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モートン氏の頼み事

モートン邸に滞在を始めてから二週間が過ぎた。


フリアが言ったことは当たっていた。


念のためフィーン国立図書館まで足を運んでみたが、ミロンズタウンにある曰くつきの古屋敷に関して書かれたものは見つけられなかった。


まったく風変わりな街だ。


そんなことを考えていると、コンコンッと部屋のドアを叩く音がした。


俺は清潔なベッドカバーの上で上半身を起こした。


思考の渦から現実に引き戻される。


「はい」


「サー・モートンがお呼びです」


端的に用件だけを告げるフリアの声。


ここへ来てから俺は放置状態で自由にさせてもらっている。


へえ、なんの用だろうか――そう思いながら、頭の隅でひとつのイタズラを思いついた。


「服を着たら行きますよ」


言うなり俺はすぐにベッドを降りてドアへと忍び寄り、ノブをつかんでガバッと開けた。


「きゃっ」


小さな悲鳴を上げたフリアは、体を半分引いて顔を背けていた。


「サー・モートンがお呼びなんでしょ」


フリアは片目を薄く開いて俺が服を着ていること確かめると、あの怒っているようなわかりずらい表情でこちらを一度見据え、それから廊下をサッサと歩き出した。


「一瞬でも着替え中に申し訳ないと思ったわたしが馬鹿でした」


「平凡な生活にサプライズは必要だよ」


「嫌がらせとしか思えません」


つんつんと廊下を歩いて行くフリアに俺も続く。


そんな彼女のスッと真っ直ぐに伸びた背中を見ていると、俺はどうにかしてそれを崩してやりたくなる。


なぜそんなにまでして張り詰めた姿勢を保っているのか。


肩の力を抜いてくれれば、もう少し話しやすいのに。


「本当は君だって俺と同じように思ってるんじゃないの」


「過剰なサプライズは疲れるだけです」


「ハッキリ言ったね今、疲れるって……ねえ、もうちょっと笑ったら?」


「面白くありません」


「暗い顔ばかりしてると肌の張りがなくなるよ、俺と同じでいい年なんだから」


「余計なお世話です」


「冗談だってば、だからもうちょっと――」


「サー・モートンの具合がよくありません」


話を容赦なく遮って、彼女は言った。


厳しさは変わりないが、その影は悲しげでもあった。


「さらに悪いの?」


確かにこのところモートン氏の具合が芳しくないことをフリアから聞いていた。


「カートレイさんがここへ来てから日に日に悪くなっています。あなたのせいです」


「待て、俺のせいじゃないだろ」


「カートレイさんのせいです」


振り返りもせず、彼女は背中で責めてくる。


「だってここへ来た日以来、俺はほとんどモートンさんに会ってさえいないぞ」


この屋敷には三人しか住んでいない。


療養中のモートン氏は一日のほとんどを自分の寝室で過ごし食事もそこで取る。


俺と小間使いのフリアが二人だけで食堂に会する必要もない、とフリア本人に言われたこともあり、結局は三人それぞれが別々の部屋で食事も取っている。


モートン氏の方も俺に会いたがらないとフリア伝えに聞いていた。


脅しと受け取られてもおかしくない方法でこの屋敷へ転がり込んだから、好意的ではないのも仕方がないことだと思っていた。


「サー・モートンはなにかとても悩んでいらっしゃいます。あなたが来てからずっとです」


思い当たる節は大いにある。


地下通路だ。


けれど写真もネガもあの場で焼き捨てた。


他になんの心労を訴えるというのか。


モートン氏の部屋の前まで来る。


「どうぞ」と言うフリアの静かな声に俺の回想は断たれた。


あの日とは違う。


自分でドアをノックしろということだ。


「わたしもご一緒します。介添えが必要だと思いますので」


「そんなに悪いのか」


俺は驚いた。


勢いづけて自分のせいじゃないと弁解したものの、一筋の後ろめたさが差す。


「お話はしっかりしています」


フリアは視線を外してやや俯き、エプロンの前で白い両手を重ねる。


俺はドアへ向かい、ノックした。


コンコン……


「カートレイです」


重い間が浸る。


「――ああ、入ってくれ」


