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ロッシュの暴走

調子に乗ってたことは認める。


この街の誰もが知らない謎を我が物にしようとして。


自分と同じような好奇心異常の老人に付け入ったことで気をよくし、逃げ出してきた騒々しい日々とはまったく違う場所で安易に景色にのめり込んだ。


「でもロッシュ、君は誰かの指図を受けたわけでもなく、わざわざ自分からディアードの呪いに飛び込んだんだよ。世界中が拒絶してきた呪いに、だ」


ファーディンが静かな瞳で俺を責める。


視線に俺は凍りつく。


「どうするんだい【青藍】。このロッシュって男を捕らえて依頼主の元へ引きずって行くのかい? それとも、どうやらディアードはこの馬鹿でかい扉を二つの『鍵』で開けたがってるみたいだし、その『鍵』となる超危険人物が二人揃ってしまったからこの場で処刑……は無理か。彼も呪われてるんだから、拳銃で撃ったって死なないかもしれない。この先何百年も」


とても正気とは思えないことを、ファーディンはさらりと言ってくれた。


「上で倒れていたこの人を運んできたのはあなたよ【銀狼】――いいえ、本当の名前はファーディンといったわね」


眼鏡の女がファーディンに侮蔑の視線を向ける。


「あなたが運んでこなければ、『鍵』は揃わなかったはずよ。いったいなにを企んでるの?」


「妙な勘ぐりはやめて欲しいな。俺が運んでこなくても、彼は自分の足でここまで来たさ。この状況が現実なのか、はたまた夢や幻覚の類なのか。君が調べた彼の性格からすると確かめずにはいられないだろうから、我に返れば数分後には間違いなくここに向かって来てたと思うよ。俺は彼の呪いが解ける好機が一瞬でもあるなら、解いてやりたいと思って運んできただけさ。《ブラック・ドッグ》の所属員の頭脳があれば、それくらいわかるだろ?」


「組織のことを簡単に口にしないでくれる?」


「太陽も月も仰ぐことを許されず追放されし者たちの痕跡と怨念の地、呪い――それに触れた者同士でいまさら隠しごとをして意味があると思うのかい? 俺たちは今にも暴れ出したくてうずうずしてる魔境の怨念たちと扉一枚隔てただけの場所に立ってるんだよ。なにが起こっても覚悟ができてると、君は言ってたじゃないか」


ファーディンが扉を振り返って仰ぎ見た。


ファーディンは背丈があるが、それでも見上げるほどに巨大な扉だ。


傍らにセイリードが立つ。


セイリードやファーディンを敵と考えるべきか味方と考えるべきか、俺にはわからない。


【青藍】も俺に銃口を向けていたかと思えば、助け舟を出してくれた。


ファーディンが口を滑らせた《ブラック・ドッグ》という組織名は、どこかで聞いた気もする――が、今は思い出せない。


「こうやって扉の前に立つと、あの時のことが蘇るよ」


ファーディンが神妙な顔で俺を顧みる。


「俺の顔を見て二〇〇年前のことを懐古するな。不愉快な上に気味が悪い」


「しかたないよ。罪深き顔をもって生まれたのはあんただ」


「他人の空似だろうが。顔に恨みがあるなら俺の親父と母親に言ってくれ。それでも足りないなら祖父母たちに――」


「そうやって屁理屈で返すところもそっくりだね」


セイリードが鼻をつんと上げ、見慣れない大人顔で弱々しく噴き出した。


「セレとファーはいつでもそうやって、ほんっとにくだらない文句をつけ合ってた。喧嘩ばかりしてるくせに仲がよくって、食事の時は最後のパンの一切れを奪い合うくせに肝心な時はなにをやってもなぜか息がぴったりで、毎日毎日……」


