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セイリード決断する






「ロッシュ! ねえロッシュ? しっかりしてよロッシュってば!」


セイリードがロッシュの襟首を掴んで耳元で叫ぶが、まるで反応がない。


ファーディンはそれまで岩盤に倒れていた方のロッシュ=カートレイに歩み寄り、肩を揺すった。


今しがたカメラを首から提げた彼に突き飛ばされたばかりだが、恨み言を浴びせている場合ではなかった。


ディアードがかけた呪いも均衡を失っているが、ディアードを封じ込めてある扉の封印もまた弱まっているはずだ。


「とにかくここを離れよう」


ディアードが『鍵』と呼ぶ二人のロッシュ=カートレイが、扉を見上げて立ち上がっていた。


唇が微かに動き、声にならない言葉を繰り返している。


……違う……俺は……。


強まる冷気が辺りに吹き荒れ、扉が大きく揺れる。


魔女王はロッシュ=カートレイという男を鍵に選んだ。


いや、魔星雲が宇宙の暗幕に入るのを見計らい、生じた自然摂理の僅かな歪をかいくぐって、鍵としての生を彼に与えたのか。


扉へ歩み寄ろうとするセイリードをファーディンが止めた。


「……諦めろっていうの?」


ファーディンはなにも答えられなかった。


破れたボロのドレスを纏っていようとも、ずっと心に思ってきた女の後姿から目が離せない。


セイリードも、そんなファーディンの視線に気づいてるから、振り返らない。


「二〇〇年前、あいつはこの扉を閉じる隙を作るために己を犠牲にした。覚えてる?」


セイリードは頷く代わりに扉を見上げる。


覚えていないわけがない。


彼女が意地っ張りなところもファーディンはよく知っていた。


「あいつは君を一番に助けようとした。俺が命拾いしたのはただの偶然だよ」


そんなはずはないこともセイリードは知っている。


セレはセイリードやファーディンたちをみんな助けようとした。


それで自ら命を犠牲にした。


「あいつが命がけでやったことを、台無しにするのかい?」


セイリードは首を横に振る。


重い沈黙が二人の間を満たした。


「この心の束縛、セレ=ビリアンドの呪縛みたい。ディアードの呪い並みにタチが悪いの」


「そうやって嬉しそうに言うかな」


「あんただってセレに呪われてるよ、唯一無二の親友だもん」


振り返ったセイリードは、口元を引き結んで頷いた。


「あんたに言われたらつくづく堪えるわ。セレのためになるっていうなら……しょうがない、ロッシュ=カートレイを連れ出そう」


ファーディンは頷いた。


この魔星雲接近期を乗り越えれば、扉の封印も再び安定するはず。


「ロッシュ行くよ! ファーたちと一緒に外へ出よう!」


セイリードが一方のロッシュの腕を引いた。


「わたしも一緒に」


【青藍】がセイリードに手を貸す。


頷き合ってロッシュの腕を引く。


……違う……誰…………俺は……。


「ロッシュ歩いてよ! 歩けぇ!」


しかし、渾身の力を込めて引いた腕がすっぽ抜けた。


同時に扉の前でなにかが大きく弾けた。


閂だ。


扉を押さえていた閂が振動で弾かれた。


足元に落ちてきた一抱えほどもある閂を、ファーディンが拾い上げる。


扉は激しく揺れ続ける。


「いいからセイリードも【青藍】も先に行け!」


閂を扉へと押さえつけ、ファーディンが叫んだ。


《……開けよ……開けよ……扉を開けよ……》


……誰……助け……。


二人のロッシュが扉へと近づいていく。


……けて……助けて……。


閂を元の位置に押し込め、ファーディンは同じ姿をした二人のロッシュに向き合った。


「開けるなロッシュ=カートレイ!」


首からカメラを提げたロッシュがファーディンを払いのける。


背丈ならロッシュを抜いているはずなのに、一人の男のものにしては強すぎる力でファーディンは蹴りつけられ、もう一人のロッシュに反対側の岩壁へと突き飛ばされた。


《……さぁ、その者たちよ与えられた使命をはたすがよい……》


「やめろ開くな!」


ファーディンが元にもどしたばかりの閂が、振動でついに真っ二つに折れた。


扉の合わせ目から閉ざされていた闇が覗く。


ロッシュが扉に手を触れる。


ディアードの笑声が地下空間に溢れた。


終わりだ――。


ファーディンがそう思ったとき。


「なにしてるんですか!」


不吉な笑声を突き破る勢いで叫ぶ声があった。


「止めてくださいカートレイさん! すぐに扉から離れてください!」


ロッシュの手が僅かに躊躇う。


「開けたら大変なことになるってわかっていながら開けようとするなんて、あなたはどこまで好奇心異常者なんですか! いいえもう世界一最低の大馬鹿者です!」


……助けて……助け……。


……助け……フ……フリ……。


「……ア?」


扉の合わせ目から怒りに狂ったディアードの絶叫がこだました。






俺は振り返った。


これは夢か。


――悪い夢?


