宙に浮く
ギフト企画参加作品です
いろんな作品が読めるのが楽しみです
「ちゅうにうく」ではなく「そらにうく」と読みます
・・・・・どっちでもいいけど
とにかくこんな素敵な企画に参加できてうれしいです
何のためにこんな高層ビルを建てたのだろうか。必要だからか、それとも単なる繁栄の象徴か。田舎は道があって景色がある。ここはビルに沿うようにして道がある。そして温度を感じない人の群れ。こんなにも人がいて、でも画一で。皆急いでいる、時間に追われ、権力に追われ、言い知れぬ不安に追われ、さまざまなものに追われ続ける。その状況に耐える人がいる。そしてリタイアする者も出てくる。人は皆疲れている。人は世の中に疲れすぎると思いもかけないことをしでかす。ときには自らを傷つける者、他人を傷つける者が出てくる。彼はどうなのだろうか。
(同じ顔のキャスターが一斉にこっちを向く。気持ち悪さを感じて、そろそろテレビの売り場から離れようかなと思う。推理小説なんて読まなくたって殺人事件が世の中に溢れていることに気づく。僕らにとってニュースはフィクションの世界なのかもしれない。かなり近所でそういう事件が起きない限り恐怖を感じることはない。感覚はもう麻痺しているのかもしれない。そしてこのニュースの事件の容疑者が警察官と言うのだから同時に世の中の矛盾を感じる。この世の中はおかしくなってしまったのかとも思うが、この家電量販店に家族で来ている人たちを見るとそうでもない。おかしくなったのは自分自身であり、昔からこの世界はそう変わってないのかもしれない。こんな暗いことを考えたり、自分の置かれた状況に不満があったりするのは世の中が悪いのではない。すべて自分のせいなのである。でも、不公平だ。この世の中はあまりに不公平じゃないか。僕はこういう運命にあったのだ。孤独と不安が体中を巡っている。不公平だ、この世の中は不公平だ。)
ここが高層ビルだらけの人工地域だとしても季節は変わる。空の色を見てもわかるし、行きかう人々の羽織るものを見てもわかる。今どんな季節なのかはこの手のかじかみでわかる。彼は家電量販店から出るとすぐにポケットに手を入れた。少し前かがみになって、白い息をはきながら足早に人の波をかき分けていく。今年はまだ雪が降っていない。これも近年話題の環境問題のせいだろうか。彼はあるビルの前で止まった。
(どこで俺は間違えたのか。できれば、その地点に戻ってもう一度やり直したい。ただそんな後悔だけいつも俺の体を支配している。もちろん将来に何の希望も無い。もう終わらせてしまいたい、こんな意味の無い日々を。ただ、ひとつだけどうしてもやっておきたかったことがある。自分にとってプラスにはならない、他人にとってもプラスにならない、それを終えて残るのはなんだろうか。一瞬の極楽と永遠の後悔かもしれない。それでも良かった。その一瞬を手に入れたかった。)
きれいに磨かれた床、そしてエレベータの扉が8つもある。こんなに必要だろうか。いや必要なのだろう。こんなやせっぽっちのビルだが恐ろしい数の人を中に飼っている。いろいろな思いが渦になって各階をめぐっているが、『仕事場』というルールにより、まるでロボットのような社員達が働いている。彼は少し迷っていた。二度ほどエレベータの扉は開いたが乗ることができなかった。変わりに営業帰りの疲れたサラリーマン達が乗っていく。彼は近くにあったベンチに座った。手には黒いかばんを持っている。何が入っているかはわからない。彼は少し考えた表情をしたあと、再び立ち上がった。
(俺はまだ迷っているのか。やってもやらなくても俺の前には絶望しかない。最後にひとつ大きなことをやってやりたい。よし、次に扉が開いたら迷わず乗り込もう。簡単なことだ。)
エレベータの扉が開いた。彼はゆっくりと箱の中に入っていった。
(無言で、しかし確実にそいつは俺を上へ上へと運ぶ。鼓動が早くなる。)
