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閲覧室にて






 大陸歴九六〇年代


フィーン東岸部一帯の海底部分が隆起し、地形が大きく変化。広範囲に渡って陸続きとなる……。




図書館の閲覧室で、俺はひたすらページにかじりついていた。


フィーン国の歴史が綴られたまるで辞書のような書物、それに雑誌、新聞……。


エルヴィタウンの宿でも悪夢に魘された俺は、航空チケットを払い戻した金で列車の切符を買ってミロンズタウンへ戻っていた。


酔い止めの薬を飲み下し、閲覧室に居座ってからそろそろ時計の針が一周しようとしている。


このままでは、どこの街へ移ろうが変わらない。


故郷に帰ったって、悪夢は俺について回るだろう。


ホテルに置いてあった電話帳から教会や祈祷所の番号を探し出し、片っ端からかけてそれとなく相談してみたが、いずれも『人食い屋敷』の呪いに関してだけはお手上げだと言って門前払いされた。


ならば。


悪夢に取り憑かれたなら、取り憑かれた地で解消してやる。


わざわざミロンズタウンへ戻り、再び図書館へと足を運んだのは無駄ではなかった。


セイリードが話した通りの事故が、確かにこの地であった。




 大陸歴九六四年六月二十四日(木曜日) バナード新聞朝刊


『豪華蒸気客船ハーデンベリア号行方不明』


 乗客乗員三七〇名を乗せた豪華蒸気客船ハーデンベリア号が二十三日、予定時刻を過ぎてもバナード港へ帰港せず行方がわからなくなっている。海上警備隊はハーデンベリア号がなんらかのトラブルで座礁、または沈没した恐れがあるとして捜索に当たり、救助隊派遣準備に追われている。乗客乗員の安否は不明。




ページに添えた俺の指先がとたんに冷たくなる。


セイリードはハーデンベリア号が座礁したと言っていた。


その救助隊に彼女も、仲間のセレとかいう男たちも加わっていたと。


俺が見ている本は、古い新聞を再編したものだ。


少し先へとページを捲る。




 大陸歴九六四年六月二十八日(月曜日) バナード新聞朝刊


『海底火山の噴火か』


 二十七日未明、バナード一帯を襲う巨大地震が発生した。港湾ではせり上がった海底部分が海面上に現れ、海水が塞き止められるという異常事態が起こっている。沿岸一帯は壊滅的とみられている。バナード沖では先日座礁したハーデンベリア号の救助活動が続けられており、乗客乗員および救助隊の安否が気遣われている。




先のページを捲っても、政治や宗教裁判、魔女狩りといった記事ばかりで、ハーデンベリア号や救助船が無事に帰港したといった記事はひとつもなかった。


それもそのはず、ハーデンベリア号はおそらくそのときに巻き込まれて埋没してしまった。


やがて新たに現れた一帯を国土としたフィーンの人々はその地の開発を進め、いくつもの幹線や街がつくられていった――。


俺は深く息をつく。


ハーデンベリア号は、セイリードはどうして呪われた?


