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夏京都酒屋物語

作者: はーこ

舞台は京都。ちょうど1年前に部活で書いた、私のアホな実体験をもとにしている短編(というか中編?)小説です。

http://mitemin.net挿絵(By みてみん)




 勝太(しょうた)の家は、地元京都で代々酒屋を営んでいる。夏休みを利用して店の手伝いを申し出たのだが、跡取りである父は特に多忙であるため、勝太の指導をするのは、実質、次男である忠吉(ただきち)だった。しかし、勝太はあまり叔父が好きではなかった。


――――――――――


 太陽が南中したのはいつだったか。風通しの悪い蔵の熱気に中てられ、思考がまるではかどらない。外の蝉時雨さえも耳障りだ。


礼次(れいじ)の阿呆」


 背中越しに、礼次が眼鏡のブリッジを押し上げるのを感じた。


「開口一番にそらどうなん。もっとほかに言うことはあらへんのか」

「あぁ、あるともさ。礼次の阿呆、阿呆、阿呆ーっ! てな」

「勝太が文句言う権利はないんとちゃう? 大体、面倒屋の悪ガキが店番なんてのが無理やったんや。せやから、こうして閉じ込められとるのやし。おれとしてはええ迷惑や」


 勝太にとってもいい迷惑だった。店を抜け出して友達と遊びに行こうだとか、その手土産に店の品物をくすねたということがあるはずがない。なぜなら、勝太は中学に入ったばかりの、純粋で無垢な未成年だからだ。それに、幼なじみとはいえ犬猿の仲の礼次とグルで犯行に及ぼうなど、勘違いも甚だしい。


「おれはトド吉のために手伝っとったんやない。やかましいトドの言うことなんか誰が聞くかい」


 身体と態度は大きいくせに、口を開けば小言ばかり。思春期に片足を突っ込みかけている勝太は、説教ばかり垂れる叔父に嫌気が差した。自分に非はないから、トドにも礼次にも謝るつもりは毛頭ない。


 ふてくされたまま沈黙と汗だけが流れていく。最初は意地だけでどうにかなった。だが昼食がまだであったせいか、我慢が続かない。


「腹の虫がやかましいで」

「放っとけい。そう言うお前は、何を平然としとんのや」

「家で昼めし食うたもん。いとこ汁、うまかったわあ」

「はあ? いとこ汁やと! おしょらいさんへのお供えもまだやのに、お前は精霊より偉いんか!」

「せやかて、食後の散歩がてら回覧板を届けに来たいうのに、お前の叔父に因縁をつけられて今に至るんやぞ。ほんにいい迷惑や。空腹なら、さっさとその木箱を返せばええやないか。謝らんことにはここから出さへんて、おっちゃんも言うとったろう」

「嫌や。あいつは好かん」


 礼次の魂胆はわかっている。要は、自分が一刻も早くこの灼熱の蔵から抜け出したいのだ。

 勝太は木箱を抱え直してそっぽを向く。


「お前さあ、何でまた、店のものを持ち出そうとしたんや?」

「礼次には関係ない」

「そないなことはないやろう。言うてみい」

「余計なことは詮索すな」


 勝太は眉間にしわを寄せ、正面の入口をねめつけたままつっけんどんに言う。もともと素直ではない。何かにつけ小言ばかり言う忠吉に反抗していたのも、すごすご引き下がることが恰好悪く思えたからだ。

 それに……今の勝太が素直に謝ったところで、おそらく意味はない。

 呆れ返った嘆息が聞こえた。


「ああそうかい。そんなら仕方ないわ――――とでも言うと思ったか!」


 振り返るより先に視界が揺らぐ。礼次が木箱に手をかけるのが見えた。勝太は我に返って振り払おうとする。木箱をめぐった取っ組み合いをしているうちに、勝太のズボンのポケットから何かが妙な音を立てて零れ落ちた。もっとも一般的な擬声語で表すなら『チャリーン』だ。礼次の聞き間違えでなければそう聞こえた。


「これは……」


 足下にあったのは小銭入れだった。礼次は怪訝な面持ちでそれを拾い上げる。


「何すんねん、返せ!」


 すぐに掴みかかるがひらりとかわされ、伸ばした手はむなしく宙をかくだけ。礼次が財布の紐を解いたとたん、目を見張る。中では、鈍い光沢を放つ白銅製の桜が、猛暑にも関わらず乱れ咲いていた。