モートン氏の掠れ声はますます掠れ、疲弊していた。


「失礼します」


ドアを開けると、部屋のかなりの面積を占領しているキングサイズのベッドの上で、モートン氏は横になっていた。


「お加減が悪いと聞きました」


ベッドサイドに立ち、俺はモートン氏を見下ろす。


歩かないせいで筋肉の衰えが激しく、大きなはずの彼の体が小さく沈み、平べったくさえ見える。


「そう聞いたならば、普通は菓子のひとつでも持ってくるものだ」


フリアに上体を起こされながら、モートン氏はヒハハと薄く笑った。


俺も笑った。


それで初めて自分の顔が凍りついていたことに気がついた。


「フリア、茶を頼む」


「あ……はい、ですが――」


「なんだね」


モートン氏はフリアを見据える。


「介添えが必要かと」


俯き加減の姿勢から、次にフリアは俺のことをチラリと見上げた。


『サー・モートンがカートレイさんと二人きりになるなんてもってのほか』とでも言い出しかねない目だ。


「わたしと友人のために茶を入れられないというのか」


「い、いいえ、申し訳ありません。すぐにお持ちいたします」


フリアは姿勢を正し一礼すると、彼女らしくない慌てた様子を見せて寝室を出て行った。


友人、ね。


モートン氏に対し、俺は苦笑いを隠せない。


寝室を出る際も、フリアはこちらへ心底疑わしげな視線をブスリと突き刺して行った。


「かけたまえ」


モートン氏がソファを指す。


「いいえ、ここで構いませんよ。ソファじゃ、こっちとそっちとで話をするのに遠いですし」


俺はその意思を示すために、やや足幅を広げ体の前で両手を組んだ。


休めに近い姿勢だ。


「若いのに頭の回るやつめ、確かに大声で話すようなことではないのだ。フリアが来る前に話してしまおう」


モートン氏はフフフと笑う。


この間とはどこか様子が違っている。


体の方はてんで弱り萎んでいるが、態度は以前よりも開いていた。


「このところわたしは、あることについて悩んでいた」


「そうなんですってね、フリアから聞きました。俺のせいなんだって」


「まあ確かにそうとも言えるが……悪い方向へばかり悩んでいたわけではない。むしろ悪い方向へ考えが及ぶのは君とは別のことに関してだ」


モートン氏はふいに窓の方へ顔を向け、遠い目をした。


つられて俺も同じものを眺めた。


窓の向こうには、通りの向かいにある建物の屋根が少しと七月下旬の青い空が覗いている。


どこからか飛んできた鴉がのんびりと屋根を歩いていた。


「もったいぶらないでください、フリアが来てしまいますよ」


「うむ……そうだな」


モートン氏は一度瞼を深く閉じた。


なにが来る。


俺は同じ姿勢のまま、器用に身構えなくてはならなかった。


「実は君に頼みたいことがある」


「なんでしょうか」


「――君がバナードを訪れたのは今回が初めてか」


ゆっくりと目を開き、モートン氏は訊いた。


すぐにはその頼みごとというのを口に出すつもりがないらしい。


「いいえ。海外での仕事も多かったので、もう何度か。バナードではほとんどが海洋祭の取材だったのでセントラルタウン止まりでしたけど」


「そうか、でかい祭りだからな。取材のしごたえがあったろう」


「人ごみにやられて散々だったことしか覚えてません」


俺は肩を竦める。


僅かに思い起こしただけで、狂ったようなあの人波が目に浮かび現場でのイライラ感も甦りそうだ。


「取材をしたことがあるのならなおさらだ――君は魔星雲の話を聞いたことがあるか」


次第に声を低めてモートン氏が言った。


「ええ知ってますよ」


俺は頭の中に知識を探す。


「確か、バナードに伝わる迷信のひとつでしょ? 二〇〇年に一度、『魔星雲』と呼ばれる大昔から神々の魔力をおびたものとして恐れられていた七つの星雲が、『宇宙の暗幕』という名の四角形に並んだ星座の中にすっぽりと入ってしまう特別な期間、様々な場所で超自然力の均衡が崩れて不安定になる――そんな言い伝えでしたっけ」


「そのとおりだ。『魔星雲』にこじつけられている神話や伝承は案外多い。まぁ、超自然力の均衡がどうのこうのいう話だから、迷信だと言われる方が道理にかなっているともいえるがね」