せわしなく作業する銀行員、わざとらしく「いらっしゃいませ」を繰り返す銀行員、そしてなぜか不機嫌な場合が多い客。都会の銀行は田舎のようなふれあいの場ではなくて、ただ金が行き交う場である。彼はエレベータを降りて、無表情で整理券を取りにいく。今日は混んでいるのか、それともこれが普通なのか。ATMには長蛇の列、窓口の順番を待つ人で設置されたソファは埋まっていた。かろうじて一人分座れる場所を見つけると彼は深く腰掛けた。
(まだ時間はあるな。心の準備をする時間は十分にある。)
あいかわらずあわただしい時間がその中を流れている。次々に番号を知らせるコンピュータ音が響く。銀行と言うものは考えてみれば恐い。小切手とかタッチパネルでの表示、そんな実体の無いもので莫大な金が動く。そしてその金は人を狂わせる。コンピュータ音が響いた。彼の番号が呼ばれた。
*
サングラスをかけ、マスクをし、ロングコートを羽織い、わざとらしく咳を二つする。彼女はアパートの鍵を閉め、早歩きで階段を降りる。とりあえず急ぐ必要があった。マスクをしたまま歩を速くすると、思ったより息が切れるようだ。彼女は多数のサラ金のチラシが貼られた電信柱で止まり、息を整えた。これは本当に生理的な息切れなのだろうか、彼女には心の奥の不安による息切れではないかと思った。
(とにかく急がなくちゃ。)
この時期になると、どうしてこうも街は色めき立つのだろうか。手をつなぐ恋人達、高校生もサラリーマンも。このあたり一帯に広がるネオンのせいだろうか、それともこの音楽のせいだろうか。彼女はいらいらしていた。都市の信号は車が優先されて、赤で待たされたときには一服できるくらいの時間がある。しかし彼女は嫌煙家だから何もせずに待つしかない。大きな観光バスが目の前を横切ると、やっと信号は変わった。空から見れば、ありの大群がうじゃうじゃしているように見えるのだろう。彼女は先頭を切っていた。彼女も一匹のありなのかもしれない。横断歩道を渡りきり、さらに少し歩く。彼女はあるビルの前で止まった。
*
「動くな」
彼の声は思ったより響いた。さっきまでざわざわしていた銀行内は一瞬にして静まり返った。
「ここに金をあるだけ詰めろ」
銀行員も客もとてもおとなしくしていた。こんなにうまくいっていいのか考えてしまうほどだった。しかし、それはおそらく彼が内ポケットから取り出した拳銃のせいなのかもしれない。調子に乗って彼は言葉を続けた。
「変な行動をしてみろ、これで撃つからな」
カウンターの奥にいた支店長らしき人物がひっと声を上げた。人間は想像以上に弱い。平和な日常でえらそうなことを言っているやつだって、非日常になった途端、態度をころっと変える。彼は心の中で高い声で笑った。金を詰めるよう命じられた銀行員は何の小細工をすることも無く、ただバカ正直に言われるがままに黒いかばんに札束を詰めていく。彼は下手をすれば、噴出してしまいそうだった。はじめからこうすれば。はじめからこうすればよかったんだ。こんな簡単なことで運命は変えられたかもしれなかったのに。そしてそのチャンスがもう目の前にある。銀行員はかばんに札束を詰め終え、かばんを彼に渡した。これで終わるはずだったが、その銀行員が姿勢をかがめて何やら様子がおかしかった。
「おい、何をしている。そうか、そこに非常用ボタンがあるんだな。押したければ押せばいい。そのかわり」
彼は客の一人を強引に引き寄せ、人質にした。サングラスをかけ、マスクをしたロングコートの女性だった。
「いいか、こいつの命がどうなってもいいんだな」
彼は平静を装いながらも焦っていた。人質など取るつもりはなかった。よく刑事ドラマで人質を取るというのはよくあるが、彼は足手まといになると思い、その計画は無かった。しかし、その策は功を奏し誰も彼に逆らうことはできなくなった。ちょろいもんだと彼は思った。そしてこのままエレベータで下の階まで降りればいい。もし何か不利が生じてもこの人質を盾に取ればいい。