言葉が尻すぼみになる。


俺はセイリードを振り返る。


彼女の目の端から光る粒が落ちた。


「あたしたちが取り返しのつかないことをしたってことはわかってる。もうあの頃の日々は取り返せない。どれだけ償っても――永遠にそうなの」


ファーディンが静かに視線を落とす。


彼らがしてしまったことなど、俺には想像もつかない。


頬を拭い、セイリードが俺を見つめた。


「お願い、扉を開けて」


「無駄だよセイリード」


制止したのは意外にもファーディンだった。


「ディアードと取引をして呪いを解いてもらうんだよ」


「それで? その後は?」


ファーディンの問いにセイリードは答えない。


「君がやろうとしてることは二〇〇年前となにも変わらない。封印された扉を身勝手に開いて、欲を満たそうとしているだけじゃないか」


「いいじゃない! 呪いが解けてセレに会えるなら、あたしはなんだってするんだから!」


今度はファーディンが黙り込む番だった。


青い瞳の奥で温度が急速に失われていく。


「そうか。こんなに君が必死なのは、地獄で待つセレに会いに行くためか」


なにかを言おうとしたが、セイリードは結局口を噤んでしまった。


「二〇〇年経っても、やっぱり俺じゃ救いにならないんだね」


会話からおいてけぼりを食らっている俺へ、ファーディンが振り返る。


「セレにそっくり過ぎる顔をしたロッシュ、あんたにひとつ頼みがある」


「二〇〇年越しの失恋を八つ当たりされるのも筋違いだし迷惑だけどな」


ファーディンは嫌味な笑みを返してくる。


つくづく当てにしていいのか駄目なのかわからない男だ。


セイリードは黙って扉を見上げている。


「扉はどんなことがあっても開けないでくれ」


「ちょっとファー!? 扉を開けなければロッシュの呪いだって解けないんだよ!」


セイリードが牙をむいた猫の形相でファーディンに食ってかかる。


「呪いを解きたがってるロッシュが扉を開けないわけないじゃない! ねえ?」


と、今度は俺に猫なで声を向けてきた。


首筋の毛がぞくりと逆立つ。


逃げ場がじわじわと狭められる恐怖だ。


「妹のエステシアンとやらを探してやれば、魔女王の気は済むのか」


逃げ道を俺は必死に探す。


「古の怨念の女王相手にそんな単純にはいかないさ。二〇〇年前、俺たちは己の醜い欲からこの扉を開けた。蝙蝠の大群が渦を巻いて暗雲となり、異形の徒の止まぬ怒涛のような悲鳴に耳から血を流す者もいた。魔境の怨霊に目を当てた者の中には発狂した者もいた――」


「ハーデンベリア号の乗客乗務員は一人残らず魔境の餌食になったというわけだな」


「それだけじゃない。救助船の乗組員も含め五〇〇人近くもの人間が瞬く間に犠牲となった。扉を開けばそれで終わりさ。ミロンズタウンも周辺の街も失われる。ほんの僅かな時間で」


ファーディンが奥歯を噛みしめる。


端正な横顔が苦々しく歪んでいた。


セイリードの願い通りこれまでと同じく扉を開け、魔女王との取引が成立すれば呪いは解けるかもしれない。


けれどあまりにも犠牲が甚大すぎる。


俺の脳裏に、ミロンズタウンで出会って親切にしてくれた人々の笑顔が浮かんでは消えた。


ぎゅっと固く腕組みをする。


迷いがないといえば嘘だ。


ディアードの呪いに毒された頭で必死に考える。


己のために大勢の命を食いものにする度胸もないし、そこまで冷酷にもなれない。


かといって、呪いで分かたれたもうひとりの俺と、この先連れ添うなどどう考えても狂ってる。


俺は身を縮めた。


「なあ、妙に寒くないか?」


俺は傍らのファーディンとセイリードを振り返る。


彼らも体を縮めていた。


後方では眼鏡の女も寒さに震えている。


「確かにね。さっきと比べてずいぶん気温が低いな」


「ここへ着いたときはそうでもなかったのに、変だね」


メリッ……


嫌な音を立てて巨大な扉が軋んだ。


俺は三センチほどの隙間が開いたその合わせ目を凝視し、恐る恐る手のひらをかざした。


冷えた空気が呼吸のリズムでそっと吐き出されていた。


俺たちが会話を交わしている間、絶え間なく冷気を扉の内側からこちら側へと送り続けていたらしい。


さっきのは温度変化に耐えきれず扉が軋んだ音に違いない。


《……開けよ……開けよ……星は満ちた……失われた古き呪力の均衡、崩壊のとき……》


ディアードの空気を震わせる歓喜の声が、堪えていた含み笑いとともに地下空間を渡っていった。


《……我を解放せよ……暗幕を開けよ……踊れよ狂えよ……今宵、魔境の舞台に集いし者どもよ……さあ鍵なる者らよ…その手で扉を開けよ……さあ開け、開けよ!》


メキッ……


メリッ……


地下空間の壁や天井に細かな亀裂が入りバラバラと土砂が落下する。


一塊になった蝙蝠たちの羽音が、さざなみのように頭上を過ぎ去る。


「まずい、退こうセイリード。ロッシュ、ディアードに耳を貸すな。【青藍】明かりを頼む、上の扉が閉じないうちにさっさと行こう。俺は仕切るのは苦手だ」


ファーディンの腕が否応なく俺を後退させた。


「呪いはどうなる」


「このままハーデンベリア号の船室よりも過酷な地下に、土砂ごと閉じ込められたいのか?」


そう言った瞬間、ファーディンの体が突き飛ばされていた。


一瞬、なにが起こったのかわからなかった。


俺の視界が途切れ、繋がり、歪んで、渦を巻く。


見えている世界が瞬きする間にたちまち流転した。


「……やめろ、ロッシュ! 聞こえないのかロッシュ=カートレイ……っ!」


岩壁を背に立ち上がろうとするファーディンが叫ぶ声が聞こえた。


前に突き出したままの俺の両腕。


俺がファーディンを突き飛ばしたのか?


いや、そんなはずはない。


俺はファーディンに腕を引かれて扉から遠ざけられたはずだ。


しかし扉は近い。


首から提げたストラップが伝えるバデリィCFⅡの愛着ある重量感にギクリとする。


わからない。


なにがどうなってる?


乗り物酔いするよりも数倍もの速度で気分が悪くなり、内臓が裏返しにされるような強烈な吐き気に襲われる。


目から飛び込んでくる景色が、物音が、思考が、噛み合わない。


「ロッシュ! ねえロッシュ? しっかりしてよロッシュってば!」


セイリードに襟首を掴まれ激しく揺さぶられる。


かと思えば、セイリードとファーディンの姿が入れ替わり、視界がぐにゃりと歪む。


俺の顔を覗き込んでくる目。


立っているのか?


這っているのか?


自分の体が、自分じゃない。


「とにかくここを離れよう」


誰の、男の?


声だ。


ファーディンか。


音が激しく揺れる。


耳がいくつもあるかのように。


……俺は、呪われて――。


その瞬間、俺自身が俺自身を制御するのを放棄した。


細かな破片となって砕け散った。


……違う……誰か……誰――。

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