ええ、と俺は頷くだけにしておいた。


面白い話ではあるが、迷信だの神話だの土地の色が濃すぎて、外の国からやってきた俺にとっては物珍しさと興味の対象でしかない。


「……だからこの壮大な天体運動についても、天文学的な見解ばかりがとりあげられるようになっていった。そして実は今年がその年にあたる。隕石の落下もそれを物語っているのだろう」


「意外ですね。モートンさんほどの実利主義の経営者だったお方でも、非科学的な迷信や神話を信じたりするんですか」


モートン氏は無言で笑みを浮かべるに留まる。


「長い間わたしはこのときを待っていた。けれどこの体では満足にベッドから降りることもできん――これを逃せば次に魔星雲が宇宙の暗幕へ近づくのはおよそ二〇〇年後……その時にはわたしは当然この世にいない。生きているうちに完成させられないのが非常に心残りなのだ」


「なんのことです」


いっている意味がわからなくて、俺はモートン氏に尋ねる。


「君が地下通路と呼ぶあれだよ。未完成なんだ」


まさかその話をモートン氏から振られるとは思っていなかった。


俺はこの街へ来てから疼いてやまない好奇心を貫かれた気がした。


「未完成、とは」


慎重にその先を促す。


気が逸る。


「あれはまだわたしの体が自由に動いていた頃に、石壁の内側への興味から自宅の壁に穴を開けて掘り進め、作りかけにしたものだ。が、その先が繋がっていない。君も知っている通り、あの通路を渡っていっても突き当たりは木の壁が塞いでいるんだ」


「なぜ残してあるんです? 木でできてるなら、ぶち抜いて完成させてしまえばよかったのに」


「できなかったのだよ」


モートン氏の目が怪しげに輝く。


そして続けた。


「ただひとつわかったのは、木壁は間違いなく古屋敷と同じ石壁の内部に存在しているということ。木壁を壊そうにも鑿も鎚もきかなかったのは、年老いたわたしの腕力不足――それだけが原因だと思うかね?」


「曰くつきの古屋敷――その地下室の壁だとおっしゃりたいんですね」


この街の雑貨屋のお婆さんに言われた言葉を思い出す。


――『まさか。特別な事情とかで壊せないままほっとかれた建物があるだけよ。工事ができるのなら、もっと前にそうしてもらいたかったわ』と。


そう言っていた。


「あれは『呪われて』いるのだ」


モートン氏の表情に冗談めいた要素はない。


『呪い』と聞き、俺の背筋は寒くなった。


『呪い』を語るのにふさわしい迫力をこの屋敷の主はどんよりと発している。


心のどこかで否定したくても、なにかがこれまでとは違っていた。


「呪い……ですか」


この街へ来て最初に耳にした話へ戻り返ってしまった。


「地下通路を掘り進める途中で抜け穴を作ったわたしは、一度だけ地上――すなわち石壁の内部に立ったことがある。そこにあったのは曰くつきの古屋敷。崩れた石壁のところから、君が写真に撮ったあの古めかしい屋敷だけだった」


「なんなんですか、あの不気味な屋敷は。モートンさんは、そのとき中へ?」


「入っていたなら、わたしは今ここにいないだろうな。税金で石壁や鉄柵を維持しなければならないほどの獰猛な『人食い屋敷』だ。事実を辿れる記録は一切残っていないが、この街に長く住む住人たちに語り継がれる言葉までは、消せないものだよ。屋敷のドアを開いて入った者は、二度と出てこられないといわれている。ドアも窓も内側からは開かなくなっているらしい」


俺は言葉を失う。


「嘘だか本当だか知らないが、古屋敷の初代管理者の名がバーリー氏といったそうだ。だからこの街に暮らす者の中には、それを揶揄して古屋敷のことをシークレットバーリーと呼ぶ者も多い。わたしもそう呼んでいる」


「言い伝えとはいえ、地下通路を掘ってまでそんな危険な屋敷に近づこうとしたモートンさんの意図がわかりません」


「シークレットバーリーに入り、二度と戻らなかった者たちはどこへ消えた? 地下通路を遮るものが、石壁ではなく木製の壁だという点も謎だ。君も知るとおり、あの建物の一階部分はわたしの屋敷と同じく石で造られている。ならば地下室の壁も石で造るのが当然ではないか?」