「勝太、この金、まさか……」

「自分ん家の金を盗んでどないすんねん! コソ泥の真似は外道のすることや!」


 わーっとまくし立て、勝太は小銭入れをひったくる。


「じゃあ、その酒も?」

「……兄ちゃんに、買うてやろうって」


 俯き、沈んだ声音で呟く。


 勝太の兄は考一(こういち)という。七つ年嵩で、高校卒業前に進路のことで両親ともめ、家を出た。それからのことは何も知らないと礼次は聞かされていた。当たり前だ。勝太も知らされていなかったのだから。


「二週間前、兄ちゃんが世話になっとる人から連絡があった。体調を崩して入院してはるって。酒は百薬の長て言うやろ。買うてやったら、元気になると思ったんや」


 ここで、礼次が一つ解せぬといった様子で勝太を見てきた。それが何のことなのかはすぐに思い当たった。考一は生まれつき身体が弱く、どちらかというと温厚で、活発な勝太とは反りが合わなかった。

 視線を伏せる勝太に、礼次は無言で続きを促す。


「親父と兄ちゃんが言い争いをしとんのを見て、ショックを受けた。普段はなよなとしとる兄ちゃんが、自分の進路のことになると人が変わったように親父に食いついたんや」


 かつて目にしたことのない兄の一面に、畏怖の念を抱いた。彼は鬼ヶ島の鬼のようであって、桃太郎のようでもあったのだ。対する自分は鬼に囚われた農民だった。無力なエキストラはヒーローに憧れる。


「何で父ちゃんに言わへんかったん」

「仲違いしとんのやで。おふくろも親父のご機嫌うかがいに毎日ご多忙や。せめておれが会いに行ってやりたかった」

「こっちに帰ってきてはるの?」

「せや。バツが悪いから、兄ちゃん本人からは連絡できひんて、それで……」


 その先は言わずもがなだ。面倒屋の勝太が急に店の手伝いをしようと思い立った理由。気に食わない忠吉に何を言われようが、手伝いを途中で放棄しなかった理由。礼次はやっと、すべてを悟った。


 双方が押し黙る。熱気のこもった蔵内とは裏腹に、興奮は収まっていた。


「……何や、おれたちみたいやな」


 身動き一つしないで、聞こえないふりは万全だ。それなのに、少し沈んだ礼次の声音が、やけに鼓膜に居座る。胸の奥がきゅっと締めつけられるのは、礼次の言ったことが図星であるからだけではなかった。


「昔は二人で悪事働いて、ようここに閉じ込められたなあ」


 重い空気を払うかのごとく礼次が言った。背を向けているけれど、勝太には礼次の表情が手に取るようにわかった。遠い目で、懐かしんでいるはずだ。



 勝太と礼次は親同士の仲がよかったため、遊ぶ機会が多く、毎日のように近所をいたずらして回った。それも、ある日を境に二人の関係はすれ違っていった。原因はどうということはない。親同士のいさかい。


 小学五年生の頃の話だ。礼次の両親が離婚した。礼次を引き取ることになったが、情緒不安定だった母親が勝太の両親にきつく当たってしまった。

 親の動揺というものは、子に伝わる。そこから何もかもがこじれ始めた。以前のように遊ばなくなった。互いが空気のようだった。 

 けれど、そうなることを勝太も礼次も決して望んではいなかった。たとえ空気でも、誰にだって必要なものだ。


「まだ、おれのことが信じられへんか?」

「せやったら、のっけからこんな話するかい」


 背中合わせで淡々と応答する。無愛想な沈黙が流れた後、礼次の肩が震え始めた。


「おっしゃる通りで」


 ぎょっとして振り返ると、礼次が破顔していた。学校では一丁前にインテリぶって癪に障るその笑みが、どこか垢ぬけていて、いまは不快に感じない。むしろ逆だ。まばたきを繰り返す勝太をよそに、礼次はいそいそと立ち上がる。


