死神先生
「わいが、当医院の医院長、"神の手"と書いて"かみで"いいます。文字通り、神の手を持つ天才医師ですわ」
これは、中が恐怖する≪死神先生≫こと、神手欄吉が、初めて受診した患者に必ずする、自己紹介である。
「あんたは運がええ! 当医院に来られたっちゅうことは、どんな病気であったにせよ、既に治っとるのと同じや。なぜならわいのこの手は、神の手やさかいなぁ。
どうも世間ではわいのことを、『ゴッドハンドドクター』と呼んどるようですわ」
どこからそんな話が出てきたのか? 神手欄吉が名医のごとく呼ばれたことなど一度もない。それどころか、近所からは『神は神でも死神や!』と揶揄され、欄吉の書くカルテを『デスノート』と呼ぶ者までいた。
この辺りの子どもたちにとって欄吉は、心的障害的存在でもあった。
神手医院の近所の家ではたいてい、いうことをきかない子どもがいると、
「そんなわがままばっかり言てたら、神手医院に連れていくで」
と言って叱っている。
また、お菓子や体に悪いものばかりを欲しがる子があれば、
「そんなもんばっかり食べとったら、表に神手はんが来んねんで! あっ! 神手はん、来た!」
と言って戒めたりもするのだ。
欄吉への恐怖心は、「鬼」や「お化け」といった迷信の類とは違い、大人になって自然と消えてしまうものではなかった。死神を思わせるその所業は、子どもはおろか、大人たちの心にまで、脅威となって深く刻まれているのであった。
特に中の場合は、ばあちゃんの強烈な語りによって欄吉のことを、――見かけただけでも命を落としかねない猛烈な縁起悪さ――を備えた地獄からの使者として、すりこまれていたのだった。
そもそも神手欄吉が、これほどまでに恐がられるにいたったわけは、話せば長い長い物語となるのだが、かいつまんで言うとこういうことである。
あれはいつのことだったか? 神手医院がまだ、つぶれかかった小さな町医者だったころ、臨終を迎えた病人の家に、突然、欄吉が現れるようになった。
病人が今にも死にそうな状態で、家族が右往左往しているさなか、都合良く町医者が現れるので、欄吉は、必ずと言っていいほど頼りにされるのだった。
「あ! 先生! ちょうどええとこに来はったわ。うちのおじいちゃんが、お、おじいちゃんが……」
「わいが診たるさかい、落ち着きなはれ」
「先生! お願いします」
欄吉は、病人を看取り、死亡診断とその書類を作ってやり、葬儀屋の手配にいたるまで、その全ての面倒をみた。
最初のころは、欄吉が偶然に通りかかったものと思われていた。また、たいそう有難がられたりもしていた。
ところが、神手医院のまわりで、同じようなことが頻繁に起っているとのうわさが広がり、次第に気持悪がられるようになっていった。
病人の容態が急変し一刻を争う状態に陥って、今まさに、かかりつけを呼ぼうと受話器を上げたその時に、呼び鈴が鳴り、玄関の戸がガラリと開くという。そこには、どういうわけか欄吉が、計ったように正確に、絶妙なタイミングでその姿を現すというのである。
「神手はんは、人の死ぬんが分かるんやろか? 人の寿命が見えるんとちゃうやろか?」
と、皆、大いに不気味がったのだ。
やがて、寝たきりの老人や重病人を持つ家族は、表に欄吉がいないかを確認するようになる。病人の寿命を確かめるためである。
いないと「まだ大丈夫や」と安心するのだが、いたときは……
玄関先に、往診鞄を手に提げた欄吉の姿は、見る者の背筋を凍りつかせるという。心臓の悪い人ならそのまま逝ってしまいかねない、衝撃の光景だというのだ。
さらにうわさは大きくなった。
「欄吉が来る家には死人が出る」
とまで言われるようになり、病人のいない家でも、欄吉が家に来てないかと気にかけるようになった。
間もなく、欄吉を見かけることも不吉とされるようになり、今ではすっかり、
「神手はんが、死を誘っとんねん!」
と、まことしやかにささやかれているのだった。
うわさがうわさを呼び、数々の『死神伝説』が生まれた。
たとえば、こんな伝説がある。
あるヤクザの親分が、抗争を繰り返していた相手親分に、『死神をけしかけてタマを取った』とのうわさが広がった。仕掛けた方の親分も、そのすぐあとに謎の死を遂げたのだという。
その筋の者なら、「あぁ!」と思わず口にしてしまうほど事実に近い話らしく、裏社会は一時騒然となった。
≪死神≫とはむろん欄吉のことで、事実、各地の名だたる親分たちが、欄吉を訪ねてきて、「どうかヤクザ社会の揉め事に、首を突っ込まないでほしい」と懇願しているのだ。
欄吉は、なんのことか分からないと言って追い返したようだが、その時かなりの額の金が動いたとのうわさもある。
このほかにも、数々の未解決殺人事件に、欄吉が関係しているとささやかれている。また、事件になっていないが、欄吉が関与した不審死が、まだかなりの件数あると信じられていた。
子どもたちの間には、こんな伝説が広まっていた。
神手医院からは人が感知できない死臭のようなものがただよっており、多くの野良猫たちが、死に場所に神手医院の軒下を選ぶというのだ。驚くことに、遠く四国から死ににきた猫までいたのだそうだ。
とにかく、あそこにかかると治る者も治らないと、中をはじめとする多くの住民が恐怖する存在になったのであった。
一時は、うわさを聞きつけたたくさんの葬儀屋が、神手医院のまわりに張り付き、欄吉が外出するたびに、
――神手先生の行く先に死人あり
と言って、先を争うようにそのあとを追ったという。
これも数ある『死神伝説』の中の一つである。