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6 出会い


(今日は泉のほとりで日記でも書こう)


そう決めて、更に暇に飽きたらと、仕上げ途中の縫物を入れた籠を手にしてフェイリーンが向かったのは、森の少し奥にある、薬園で暮らす者の生活から植物たちの水やりまで広く活用されている大きな泉。


湖と呼ぶには小さく、しかしながら絶え間なく湧き出る水はそのまま飲めるほど澄んでおり、水量が豊かで流れゆく水音が心地よい。


しばらく日記をつけ、余白に周囲に生えている草花をスケッチしたりして過ごす。


なんとなく縫物には気持ちが向かず、ぼんやりとはしてみたものの―――頭の中では薬園で明日しなければならないことと、漠然とした不安がぐるぐるとまわり、いつしか不安の方が勝ってフェイリーンは長い溜息をついた。


(……慣れはしたけど…ここの事しか知らないなぁ)


フェイリーンはここではない世界にいたころから、何かあったら「流れに身を任せてみる」という事が多かった。

そうすることで今までの考えでは見えなかったものが見えたり、思わぬ出会いがあったりして、後から考えれば自分にとってはこれで良かったのだと思える事の方が多いからだ。


現状、色々とび越えたあげくかなり強引に流されてここにいる気もしなくはないが、薬園の仕事は、思いのほか自分に合っている。

植物の世話をし、薬となるそれらの事を学びこちらの言葉と共に覚えるのは、どうやって生きていけばいいか分からない自分にとって拠り所だとも思う。


(「なぜ」や「どうして」をここに来てしまった理由にぶつけても答えは出ないし)


そればかり口にしてはこちらの人々と人間関係を気付く事が出来ないため、敢えて口にしないようにしている。


以前の便利な生活が恋しくないとは言えない。

こちらの世界は何をするにも手がかかる。面白くもあれば面倒くさくもあり――それを周りは向き不向きと言って笑うのだが―― 生活と仕事に没頭すると、あっという間に1日が終わる。


(今日の夕食は何だろうなぁ…)


取りとめのない思考の果てに不安から現実の生活へと意識が向いた。猫背になっていた背を意識的に伸ばして深呼吸する。


ちゃぷん、という水音に何か生き物がいるのかと泉を覗き込むと、そこに揺らめく自分の姿に、重なるような影があった。

「!?」

影が異常に大きい。何故か体が硬直して振り返れない。

ぎ、ぎぎ…と壊れたゼンマイのようにぎこちなく身体を動かすと、肩に重みと柔らかさが加わった。

体中に響くような低い唸り声。


―― べろーり


3度ほど生温かいものに頬を擦られ、恐怖やら緊張やらがピークに達した。


どん、と重く小突かれて思わず「ひぃっ!」と小さく悲鳴を上げてしまい、身体の震えが大きくなる。ぎゅうっと身を固くしていると更に小突かれて草むらに転がされてしまう。


思わず目を開けた先には肉食獣の牙が並んでいた。


(やばいやばいやばい――!!)


肩を押さえている前足の重みが半端じゃない。

大型の肉食獣は滅多に出ないと聞いていたのに、などと考えているうちに顔が近づいてくる。

(ひぃぃぃぃ!!)


どん、ごりごりっ、ぐいぐいぐい。

『だっ!うぐ、ちょ…いたたたたっ』

べろんべろん。

『わぁあ!ちょとやめっ』


主に胸から顎のあたりをグリグリ押され、頬を舐められている、らしい。

あまりの強烈さに声を上げると、彼女にのしかかっていた獣が少し身を引いて乗せていた前足を地面へと降ろす。


『…好き』


なんだって?


予想もしない言葉に思わず身を起こすと、自分の腰から下にどっしりと伏して圧し掛かる獣が上目遣いでこちらを見つめている。


緑に煌めく虹彩。それが縦に切れている瞳と目が合ってしまって更に心拍数が上がった。心臓が痛い気さえしてくる。

獣はグルグルと唸りを上げたまま動かない。

どうもさっきの一言はこの獣から聞こえたような気がするのだが、気のせいだろうか。


自分の浅い呼吸を何とか落ち着かせようと、安心要素を探すべく相手をもっと観察してみる。


大きな猫のような姿。

青みがかった濃い灰色の被毛は、四肢の先や耳の内側の毛だけが白くなっている。

毛足が長く全体の印象はもこもこしていて、太く長い尻尾がまっすぐ立ってちょっと震えていた。


しかし「猫」と言うには大きさに限度がある。

牛くらいあるのではなかろうか。

(これは…なんというか…虎とか豹とかの類…?)