「ほな、行くで。何をしとる、考一さんに会いたくないねんか!」

「何でお前がやる気満々なん」

「友達に手ぇ貸すのに、理由が必要か?」


 友達。その言葉を聞いた瞬間、胸の辺りがこそばゆくなった。


「せ、せやかて、どうやってここを出るん?」

「ふむ。それが問題やな」

「やろ? 入口閉め切られとるし、脱出する方法なんてないんじゃ……」

「は? 何を言うとんの」


 不安がる勝太を見やり、礼次が何食わぬ顔で言い放った。


「脱出する方法がありすぎて困っとんのや。お前に付き合って、一体何回ここに閉じ込められたと思うとる。逃走経路の確保は抜かりない。勝太はおれに任せておけばええ」

「へ?」


 思わず素っ頓狂な声を出すと、不敵な笑みが目の前に現れる。これは幼少の頃見た、参謀の顔だ。

 勝太はトドや過去に見た兄よりも、いまこのとき、目の前にいる礼次が一番怖いと思った。





 蝉時雨が耳をつんざく。灼熱の太陽が肌を焼く。多少の風はそよいでも、猛暑は着実に気力や体力を奪っていく。


 悪い予感ほどよく当たるという。勝太は、兄に会う前に三途の川を拝むことになろうとは夢にも思わなかった。小規模バンジージャンプまがいのことはもうごめんだ。青々と生い茂った草たちに最上級の礼を述べつつ、余裕綽々で先陣を切って歩き出した礼次の後を追う。が、勝太はもうすでに歩く気力が底を尽きかけていた。おぼつかない足取りの勝太に気づき、礼次は一旦足を止める。


「情けないのう。それでも野球部か?」

「……こちとら部活帰りに息つく間もなく、飯も食わんで店番しとったんやぞ。その上、蔵に閉じ込められて……」


 最後の言葉は声にならなかった。めまいが襲ってその場にへたり込む。軽い吐き気もした。ただごとではないと察した礼次が血相を変えて駆け寄ってくる。


「お前、まさか熱中症やないやろうな! 早う言わんかい、このド阿呆!」

「騒ぐな。頭に響く……」


 ぐいと腕を引かれ、近くの木陰に座らされた。


「これじゃ、孝一さんに会いに行っとる場合やないで。症状が治まるまで安静にして……せや、冷えたタオルと水分をもろうてくるから、そこを一歩でも動いたらシバくで!」


 と言って駆け出した礼次の身体が、何かにぶつかって押し戻された。顔面を強打した礼次が、鼻を押さえながら正面にそびえるものを見上げる。


「ガキ共、いつ抜け出したんや!」


 忠吉だった。勝太たちを見るなり、顔を真っ赤に上気させて怒鳴り散らす。


「頼むから、大声出さんといてや。勝太は熱中症で具合が悪いんやで」


 礼次がなだめると、忠吉は片眉を吊り上げる。


「熱中症? はん、さっさと謝りに来ぃひんのが悪いんやろう。自業自得じゃ」

「おっちゃん! そないな言い方はないんとちゃう!」

「黙っとけ!」


 突き飛ばされ、礼次が尻もちをついた。


「母親に似て、お前も生意気やのう」


 礼次が身じろいだ。唇を引き結び、太陽に焼かれた砂を引っ掻く。


「勝太も、何を情けなくくたばっとうんじゃ。突拍子もないことをしでかして大人に楯突くところは、兄貴とよう似とるわ。親不孝者が。ほんに腐った悪ガキや」


 勝太は、熱中症のものとは明らかに違う熱を感じた。それは身体の内側から湧き上がってきて、一度は自然の摂理に敗北を帰した自分自身をも飲み込む、強く激しい感情だった。耐えきれず口を開こうとしたとき、礼次が無言で制してきた。その双眸には、勝太以上の激情が燃え上がっていた。


「――お前ら大人と一緒にしてもろうたら、迷惑やっちゅうねんっ!」


 獣の咆哮のようだった。あぜんとした。勝太は、これほど激昂した礼次を見たことがなかった。それは忠吉も同じであった。

 絶句する二人をよそに、礼次は懐からあるものを取り出し、忠吉の目前に突き出した。勝太はハッとする。それは、礼次が手にしたままの小銭入れだった。


「これは、勝太が店番してせっせと貯めた金や。兄ちゃんに酒を買うてやるために貯めた、正真正銘の勝太の給料や! こいつが何でそないなことをするかわかるか? お前ら大人が、しょうもない意地を張っとるからや!」


 礼次の怒号は、忠吉を完全に黙らせた。


「大人に楯突くのが生意気? ちゃんちゃらおかしいわ。偉そうにふんぞり返って、目先のものすら見ようともせん。われが相手にしとんのは青空か? ちゃうやろ。人間や。子供のええところを見過ごしとうんは大人やろうが!」


