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青藍






翌日、ファーディンは指定されたパブのテーブル席で【青藍】と向き合っていた。


【青藍】は大きな眼帯に、片頬には大きな絆創膏、帽子に眼鏡という姿。


ワイシャツにジャケット姿のファーディンとなんの理由があって同席する女性かが、誰も想像できない奇っ怪な風采で現れた。


組織外には秘密主義を通している《ブラック・ドッグ》の所属員は通り名で行動し、仕事の時は変装をする者も多くいる。


流行をあえて外した服装をしているのはわかるが、それにしてもあまりにも酷すぎて、さすがのファーディンにもフォローする言葉が見つからなかった。


「――そういうわけで力を借りたいの。ひとりじゃ手に余る仕事だから……ねえちょっとあなた、わたしの話聞いてます?」


ファーディンは目を上げて【青藍】を見た。


「ああ、ごめん。聞いてるよちゃんと聞いてる。でもずいぶんと無謀な仕事だなあ。しかも依頼主は“シューティングスター”の関係者らしいし――向こうはなんて言ってきてるの?」


シューティングスターとは、国際保安局のことだ。


局の徽章が流星をかたどったものであることから、所属員は彼らのことをそう呼んでいる。


「もちろん完遂を強く望んでる。大枚をはたいてわたしたちを使うくらいだもの当然ね」


【青藍】が悪びれもしない口調で話す。


顔を合わせて数分は年齢不詳だと思っていたが、ファーディンよりも見た感じの年齢は下だろう。


彼女の手は、塩味のきいたソースをかけたプディングをつついていた。


ファーディンはテーブルの上で組んでいた手を無意識に組み替えた。


自分なりに今得た情報を頭の中で高速整理していた。


これは参った、と思う反面、こんな好機は二度とないだろう、とも思う。


冷静に考えれば、全てが繋がる。


ここは慎重にいくべきだ。


真昼のパブはがらんとしている。


隅のテーブル席とはいえ、ファーディンも【青藍】も声のトーンを最低限まで抑えていた。


「しかしどうにも腑に落ちないな。なぜ局の人間がわざわざ外部に依頼するんだ? “シューティングスター”に比べれば、俺たちなど塵ほどの組織だ。しかも」


まっとうじゃない、という言葉をファーディンは控えた。


《ブラック・ドッグ》はその道の組織としては名高く優秀だともっぱらの評判で、依頼主には富豪家やセレブリティ、政治家なども名を連ねる。


依頼内容も使い走りのような仕事から盗難品の奪還、暗殺まで多岐に渡る。


国際保安局から逮捕されかねない依頼を各種方面に顔がきくボスが巧みに立ち回り、所属員である【犬たち】を器用に使ってこなす――そんな組織だ。


【青藍】はもちろんわかっているといった目で頷いてみせる。


「これは好機でもあるとわたしは思うわ」


ファーディンは息を飲んだ。


危険に身を晒すのは常々覚悟の上ではあるが、わざわざ敵の陣地で踊ることもないだろう。


「どういうこと?」


「だって彼ら以外に誰がこの件に関わりたがると思う? この街は、いいえ国ですらこの街の石壁内部に触れようとしないのよ。シークレットバーリーは――」


そこで【青藍】は一度言葉を堪えた。


「呪われているんですもの」


彼女の言葉がファーディンの胸を貫いた。


彼女がファーディンに出した救援内容は、ミロンズタウンの中心部にあるあのシークレットバーリーに深く関わるものだ。


【青藍】は続ける。


「デアスギナにガルガンディア、ヴェルジュにマハート、セルヴィエ、カリウス、ファトラウニクス――七つの星雲がペアンゼルス座に近づくときは、様々な場所で超自然力の均衡が崩れて不安定になることで有名よ。世界の各地では例年にない大雨や暴風に見舞われているし、隕石落下の被害報告も後を絶たない。これらの天災は大いなる災厄の序章に過ぎないと考えるべきよ。二〇〇年に一度の出来事を警戒しない理由などないわ。時間がないの」


