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乾杯






ティリアナに似た人物の目撃情報が、セントラルタウンに滞在する《ブラック・ドッグ》所属員からファーディンの元へ届いた。


しかし、かなり古い情報だ。


繁華街で勤める美容師が覚えていると証言したらしい。


ティリアナは美しく容姿はかなり印象的なはずだから、おそらく信憑性のある情報だろう。


しかし、これで写真の髪型は当てにならなくなった。


繁華街ならどんな服だって調達できる。


それに今は海洋祭真っ最中だ。


混雑しているとはいえ知り合いに会うかもしれない可能性を考えるとセントラルタウンにはすでにいないと思われた。


首都バナードの中心地セントラルタウンからは方々へ向かう鉄道や、高速バスの通るハイウェイがある。


地方へ移った可能性を考えればきりがない。


遠くへ行ったと見せかけて、実は近郊に滞在しているということもあり得る。


ミロンズタウン――。


ジャケットと白いワイシャツに身を包んだファーディンは、その坂道のほとんどない古い石畳の道を歩いていた。


セントラルタウン付近の街でティリアナの聞き込みをするのは無駄にはならない。


それにミロンズタウンでは他の所属員からの救援要請も出ている。


相手は急を要していたから、立ち寄るついでに接触してもいいだろうと、ファーディンは考えを変えていた。


これまでの手ごたえからも、ティリアナの捜索は長丁場になりそうだ。


小さな酒屋で酒をひとつ買い、片手にぶら下げていた。


ファーディンはもう何年もの間、この街に近寄るのを避けていた。


前に訪れたのはいつだっただろうか。


思い出そうとすると胸の奥がきりきりと痛んだ。


歩みがつい遅くなる。


だが、いつまでも逃げ続けるわけにもいかない。


「「おまえさんの考えてることはわかっているぞ」」


胸ポケットから嗄れ声がした。


「わかってるなら黙って見過ごして欲しいな」


ファーディンの口元には笑み。


苦い笑みだった。


いつの間にかついて来たらしいのら猫に見送られて路地へ入る。


細い道を行き、建物と建物の間へ足を進めるとやがて高い鉄柵に阻まれた。


この街特有の中心を囲う鉄柵だ。


鉄柵の向こうには古めかしい石壁が見えた。


足元に紅茶飲料の空き缶が転がっていた。


音を立てないようにそれを脇へよけ、鉄柵を上がって越える。


前に来たときと様子はなにも変わっていない。


あげるとすれば、石壁にまた新たな修繕跡が残っていることくらいだ。


雨風に当たれば石壁も古く脆くなる。


手直しを加えながら、この石壁は長い年月撤去されることがない。


石壁に近づき、ファーディンは酒瓶の栓を抜いた。


マレバ産の発泡ワインだ。


躊躇うことなく瓶を逆さまにし、中身を石壁の際に注ぐ。


頭上を鴉の羽音が通り過ぎる。


そこへ足音が近づいてきた。


振り返ると、フィーン警察の制服を着込んだ巡査だった。


小走りにやってくる巡査は、両手で×印を作って示す。


ファーディンとは見た目の年齢がさほど変わらない巡査だった。


「立入禁止ですよ。鉄柵に書いてあったでしょう?」


若い巡査は厳しくも丁寧な口調でファーディンに警告した。


「ああ、申し訳ない。少しのつもりだったんだけど、やっぱりまずかったかな」


「そりゃまずいですよ。早く出てください。危険ですから」


ファーディンは中身が半分ほどになった瓶の口を上げる。


「これを注ぐ間だけ見逃してくれないかな」


「ワイン……ですか。いったいなにをしてるんです?」


巡査は改めて訝しげな顔でファーディンを見た。


「ここで永遠に決別した人たちがいるんだ。彼らに好きだったマレバ産のワインを」


ファーディンはあくまで穏やかに言った。


それでも直ちに出て行けと言われたらそれまでだ。


けれど巡査は一度小さく息をつくと、静かに背中を向けた。


「一分だけですよ」


巡査も承知しているはずだ。


この石壁の内側に建つ『人食い屋敷』のことを。


『人食い屋敷』は過去に何人もの人を生きたまま食っている。


それを知りながら石壁を越えて屋敷に挑む愚かな勇者もいた。


もしかすると巡査の遠い知人にもそうした勇者がいたのかもしれない。


「ありがとう」


ファーディンは発泡ワインを注ぎきると、巡査に言われた通り鉄柵を越えて通りへと戻った。


空の酒瓶をぶら下げて、歩きにくい石畳の道を歩く。


「「気は済んだかね?」」


胸ポケットから堪えかねたように嗄れ声がした。


「なにも」


ファーディンは青く晴れた空を仰ぎ見て答えた。


「なにも済んでなんかいないね」


精一杯の強がりだった。


この程度のことでなにかが変わるものか。


昼夜問わず頭から離れない絶叫。


深い淵を見下ろし感じた絶望。


男はあいつは落ちた。


漆黒の穂先に貫かれながら。


手は届かなかった。


傍で彼女が泣き崩れていた。


彼女の腕を強引に引っ張り走りに走った。


背後から迫る闇に彼女だけは彼女だけは、と必至の抵抗をしながら走り続けた――。


はっと我に返る。


ジャケットの別のポケットで受信機が鳴っていた。


ミロンズタウンで救援要請を出していた【青藍】という所属員からの呼び出しだ。


ファーディンはすぐに公衆電話を探し、コインを投入して番号を押す。


「【銀狼】だ」


『【青藍】よ』


受話器の向こうからは女の声。


「近くに来ている。待ち合わせの時間と場所は?」


『明日の――』


「明日? 今日これからでもいいけれど」


陽はまだ高く、夜はまだ遠い。


それでなくとも最近では夕刻になっても、あの症状が起こりにくいことがある。


はっきりとした理由はわからなかった。


ただ、結局は毎夜疲れ果てて朝を迎えることに変わりはないが。


『こちらにも都合があるの』


ファーディンは用件だけを聞き受話器を置いた。


空の酒瓶を屑籠に押し込み、車通りの少ない通りを渡る。


かえって好都合かもしれない、とファーディンは考えた。


明日の【青藍】との待ち合わせ時間までは、ティリアナ捜索に集中できそうだ。

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