 閻魔大王も裸足で逃げ出す凄まじい気迫で吐き捨てると、礼次はふん、とぞんざいに鼻を鳴らし、銅像のごとく動かなくなった忠吉の脇をすり抜けて行った。


 少しして、タオルと水の入ったコップを手に戻ってくる。額に当てられた布の心地よい冷たさが、熱と気だるさを取り除いてくれる。


「礼次も怒鳴り散らすんやな」

「おれかて普通の悪ガキや」


 真顔で答える礼次に苦笑を返す。圧倒されていなかったと言えば、真っ赤な嘘になる。


 小銭入れを手渡される。勝太は立ち上がって忠吉のところへ歩いて行くと、まるごと目の前に差し出した。


「お代。計算したから足りるはずや。この酒、もろうて行くな」


 忠吉のごつごつした手に小銭入れを握らせ、木箱を抱え直すときびすを返す。

 礼次も続き、この場を後にしようとしたとき。


「待て。……孝一んところに行くんやったら、わしが連れて行ったるわ」


 とぎまぎしながら言う忠吉に、勝太と礼次は目をしばたたかせた。






 孝一が入院している病院へは車で二十分ほどで到着した。忠吉はロビーで待っていると言うので、四階の病室へは勝太と礼次の二人で行くことになった。


 孝一は一人部屋のようだった。入室したとき、具合がいいのか、真っ白なベッドの上で快晴の空を眺めていた孝一が窓から視線を外した。驚いていたが、すぐにやわらかな笑みを浮かべる。いささか痩せたように見えるのは気のせいだろうか。勝太たちは歩み寄ると、来るまでのことを話した。孝一は、なぜか笑い声をあげた。


「そらまあ、わざわざご苦労さまです。せやけど、子供がお酒を買おうとしたら止めるのは普通やろう? おっちゃんもよう容認してくれはったねえ」

「いんや、あいつはおれらのことをまだ信用してへん。見張りのつもりでついて来たんや」


 こっちは大真面目に見解を述べたというのに、孝一はまた笑う。落ち着かない。勝太は本題に入ることにした。


「ほいで、兄ちゃんは何で倒れたんや?」


 そこで初めて孝一が苦笑する。


「稽古に熱中しすぎたんやろうねえ」

「何や、稽古て」

「言うてなかったっけ? 兄ちゃん、歌舞伎のお家に弟子入りしたんや」

「歌舞伎て、テレビでやっとる中村とか市川とかの、あの歌舞伎?」

「そうや。門閥外やから、当分舞台には立たせてもらえんけどな」

「門閥外って、何ですか?」

「歌舞伎の家の出身じゃあない人のことや」

「へえ……」


 まさか兄が歌舞伎をやっていたなどとは思いもしなかった。礼次と質問をしているときも半信半疑だった。が、にこにこしながら淀みなく答える兄を見ていると、徐々に現実味を帯びてきた。孝一は顔立ちが整っているし、俳優と思えば、納得ができた。


「で、その歌舞伎のお稽古でどないして倒れるん。台詞言っとれば済むやろ」

「勝太、歌舞伎をなめたらあきまへん。表情豊かな動作をするためには、まず筋肉を鍛えんとお話にならん」

「ますます兄ちゃんとは無縁の話や」

「失敬な。俺が弟子入りしたのはなあ、体力をつけるためやで? まあ、前々から興味があったってのもあるけど」


 それは初耳だった。思わず礼次と顔を見合わせる。両親が猛反対するはずだ。実力の世界で、その上、ろくに運動もしたことがないというのに、自らそんな場所に飛び込んでいくなんて。