そのほぼ真上に『人食い屋敷』シークレットバーリーが建っているのはただの偶然だとは思えない。


座礁したハーデンベリア号は地震の被害に巻き込まれただけだったんだろうか。


ハーデンベリア号の船底近く。


呪いをかけた主と取引をして呪いを解いてもらうとセイリードは言った。


しかしハーデンベリア号の船底はおそらく大破して土砂に埋もれている。


船底に近い厨房のあるフロアにさえ、土砂が入り込んでいた。


突然隆起した海底。


巨大地震。


地殻変動。


フィーンの地形を大きく変えた天災が二〇〇年前に起こっていた。


二〇〇年前の魔星雲の接近時に。


魔星雲の「魔」の字が俺の頭の中でぐるぐると螺旋を描く。


魔性の魔、魔力の魔、悪魔の魔、魔界の魔、魔物の魔――。


不吉なものしか頭に思い浮かばない。


シークレットバーリーに関する記述はやはり見つけることができなかった。


「はぁ……ややこしすぎる。つくづく妙なことになってるぞ」


バックパックを背負い図書館を出た俺は、別れを告げたはずの歩きにくい古びた石畳を今一度踏みしめる。


すれ違う老人たちには、また留学生だとでも思われているんだろう。


傾いた陽が西のかなたを橙色に染め始めた頃、俺は目的の場所へ到着し内心ホッとした。


けれど一方では別の緊張感に包まれていた。


シークレットバーリーの話ができるのはここしかない。


階段前へ立ち、深呼吸をして見上げた屋敷はやはり立派なものがある。


疲労しきった体で手摺りにしがみつくようにして階段を上がり、俺は玄関横のチャイムを鳴らした。


ジリリリリッ


「どちらさまでしょうか」


ドア越しに声が聞こえたとたん、俺の胸いっぱいに嬉しさと期待と後ろめたさがいっぺんに押し寄せる。


性懲りもなくまた戻ってきてしまった。


今の俺には、ここしか頼れる場所がない。


この場所で始まった悪夢を、この場所で終わらせなくてはならない。


「――俺だよフリア。カートレイだ覚えてるかな」


悪夢と現実とを行き来するばかりでまともな眠りを奪われてから、かつてあったはずの日にちの感覚も完全に狂わされていた。


目の前のドアがガチャリと音を立てて開く。


「カートレイさん……?」


覗いた隙間から現れたフリアはエプロン姿もまた女神のように美しく、その目を大きく見開いていた。


「驚きました――ケンプリードへ帰られたんじゃなかったんですか?」


俺は衝動をぐっと堪える。


面倒も荷物もすべて放り投げてこのまま彼女を抱きしめ、悪夢のない眠りにつくことができたらどんなにいいか。


「帰りの航空券を盗まれてしまってさ。今の今までバナード中をほっつき歩いてたんだ。この近辺まで来たらなんだかとても懐かしくなって、ついチャイムを押してしまったよ」


口からぽろぽろと嘘がこぼれ出る。


女神を騙すとは最悪な罰当たり野郎だと思ったところで、もう手遅れだった。


「懐かしいだなんて……カートレイさん、あなたは本当におかしな方。昨日までここにいらしたのに」


「昨日……? そうか。なんだかもうひどく遠い昔に思えていたよ」


「中へどうぞ。とても疲れていらっしゃるみたい」


「ああ、ありがとう。実はすごく疲れてるんだ。最近特に寝た気がしなくて」


ともかく俺は屋敷へ再び招き入れられた。


「旅の疲れが出ていらっしゃるのでは? すぐにお茶の用意をいたします」


玄関で待たされることなくフリアがするすると廊下を先導していくので、オヤ? と思う。


「モートンさんはお元気?」


「今は病院にいらっしゃいます。今朝また入院されました」


俺の胸がチクリと痛んだ。


俺が壁を壊せなかったことがあまりにもショックで、病に触ったんじゃないだろうか。


「そうか……やっぱり相当悪いの?」


「入院は二週間ほどの予定だそうです。付き添いも要らないし心配するなとおっしゃいまして」


「モートンさんらしいな。心配するななんて無理な話だ」


「ええ。いない間は休暇だと思ってのんびり過ごしなさいとおっしゃって下さるのはとても嬉しいんですけれど――」


「まあ、それだけ元気だってことだよ。ひとりとはいえ、留守番ってのもなんだね」


「いいえ。長期の入院となれば小間使いの仕事を辞めさせられる覚悟もしていましたから、サー・モートンのお心遣いはとてもありがたく思っています」