「動くなよ」
そういいながら、彼は警戒しながら足をすり、バックしながらエレベータに乗りこみ、1階のボタンを押した。扉は閉まる。元々、彼は彼女をどうしようとも思っていなかった。この金を無事に運び出すことができればすぐに開放するつもりだった。そのことを伝えようとして少し優しい声で彼は言った。
「心配しなくても何もしない。ただ変な行動をしたら撃つぞ」
銃を突きつけたまま、そういったが、彼女は無言だった。それにサングラスとマスクをしていて表情は読み取れなかった。大人しくしてくれるなら彼はそれでよかった。
エレベータの数字の表示がどんどん減っていく。
・・・・・・
しかし次の瞬間、強い衝撃が二人を襲った。
エレベータは停止した。
「なんなんだ、なんなんだよ」
しばらくしてから中の明かりが消えた。かろうじてある外の太陽光で視界はまだあった。数分間そのまま二人とも動かなかった。強い衝撃はあったが彼は彼女を離していなかった。それはいいがこれからどうすればいい。彼は頭の中が真っ白になった。
「ついてないな」
彼はそう発したが、同時に彼女の声もかぶっていた。人質に取ったとき悲鳴のひとつもあげなかった彼女の発した言葉はあまりに冷静であった。強盗犯と一緒にこんな密室に閉じ込められてどうしてこうも冷静なんだ。彼はそう思うのとほぼ同時に彼の体に二度目の衝撃があった。
「いつまでこうしてるのよ」
彼女は彼をぐっと背負い、そのままエレベータの硬い底面に投げつけた。
「うっ、いたた。この野郎、ふざけやがって」
そういって銃口を向けた先には銃口をこっちに向けた彼女がいた。
「撃つわよ」
彼は言葉を失った。なぜ、どうして。目の前にある光景が信じられなかった。
「お前何者だ」
「警察よ」
なんてことだ。本当についてないじゃないか。彼は頭が真っ白になった。
*
ここであるだけの金を下ろせば、すべて終わる。飛行機の便はもう取ってある。彼女はとにかく急いでいた。銀行が何階だったかを確認してからエレベータを待った。実際はあまり時間はたっていなかったのだろうけど、エレベータが下に来るまでの時間は彼女には異常に長く感じられた。彼女は自分の太ももを手でたたきながら、いらいらした表情でそれを待っていた。しばらくしてエレベータの扉が開いた。すぐに乗り込み、階のボタンを押す。そして閉ボタンを連打するが、ゆっくりと扉は閉まった。エレベータはどんな原理で上下しているのだろうなどと考える余裕もなく、彼女は焦っていた。高い音とともに扉は開く。こんな日に限ってATMは混んでいる。だけど仕方ない。割り込んだりしたら、目立ってしまう。私は目立ってはいけない。手持ち無沙汰になってわざとらしく咳をした、このマスクは風邪のためにつけていますといわんばかりに。その咳をしたすぐあとに、男の声が響いた。
「動くな」
彼女はすごく焦った。恐怖からではない、面倒なことになったからだ。これは間違いなく銀行強盗だ。私は偶然居合わせた警察官として彼を現行犯逮捕しなければならない。拳銃は持っている、柔道も段を持っている。ただ私は何もできない。目立ってはいけない。
*
「ちょ、ちょっと待て。警察ならどうして俺を逮捕しなかったんだ」
「できたらとっくに捕まえてるわよ」
「意味がわからない。仕事とプライベートは別か?よくそんなんで警察官やれるな」
「・・・・・・」
彼の問いかけに対し、彼女は無言を通した。そして外の景色を眺め始めた。この季節になると日が沈むのが以上に早い。ここが山奥なら真っ暗でパニックになるだろうが、残念ながらここは都市だ。空が暗くなるのと同時にネオンやら何やらがまぶしいほど光りだす、本当に星なんかひとつも見えない。昼は空が地上を明るくするのに夜は逆だ。少しして彼女は言葉を発した。
「きれいね」
「ずいぶんのんきだな」
「とりあえず眺めていたいわ」
