11 お怒り
空に残っていた青の陽も暮れ、あたりは薄闇が降りつつある。
篝火の代わりに燃やされている赤陽石の光が辺りを穏やかに照らす中、親密な様子で寄り添った男女とレイメの姿は、恋物語の一幕のようでさえあった、のだが。
ふと、グレアスが顔を上げた。
「あ、母上、お疲れ様でした」
「――――― 台無しだわ。しかも貴方、扱いの差が大きすぎると思うの」
テッサの目が半分据わっている。
「フェイリーンを助けて下さり感謝しています」
「まったくもう!ええ、フェイリーンは頑張ったわ。薬園での訓練を真面目にしていたのが良かったのね」
「さすが私の可愛い人」
レイメに手を甘噛みされてもなすがままのフェイリーンは、どうやら反論する気力も残っていないらしい。
傍目にも色々を使い果たしてしまったとみえるフェイリーンの様子に、今日のところは工房への紹介を見送ることにして、グレアスと共に帰るようテッサも同意する。
「グレアス、馬車をお願いしても良いかしら?中身はほとんどフェイリーンの荷物なの。そして誰か私をダイオの工房のところまで送ってくれないかしら。私も今日は疲れてしまったわ」
その言葉に、呆然とグレアスを見ていたシューケが我に返って手を上げる。
「俺でよければ」
「あら、何か訊きたそうな顔ねぇ」
「実際見るまでは信じられませんでしたよ。いやーホント、希望を捨てちゃいけませんね」
グレアスとシューケは、部隊に正式配属される前の訓練兵時代から付き合いがある。
入隊後、グレアスは仕事一筋に最年少記録に迫る勢いで王都警備西部隊長まで駆け上がったため、将来有望株として未婚の女性から常に秋波を送られてきた。
しかし、浮いた話はひとつも聞いたことがない。
それどころか連戦連敗していく女性たちに、部隊内で「彼は女嫌いを通り越して不能なのでは」という噂さえ流れたほどだ。
彼のレイメも普段はどこかへ雲隠れしており、お目にかかることができれば運気が上昇するとまで言われていたのだが――――― 。
「あのグレアスがねぇ」
ここ数カ月、話には聞いていたが想像を上回る彼の様子に、しばらく退屈しない、とシューケはひとり頷いている。
「さて、フェイリーン」
やっとグレアスから離れた彼女はテッサに呼ばれて振り返る。
「貴女の動きは素晴らしかったわ。でも、これが普通だと思って油断しちゃダメよ。反撃の道具は少なかったし、相手がもっと賢く、あるいは暴力的だったら、私たちは別の手段を選んでいたでしょう」
それは、薬園という特殊な場所に従事する者の心得の1つだ。フェイリーンも、言葉が多少分かるようになってすぐ、教え込まれている。
「もうこんな事が無いように、グレアスにしーっかり働いてもらうようにせっつくのよ?」
「う……はい」
ようやく笑顔を見せたフェイリーンにテッサも表情を緩める。
「また近いうちに顔を出すわ。元気でね」
「ありがとうございます。テッサさんもお元気で」
それぞれ別れを告げた後、何故か馬車にどうやって座るかで揉めている二人。
それをよそに自分の馬にテッサを乗せ、その手綱を引いて歩き出すシューケだったが、背後で交わされている痴話喧嘩に吹き出した。
自分の膝を主張するグレアスの意見を断固として受け入れなかったフェイリーンが、痺れを切らして1人で馬車を動かそうとして、番兵まで止めに入っている。
ちょっとした騒ぎに発展しそうな気配につい振り向きかけたシューケの目が、とある人物を見つけて剣呑な光を帯びた。
隊服を着たその人物は、目の前の光景に茫然自失といった様子で立ち尽くしている。
「ベルーノ!」
名を呼ばれて、華奢な身体が大きく跳ねた。
慌てて振り返るのはまだ若い女の隊員で、普段隊舎で内勤をしている彼女がこの時間こんな所にいるのはおかしな話だ。
「―――― 副隊長っ、あ、お、お疲れ様です」
「おう。お前3日謹慎、2ヶ月外周に移動でその間減俸な」
「外周!?」
「身に覚えあるだろ」
