9 目には目を
せわしない羽ばたきの音とともに発せられた声に、フェイリーンの肩がビクリと揺れる。
『後ろから追いはぎだ、近づいてる!』
そう言い残して、ほっそりとした鳥の姿をしたレイメは一直線に王都へ向かって飛んでゆく。
「テッサさん、今すぐ馬車を出して下さい」
「どうしたの?」
「レイメが追いはぎだって」
「!」
一瞬背後を振り返り、「ここじゃまずいわね」と呟いて馬に鞭を振るうと全速力で荷馬車を走らせるテッサ。
道はすでに平坦になっていて坂道より危険は少ないが、それでも酷く揺れる。
「呼び子持ってる?」
「―――― すみません!荷物にしまったままです!」
「大丈夫、私が持ってるわ。森から出たら馬をお願い。やり方は分かるわね?」
「はい、私の準備が間に合わなくても始めて下さい!」
「風上にいるのよ」
しばらくして、道の向うが拓けてくるのが見える。
しかし。
「テッサさん!!」
「くっ!」
森から出ようとする少し手前でフェイリーンが手綱を引き、テッサが前に放り出されそうになる。
目の前には倒木が転がっていた。このまま通れば馬車は横転してしまっただろう。
森の奥から声とともに人影が近づいてくる。向こうは馬を使っていないようで、少し時間を稼ぐ事が出来たらしい。
「いたぞっ」「馬車が生きてら!ついてるぜ」「捕まえろ!」などと、どう聞いても友好的ではない声も聞こえてきている。
テッサが座席の左右に取り付けられていた飾り石を銀の棒で叩き、背もたれをいじって箱状になっている部分を開けた。
そこから取り出した外套を素早く頭からはおり、口当てを鼻まで引き上げると、外套につけられた十字の穴から手を出す。
その手は皮手袋におおわれていた。
フェイリーンは突然止められて困惑気味の馬をなだめつつ、その背に取りつけられている鞍の紐を引っ張ると、鞍に巻かれていた布を広げる。
「いい子にしてて」
馬が隠れる程のそれをざっと馬にかぶせかけ、もう一度座席に上がりテッサ同様に外套を着こむと隣から数珠状に繋がった大きめの木の実が渡された。
「森の中は嫌だけれどもやるわよ。投げるの初めて?」
「的当ての練習だけ」
「遠慮せずどんどんいきなさい。まったく、薬園専用の馬車を借りれば良かったわ」
「空いてなかったのは、仕方ありません」
冷静に返すフェイリーンだが、経験がない分動揺があるようで少し声が震えている。
それの背をぽんぽんとテッサが叩き、首に下げていた呼び子を口にくわえた。
薬園専用の馬車は荷台や馬の背にかけた織物に、それと分かる紋が描いてある。
そして、野盗や追いはぎといった目先の事しか考えない類の輩でも、少し情報収集力がある者ならレイメルディアの薬園馬車は諦めることがほとんどだ。
組織立っている犯罪者集団も、割の合わなさに手を引く。
なぜなら品物を守るための警護が付いているし、酷い反撃に遭うからだ。
その反撃の名は―――――「人体実験」。
甲高い呼び子の音が森に響き、その音の長さからあることを知らせる。
発信者に危険が迫っていること、そして、巻き込まれないよう「注意」を。
呼び子に慌てた様子で近づいてきたのは痩せぎすの男だった。
この時点で事の不味さに気付いてないあたり、素人集団が普通の馬車と思って追いかけてきたのであろう。
体格に不釣り合いな大剣を抜いており、見せびらかすようにして威嚇している。
「それ以上近づいたら馬車に火をつけるわよ!」
「うるせぇ!大人しくそこから下りろ!引きずりおろされてぇのか!?」
恫喝を鼻で笑い飛ばしたテッサが小さな緑陽石を取り出し銀の棒で軽く突くと、石の反対側から弱い風が吹き出した。
その横でフェイリーンはブチブチッと木の実をまとめてもぎ、その男に向かって投げつける。
「ん?なんだ、お前ら―――― ぐわぁ!!」
男の肩に当たった木の実が勢いよく弾けて、辺りに赤色の粉を撒き散らした。
目が、と喚き散らす男が次第に静かになって倒れる。
倒れた仲間と、馬車にいる外套を纏った人物を見比べた追いはぎたちが顔を引きつらせて立ち止まった。
「げぇ!お前達薬園の女か!」
「ぶうぇっ、げほっ」
「この水痛ぇ!?」
次々と投げつけられる木の実は時折木にはじかれるがその度に破裂する。
地に落ちたものも僅かな時間をおいてまるで火にくべたように爆ぜ、毒々しい色の粉や液体を撒き散らし、馬車を避けながら辺りを霧のように覆っていく。
得体の知れない毒物に追いはぎたちがパニックを起こしているところに、テッサが緑陽石で更に風を起こすと断末魔のような叫びがそこかしこで上がった。
「ふむ、定番の南部製催涙弾、痺れのおまけつき。ペッツの実に詰めたのは大正解ね」
「液体はちょっとダメかも……拡散し過ぎて命中率はともかく量がかかりません」
「でも前の内臓袋に油紙よりは持ち運びしやすいと思うわ。加工に時間がかかるのが難点ね」
彼女達が外套で完全防備しているのは、なるべく粉末や液体を浴びないようにするためであった。
―――――ドスッ
鈍い音のした方を見ると、荷馬車の幌に矢が刺さっていた。
「危なっ!」
矢の飛んできた方向では、男がフラフラになりながら遠ざかって行く。遠くで待機していたのか、あまり粉末を浴びずに意識を保っているらしい。
「うわ、どうしましょう。全部投げちゃいました」
「逃げてるし大丈夫じゃないかしら。それに多分もうそろそろ来るはずなのよ」
何が、と問おうとしたフェイリーンの耳に複数の蹄が地を蹴る音が聞こえてきた。