彼女が見とれているほうに彼は目を向ける。本当に綺麗だった。人工物の密集地帯は景色を変えてロマンチックなテーマパークを上から見下ろしたようだ。自然の風景とはまた違う美しさ、現代の象徴。上から見るときれいだけど、その一つ一つは暗い闇であったりする。このビルでも少し前、強盗事件が起こったのだから。彼はボタンの列をドンと殴った。
「きれいね、じゃねえよ。どうしたらいいんだよ、俺は」
「そうね、このエレベータが復旧したとして、ここから抜け出したあなたに待っているのは怖い顔した警察官かもね」
「かもね、じゃなく必ずそうなる。本当についてない。もうこのまま動かないほうがいいかもしれない」
彼は壁にもたれて座り込み、もう一度、外の景色を見た。
「何やってんだよ、俺。エレベータに閉じ込められてさ。情けなくて笑いたくなってくるよ」
「あ、あれ、ツリーじゃない?」
彼はため息をついた。
「きっとそうでしょう。今日は誰かさんの誕生日だから」
「もう一度訊くけど、どうして俺を捕まえなかった」
「私はね、幼い頃に両親をなくして親戚の家に預けられたの」
「何言ってんだ?」
「そこでは、本当の娘じゃないからってひどい仕打ちを受けたわよ。誕生日も祝ってもらえなかったんだから」
「おいおい、何の話だ?」
「聞いて!」
彼女の声に圧倒され、彼は口をつぐんだ。
「小学校入学ぐらいから中学生まで仕打ちは続いたわ。高校に入ったときに家出することに決めたの。こんなとこにいるならホームレスのほうがましってぐらい思えたわ。でも現実は甘くない。高校生がひとりで生活なんてできないわよ。バイトの給料は安いし、仕方ないから体を売ることにしたわ。そう決心したらお金には困らなかったし、男にも困らなかった、同じような境遇の友達もできたしね。そうやってなかなかうまくいってるなって思ったときにその友達が死んだのよ。殺されたのよ。無性に腹が立った。見つけたら必ず私が殺してやると思った。でもとうとう犯人は見つからなかった。その悔しさから私は警察官になることに決めたの。人から見れば突拍子もないことかもしれないけど、何かにこの苛立ちをぶつけないと私がだめになってしまうと思った。このままずっと打ちひしがれたまま過ごすより、勉強して警察官になって自分に意味を求めたのかもしれない。それにそういう犯人達がのうのうと逃げ延びていることに対しての怒りもあったわ。そして警察官になった私は偶然その犯人と再会したの」
「おまえ、まさか」
「そう、嫌になるほどニュースに取り上げられてる人殺し警察官よ。このまま外国へ逃げるつもりだったのに。あなたのせいよ」
「俺のせいにするなよ。俺もこんなところで有名人に会いたくなかったよ。それに知るかよ、そんな延々と身の上話されたって、どんなことあっても罪は罪だ」
「・・・・・・不公平よね」
「ああ、不公平だ。この世の中は不公平でできているんだよ、俺もその被害者だ」
「へえ、強盗犯が?」
「殺人犯に言われたくないよ」
夜の闇がさっきより濃くなって、街の灯りがよりまぶしくなる。彼は窓の外に向かって指をさした。
「見てみろよ、きっとそこらじゅうにいるカップルはどれも幸せそうな顔してるんだろう、ここからじゃ表情までは見えないけどわかる。それからどうして俺には幸せが降らないんだろうっていつも悩んでた」
「今度はあなたの身の上話?」
「独り言だ、聞かなくていい」
「ここは密室だから嫌でも聞こえるわよ」
「一般の人間にできることが俺にはできなかった。能力とかそういう問題じゃない。高校のとき、みんな青春を謳歌しているときに俺はひとりぼっちでいた。友達もいなくて、もちろん彼女もいなくて。そんなつまらない日々を過ごした。どうにか変えなくちゃって思ってネットの掲示板で友達探したり、出会い系サイトで彼女探したり、そしてだまされたり、今考えれば悪循環なんだよ、そんなことしたって。高校のとき、友達や彼女がいなかったのはただ単に運が悪かったのかもしれない。もう少し努力すれば何とかやっていけたのかもしれない。ただそれも違う気がした、そうなることははじめから決まっていたんだと。俺の運命だったのだと。もうポジティブな歌を聴いたって何も感じなくなった。もういいやと。寂しくて孤独でも仕方ないと。それでひとつ思いついたんだ。金だと。金は人を狂わせる。俺も大金を持てばなんとかこんな世の中でも生きていけるかもしれないと思ったんだ。バカだよな」