全く安心できない。

姿かたちはユキヒョウに似ているかもしれない、と思い至った所でまた獣が喋り出した。


『愛らしい、好き、好き』

「…えええええ?」


言っていることが分かるという事は、これはレイメなのだろうか。

それにしてはものすごく大きいし、第一向こうから触って来るのが解せない。


『小さくて可愛い、良い匂い、食べてしまいたい』

『食べるのは困る!』


思わず突っ込むと、グルグルという重低音が増した。発信源から察するに、どうやら喉を鳴らしている音らしい。

『可愛いつがい、私の声は届く?』

『…ええと、はい。分かります。あの、よかったらどいてもらえませんか?』

『それはダメ、離れられない。一緒がいい愛しいひと』


熱烈すぎるどうしよう。


というかレイメというものは、どうしてこちらの話を聞いてくれないのだろう。

いや、聞いたうえで断られているのだが。


多少どころか大分混乱しているものの、とりあえず今すぐ捕食される雰囲気ではないようなので、じっと見つめてみる。

途端にきゅるんと期待に満ちた目で見つめ返された。


(う…っ)


この目を知っている。猫がおもちゃで遊んでほしい時なんかに「おねだり」をする目だ。

お腹にゴリゴリ押しつけられる獣の頭。


『お願い、触って』

(うううっ)


後ろ手についていた片手を前へ伸ばすと、その手を迎えるように獣が頭を押しつけてくる。

密に生えている毛並みは思ったよりも柔らかい。


『もっと』


その一言にガラガラと恐怖心が崩れ去り、代わりにこれまでの欲求不満が彼女を支配した。


『~~~~撫でます!撫でさせて!我慢できない!!』

耳を両手でつかみフニフニと撫でさすると獣がうっとりと眼を閉じる。それに気を良くして眉間や頬の毛を指で梳き、喉元を両手で大きくわしゃわしゃとまさぐると、獣は身を乗り出してフェイリーンの顎に頬をすりよせた。

『ああ…なんて気持ちいい…』

恍惚としたような声に、フェイリーンも思わず笑った。

『あの、触らせてくれてありがとう』


何だか獣が可愛くなってしまった彼女は、その毛並みに唇で触れてみた。

頬で触れても優しい感触のそれは唇にも同様で、耳の毛はふわふわ、額から鼻にかけてはすべすべしている。

その額に口をつけて息を吹き込むと、獣がぶるりと身を震わせて、尻尾をピクピク小刻みに揺らした。

(可愛い)

ちょん、と鼻をつき合わせると、獣がべろりと口元を舐める。


『可愛い人、あと少し待ってて、迎えが来るから』

『うぷ、ちょ、何?』

『ああ、やっぱり甘い、好き、大好き』

『待って、うわっぷ…わぁぁダメダメ破けるから』


服の上から甘噛みしてくる獣の顔を何とか押しのけると、「んもうイケズ」とでも言いたげな顔で獣がごろりと腹をみせて転がり前足でじゃれついてくる。

『…あれ?こんな目の色だったっけ?』

キラキラとこちらを見上げてくる瞳は氷のような淡い水色。

不思議そうに覗きこむフェイリーンを、ぐねぐね転がってきた獣が押し倒す。

『いてっ』


「わあああ!!フェイリーン大丈夫かい!?」


突然響き渡った悲鳴交じりの声にフェイリーンも獣も飛び起きた。

「怪我は!?」と青ざめながらもこちらに近づけないでいるのはマァチだった。

さっ!と懐から呼子笛を取りだすのを見てあわあわとフェイリーンが手を上げる。


「マァチさん!レイメです!」

「そうかい、レイ――― なんだって?」

「はい!多分レイメだからだいじょうぶです!」


マァチが固まった。

そのままゆっくりと大きく息を吸って吐き出されたのは、


「だからいざって時に困るって言ったろう―――!!!」


先程の悲鳴が可愛く思えるほどの怒声であった。



やっとモフモフ出てきました。

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