9 訪問者
国の最西に位置し、森に半ば埋もれるような形をしているこの薬園は、昼間の穏やかさもさることながら、夜の静かさは他に類を見ない。
ここに勤める者たちも、交代で夕食を取り終わると、夜勤や草木の夜番を除き明日に向けて早々と就寝してしまう。
しかし今夜はその静寂を乱すものがあった。
薬園の門を守る衛兵が、だんだんと、しかも尋常ではない早さで近づいてくる足音に気付いた時、その足音の主が夜目にも騎馬だと目視できるほど間近にまで迫っていた。
門を蹴破りかねない勢いに、慌てて衛兵が門前に立ちふさがる。
「とっ、止まりなさい!止まれー!!」
叫ぶ衛兵の直前、ギリギリのところで乗り手に制止をかけられた馬の前足が高く上がり、ドカカッと荒い足音が辺りに響いた。
馬上の人物からは、目深にかぶった外套のフードの奥から穏やかならぬ眼差しが煌めいている。
「……急を要している。管理者にお取次ぎ願いたい」
「そのような連絡は受けていない!正規の手続きを経ていない者は薬園への立ち入りを禁じている!」
不審な訪問者に対する模範的な対応に、「ふむ」と一つ頷いた馬上の人物はひらりと馬から降り、フードを下ろして顔を見せると、更に外套を翻した。
「王都警備西部団長、グレアス・ディンドだ。薬園の事情は理解しているが、私としても譲れない用件で来ている。管理者テッサと面会したい」
言いながら王都警備部の隊服と団長職の腕章を見せられて、衛兵が一旦引き下がる。
「確認します。申し訳ありませんが規則ですので、管理者の許可が得られるまで今しばらくこの場でお待ち下さい」
「構わない。よろしく頼む」
「待つ必要はないわ、グレアス」
門の内側に設けられている物見台の上から、面白がるような声と共にテッサが顔を出した。
「直に会うのは久しぶりね。まさかとは思ったけど、こんな夜中に来るなんて常識を疑いますよ」
「その様子では事情はご存じのはず。中へ入れていただけませんか?」
「知ってるけど、ダメー」
まるで子供のようにダメ出しをされ、グレアスが固まる。
「私の目が黒いうちは私情で規則を曲げる事は許しません。家の方へ知らせておきましたから、今日はそちらで休んで出直していらっしゃい」
ぴっぴっ、と追いやるように手を振る管理者に衛兵があんぐりと口を開けている。その横でグレアスが無表情のまま喰い下がった。
「何もしませんから」
「信用できないからダメー。はじめの挨拶もなってなかったからダメー」
「うっ」
どうやら完全にご機嫌を損ねてしまったらしい。それに気付き、グレアスが溜息をつく。
「それは……失礼しました。明日なら薬園に入れていただけると、お約束下さい」
「はいはい、明日ね!ただし、その寝ぐせは直して来ること。身嗜みは大事ですからね」
無言で自分の後ろ頭を撫でたグレアスは一瞬息を詰め、嘆息したようだった。
では明日、と一礼して、王都から馬を飛ばしてやってきたにもかかわらず疲れを感じさせず身軽に騎乗し去っていくグレアス。
それを見送って「…ふ…うふふふ!明日が楽しみだわ」と言い、時折挙動不審になりながら宿舎へ戻っていくテッサ。
そこまで楽しみなら今入れてあげても良いのではないか、と衛兵は思った。
思ったのでつい、明日は楽しくなりそうだ!と仲間に話した。
そうしたら朝には薬園中に話が広まっていた。
◆・◆・◆・◆
レイメに寝床を半分占領されつつ、フェイリーンはすがすがしい朝を迎えた。
正直これ以上レイメに懐かれるのは困るのだが、レイメが全く引かない。それどころがどしどし押してくる。
それに押し負けて、他の人に見られないうちはいいか、とレイメに埋もれるようにして眠ったら、何故かものすごい安眠効果が得られたのだ。
『おはよう』
『おはよう、可愛い人。今日も一緒、嬉しい』
すりすり。
『分かった、分かったから』
本人は可愛くすりすりしているつもりかもしれないが、現実にはレイメのおでこで押し倒されるフェイリーンがいる。
(この攻撃に勝てる人はいるんだろうか。いや、いない)
そう自問自答した彼女は、朝食をスルーして昼食の手伝いをすべく、宿舎の隣にある食堂へと向かった。
その後ろを悠々とレイメがついてゆく。
「やぁ、おはようフェイリーン」
「おはようございます」
「今日は大変だな。頑張るんだよ」
「……きょう「は」?」
食堂の入口手前で交わされた挨拶に、いささかおかしな角度の激励が混じった。
その後も「楽しみね」とか「応援してるからな!」といった声がかけられ、いよいよ彼女の不安が募った時、その元凶は現れた。