「兄ちゃんは、それで楽しいの?」

「楽しい……楽しいか」


 少し考える間の後、孝一は言った。


「きついけどね、兄弟子はええ人やし、師匠に褒められたときは充実感があるよ。自分で決めた道やから、自分で切り開かなな」


 ――勝太は確信した。目の前にいるのは間違いなく、桃太郎だ。


「せや、俺も言いたいことがあってんけど。勝太たちの話を聞いてな、面白いくらい似た歌舞伎の演目を思い出したねん。『棒しばり』て言うんやけどな」


 孝一は瞳を輝かせながら話す。心なしか身を乗り出しているような気もする。


「あるお屋敷に、太郎冠者と次郎冠者という二人の男がおりました」

「たろうかじゃ? じろうかじゃ?」

「二人は大の酒好きでな、留守中に酒を呑まれんよう、主人に棒に縛られるんやけど、協力して酒の盗み呑みに成功するんや」

「えー。それってただの悪いやつらやあらへん?」

「そうやな。やけども、この話の面白さは日頃仲違いをしとる二人が目的のために力を合わせることにある。今日の勝太と礼次みたいにな」


 いつの間にか、兄の声が格段と優しくなっていた。


「勝太も礼次も、親というものに縛りつけられておった、それを、二人で団結して乗り越えた。まさしく太郎冠者と次郎冠者やな。兄ちゃんは感動してますえ」


 兄は、こうして恥ずかしいことを面と向かって言う。顔を背けたのは照れ隠しにほかならない。礼次も苦笑している。


「そ、そないなことはええねん。そや、酒! 酒を忘れとったわ!」


 持っていた木箱を孝一に押しつける。勝太に急かされて首を傾げながら蓋をあけた孝一は、さらに首を傾げた。不思議に感じた礼次が覗き込み、硬直する。


「これは……まんじゅうですか?」

「まんじゅうやね」


 手にしたとき、妙に軽いなと思っていたが、木箱の中を陣取っていたつやつやの丸い物体は、どこから

どうみてもまんじゅうだった。


「ただのまんじゅうやない。酒まんじゅうや」


 胸を張って言う勝太。孝一と礼次は絶句する。奇妙な沈黙がしばし流れ、おずおずと孝一が手を挙げる。


「あのう、勝太さん。あなた、この箱の中身が酒まんじゅうやて知ってはりました?」

「おうよ。買う品物の中身を確認せん阿呆がどこにおるかい」


 きっぱり言い切るが、直後、礼次がわなわなと拳を震わせる。


「しょーたぁー! こんのド阿呆! どこが酒じゃ! ただのまんじゅうやないか!」

「え? 酒まんじゅうて、酒入ってないの?」

「入っとるか! そんなんは一般常識じゃあボケェ! おれの苦労を返せ!」

「ちょっと待てい! 酒やないんなら、何でトド吉は必死になって取り返そうとしたんや」


 礼次が、勝太を殴るすんでのところで手を止めた。孝一が腕を組んで考え込む。


「前も酒まんじゅうは売っとらんかったで。父ちゃんは何か言うとらへんかったか?」

「特には。あ、でも、試験的に新しい品を取り扱うようなことは言っておったわ」

「じゃあ、それが……これ?」


 六つの目が酒まんじゅうを凝視する。


「新しい客寄せのつもりなのか……それにしても、酒違いですよ、御父上様……」

「酒屋に酒まんじゅうて売ってへんの?」

「世間一般の酒屋はみなそうや。酒屋の息子のくせにそんなことも知らんのか」

「……何やて?」


 馬鹿にしたような礼次の言葉が気に食わない。にらみ合いが勃発し、すかさず孝一が仲裁する。


「まあまあ。父ちゃんも、多少ずれてはおるけれども、新しい風を起こそうとしてはるし、見方を変えれば柔軟な考えをしてくれるようになったってことや」

「じゃあ、兄ちゃんのことも認めてくれるかな?」

「それは俺の頑張り次第やね。せっかくやし、そんな難しいことは置いておいておやつにしませんか。ちょうどお見舞いにもろうた道具もあるし、お茶を点てて差し上げますえ」

「ほんま?」

「勝太、単純」

「やかましい! おれは腹が減っとるんや!」


 横槍を入れながら、礼次もちゃっかり椅子を引っ張り出している。少しながら不本意ではあったけれども、今日はだいぶ助けられたので、大目に見ることにした。


 孝一が微笑みを浮かべたままベッドを下りる。勝太の好きな宇治抹茶の香りが漂ってくるまでそう長くはかからなかった。


 礼次と奔走したことが、骨折り損のくたびれ儲けであったことはみとめるけれど、それでも別によかった。


 太陽は傾き始める。あれほど敵視した京都の夏空が、笑っているように思えた。朱の夕照が顔を出すまでまだまだかかるだろう。

 こうして、長くて短い夏の日の出来事は、少年たちの胸に鮮やかに刻まれた。




「酒屋に酒まんじゅうって売ってないの?」


母に鼻で笑われた、ある日の私のおバカ発言から生まれたこの小説。生地に酒粕を混ぜるので酒まんじゅうというそうなのですが、てっきりお酒が中に入ってると思っていた作者は勝太と同レベルでした(泣)


 ところで、作中に登場する『いとこ汁』は、ちょうど今の盆の時期にお供えする京都等の郷土料理です。あずきのほかに、イモ類、野菜、こんにゃく・豆腐などの材料を、おいおい(甥)、めいめい(姪)に入れているのが語源になったそうだとか。つい先日京都を訪れましたが、時間もなくて、やったことといえば鴨川を眺めたくらいですね。一度ゆっくり観光したい……。


 最後に、話は変わりますが「夜空の琥珀2」について、色々とひと段落したのでこれから執筆に専念できると思います。もうちょっとしたら更新できると思うので、そちらもよろしくお願いしますねm(__)m!

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