「そうね、大バカね」
宙に浮いたままの四角い箱の中は不思議な空気に包まれた、ここに世の中の不幸せをすべて詰め込んだように。
そのときエレベータに声が響いた。
『こちらエレベータ管理の者です、応答お願いします。』
「遅っ」
彼女は小さな声で言った。続いて彼がけだるそうに答えた。
「はーい、こちらエレベータの中です。」
『無事ですね、体調不良などはありませんか』
「あったとして何かしてくれますか?心も体も満身創痍です」
『それは・・・・・・』
「もう別にどうでもいいですから、俺らをほっといてください。」
『いや、そういうわけには・・・・・・ええと、もう少々で復帰しますので、そのままお待ちください』
「はーい」
二人はわざとけだるそうに声を揃えていった。
「人間極限状態になると何するかわからないな、いきなり不幸自慢を始めたりするんだから」
「お互い様でしょ」
「もう少ししたら復帰するんだってよ、俺もあんたもここから出られるけど、すぐにまた同じような箱にいれられるぜ」
「もうそんなことどうでもいいわよ、今頃。最悪の聖夜ね」
「今日をこんなふうに過ごしているのは俺らだけだろうよ、人を殺した奴と銀行を襲った奴がエレベータで一緒になって閉じ込められるなんてな」
「ホント最悪。」
「・・・・・・わたしたち幸せになれるのかしら」
「なれねえよ、一生。二人とも事をやってしまったあとだ。もう遅いよ」
「幸せになりたかった」
「俺も同じだ」
急に二人の表情は沈んだ。説明のできない思いが二人の体中を巡った。
「もっといろんなことしたかった」
「そうだな」
「普通の家庭を築いて、思い出を語り合ったり」
「スーツ着て走り回りながらベンチに座って高校のときは楽しかったな、なんて思ったり」
「オフィスで気になる上司を目で追ったり」
「お酒飲みながらみんなでバカ話したり」
「あんなふうにツリーの前で写真取ったり」
「子どもの喜ぶ顔を想像しながらおもちゃ屋にプレゼント買いに行ったり」
「それから・・・・・・それから・・・・・・」
二人は膝を付いて目に溜まっていたものをとめどなく流した。
「そうだ・・・・・・休みの日に家族で遊園地に・・・・・・行ったり・・・・・・」
「おしゃれなレストランで・・・・・・彼女とデートしたり・・・・・・」
「憧れてた幸せの想像が止まらない・・・・・・どうしてわたしたちはうまく生きられなかったんだろう・・・・・・」
「なんでだろう・・・・・・」
『長らくご迷惑をおかけしました、運転再開します。』
そこにあったのは事務的な声、二色の涙と泣く声、そして都会の聖夜だった。
「あんたにもっと早く会えていれば少しは俺も変わってたかもしれない」
「はじめから今日このときに逢う運命だったのよ」
「そうかもな」
現代の象徴のその箱はようやく動き始めた。そしてどんどん地上に近づいていく、真っ赤な目の二人を乗せて。
扉が開いた。
「殺人の容疑で逮捕する。おまえは強盗容疑だ」
どうして刑事の顔はこうも恐く作られているのだろう。刑事は顔で採用されるのだろうか、いや、今となりで俺と同じように手錠をかけられているの女も同業者だった。彼女の顔はどこか悲しい。
「少しこの殺人犯と話したいんだ、何もしないから少しいいか?」
「・・・・・・まあ、いいだろう」
刑事は周囲にいる仲間をひととおり見て、しかめ面を崩さずに言った。
二人の「犯人」はエレベータ近くにある長いすに腰掛けた。
