鍵
「ふざけるな。これ以上地下へもぐってどうするんだよ!」
セイリードに連れてこられた場所へ立ち、俺は怒り心頭に発しそうになった。
そこは最初にいた部屋がある階よりも更に下の階だった。
螺旋階段を何段も下り、奥の突き当たりにある扉の前にいた。
「ここを開けたいの」
こちらが本気で怒っていることは彼女にはっきりと伝わっている。
だから恐る恐るすがってくる。
人骨の類は見当たらなかった。
みな上の階に逃げたためだ。
「嫌だね。俺が行きたいのは建物の外だ。だいたい『関係者以外立入禁止』って書いてあるだろ」
セイリードが示す扉は従業員専用扉だ。
客室が並ぶ階よりも下の厨房や機関室がある階に俺たちは立っていた。
とはいえ、座礁の影響で半壊し、見るも無残な有様だ。
螺旋階段より向こう側には岩がめり込んでいた。
この扉も傾いている。
「あんたは指くわえて待ってられるわけ? 魔星雲が接近してるっていうのに」
「おい待てよ」
俺はセイリードを見据える。
「俺おまえに魔星雲の話なんかしたか?」
セイリードが微かに息を飲むのがわかった。
動揺を隠そうとしても、人の表情や事物の瞬間を激写してきた俺の目は誤魔化せない。
「だってあんた二〇〇年って言ったじゃない」
言いよどんでいた言葉をセイリードが不機嫌な表情で吐き出す。
「あたしがあの部屋に閉じ込められたのも魔星雲の年。じゃあ二〇〇年後の今だって当然魔星雲の年でしょ。こんなの推測でもなんでもない」
俺は絶句する。
モートン氏も魔星雲の年だからこそ俺につるはしを担がせ、壁を叩き壊せと急かした。
右手が思わずセイリードの襟首を掴みあげる。
親指が自由にならなくても、たかが少女ひとりを捻り上げるくらいなんでもなかった。
「二〇〇年前いったいなにがあった」
「ひ……い痛いってば、ロッシュ――なに、すん」
「座礁だけじゃないだろ! この場所で! シークレットバーリーの地下でなにがあった!」
この豪華客船が呪われた理由。
その上に建つシークレットバーリーが呪われた理由。
「……ークレットバーリーなん、か知らないよ……離し、て喋れ、ない」
息を詰まらせたセイリードの悲痛な表情に俺は我に返る。
「悪い」
手を離し、俺は砕けた壁を背に腰を下ろす。
なにをしてるんだ俺は。
この少女を痛めつけたってなんの解決にもならないのに。
セイリードはしばらく咳込んでいた。
呼吸が落ち着くと、俺と距離を開けて廊下へ座り込んだ。
古い油が暗くランタンを灯し、俺と呪われた少女に陰影をつける。
「……色々だよ。あんたには信じてもらえないかも。話せば長くなるよ――」
セイリードは傾いた扉を見上げる。
俺の背筋が寒くなる。
「あたしにとって、ここはいずれ開けなくちゃいけない扉なの」
「だったらひとりでやれ」
俺は冷たく言った。
「ランタンに使える油ならまだあるのに」
「そういう問題じゃない」
俺はあと一秒も呪いとやらに触れていたくない。
セイリードやセレやハーデンベリア号に魘される、現実の俺をも苦しめる悪夢から今すぐ解放されたい。
これ以上深入りする気は毛頭ない。
セイリードが立ち上がる。
一歩一歩慎重に扉へ近づきノブに手をかける。
「ダメ、やっぱりあたしじゃ開かない。ねえロッシュ、お願い開けてよ」
振り返ってセイリードが俺を見つめる。
確かに俺は閉ざされたハーデンベリア号へと転がり込んだ。
セイリードが閉じ込められていた部屋の扉を開いた、が。
俺は答えない。
「お願い開けて」
「その前に教えろ、この向こうになにがある。ただの従業員専用口ってわけじゃないな」
可愛らしい目の端から雫が落ちるのを見て、俺は怯んだ。
頭の芯が痺れ、胸の辺りがありえない震え方をした。
「この呪いを終わらせるの。あたしももうツラいんだ……」
ヒック……ヒック……ヒック……
ヒックヒック……ヒック……
ああっ、もうくそっ!
俺は立ち上がり、扉の前へ進む。
そしてノブに手をかけた。
……カチャ……
俺は手から伝わってきた感触を疑う。
しかしそれほど驚いてはいなかった。
少女には開けられない扉が、俺になら開けられる。
外へ繋がる扉は開けられないが、内部にある扉ならば開く。
これまでのことから、その程度は予測できる。
なぜなら、これは夢。
セイリードは傷だらけの両手で目をこすり、痛たた……とか言っている。
なんといってもまだ少女だ。
幼いながら泣いてしまったのが恥ずかしいのか、すっかり涙を乾かすまで俺の方を見ようともしない。
俺たちの前で、扉は一〇センチほど開いていた。
暗闇の奥から、夏とは思えないひんやりとした空気がするすると足元へ流れてくる。
「開いてよかったな。これでおまえの呪いが解けるんだろ?」
もううんざりだ。
出口のない迷宮にでも迷い込んだ気分だ。
「わかんない」
泣きやんだセイリードが真顔で言った。
「わ、わかんないだと!? おまえさっきここを開いて呪いを終わらせるって……!」
「ああごめん。行ってみないとわかんないってことだよ」
「同じ意味だろ!」
俺は眩暈がしてきた。
「でもね、行く価値はある。絶対に」
「さっさと外へ出て教会か祈祷所に相談しろ」
「それができないから困ってるんじゃない」
もっともなので、余計に腹が立つ。
「策はあるのかよ」
うん、とセイリードははっきり頷く。
「どんな」
「取引だよ。呪いをかけた主との。呪いが解ければ、あんたにかかった呪いも解けるでしょ」
「俺にかかった……呪い?」
空気を飲み込んだ俺の喉が変な音を立てた。
「……俺、呪われてる?」
セイリードは首を傾げるが、俺には身に覚えがある。
今の状況がそれだ。
呪われた座礁船に飛び込んだとたんに、俺自身までもが呪われてしまったとすれば――冗談じゃない!
「その主っていうのは――?」
少女は答えを濁す。
呪いなんか、ともはや馬鹿にできない事態になっていた。
いるのか。
座礁船の呪い、その真上に建つシークレットバーリーの呪いをかけた何者かがこの扉の奥に。
「あたしはこの呪いをかけた主が欲しがっているものを知ってる。それと引き換えに、呪いを解いて自由にしてもらうの。ロッシュ、あんたがいてくれるからきっとできると思う」
「まだ開かなきゃいけない扉がある――そういうことだな。でも呪いが解けたらおまえはどうなる? 二〇〇年も呪いで生かされているならおまえの寿命は」
セイリードが俺の手を取る。
ぎゅっと握り、抱きついて、真っ直ぐに見つめた。
「……あんたを信じてる」