フリアに続き、ダイニングルームへ通される。


今さらわざわざ応接間に通されるような間柄でもないということだ。


彼女に少しは信用してもらえるようになったのかと思うと嬉しくなる。


「そうだ、これお土産。っていってもエルヴィタウンの菓子屋で買ったキャンディだけど」


「まあ、ありがとうございます。二箱もこんなにたくさん」


「モートンさんのと君のとは別がいいと思って。女の子はこういうのを自分の部屋でこっそり食べるのが好きだろ? 中身は一緒だよ」


何気なく言ったことだったが、フリアは少し驚いたような顔でこちらを見詰め、その後でほとんどわからない程度に小さくクスッと頬を崩した。


「雑誌のお仕事をされていた方だっていうことを今急に思い出しました。それとも実は女心に敏感なまめな方なのかしら」


「あーわかったよ白状する。君の言う通り、それを知ったのは確かに雑誌でやってたアンケートの結果からさ。編集長は大のアンケート好きな覗き魔野郎だったんでね。おかげで余計な知識ばかり増やされた。俺がいたのは小さな会社だったから誰だろうがなんだってやらされたんだ。世の素顔を垣間見た気がして納得したり失望したり……はっきり言ってアンケート集計は精神的格闘技だよ」


つい熱っぽくなって俺は答えていた。


ケンプリードの女性が最も多く持っている下着の色まで俺は知っている。


冗談だとでも思ったのか、フリアは俺が渡した箱を胸に抱えて口元をほのかに持ち上げた。


「これ、あとでお部屋でいただきます。とてもおいしそう」


この顔だよこの顔。


キッチンへ続くドアを出て行くフリアの後姿を、俺はうっとりと眺めた。


もう今さら贅沢は言わない。


大声ではしゃいで笑えなんて無理に望まない。


ただそうやって僅かでも楽しげな表情をしてくれる彼女がそばにいるだけで俺は幸せだ。


悪い夢を終わらせたい一心で、俺は幸せな悪い夢のような場所にいる。


もう一度、あの地下通路を通って古い木壁のところまで行くんだ。


きっとなにかがあるに違いない。


「もしかしてまだ悪夢に魘されてらっしゃるんですか」


すぐ傍でフリアの声がし、俺は飛び上がりそうになった。


「びっくりした……キッチンにいるもんだと」


まるで気配を感じなかった。


「わたしはいつも通りにここへ入って来たつもりですが」


「考え事をしていたせいかな……。そうさ実は悪夢はまだ続いている」


「教会へは行かれたんですか?」


「いいや。電話をかけてはみたけれど、どこからも門前払いされてね――。ん? でもなぜ君が教会のことを?」


俺はギクリとする。


教会の話をしたのはセイリードではなかったか。


「『呪い』だというような事をおっしゃっていたので。たいていの人は教会へ相談なさるかと」


なんだ、と俺は胸を撫で下ろす。


ビクビクしすぎだ。


「君の頭の回転の早さには感服するよ。俺の心の中が透けてみえてるんじゃないかって、つい慌ててしまった」


「特別なことではありません。落ち着いてひとつひとつ順を追うだけで見えてくるものもあります」


フリアの手が、規則正しい順序でカップに紅茶を注いでいく。


「そうだ、立ち寄ったついでにこの前直した天井を見て行こうと思って。セメントが剥がれたりしていないか心配なんだ。なにせ素人仕事だから」


ティーポットをトレーに戻したフリアは、ふうわりと睫毛を持ち上げた。


「かまいませんわ。またランタンと防毒マスクが必要ですね。つるはしも要りますか?」


幾度目かの、ギクリ。


「つるはしはここにはないだろ? 直した天井のところへ置きっぱなしにして来てしまったはずなんだ」


「ああそういえば、返してもらうのを忘れていました。あの――わたし、もう少ししたらお買い物に出ようと思っていたんですけれど……」


「どうぞどうぞ、一度は住まわせてもらった屋敷だ。俺の方は適当にやってるから、たまにはゆっくりウィンドウショッピングでもしておいでよ。留守番は引き受けた」


「すみません。お願いします」


気づかれないように俺は息をつく。


最後まで顔を引き攣らせることなく言い切れた自分は、拍手もんの演技力だったろう。

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