メイビーストアにようこそ
『メイビーストア』シリーズの第1弾です。
大学に入って一ヶ月。公立高校の授業形態とはまるで違う大学の授業にも、実家から離れたアパートでの一人暮らしにも慣れてきた。生活費は毎月親から送られてくるが、奨学金は就職してから自分で稼いだ金で払っていかなくてはならない。就職難のこの時代、大学卒業してすぐに就職できるとも限らないし、今のうちからバイトを始めて貯金に余裕を持たせよう。何事も計画的に日々無難に過ごしてきた俺は、アパートから徒歩二十分と少し離れた場所にあるコンビニチェーン店『メイビーストア』でバイトをすることに決めた。
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バイト先を選ぶ上で俺が重要視したのはその立地である。家のアパートから近過ぎず遠過ぎず、大学とは正反対の位置。それがバイト選びの条件だった。大学は四年制。一度バイト先が決まれば長く勤めるつもりだ。まだ友人どころか知り合いも少ないが、大学の近くでバイトして、勤務中頻繁に知人に出くわすのは避けたいし、家に近いバイト先だと急な欠勤があった時に呼び出されると聞いたことがある。予定を急に狂わされるのは嫌だった。
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大学の購買に置かれていた無料の求人誌を捲り、勤務先住所の欄にだけ注意しながら流し見る。条件に該当する地域の求人を給料や勤務時間で天秤に掛け、選び抜いたのが『メイビーストア』だ。給料は自給制で800円から応相談。他店のコンビニでは700円台が多い中、ダントツで高い。勤務時間も応相談とあった。全てが希望通りになる訳ではないだろうが、俺にとってはかなりの好条件だ。 『メイビーストア』なんていうコンビニは聞いた事がなかったが、地元から新幹線で数時間の距離ならそんな事もあるだろう。
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電話連絡の上、履歴書を持参して面接に向かう。片側三車線の大きな道路から横道に入り2ブロック先の交差点の角にその店はあった。店の近くには広い畑があったが、マンションやアパートも多い住宅街である。少し先には高校の校舎も見え、高い時給を払えるだけの客入りがあるだろう事が窺えた。高校時代、大学受験のために塾通いを続けていた俺は、当然、バイト未経験である。求人欄では初心者、未経験者歓迎とあったが、やはり実際のところは経験者が優先採用されるのではないだろうか。面接時間の10分前を迎え、若干の不安を抱えながら入り口の自動ドアを潜った。
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「てんちょー!面接の子、来たよー」
ピンポーンと音を鳴らして開いた自動ドアが閉じないうちに、同い年くらいの女の子が店の奥に呼びかける。コンビニの店員ならスタッフジャンパーでも着ていそうなものだが、彼女が着ているのはピーコックグリーンのブラウスに、淡いピンクのフレアスカートだった。これから勤務時間だというのなら、もう着替えているべきだろう。たまたま勤務時間外に立ち寄ったのだろうか。どちらにしろ、面接に受かれば先輩になる。窓際の本棚の前に居る彼女が立ち読みを再開しない内にと、俺は素早く挨拶と自己紹介をした。
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「うん。よろしく。わたし、水沢愛名っていうんだ。面接、がんばってね!」
気さくに返された挨拶に好印象を持ったところで、奥の商品棚から店長らしき男が顔を覗かせた。150センチ程の商品棚より低い背に、タレ眉吊り目。かなり特徴的な人物だ。覚えやすくて助かる。タレ眉の所為か釣り目なのに強面には全く見えない。個性的で面白い顔に親しみを感じ、なんとなくほっとしたのも束の間だった。俺を見て、開口一番に店長が言う。
「あれ?早いね。面接の時間午後三時じゃなかった?」
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「…はい」
まずい。失敗してしまっただろうか。早く行き過ぎても応対に困るだろう事は分かっていたが、もっと時間ギリギリに行くべきだったのか!?焦る俺の内心をよそに、店長は惚けたような声で言った。
「いま、まだ十時くらいだよね?」
どうしたらそんなにズレが生じるんだと驚きつつも、平静を装ってしっかり答える。
「いえ、午後二時五十三分です」
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丸い掛け時計が傾いていたとか、陽に当てて充電するのを忘れていたとか、電池が外れてたとか様々な理由を充分過ぎるほど聞かされながら、店の奥の事務所へと案内された。ダンボールや掃除用具など、物で溢れた事務所内は一見倉庫のようである。L字型の事務所を右に曲がると事務仕事用の机があった。店長はキャスター付きの椅子に座ると、隣に出してあった折り畳み椅子を俺に勧めた。
「じゃ、早速面接始めようか」
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天橋と名乗った店長は、手渡した履歴書に目を通しておもむろに告げる。
「竹中透君…ね。じゃあ君、今日から竹林君ね」
「え?」
「竹中って苗字だと、畑中君と紛らわしいじゃないか」
確かに似ている苗字だが、だからと言って違う苗字で呼ぶものだろうか。微かな疑念を感じたが、『今日から』という言葉に採用の期待感が上回る。あだ名だと思えばなんてことはない。そうですねと俺が無難に相槌を打つと、訂正は僕がしておくからと天橋店長は修正液を手に取った。
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履歴書に書かれた竹中透という文字が、瞬く間に修正液に塗りつぶされていく。修正液を使わない様にと細心の注意を払って書いた物が、こんな形で無駄になるとは。乾いた修正液の上に天橋店長が竹林透と綴るのを、俺は複雑な心境で見守っていた。ところで、履歴書まで改ざんしたら、俺が偽名を使ったことにはならないだろうか。おずおずと懸念を打ち明ければ、大丈夫、大丈夫と気安く請合う天橋店長。
「じゃ、明日からよろしく」
難なく受かった面接に何故か不安はいや増していた。