神手医院
1
神手 医院とは、現在の
――医療法人 神手総合病院
の前進で、先代の神手陰吉が町医者として開業した診療所のことである。
園内家の近くに古くからあり、現医院長の神手 欄吉は、先代 陰吉の一粒種である。
なぜかこの親子は、大阪中にその名が知られているのだった。先代の陰吉は、その診察術が、今なお伝説として語られており、息子の欄吉は、医師でありながら潰れかかった小さな町医者を、大阪屈指の総合病院に発展させた、事業家として大いに注目を浴びたのであった。
この二代に渡る医師の物語には謎が多く、大阪七不思議の一つにもなっていた。
先代の陰吉は、既に他界してしまっているが、その逸話に事欠くことがない。
例えば晩年の陰吉は、患者が耳元で話しかけても、まったく聞こえないと言っても過言ではないほどに、耳が遠かった。それにもかかわらず、診察では必ず聴診器を使うのである。ひどい時は、聴診器の先が患者にとどいていないことさえあった!
これは、――仙人が針のない釣竿で魚を釣るが如く、はたまた盲目のアンマが、杖に仕込んだ刀で敵を斬り倒すが如く、陰吉は、耳がどんなに遠くとも不思議と病が発する心音を聞き分けることができた!―― といった、神業の類いとは全く次元の違う話なのである。
いい加減極まりない、お医者さんごっこの域にも達していない、そのお粗末な診察で、希代のヤブ医者として伝説にまでなった男! そう、それがこの『神手陰吉』なのであった。
長年、陰吉に不信を抱いていた患者の中には、
『先生! いったいその聴診器で何を聞いてまんねん? 耳元の声すら聞こえてまへんのに! 茶番はやめてくれまへんか』
と、憤りを露わにする者もいた。
そんなときにも陰吉は、まったく動じる様子もなく、「はぁ? 今、なんぞ言わはりましたかいな?」
と聞き返したという。
付いたあだ名は、『浪速のインチキ先生』。すこぶる評判の悪い、『医学界の最底辺男』だったのである。
陰吉が、ここまで評判を落とすにいたったのは、軽薄極まりないその性格によるところが大きい。それは、患者のことを『お客はん』と呼んでいたことからも容易に想像できる。
まず最初にその信用を失墜させたのが、婦女子からであった。
開業したばかりのころ陰吉は、若い女と見るや、やたらと裸にさせたがった。風邪、腹痛、鼻炎、結膜炎……、深爪の消毒でさえも、
「はい、胸出して……」
という始末。
そうしておいて、お乳の先っぽを、聴診器の金属の部分でツンツンするのだった!
患者は最初、気のせいだと思ったようだが、陰吉のやり口があまりに露骨で度を超えていたので、不審に思われるまでにどれほどの時間もかからなかった。
何よりおかしいのが、聴診器を冷蔵庫でキンキンに冷やしていたことである! 陰吉は患者に、「消毒でんがな」と説明していたが、真に受ける者などだれ一人いなかった。
その聴診器の先で、お乳の先っぽをツンツンすると、男でも「あん!」と、変な声を発してしまう。それを陰吉は、婦女子の診察で行っていたのだ。
表情もあやしかったという。顔は努めて真面目を装っているのだが、なにかニヤついた感じに見える。その薄っぺらな真顔が、なんともわざとらしく、診察にまったく気が入っていない感じがありありと分かるのだと、女たちは噂しあった。
「分かるわぁ。あのエロじじい、目が泳いでんねん!」
「そうそう、絶対エロい想像してんねん! あの顔」
そんなことはお構いなしの陰吉は、執拗にツンツンを続けて、患者が怪訝そうにすると、誤魔化すように背中を診た。すぐまた前を向かせて、再びツンツンツンツンするのである。呆れたことに、ツンツンしている時、聴診器が耳から外れていることさえあった。患者にそれを指摘されても、
「これは触診でんねん。わいくらいになりますとな、聴診器の上からでも悪いところが手に伝わってきまんねん。ほんでまた、聴診器を耳にあていでも、音が手から聞き取れまんねん」
こんな言い訳が通用するはずもなく、大いに気持ち悪がられ、婦女子の受診は皆無となった。
代わりに、神手医院の塀や壁に、まっ赤なペンキで、「淫キチ」とか「エロキチ」と落書きされるようになったという。
2
女性の受診が無くなると見るや、陰吉は、ヤブ医者の十八番である――必要もないのに大量に薬を出す――という行為に走った。そのやり口もまた、凄まじく度を越していると、皆に騒がれるようになった。
まず、だれもが口を揃えてあり得ないと言ったのが、どんな病気にも必ず蝉の抜け殻が処方されることである。
夏のころ、神手医院の庭先に生えている無花果の木に、たくさんの蝉の抜け殻が残る。それを手で粉々にした粉末を油紙に包んで服薬とし出すのだ。
確かに、蝉の抜け殻は蝉退といって、漢方薬の一つである。
しかしそれは、煎じ薬であって服薬ではないし、そもそも中国の蝉である。
薬局で売られているものは、きちんとした品質と衛生的にも問題なくされているはずであろう。
神手医院のそれは、個人の庭木に蝉が残したものを、手で集めただけだ。道に落ちているのと変わらない。それを煎じるのではなく、粉末をそのまま飲むのだからおぞましい! 手で粉砕したものだから、時々蝉の足や腹の襞が、それと分かる粒で残っていたりするのだ。
患者の多くが、『そんな得体のしれない、ゴミ同然のものを飲まされた挙句、代金を取られるのは、納得がいかない!』と、大いに憤慨したのだった。
