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自由と孤独

俺は体を跳ね上げ、ドアを目がけて突進した。


ガンガンと叩きまくる。


両手でノブを鷲づかみにする。


視界が白い。


もう終わりか。


やっとのことでノブが絡み、ガチャリと希望の音が鼓動を震わせる。


開いた。


ああ神よまじない師よ伝説の救世主よ、なんでも捧げるからこの悪夢を終わらせたまえ!!


死に物狂いでドアを大きく引き開く。


「外外! 外だ外外外だ――っ!」


「きゃあっ!」


ガバッと開いたドアの向こうで、ドンッとなにかにぶつかった。


……ン? 悲鳴?


ぶつかった先のものは、床へ尻もちをつく。


「す、すみません……ノックしたつもりだったんですけどわたし」


別の意味で俺は絶叫しそうになった。


「――フ、リア」


そこには尻もちをついたまま困惑顔でこちらを見上げるフリアがいた。


「ものすごい音がしていたので、どうなさったのかと……」


「――これは、夢……か?」


「あの、なにをおっしゃってるんですか?」


不審がる冷たい視線が突き刺さった。


額のど真ん中を射抜かれた心地で俺は我に返った。


「夢、じゃない……だよな――だから俺はあいつに夢だと言ったんだ」


「ここは夢の中じゃないです。しっかりしてくださいカートレイさん」


「あ、ああごめんフリア……酷い夢を見たんだ。夢の中で俺は『これは夢だ』と主張し続けていたんだ。俺は間違っていなかった」


「まあ……魘されていたんですね。相当お疲れなのでは」


「そうかもしれないな、どうかしてる。そもそも小さな女の子に俺が好かれるはずがない」


「はい?」


不審顔のフリアに、さらにきょとんとされた。


「いや、こっちの話だ――それよりも、なにか用事がフリア?」


またも飛び抜けて心臓に悪い夢だった。


けれどやはり夢だったんだ。


「あ……はい、あの」


フリアは立ち上がる。


サッサッとスカートとエプロンを直し、両手を体の前で静かに組む。


「サー・モートンがお戻りになってます。カートレイさんが食事も取らずに起きてこられないことを告げると、心配だから見てきてくれとおっしゃいまして」


心配もそうかもしれないが、昨日の今日だ。


あの老人は壁がどうなったのかを知りたくてうずうずしてるだろう。


「わざわざどうも。シャワーを浴びてひと息入れたら、モートンさんの部屋へ行くよ。汗だくなんだ」


「わかりました。そうお伝えいたします」


「フリア」


俺は去っていこうとする彼女を呼び止めた。


くるりと振り向いた灰緑の瞳が丸くなる。


「君に救われたよ。ありがとう」


フリアはさっと顔を背けた。


その仕草に、落ち着きかけた俺の心拍数がまた少し上がる。


旅先での恋など馬鹿馬鹿しいとわかっている。


勢い任せの恋ならなおさら、勢いのままに弾けて砕けて終わる。


俺も彼女ももう子どもじゃない。


それでも俺は彼女から目を逸らせなかった。


「――お昼に作ったサンドイッチが残っているのでお持ちします」


「いや、下へ行ってもいいかい? ダイニングルームで食べたいんだ」


「ええ……わかりました。紅茶もご用意しておきます」


顔を合わせないまま、フリアは部屋を離れていった。


言葉は僅かでも届いただろうか。


壁にかけられた鏡に映る自分の姿は寝癖だらけで、フリアに言われたとおり疲れきっていた。


ダイニングルームへ下りると言ったのは、今彼女に部屋へ来られては衝動を抑えられる自信がないからだ。


彼女の写真を撮って撮って撮りまくりたい。


俺の不自由な右手の親指は空中で無意識にフィルムを巻き、シャッターを切っていた。






二〇分後、俺はモートン邸のダイニングルームにいた。


なんとなく朝の出来事を再現しているかのような気分でもある。


時計を見ると午後二時過ぎ。


かなりの時間眠った計算になるのに、体のだるさがまるで抜けていない。


昨日の夕飯から抜いているから腹は空いているだろうと思いさっきはフリアにあんなことを言ったが、実際には食欲もない。


紅茶くらい流しこめるだろうが。


ダイニングルームに下りてきた理由はもうひとつあった。


壁を壊せなかったことをモートン氏に告げると同時に、俺はこの件から手を引くつもりでいた。


夢だとはいえ感じた恐怖が生々しすぎる。


国へ帰り、ハンパな冒険の真似事などやめて、これまでとは違う道を探り歩まなくてはならない。