モートン氏の問いに、俺は答えられない。


「シークレットバーリーが建設されて、おおよそ二〇〇年が経とうとしている。そして、今年は魔星雲が宇宙の暗幕に入る年だ」


「正気ですか?」


俺は醜いまでに怪訝な表情をしていただろう。


「正気か、狂気か。偶然か、必然か。君ならば言葉にせずともわかるだろう。シークレットバーリーと地下通路を写真に収め、脅し同然にわたしのところへ転がり込んできた君ならばな」


ひとしきり話し終え、モートン氏は大きく息をつく。


「いい人そうな顔をしていながら、あなたは大変危険な冒険家だ。才知と富に恵まれながら、愚かでさえある」


ひと昔前であれば、勇者であり、物語の主人公になれたかもしれない。


けれど、違う。


呪い――。


俺の頭の中で、そのことだけが他のどれよりも強烈に引っ掛かっている。


「地下通路を完成させる最後の重要な仕事を君に頼みたい」


俺は予想通りの展開に愕然とする。


「まさかつるはしかなにかを担いで行って、地下通路の先を塞いでいる壁をぶっ壊せとでも? 魔星雲の時期だからってそんな」


「地下通路を行けば、高壁の修理業者や日に二度回る巡回員の目に留まることもない」


薄々感づいていたことではあるが、俺は本格的に面食らう。


街の中心に隔離された建造物を破壊する。


鉄柵を越えるよりもずっと犯罪級のことをやれと、この老人に頼まれている。


「建物の中にはいったいなにが?」


俺も俺でおかしい。


なぜだとか、勘弁してくれとか言う前に、そんなことを訊いている。


「わからん」


喋りすぎて疲れたのか、モートン氏は上体をポフンとクッションへ預けた。


まぁ、そうだろうとも。


わからないからこそ、恐れられている。


「魔星雲の接近は、二〇〇年に一度の大イリュージョンだ。ぜひ君に頼むよ。ついでに通路の天井も直してくれると助かる」


首のネジが錆びついたかのように、俺は即答することができない。


……だって呪いだぜ――?


平素からそんなものは鼻にもかけないが、どういうわけかさきほどから背筋が寒い。


鉄柵を越えた程度でその気になっていた俺なんかより、モートン氏の方がはっきりいって好奇心異常だ。


「わたしの膝はこのとおりだ。こんなことを頼めるのも世界中で君しかいない」


「大げさな。フリアだっているでしょう、なかなかの力持ちですよ彼女」


少々反則なことを俺は言ってみる。


「いいや。あの小間使いはなにも知らん。このことを知る人間は最小限に留めたいんだ」


「ああそうですよね。例えばの話、建物の中にお宝なんかがあったりしたら、当然頭数で割るべきだ。ならば使う人間は最小限にした方が――」


途中まで言った俺の言葉が尻切れトンボになる。


モートン氏はウンウンと頷きながら真剣に話を聞いている。


「マジ……すか」


「入ってみないことにはわからんがな、あるかもしれん」


太古から人類はお宝という言葉に翻弄されてきた。


モートン氏は首を振りつつ、イヤラシく澄ましている。


こんなことだから怪我人が増えるんだ。


「――魔星雲の影響が有効な期間は?」


念のため、念のためだ、と自分に言い聞かせながら俺は尋ねる。


「約半月。海洋祭が終わる頃にその力は薄れるだろう」


モートン氏が宣告する。


まるで余命を告げられた気分になった。


「まだやるとは言ってませんよ」


「魔星雲の期を逃せば、わたしは一生後悔する。時間がないんだ、壁を壊してくれるだけでもいい。後のことは地下通路が完成してからゆっくりと……」


「なにを言ってるんです、完成させたら入りますよ俺が」


ズレきったところから勇気を得て、俺は胸を張ってしまっていた。


頭の中でクルクル回りだした耳長ぴょん子だ。


「引き受けてくれるのか」


「まあ、やれるだけのことは。なにかおかしなことが起こればすぐに手を引きますからね」


「構わんよ、健康が一番だ」


そういう問題か?


カメラは置いていけ写真を売られちゃたまらないからな、と釘を刺されたところでトントン、と寝室のドアが鳴った。


モートン氏と俺は同時に振り返る。


「お茶をお持ちしました」


細かいことを忘れ、このときばかりはフリアの声に救われた気がした。


屋敷の中で正気なのはきっと彼女ひとりだけに違いない。

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