11 見守られて
「シュウチプレイ?何ですか?」
「いえ、忘れて下さい」
どうもこの人と喋っていると口の滑りが良くなって困る。
知られたら後々怖い事になる、とフェイリーンは目を合わせないようにして周囲を見回した。
「もう!皆さんおかしいですよ!こういうときは、見ないふりして仕事とか、席をはずすとか!!」
「いやいや見るでしょう」
「見るよなぁ」
「フェイリーン、あなたは馴染みがないかもしれないけど、こういうときは皆で見守るものなのよ」
「そうだよ!あたし達がこの行く末の証人だよっ!どーんとおやりっ」
「ええー!!?」
見る見る、と頷きあう観衆にフェイリーンが頭を抱えて仰け反る。
レイメルディアの人間は、結婚の申し込みやケンカ等があると、その場に居合わせた者が見守り、結果によっては一緒に幸せを分かち合い、悲しみを慰め―――とにかく結果を見るまでは帰らない、そういう性分なのだ。
見られる方も特にギャラリーを気にしないので、「何見てんだ!」という事になる事もない。
人によっては、「これから告白しに行ってくるから皆よろしく!」と宣言して勇んでいくこともあるほどだ。
そもそもこれは、レイメルディア初代国王が、当時建国して間もない国中を、東へ行っては話を聞き、西へ行っては揉め事を収め……と、臣下も巻き込んで東奔西走することに民は非常に関心が高く、行く先々で見物していたことから由来すると言われている。
野次馬とも言う。
「えええ…いや、でも、二人で話し合うとか、色々」
「それは暗に誘っているんですか?」
何とか人目を散らそうとした彼女の言葉にグレアスが喰いつく。
「違います」
「二人っきりになったら色々遠慮しませんよ?」
「これ以上はどうかとおもいます!」
「グレアス団長!押し過ぎですよ、抑えて抑えて」
ここにきてレイメルディア流の応援が入った。
「フェイリーン、何が嫌なの?旦那様の顔?顔なの?」
どうにも話が進まないと外野が声をかけるのも良くある光景の1つである。
「先程も私の姿がどうとか言っていましたが…」
「顔の話じゃありません」
「じゃあご職業?」
「お給料?」「身長?」「寝ぐせ?」
「そうです!」
「「「ええっ!?」」」
「だから寝ぐせは直していらっしゃいと言ったのに!」
そう、何故か――― グレアスの後頭部には、見事な寝癖があった。
頭頂部から右上の部分が「うねっ」と山をつくり、左側には器用にも何束かに分かれて捻じれがあり、襟足が見事に逆立っている。
「昨日も思ったけど、あなた髪質変わったの?昔はそんなじゃなかったわ」
「……部下のイタズラです」
彼は半年レイメと同化していたというが精神だけで、身体自体は冬眠状態にあったという。
その間見舞いに来た者の誰かが後頭部の髪にイタズラをし、ずっと枕にプレスされたままだったのでしっかりくっきり形がついてしまったのだ。
「犯人は分かっています。私が復帰と説明のために隊舎へ向かった際、挨拶もせず一目散に逃げた部下がおりましたから」
すぅ…とグレアスが目を細める。
「これが原因で貴女を得られないのなら………奴には死んで詫びてもらわねば」
「てっ、訂正します。寝ぐせは関係ありません。すみません、ちょっと投げやりな気分に」
気分で誰かが殺されたのではたまらない、とばかりにフェイリーンは額に手を当て、ぐったりと俯いた。
「ではなんでしょう?何でも言って下さい。私には貴女のどんな要求にも応える用意が」
「違います!そうではなく、わたしはあなたの職業も、何歳かも、どんな人かも知りません!」
叫びながら、掴まれていた体を無理矢理ひねって拘束を解いたフェイリーンは拳を握ったまま一歩下がる。
「知らないのは、怖いんです!この国に来て、何にも分からなくて!やっと慣れてきたのに、これ以上何も知らずに新しい事をするのは怖いです!」
「フェイリーン…」
「ここを離れるのも、やです…」
それは彼女の本心だった。
ここまで流されるようにやってきたフェイリーンだったが、言葉にしても生活にしても、ひとつひとつ答え合わせを繰り返し、正解だと確信できるまで不安で、それが周りに沢山あって怖かったのも事実だ。