足元が激しく揺れている。


眼鏡をかけた頬に絆創膏のある女が俺の両肩を掴み、至近距離から睨みつけている。


吐き出される白い息が、熱く俺の頬にかかる。


俺の首にはバデリィCFⅡの慣れた重み。


なにがどうなっているのかわからなかった。


俺は悪夢から解放されるために今一度モートン邸の地下通路を通り、壁とハーデンベリア号の真相を突き止めようとしていたのではなかったか。


俺は――。


いや、悪夢だ幻想だと問う自体がすでに愚かな行為だ。


俺は知っている。


意識の中で、俺自身の感覚と繋がり合い、知っている。


セイリードにファーディン、それにディアード……。


夢などではなく、俺自身が人為的に消去された歴史に触れ、呪いに触れ、昔日の怨念に満ちた使命に侵された体で今ここに立っている。


その証拠に、傍らでは俺の片割れが扉に両手をかけたまま、岩床に膝をついていた。


ハーデンベリア号へ転がり込み、呪いの解放を求めてセイリードとこんな地下深部までやってきた俺自身の片割れが。


「カートレイさん、『鍵』なんかになっちゃだめです! あなたに訪れるのは幸運のはずです!」


――メガネノオンナヲツキトバセ――


命令のままに俺の体が動こうとする。


誰の命令かは察しがつく。


だがもう誰かのいいように使われるなどまっぴらだ。


言いなりにされてたまるもんか。


俺は命令に抗い、女を突き飛ばすどころか腕の中に抱えて逃がさないようにつかまえた。


『鍵』だかなんだか知らないが、こんなつまらない流れなら俺がひっくり返してやる。


ディアードの怨念が、俺の全身を引き裂くような痛みとなって駆け巡る。


口からは声にならない絶叫が迸っていた。


傍らで膝をついている俺の片割れは、無様に大量の血を吐いていた。


それを横目に、俺は女の帽子と眼鏡を払い落とし絆創膏を剥ぎ取った。


現れたのは栗色の髪とほっそりとした白い頬。


「……フリア、おかえり。早……かったね――」


買い物に行ってくると言ってモートン邸から出かけていったはずのフリア。


彼女は俺には理解不能な変装をし、拳銃を腰巻きのベルトに提げて、最新式の携行ランプとともに俺の腕の中にいた。


よく見ると、ジャンキーな格好もそれはそれで似合っていなくもない。


「で、なぜ清楚な淑女であるはずの君が、古びた呪いに侵された金髪碧眼の色男と一緒にここへ?」


フリアが完全に怒った眼で俺をいっそう睨みつけた。


「今はそんなこと説明してる場合じゃありません! とにかくその扉から早く離れ――」


地下空間が大きく揺らいだ。


足元の岩盤に亀裂が入り、見る見るうちに広がっていく。


「性悪な魔女王は力ずくでも扉を開ける気だ」


口から下を血で汚した俺の片割れを扉から引き離しながら、ファーディンが言った。


巨大な扉が一〇センチ……二〇センチ……徐々にだが確実に開いていく。


激しい揺れの中、俺は一歩を踏み出す。


視界が揺れるせいで、気分の悪さが倍増した。


どうやらいつもの調子が戻ってきたようだ。


「セイリード、フリアを頼む」


「フリアって【青藍】のこと? なにする気なの?」


セイリードは揺れの中でも必死に耐えていた。


そうだ、彼女は出会ったときから過去にとらわれている以外は気丈な少女――いや女だった。


「なんてことない。開こうとする扉を閉じるだけだ」


俺は腕の中のフリアをセイリードへ押しつける。


「わたしは大丈夫よ」


セイリードはフリアの腰にぶら下がる拳銃を嫌悪感と物珍しさが入り混じったような瞳で一瞥したが、俺が促すとおとなしく彼女の手をしっかりと握った。


