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13 ソース



「フェイリーン、これは何だね?」

ある日の昼過ぎ、モヴェナが持ってきたのはフェイリーンの日記だ。


彼は彼女が書いた異界の文字の解読を独自で試みているらしく、時折こうして助けを求めてくる。

「趣味なのだよ」と笑っているが、それでも半月ほどの間にいくつかの文節を読み解いているというのだから凄い。

指を差された文字にフェイリーンが「マヨネーズ、です」と答えると、賢者が首をくるりと傾げた。


「調味料というか、ソースの一種と言うか、見た目はクリームに似ていますが甘くなく、酸味があります」

「これは?」

「サルサ、です。こちらもソースの一種で、辛くて酸っぱくて刻んだ野菜がたくさん入っています」

「ふむ、こちらの食材で作れたのかい?」

「マヨネーズは失敗してしまいました。サルサソースは成功で、ネルモカ鳥の漬け汁に似てると言われました」


ネルモカは家庭でも飼われていることの多い鳥の名前である。

卵が大きく濃厚な味が人気だが肉には少し独特のくさみがあり、酢と香辛料で漬け込んだものを皮がカリカリになるまで焼くという調理法が一般的ある。

この料理を少し甘辛くしてマヨネーズをつけて食べてみたい、とフェイリーンは思っていた。


「よし、ではこのマヨネーズとやらの試作を頼んでみよう」

「はい?」

「材料は?これは油、こちらが塩かな?食べ物は何が合う?」

「生野菜でも、茹でた卵やテジャの実も美味いと思いますけど……」

「よし、調理場にある物ばかりだ。訊いてこよう」

教えられた材料を喜々としてメモし、いそいそと部屋を出ていくモヴェナ。


「……モヴェナ様は」

『食べる事が好きなのだ。自分では壊滅的に作れないから、その反動だろう』

確かにここ数日一緒に昼食を摂らせてもらっているが、モヴェナの食事量は老人にしては多い。

そう思い当ったフェイリーンは「あんなに痩せてるのに」と納得がいかなそうな声で呟きつつを賢者を見た。


『女性はふくよかなくらいが良いだろう』

「部位によると思います。胸肉ならいいですけれど」

『自分を肉に例えるのはやめたまえ。美味しく食べてくれる相手がいるなら別だが』


――――― ぞくぅー……

寒気がしたフェイリーンはすぐさま口を噤んだ。


マヨネーズは、彼女の日記の中で時折出てくる単語である。

モヴェナが開いているのはその2度目にソース作りに失敗した日のページで、その一年ほど前にも試作を行った様子が書いてあるとみられる日があった。

失敗で食材を無駄にしたことに遠慮してか、試作はかなり間隔をあけて行われている。

この日は箇条書きで材料と手順が書き記されており、そこにかかるように三角形が。「サルサ」という部分の端にはくるくると円が書かれていた。


「これは?」

問いかけながらそれを指し示すと、フェイリーンは少し目を瞠って「花丸ですね」と呟いた。

「ハナマル?」

「良く出来た、と褒めているしるしです。こんなの書いていたんですね……」

自分でも驚いているらしく、まじまじと日記を覗き込むフェイリーン。

「褒める意匠とは珍しい」

最上級では茎と葉がついて一本の花になるのだと伝えると、モヴェナは目を輝かせた。


日記を読み込む師の横で、同じように覗き込む男性にフェイリーンは腰が引けていた。

調理場から帰ってきたモヴェナに付いてきた料理人。

どうやらモヴェナと懇意らしく、何故か彼に言われてマヨネーズの材料と失敗した手順を清書させられている。

「文字も上手になるだろう」

言外に「まだ下手」と言われたような気がして、慎重に清書するフェイリーン。

賢者は文字まで堪能なのか、監督を行っている。


ようやくできたメモを見て、「ふむ」と腕を組み沈黙することしばし。

今日は文字の練習をしようと書き取りを進めていたフェイリーンに賢者は容赦なく突っ込みを入れて、さらに飾り文字まで教えようとしている。

モヴェナがやんわりと止めたところで料理人がメモから目を離さずに、トントンとテーブルを指でたたいた。


「おそらくは油の種類、あとは材料の入れる順番、手際、これが上手く噛み合えば君の思うマヨネーズとやらになるだろう」

ちょっと待ってるように、と言って彼は部屋を出て行ってしまった。


彼女があっけにとられている間に、モヴェナはテーブルの上を片付ける。

あれよあれよという間に茶を入れられ、とりあえずそれを飲んで休憩していると、料理人が戻ってきて「卵白は?」と訊いてきた。

「入れるやり方もあるかもしれませんが分かりません。私はそのまま焼いてパンに挟む具にしたり、お菓子に使ったりしていました」

ふむ、と頷いて彼はまた姿を消した。

それと入れ違いに、使用人たちが卵や野菜を乗せた皿を持って入ってきてテーブルに並べてゆく。


ほくほく顔のモヴェナと、付いていけないフェイリーン。

そんな二人の前におかれた陶器の深皿の中には、ぽってりとした黄色味がかったクリーム状のソース。

そして「どうだ」と言わんばかりの料理人の顔があるのだった。



「もう、凄いんですよ。やはり職人というのは流石です。私が記憶しているものと同じものでした!サルサもあっという間に再現してくれたんです!」

「なるほど、私の知らないところでそんなに楽しいことが」

いつになく上機嫌でしゃべり続けていたフェイリーンは、向かい側の反応にようやく我に返った。

現在は夕食も終わり、お茶を飲んであとは各自寝る準備をしようかというところである。


「フェイリーン」

ふ、と空気がおかしな止まり方をした。


――――― ふわり。


「……」

「明日は夜勤なんです。午後、差し入れに軽食を隊舎へ届けてくれませんか?その、マヨネーズとやらを使ったものを」

一瞬、目の前の人に何が起きたのかわからなったフェイリーンは激しく瞬きを繰り返した。

何だか寒いような気がして、温かいお茶を一口飲んでみる。

そして。


(……いま、笑った?)


かつて、彼は不機嫌そうに眉間に皺を刻むくらいしか表情の変化を見せたことはない。

垣間見られたそれはすでに余韻すらなく、真顔のグレアスにますます困惑が深まるフェイリーン。


「明日はお休みでしたよね?」

「は、い」

「いいですよね?」

「え?」


――――― にこり。


「いいです、ね?」

「届け、ま、す」

「楽しみです」


彼の背後で床に伏せているレイメが、こちらをじっとりと見つめながら、長く太い尾をビシッバシッと床に打ち付けているのを見て、フェイリーンは確信した。

(笑ったのに、怒ってる……!)



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