更に新しい人間関係が増え、その上結婚などというのは、今の彼女には到底受け入れられなかったのだ。
「申し訳ありませんでした、フェイリーン。貴女の心情を慮らず私の気持ちだけを押しつけてしまって」
ゆっくりと片膝をついたグレアスがフェイリーンの左手を取り、そっと包み込む。
「確かに、お互いに情報の共有は必要でしょう。貴女は何か事情があるようですし…ですが、これだけは覚えておいてください」
「はい?」
「貴女を逃がしはしません」
ぞくー、とフェイリーンの背を悪寒が走る。
「言い方を間違えました。たとえどんなことであっても、私は貴女を受け入れます」
間違い方が怖い、とギャラリー側から呟きが漏れた。
「……ほんと、ですか?」
そうっと見つめる先に、嘘のない眼差しがあった。
「ええ、安心して下さい」
「…安心…できたような、出来ないような…?」
「とりあえず、私と結婚を前提にお付き合いしてみませんか?」
「う、前提が…ちょっと、目が、あの、怖いのですが」
「私もあなたの事が知りたいです。その機会を与えていただきたいと思うのはいけませんか」
「……いけなくは、ないです」
ギャラリーは今、フェイリーンの心の天秤が丸めこまれる方向にぐらりと揺らいだのが見えた。
見えたが黙っているのがレイメルディアの人間である。
更に、フェイリーンがこの薬園を頼ってくれるのはうれしいが、彼女に幸せになってほしいと思っており、ここに運命の相手として現れたグレアスは申し分のない人物だったので尚更だった。
これが成らず者であったのなら文句も言おう。
しかし王都警備隊と言えば国民からの信頼も厚く、その団長は言うまでもない。加えて容姿良しで愛情が――― 濃すぎるような気はするが、嫁に出すのに不足はない。
しかし、確認しておかなければならない問題があった。
「残念だけどねフェイリーン、婚約が決まった女性はこの薬園で働くことが出来ないの」
「―――え!?」
「ここには妊娠前の女性や妊婦、乳幼児に注意が必要な薬草があるでしょう。過去の痛ましい事故を教訓に、万が一をなくすためそういう規則になっているの」
「あ…そうなんですか…」
テッサの言葉に、みるみるうちに「しょぼん」となってしまったフェイリーン。
「じゃぁ…婚約はしません」
「「「フェイリーン!!」」」
心持ち下がった肩を、がしっと大きな手が掴む。
「どうか、私の希望をここで絶たないで下さい。お願いですフェイリーン」
「でも、でも…」
「でないと攫ってしまいたくなります」
おろおろと、もう半分パニックになりかけているフェイリーンの瞳に涙が浮かぶ。
「フェイリーン、泣かないで下さい」
「……う」
「泣かれると疼きます」
「やめて下さい」
怖くて涙が引っ込んだ。
「まず、時間を共有することから始めましょう。わたしは団長職の実務を半年空けていましたので、残念ですがここに毎週通う事は出来ません。ですが、貴女と休みが合う日はここへ会いに来ても良いですか?」
「……いい、です」
「ありがとうございます」
『嬉しい、可愛い人。一緒にいるよ』
フェイリーンの肩のあたりにぐりぐりと顔を擦りつけるレイメ。
苦笑しながらもそれをあやす彼女を映した瞳に、チラッと嫉妬の炎が揺らめいた。
何気なく立ち上がったグレアスが目の前の頭1つ半小さいフェイリーンに抱きつき、素早くこめかみにキスをして殴られない位置に離れる。
見事な一連の動作に「おおっ!」とギャラリーが沸き、拳を振りぬいた恰好のままワナワナとフェイリーンが震えた。
「なんでそういうことするんですか!」
「しないとは言ってません」
「やだーもうこの人怖い!怖いです!」
とりあえずの決着を最後まで見届けることができたので、周囲は満足げに顔を見合わせて頷き合い、持ち込んだ椅子やら踏み台やらを持って持ち場へ戻ってゆく。
「貴女が可愛いのがいけない」
「ああああ早まった気がする!」
この後、グレアスの猛攻に無我夢中で反論・反撃を試みたフェイリーンは、著しく会話が上達することとなる。
そして、毎週は通えないと言ったはずが何故か週一で通いつめたグレアスに、フェイリーンが根負けしたのは半年後の事であった。




