ男は、一変して血塗れの亡者の姿と化していた。
「……落ちるな……頼むから、離さないでくれ……セレ……」
「それが、おまえを縛っている呪いか」
ファーディンは傷の痛みと激しい悔恨の念に苛まれているようだった。
狂ったような雄叫びをあげると、俺の体を一気に岩盤の上へと引き上げた。
向こうで、子どもの泣き声が聞こえる。
「ハァ、ハァ」
落下を免れた俺も、上がりきった心拍数がなかなか元に戻らない。
俺に駆け寄ろうとしたフリアが、血の池の中でうずくまるファーディンを見て悲鳴を上げた。
閉じられた巨大な扉の前では、ぶかぶかなドレスを体に巻きつけたセイリードが、形振り構わず大声でうわ言を叫びながら泣きじゃくっていた。
俺の片割れは、仰向けに転がされた奇妙な操り人形のような姿で、怠惰な呼吸と瞬きを繰り返している。
ファーディンが血溜まりの中で獣のような唸り声を上げ、絶望に伏した死の言葉を吐き始めた。
血と、涙と、咆哮。
歴史を超え、隠され続けた扉。
「呪いだ……これが秘められた真の呪い――」
俺もフリアもなす術なく、地下空間にただただ呆然と立ち竦んでいた。