一気に挙動不審になったにも関わらず白状しない彼女に、苛々した様子の舌打ちがシューケの口から洩れた。
「賢者の連絡を止める事は厳罰ものの違反行為だ。分かってんのか?まぁお前も見てたろうが、グレアスはとっくに他から聞いてあそこにいるし、今日の担当で連絡が止まってた事も知ってる」
「―――― っ」
ぎくり、とベルーノが身を強張らせるのを見てシューケの目が更に眇められる。
「何故とは聞かない。大体お前の考えそうなことは分かってるからな。ただ、実行に移したのは浅はか過ぎる」
実際、森の異常をレイメ経由で知らされたとして、賢者がモヴェナに伝えて早馬が手配されたとしても、事の解決までにグレアスが現場に駆けつけることはできなかったであろう。
それでも彼は、一刻も早く二人のもとへ向かいたかっただろうし、それを察しての賢者からの連絡だったはずだ。
そもそも賢者はこの国の、特にレイメの協力を得て国の守りに貢献している点において、各警備部隊とは切っても切れない関係がある。
賢者の連絡は一見してそれと分かる書面でもって届けられ、部隊内では最優先すべき事項とされていた。
実母と最愛の女性。
無事だったから良かったようなものの、どちらかでも傷を負おうものなら部隊全体が責任を取らされていたかもしれない。
いずれにしろ今回の件でグレアスは相当お怒りだ。
しかし、お怒りなのは隊長だけではなかった。
「この方、警備に不向きじゃないかしら」
するりと入ってきた馬上からの柔らかな声にシューケが溜息をつく。
「あー、お聞き苦しくて大変申し訳ありません、管理者殿」
「私は今回、一応当事者に当てはまるから口を挟む権利があると思うの」
「後で責任もって聞きますから、抑えてもらえませんか」
管理者と聞いて何に思い当ったのか、ベルーノの身体が震えだした。
「とりあえず、これ以上ここで話してもらちがあかねぇから帰れ。反省出来たら謹慎明けに外周の詰所まで来い」
「ふ、副隊長!あの、せめて謝罪をさせてください!私は、」
「いい加減にしろ!これまでは黙ってたが、嫉妬だ色恋沙汰だで仕事ひっかきまわすんだったら辞めろ!」
大きくなった声に、通りがかった人たちの何人かが振り返る。
「お前は警備の仕事を何だと思ってんだ!信用ぶっ壊す気か!!」
自らがしでかしたことをがようやく理解できたのか、彼女は焦りで赤らめていた顔色を蒼白に変え、唇を戦慄かせ踵を返して走っていった。
「何かしらアレ。失礼しますの一言も無いの?もうちょっと骨のあるとこ見せてくれないと。あ、もう抑えなくていいかしら」
「……どうぞ」
すでに話し出してると思う、とは内心だけで突っ込みつつ、本当は全く聞きたくないのだが、ひとまず馬を歩かせつつシューケは先を促した。
「貴方とグレアスは監督不行き届きに該当するかしら?」
「大変耳が痛いです」
彼女がグレアスに好意を寄せているのは周知の事実であったが、グレアス本人は眼中になく、特別な対処をしていなかった。
まさかこんな違反まで犯すとは思わず半分放置していたのは自分も同じなので、シューケは耳どころか頭全体が痛い思いをしている。
「謝罪だなんて言いながら、私情以外のどんな言い訳をするつもりでいたのかしら。他の任務に手いっぱいだったとか?そんな人に賢者が連絡するかしら。今日の担当ならグレアスに堂々と会える絶好の機会だったのに、馬鹿な事をしたものね」
「いや、ほんと申し訳ないです。あれも入隊するまでグレアス目当てなのを隠してたクチで、うーん、仕事は一応真面目にやってたんだがなぁ」
最後は独り言のようにぼやいたシューケに、馬上から冷たい一瞥が突き刺さる。
「次に彼女が私の視界に入ったとき性根を入れ替えていなかったら、貴方だってただではおかないわよ?」
「……肝に銘じます。臨床実験だけは勘弁してください」
この人を敵に回すのだけは避けたい。
ベルーノが辞めずに詰所へ顔を出したあかつきには一からしごき直そう、そうシューケは心に決めた。