カメラマンを続けるにしろ、経験があっても新たな職場ではほぼゼロからのスタートになるだろう。


ダイニングルームならモートン氏がやってくる可能性は万に一つもない。


誰にも邪魔されない場所で、俺はフリアに訊いてみたいことがあった。


テーブルに片肘をついてボンヤリと待っていたところへ、フリアがサンドイッチと紅茶を運んでくる。


「気分はどうですか」


「ありがとう。まあまあだよ。まだ青い顔してる俺?」


テーブルへ皿を並べる手を一旦止め、彼女は顔を向けてほんの数秒間こちらを見詰める。


それからすぐにまた皿をならべ始めた。


「ええ。元々肌が白い方だから、なおさらかもしれませんが。ケンプリードのお生まれだとか」


「そうだよ。モートンさんから聞いたの?」


「はい」


「北の街だからね。でもその代わり太陽に慣れてないせいで紫外線対策には物凄く無頓着な人間が多い。ケンプリードでは曇ってりゃ紫外線は降り注がないと思ってる奴らが大半さ。頑固者も多い。冬は雪の壁に閉ざされるから隣人を信用しようとしない自意識過剰者も多い」


「カートレイさんもですか?」


「まさか俺は違うよ。取材で方々を渡り歩いていたせいでその辺の感覚は薄くなったんだろう。肌が焼けずに白いままなのは、いつだって撮影用のアンブレラを担いでいたせいさ。別に、真夏でも手袋を身につけるバナードの人のように環境順応者ってわけでもない。おかげで街へ帰れば変わり者扱いでひとりぼっちだよ」


「自由と孤独は背中合わせなんだそうです。クルノーも大洋大戦前の作品でそう書いています」


「『果てなき晴天と牢獄』か。孤独じゃないも自由も両方手に入れられるといいんだけどな」


「それは難しいことです。やっぱりあなたもケンプリード生まれですね」


「君は俺のことを無頓着で、頑固者で、自意識過剰者だって言いたいんだな」


俺は淹れ立ての茶をすする。


「そのとおりです」


「フリア、俺はだんだんと君の考えてることがわかるようになってきたよ。……美味い紅茶だな――あ、これも実はインスタントだったりする?」


「違います」


彼女の僅かな表情の変化にも、最近はずいぶんと気づけるようになった。


少しムッとする彼女もまたいい顔をしている。


「冗談だよ。座ったら? もう少し話に付き合ってよ」


「サー・モートンのお部屋に行かれるのでは?」


「ひと息いれたらね」


「わたしにはまだ仕事が残っています」


「――ちょっと君に相談したいことがあるんだ」


「相談……ですか」


フリアは躊躇っていたが、やがて頷き、トレーをテーブルに置いて向かいの席へ座る。


「ハイ、なんでしょう」


「おいおい、とっても事務的なんだな。職業相談所でももう少し笑顔で迎えてくれるよ」


「ゲラゲラ笑って聞けるような相談ならいくらでも笑います」


俺は内心、それはだいぶウソだろうと思う。


「そんな君も見てみたいけどさ。――でも確かにそういう話でもないんだ。フリアは占いとかジンクスとか信じてる方だろ?」


効果はともかく、とまではさすがに言えない。


「信じてるというか……時に頼ることもあるくらいですが」


「夢ってどう思う? いや、っていうのはさ。さっき君に醜態を晒してしまったけど、俺、悪夢は悪夢でも昨日からずっと連続した悪い夢を見ている気がして」


気ではない。


完全に連続している。


フリアは少し考える素振りを見せる。


「悪い夢ですか――『小さな女の子に好かれる悪夢』でしたね――悪夢ですかそれ?」


「ちょっ待て、その冷たい目はやめてくれ。君は大きな勘違いをしてる。もう少し詳しく話すよ」


俺は首を激しく横に振る。


すぐに説明を加える。


「古い船に閉じ込められる夢でさ。そこで小さな女の子と出会うんだけどね」


「ああそれで遊んであげたり遊ばれたりと、そうですか」


「……表情なく淡々と言うねえ」


「間違ってましたか?」


俺は咳払いを挟んだ。


セイリードの体温を今ここで思い出せるあたり、かなりの悪夢だ。


「いや、大方合ってます……。そうそうそれでさ、たとえば曰わくつきの場所へ触れたことで、夢がその場所の影響を受けてしまうってことはあるのかな」


フリアが一瞬考え込む。


「それってもしかしてテレパシーとかの話をしてます?」


沈黙。


「テレパシーか、ああそうかもね、じゃあ俺って超能力者かもしれないってことか。そうなるとちょっとすごいな。霊視、開業、テレビ出演……新しい生き方のヒントになりそうだ」