「あんたの言うとおり、恐い顔が並んでるよ」
「どうしたの、この状況から逃げ出そうとでも考えてるの?」
「あんたとはたぶん一生会わないだろうから最後に俺にとっての救いとして聞いてくれ、あんたの救いになったとしたら光栄だ」
「何?」
「今日は最高のクリスマスだった」
「どこがよ、頭おかしくなったの?」
「俺らがこれからこの不公平な世の中で生きてくにはこれしかない」
「これしかないって?」
「今日はエレベータに閉じ込められた最悪の日じゃない、クリスマスの日に俺らは宙に浮いたんだ」
「宙に浮いた?」
「宙に浮いたんだ、そう考えたらロマンチックだろ?」
「それはずいぶんとポジティブな考えね」
「・・・・・・そう考えていかないか」
彼の声は震えていた。
「検討しておくわ」
「ありがとう」
再び涙目になった二人は手錠のかかったままの手でぎこちなく握手をした。
そして薄く笑った。
第三者が見たらおかしな光景だったに違いない。
「最後にひとつ訂正しておく」
「次は何?」
「さっきは俺らは一生幸せになれないって言ったけど」
「幸せになれるのかしら?」
「たぶん」
「たぶん、って何よ」
「だから、たぶんなれるよ、幸せに」
「その考えも検討しておく」
「ありがとう」
「いつまで話してんだ、行くぞ」
二人は立ち上がった。
*
『本日は当店をご利用いただき誠にありがとうございました。当店はまもなく閉店いたします。またのご来店お待ちしております。』
もうほとんど客がいなくなった家電量販店に閉店のアナウンスが流れる。店員達は閉店作業に取り掛かる。いくつも並ぶプラズマテレビや液晶テレビ。現代の象徴。キャスターはいつものようにこっちを向いて原稿を読み上げる。
「・・・・・・のようです。えー、たった今入ったニュースです。殺人容疑で指名手配中だった殺人の容疑者と別の事件の強盗の容疑者が同じビルで逮捕された模様です・・・・・・」
〈これまでの人生を振り返ってみて思うことがある。あの時、もしこうしていたらとか、こっちを選んでいたらとか、もうそんなこと無駄だとわかっていても。あの人ともっと仲良くなっていたら、あの大学に入っていれば、あのときに違う返事を相手にしていたら、あのとき怪我をしなければ、あのときに今の考え方があれば。〉
「・・・・・・なぜ指名手配犯がこのビルにいたかなど詳しい情報はまだ入ってきておりません。新しい情報が入り次第、随時伝えてまいります。次はお天気にまいります・・・・・・」
〈きりのない空想は無意識に自分を追い込む。そんなときに自分におきた全てのことは必然であり、何かしら意味のあるものだったと思うしかない。それがいかにみじめなことでも、かっこ悪いことでも、自らのコンプレックスの元凶であっても、それが何であってもだ。そうはいっても理想を所詮理想だとあきらめることは意外に難しいのかもしれない。それでもみんな生きなければならない、耐えなければならない、進み続けなければならない。世の中は不公平だ。世の中は不公平でできている。だからこそ誰もが自分の生きる術を見つけようとする。それが難しい人のためにいろんなアドバイザーが出てくる。それは占いであったり霊能力であったり様々であるが、どんな手に頼ったとしても、結局その術を探し出すのは自分自身である。〉
「・・・・・・今晩は冷え込みが一段と強くなっております、お気をつけください。現在、都内では雪が観測されています、路面の凍結などには十分にご注意ください。では明日の天気をお伝えします・・・・・・」
〈そして、もうひとつ大事なことがある。それは気づくことだ。苦しんでいるのは自分だけじゃないということを。どこかに、いや、もしかしたらすぐそばにそんな人はいるのかもしれない。そして考え方を変えてみる。例えばエレベータに閉じ込められた二人のように。〉
「・・・・・・明日は全国的に晴れるでしょう・・・・・・」
読んでいただきありがとうございました