「背伸びしすぎる女は可愛げがないんですって。どっかのロッシュさんに言われたよ」


ンフッとセイリードが微笑を浮かべて目配せをする。


フリアが一瞬頬を赤らめたように見えた。


俺が乱暴に絆創膏を剥がしたときの赤みとは違っていたと思うが、気のせいか。


苦痛が全身を貫く。


徐々に徐々に、扉が閉じられる手ごたえ。


完全に閉じた、そう思って息を吐こうとした瞬間、とうてい人間の力では起こしえない力で扉が急に押し返された。


悲鳴とも騒音ともつかぬものが鼓膜を貫き、地下空間に溢れた。


「あぁっ!?」


地べたに這う格好となった俺の目の前で、扉は閉じるどころか完全に開いていた。


開いたところに暗雲が渦巻いていた。


暗雲の中心には巨大な二つの目があり、上空から俺を見下ろしていた。


口が左右に裂け、腫瘍が爆発的に増殖するようにその暗雲全体が刻々と隆起していた。


俺が『魔女王ディアード』という言葉から連想していた姿とは、およそ似ても似つかぬ姿の異様がそこにはあった。


不格好に裂けた口から不吉な音声が発せられる。


《……覚えておくがいい若造よ。天命には抗えぬ……》


ぞっとして振り返ると、血で汚した唇をニヤリと歪ませた俺の片割れが、ファーディンに抱えられたまま俺を見つめて笑っていた。


だが瞳の奥には恐怖があった。


魔女王への恐怖、抗えない天命への畏怖が、俺の片割れを支配しているのを知って愕然となった。


否定しようもなかった。


閉ざされていた扉は開いてしまった。


俺が開けたんだ。


「これを使えロッシュ=カートレイ!」


またもやフルネームで呼ばれ、苛立ちを覚える。


ファーディンが上着のポケットからなにかを取り出して手に握っていた。


「扉の中へ放り込め!」


ファーディンが放り投げたものが、俺の手の中へ飛び込んでくる。


それは青く粘度の高い液体が入った小瓶だった。


「なんだよこれ」


「「長話はいいから早く放り込んでもらえんかのう、若者よ」」


突然小瓶から嗄れ声が聞こえた。


俺は悲鳴を上げ、渾身の力を込めて開いた扉の中めがけて投げつけた。


カチンッ。


小瓶が割れた。


次の瞬間。


《……ぎゃああぎゃぎゃあああぁぁあががあぁあ……!?》


扉の内側が青一色に染められたかと思うと、ディアードが激しく身じろぎした。


まるで手の中で紙袋がぐしゃぐしゃに丸められていくのを眺めるような光景。


「今のうちに扉を閉めろ!」


駆けつけたファーディンが加勢してどんっと扉に手をかける。


セイリードもフリアも俺と一緒に扉を押す。


置いてけぼりを食らった俺の片割れは。呆然と立ちすくんだまま魂が抜けたように動くことはなかった。


ゴオォ――……ン


硬質な重低音が地下空間に響いた。


その後は、静けさだけが辺りを満たしていた。


「――閉じた」


とたんに俺の腰が抜ける。


すぐ横ではフリアが弾かれたように扉がら手を離して放心していた。


その向こうではセイリードが俯いているのが見えた。


「さすがのカメラマン氏も、一世一代のシャッターチャンスを逃したか」


ファーディンの皮肉に、俺は全然笑えない。


「さっきの青いやつ、いったいなんだったんだ――あれ」


「それはここを出てからゆっくり話してあげるよ。【青藍】――いや、フリアさんに紅茶でも淹れてもらいながらね」


ファーディンが【青藍】を名乗っていたフリアに向かって、意味深に疲れた微笑を向ける。


放心していたフリアは顔を上げてなにかを言おうとしたが、声にならなかった。

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