また、とれる殻の量に対して、出されている薬の量も怪しまれた。待合室の雑談では常に、
『あれ、絶対おかしいわ。ひと夏にあんなたくさん、蝉の抜け殻ってとれんの? 何の虫を粉にしてるか分からへんで』
と、話題になった。
あるとき、神手医院に古くからかかっていた老婆が、陰吉にこう聞いたらしい。
「先生! ほんまはこれ、何の虫だんねん?」
そのとき陰吉、少しも慌てず、「蝉のようなもんじゃ」と答えたという。
こうして徐々に評判を落とし、近所で神手医院を受診する者は、だれもいなくなってしまった。井戸端会議に病院に来ていた老人たちでさえも、わざわざ隣町まで足を伸ばすようになっていった。
暇を持て余した陰吉は、日がな一日、庭木の手入れをしながら、滅多に来ない患者を待つ日々を送っていて、その様子は、だれの目にも明らかに、神手医院が潰れかかっているように見えていた。
ところが、一向に病院をたたもうとしない陰吉は、その後も何十年と病院を続けたのであった。
それどころか、巨額の裏金で息子の欄吉を医大に入学させたという噂すらあった。いったいどうして神手医院は、潰れないのか? 謎はまた良からぬ噂となっていった。
3
ある日のこと、見かけないサラリーマン風の男性が、神手医院を受診した。
男の保険証には、住所が京都府と書かれていた。受付兼看護師である陰吉の妻が、不思議に思って男に尋ねた。
「京都から来はったんですか?」
「はい。え! もしかして大阪に住んでないとあかんのですか?」
「いえ。そんなことはないんでっけど。京都にも病院はたくさんありますでしょう?」
男は、ほっとした顔をした。
「仕事で近くまで来たら病院が見えまして。昨日、風邪でしんどかったんで、診てもろとこかなぁ思いまして……」
「さいだっか」
陰吉の妻は、それ以上は聞かなかった。
診察室で陰吉が、男に容体を尋ねた。
男は、
「風邪や思うねんけど、昨日まで熱がありましてん。お腹もゆるうて、かなりしんどかったんですが、晩に玉子酒飲んで早よ寝たら、今朝、嘘のようにようなりまして。でも、用心に越したことはないと、寄ってみたんです」
「そうでっか。ちょっとあぁぁぁんしてもらえまっか」
懐中電灯で男の口の中を照らしてから、陰吉は、おもむろに言った。
「あぁぁ! 喉も少し赤なってまんなぁ」
「先生! 風邪ですか?」
「風邪やなぁ」
なぜか、男はニヤッとした。横で見ていた陰吉の妻は、それを見逃さなかった。
「すんませんけど、診断書もらいたいんですが、書いてくれはります?」
今度は、陰吉がにニヤリと笑った。
「もちろんでんがな。それもわいの仕事やさかい」
診断書は、結構な金になるのだ。
会計で再び、陰吉の妻が受付に立った。勘定を済ませた男に、薬と診断書を渡しながら、ぼそっと一言つぶやいた。
「仮病だっか?」
男は、一瞬はっとなったが、ちょこっと舌を出しただけで、何も答えずに帰っていった。
長い人生に一度や二度、病気でもないのに、医者の診断書が必要になるときがある。
仮病で休んでゴルフへ行った次の日、みんなで休んでいるのを怪しんだ上司が、
「今日なんだか大勢休んでいるねぇ、変な病気が流行ってるんじゃないかと、総務が気にしてるんだよ。明日会社出られそうなら、病院で診断書をもらって来てくれるかな。総務に提出するから」
なんていう意地悪を言われたり……
一年に一度、極寒の季節に行われる校内マラソン大会! 毎年ずる休みする生徒に、鬼の体育教師が釘を刺す!
「明日に限って休む奴は、次の日必ず医者の診断書を持ってこいよ! 分かったな!」
こんなシチュエーションで、たとえ親兄弟に医者がいても、まさか診断書を偽造してもらうことはできないであろう。
病院に行ってありもしない症状を訴えたとしても、普通の医者なら、症状の根拠が明らかになるまで、詳しく検査するはずである。その追求に費やす時間こそが、その医者がどれだけ病気に真摯に向き合っているかを示しているのだ。
つまり、嘘の症状で確実に診断書をもらうためには、間違いのないヤブ医者を見つけなくてはならないのだ。その点、神手医院は申し分なかったのである。
医者という職業のポテンシャルの高さは、計り知れないものである。神手医院がなかなか潰れなかったわけが、うかがい知れる話だ!
そのことを身にしみて知っていたのか? 陰吉は、一人息子の欄吉にも医学の道をすすめた。
欄吉は、頭がいいのか悪いのか、よく分からなかったが、とにかく医学部に入った。
当時の陰吉は、よくこういうことを言っていた。
「日本の学校は門戸が狭すぎてあかんねん。欧米の学校を見なはれ。多勢受け入れて、卒業の時、できる者だけを卒業させよるやろ。最初っから振るいにかけてたら、でける者がその才能を発揮でけまへんのや。あぁ、欄吉のためにも、わいが文部大臣になって、門戸を広げてやりたいねんけどなぁ」
この発言が元で、のちに欄吉は、
「陰吉先生によって門戸を広げてもろたさかいに、息子は簡単に医大に入りよったなぁ」
と揶揄されるようになった。
「ほんまやなぁ。きょうび門戸広げんのに、どんだけかかんねん?」
「そらぁ、ぎょうさん要るでぇ。医学部の門戸は極端に狭いさかいなぁ」
「それにしても、ようあったなぁ! そないに儲かっとるようには、見えへんけどなぁ、神手はん」
「裏で悪いことしてんのとちゃうかぁ? 薬売ったり、臓器売ったり」