おそろいだったマグカップ
「どういうこと?」
伊智花の突然に思える話に、茫然としていると、伊智花は「考えてはいたんだけど、」と口を開いた。
「最近、遼一と付き合ってるってことが、当たり前になってきたなぁと思って。最初は、遼一が奈那子を好きだって気づかれないためのものだったのに、今回みたいなことがあると、本末転倒じゃないかと思って。だから、軌道修正しようかなぁと」
「? どういうこと?」
再度問いかけた答えを要約すると、こういうことらしい。
俺が伊智花に「友人の延長のようなものだった」と振られたことにして、一度距離を置こう、というのだ。
俺が振られた側になるので、奈那子への気持ちのカモフラージュは、まだ伊智花に未練があるというフリで通せるし、今回のような恋人同士でのイベントごとには誘われなくてすむ。さらに、友人、というスタンスは保ちたい伊智花と、未練のある俺の組み合わせなので、何かあるときには4人で行動したところで不自然ではないだろう。
確かに、ない話ではないと思う。
けれど、俺は頷く気にはなれなかった。
「状況打破のためにも、良い考えだと思うんだけど……気に入らない?」
話をしているうちに、俺の顔色を窺ったのか、伊智花が首をかしげる。
「それだと、伊智花のイメージが悪くなんない?」
一応、最初に告白してきたのは伊智花だということにしてある。
奈那子の親友ということで、接点があるうちに、俺も好きになったという設定で、周囲には仲の良い同級生カップルとして定着している。
確かに、付き合いが長くなるにつれ、彼女との話を聞きたがる同級生に困ったことも少なからずある。
けれど、だからって自分が振る側になるってことは、俺に落ち度がないと思われてる限り、ダメージは伊智花にある。
「んー。そろそろ大学受験の準備に入るから、そういうカップルも多そうじゃない?」
「いや、そういうことじゃなくて」
話が通じないことにかすかに苛立ちを感じる。
すると、伊智花はなんでもないことのように、微笑みを浮かべた。
「わたしとしては、フリでもなんでも、遼一から片思いされてるように周りから思ってもらえるなんて役得なんだけど」
そんな言葉でごまかされ、結局俺はその案に乗ることにしてしまったのだった。
それから、約1ヶ月。
奈那子は伊智花から話を聞いたようで、顔を合わせるごとに、それでいいのか、と問い詰められたり、恭哉兄にも、何か相談に乗れることがあれば、と心配されたりしたけれど、普段と変わらない俺と伊智花の様子に、そっとしておくのが一番という結論になったようだった。
もともと二人で出かけることなんて少なかったし、接点なんて、4人でいる以外にあまりなかったことを、改めて知る。
そんな中、伊智花の誕生日が近いことを思い出した奈那子が、4人で一緒にパーティでもしないかと声をかけてきた。
表向き、俺はまだ伊智花のことが好きだという設定なので、「伊智花の誕生日だけど、遼一も何かあげたいよね? でも、あげていいものかどうか悩んでそうだな、と思って。で、誘いに来た」と言われたことに、奈那子なりに気を使ってくれているのだと感じる。
(正直、伊智花の誕生日なんて忘れていたんだけど)
口が裂けても言えないなぁと思いながら、打ち合わせを兼ねて俺の部屋に来た奈那子が、入るなり、溜息をついた。
「伊智花も伊智花だけどさ、遼一も遼一だと思うよ」
「は?」
「そんなに伊智花のことが好きだったら、離さなきゃ良かったのに」
ぶつくさと文句を言う奈那子は、未練がましい、と言葉を続ける。
「あのマフラー、伊智花からのクリスマスプレゼントでしょ。で、こっちの鞄はバレンタイン? 使ってるペンケースも定期入れもマグカップも、ぜーんぶ伊智花からもらったものじゃない。……本当、振られた側なのに、よく使えるなぁと思ってみてたんだけど?」
(……気にしたことがなかった、と言っていいものだろうか)
伊智花からもらうものは、いつも普段使いがしやすいものばかりで、そろそろ買い替えようかと思うものばかりをくれるので、そのまま使っていただけのことだった。
けれど、周りから見ると、そんなに未練があるように見えるのだろうか。
「まぁ、遼一のことだから、自覚がないだけ、って可能性もあるんだけどさー」
どう答えようか逡巡している間に、奈那子は答えを見つけると、クッションに腰を下ろして、でも、と話を続けた。
「そのマグカップは伊智花も使ってたから、似た者同士なのかもしれないけど」
「? マグカップ?」
「そのマグカップ、お揃いでしょ? ほら、前におそろいのものとか持ってないって話をしたときに、なくしたり壊したりするのが嫌だって伊智花言ってたじゃない? その後で、伊智花と2人で遊んでたときに見つけたの。壊れにくいのでおススメ、って店員さんに言われて、マグカップならなくすこともないし、って。遼一も喜んでたって聞いたよ?」
(そういう話は事前にしてくれないと困る)
そう思いながら、マグカップをくれたときの伊智花の様子がおかしかったのはそのせいかと思い出していた。
『あのさ、マグカップとかって、使ったりする? ……良かったら、使ってほしいのがあるんだけど……あー、ペン立てにしてもいいから、使わない?』
伊智花にしては、歯切れの悪い喋り方をしていたので、逆に印象に残った会話。
家に余っていたと聞いたのと、特にもらって困るものではないからと、その時は普通に受け取ったのだった。
使ってみたら、意外としっくり落ち着くので、普通にマグカップとして愛用していたのだけど。
「いい物だから、2人とも普通に使ってるだけかもしれないけどさ。遼一はわかんないけど、伊智花は『使うたびに幸せになるマグカップ』って言ってたの聞いてるから。……遼一に言うと、気味悪がられるから内緒にしてくれ、って言われたんだけど」
あんなに幸せそうに笑ってた伊智花が、自分の勘違いだったってだけで遼一を振るなんて、おかしい。
そう言う奈那子に、何度繰り返しただろうかと思う気持ちを感じる。
(どうして、そこまで)
思い浮かぶのは、完璧な嘘を含んだ心底幸せそうな微笑み。
俺だって、おかしいと思ってる。
伊智花も、俺も。
何かが、違う。何かがわからないくらい、小さな違和感。
それに気が付いたのは、伊智花の誕生日のことだった。