「すごいな。七つの魔星雲全てを暗記してるなんて。君は――」


声が思わず震えそうになり、ファーディンは小さく一度深呼吸をした。


動揺を隠せない自分に内心で苦笑いする。


度数の強いクルシェ酒が入った、口をつけていないグラスの中で、氷がからりと音を立てた。


「シークレットバーリーのなにを知ってるの?」


「なにも知らないわ。それが記された記事の類はなにひとつ残っていないんですもの。ところがね、ひとりの旅行者がこの街にやってきてシークレットバーリーに近づいた」


【青藍】がファーディンをじっと見つめる。


その瞳の奥には恐れがあった。


「この辺りは昔海だったの」


彼女が窓へと視線を移し、ファーディンもつられた。


ミロンズタウンの古い街並みが静かに時を刻んでいた。


のら猫たちが陽の当たる石畳の上で仲良くじゃれ合っている。


「わたしが調べられたのは、ここで大きな海難事故があったっていうことだけよ。二〇〇年前の魔星雲の時期、急速に隆起した海底にとある豪華客船が乗り上げてしまった。この辺りの街はどれもその頃にせり上がった海底の土砂の上に作られた街なの」


ファーディンは目を閉じた。


海水に落ちた瞬間のように体が震えた。


全身の血液が沸騰し引き裂かれる幻想に捕らわれ、慌てて瞼を開く。


「それで、その旅行者もシークレットバーリーに食われたから助けようってことなのかい?」


「いいえ」


【青藍】は首を横に振る。


「彼は戻ってきたわ。地下からシークレットバーリーに近づき、無傷でね。それから間もなくこの街を去った」


「あの『人食い屋敷』の中へ入って出て来れたって?」


信じがたい話にファーディンの鼓動が早まる。


「まさか、一度入ったら誰も出られない。けれど、なにかがあったんだと思うわ。街を去る前、彼はとても怯えきっていたから間違いない。この魔星雲接近期に、あの『人食い屋敷』に近づき、なにかに気づいた者が現れたのよ。残念だけどこの街を出たって“シューティングスター”の目からは逃れられないわ。歴史を揺るがす一大事ですもの」


【青藍】はフォークを置き、胸の前で腕を組んだ。


ファーディンは頭の中で言葉を探す。


答えは明白だった。


この救援要請に関してだけは、ファーディン以外の所属員が断ったことに感謝しなければならない。


ただの偶然からは生じ得ない。


運命なのだとしたら――。


「でも俺なんかでいいの? こういった案件を得意とする所属員なら他にもいそうだけど」


「さっきも言ったでしょ、時間がないのよ。それに」


眼鏡の奥にある【青藍】の瞳がファーディンを真っ直ぐに覗き込む。


「わざわざあの鉄柵を越えて石壁に近づいたあなたこそが、適任だと思うけど? 由緒あるマレバ産の発泡ワインはなかなかの高級品のはずよ?」


ファーディンは咳払いをした。


「見られてたか」


「そういうことよ。【銀狼】さん」


目の前の薄い唇が微笑む。


ファーディンは観念した。


運命からも【青藍】からもすでに逃れられないということだ。


こちらからも譲歩したつもりだが、相手の強い要望となればそれもまた必然ということだろう。


「呪いの名所にわざわざ飛び込むなんて、なにが起ころうと覚悟はできているのかい?」


「ええ、もちろんよ」


【青藍】は迷いなく頷いた。


「わかったよ。魔星雲接近期におけるシークレットバーリーの調査、それが君の仕事だね。じゃあ俺が君に協力する代わりに、こちらの仕事にも協力してもらおうかな」


ファーディンは預かっている写真を慎重にポケットから取り出し、【青藍】の前に差し出した。


「俺の仕事は人捜しだ。単純だろ?」


ファーディンは【青藍】の表情から目を離さない。


【青藍】は写真を食い入るように見つめていた。


「お互いの仕事の成功に尽力する。それでいいね?」


「……わかったわ」


【青藍】は微かに頭を揺らした。


ファーディンが写真をポケットに収めるまで、決して目を離そうとはしなかった。

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