「……ありえないですね」


フッとフリアが口元へ指を添えた。


確かに俺の柄じゃないが。


「笑ったな?」


「ゲラゲラなんて笑ってませんよ。ただその可能性よりも高いものが他に――」


「それは?」


彼女のイメージが崩れそうになる中、俺は先を促す。


「呪いです。受信者としての特別な受け皿がなくても無差別に影響を与えるような呪いであれば、そういうことはたぶん可能でしょうし」


「『呪い』……」


まただ――このところ俺はこの言葉に縁がある。


「呪いが登場する逸話はいくつもあります――ですが、それも違うなら思い込みでしょう」


「思い込み?」


「曰わくつきの場所だという先入観です。自分で自分に『ここに触れたらなにかが起こる』という呪いのような暗示をかけてしまい、それが悪夢となって現れてしまう、一番単純でタチの悪いケースです。カートレイさんのような方が最も陥りやすいいい見本だと思うのですが」


「あーどうせ俺は単純でタチの悪い見本品さ」


「違いますよ。鏡のように物事を真っ直ぐに受け止めてしまう純粋さを持つ反面、壊れやすい性質を持っている方という意味です。そうやって投げ出すふりばかり続けていると、心身の歪みに蝕まれていくだけです……カートレイさん、あなたは強がっているだけで、それはたぶん本心ではないでしょう?」


大げさでもなんでもなく、このとき俺は彼女の瞳に本気で吸い込まれそうになった。


「あなたは単純でもないしタチが悪いわけでもない――感受性が豊かなあなたは、世の中のいたるところに潜む正負の場所にも敏感でしょうし、そういった場所に引っ張られやすくもある――そして一度足を踏み入れてしまえば、抜け出すことが難しい……ましてや好奇心の強いカメラマンさんですもの。写真に収められないようなものにはいっそう不安を感じるでしょう。一体あなたはこのミロンズタウンでなにに触れて、なにを見てしまったんですか? 脅威となっているものの元を解決しなければ、状況はよくならないと思います」


「フリア……本当に君は不思議な人だ。実はプロの占い師なの?」


苦し紛れに口にした言葉も冗談半分本気半分。


単純ではないとフォローしてくれた割に、俺は隠していたはずの弱みを完全に言い当てられてしまっていた。


「わたしはこのお屋敷で働かせてもらっている小間使いにすぎません」


それにしてはよく気がつく。


気がつきすぎるくらいだ。


俺は躊躇った。


どうせ、ダイニングルームを出たらモートン邸から辞去するつもりだ。


「――悪夢の船からどうしても出られない。地中に埋もれた古い座礁船なんだ。それ以上のことは言えない」


モートン氏と男同士の契約を結んだ。


シークレットバーリーについては一切口外しないと。


自分自身の妄想の範囲を超えるわけにはいかない。


「ああ、それで『外』と叫びながら部屋を飛び出して来られたんですね」


「頭がおかしいと思うだろ? これが思い込みならばなおさらだよな」


「そんなに深刻な顔をなさらないで。夢なんですから」


「酒でも飲んで自分の部屋のベッドで寝ればなにもかも忘れられるかもしれない。仕事場を離れて、僅かな間でも街から逃げ出そうとしたのが祟ったんだろうな。長い間世話になったことだし、そろそろ失礼しようとも思ってる」


「ケンプリードへ帰られるのですか?」


「そのつもりだよ。ミロンズタウンは初めてだったけど、なかなかスリルのある街だった。写真もたくさん撮ったし、楽しませてもらったよ」


俺はできる限りの笑顔をつくろい、サンドイッチをパクついた。


「君のおかげで、気が楽になった。つまらない相談に乗ってくれてありがとう」


「いいえ、そんなこと……」


紅茶でサンドイッチを流し込み、俺は席を立った。


体は重い。


ミロンズタウンを離れれば、それきりフリアと会うことは二度とないだろうと考えるだけで、気もますます沈む。


けれど事実あの木壁は壊れなかったし、自分は木壁のことを忘れ、シークレットバーリーのことを忘れ、朽ちた座礁船の悪夢からも自由になりたい。


追うようにフリアも立ち上がり、ドアのところまでついてくる。


「お屋敷の修理、ありがとうございました」


俺は神妙な心地で笑顔を作る。


修理か。


そうだ、フリアにはそう話してあった。


「いいってこと。サンドイッチご馳走さま」


ドアを閉めた俺は、廊下を走り、螺旋階段を一段飛ばしで駆け上がった。


途中でガクッと手摺にしがみつき、変な汗が背筋を伝う。


胃に固い物がめり込むような痛みが走り、今にもうねりを上げそうになる。


息が切れる。


ストレス性の胃炎か、それともここ何日かで変なもんでも食ったか?


俺はモートン氏の寝室へ行くよりも先に自分が借りている部屋のバスルームへ飛び込み、たった今飲み込んだばかりのサンドイッチを全部吐き出した。

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