そして小さな疑念
流暢なロシア語で現地の青年と歓談するアリシァから、すぐ脇に停まっているジープに目を移す。
夢で見たジープと全く同じ型。アリシァは何を考えているのか?
いいのか?
狙撃されても。
「終わったよ、乗って」
ドル紙幣の束を持ちかえって、満足気に帰路につく青年を見送るアリシァ。
「ほんとにこれで、行くのか?」
客観的に見ても……ボロい。走れるのかも疑問に思う。
「あえてこの車で行くのは、訳があるの。分からない?」
……相手の油断を誘うため、か?
「違う違う」
言いながらも助手席に乗り込んでいくアリシァ。
「じゃあ……狙撃手の精神を乗っ取るんですか?」
後部座席に座る斎藤が意見を出す。
うん。それなら納得できる。
だがそれにも、「少し遠すぎるかな」と、首を振るアリシァ。
「じゃあ、いったいどうするんですか?」
心底不思議そうに訊ねる斎藤。車は響の手によって既に発進し、目的地を目指している。
今更文句を言う気は無いが、どうするつもりなのかくらいは聞いておきたい。
「私たちが車で近づくと、私が撃たれる。打たれる場所、時間。すべて分かってる。……ならその弾を斎藤くんが何とかすればいいじゃない」
「お、俺がですか!?」
「無理、でしょう」
焦る斎藤を横目に見て、助けを入れる。
斎藤の能力は、短距離の物質移動だったか?
色々制約がついて、ろくに使えない能力だと思った記憶があるが。
「ふふ……あれから三年も経ってるのよ、秋人くん」
ああ、能力は時を経るごとに強くなる、か。
「じゃあ、いけるのか?」
「……まあ、何とかなるかもしれん」
どう考えても無理だと思うんだが、本人が良いと言うなら俺は何も言うまい。
「じゃあ頑張ってくれ……俺は寝ててもいいですか?」
後半はアリシァに向けて言い、目を瞑る。
「うん、しばらくやることもないし。眠れるなら眠っておいたほうが良いと思うよ」
「じゃあ、失礼して」
……十分ほど経って気が付く。
どうやら俺は甘かったらしい。全く眠れる気がしない。
まず寒い。ヒーターが壊れているのかと思ったら、もともと付いていなかったのだ。
そして振動が半端じゃない。路面の凹凸がそのまま衝撃となって体中を襲う。
「響、ちょっと優しく運転できないかな」
「じゃあ秋人さんに変わりますか?」
「いや……ごめん」
結局眠れないまま一時間過ぎた。
「そろそろかな。斉藤くん、準備はできてる?」
「まあ、なんとか」
「弾の進入角度は約13度。向きは……あっちの方から」
そう言ってアバウトに指を指す。大丈夫なんだろうか。
「あっちの方、すか」
「いい? 後十五秒、十四、十三……」
辺りの景色を確認しながらカウントを数えていくアリシァ。頭の中で俺の記憶を忠実に再現しているのだろう。
何度も思うことだが、アリシァの強みはその能力ではなく、記憶力、そして演算能力ではないだろうか。
もし俺が他人の思考を読み取れる能力を得たとしても、すぐに脳がパンクしてしまい、有効に使いきれないのではないか、と思う。
アリシァが覚醒しなければ。
歴史に名を残すほどの学者となっていたのではないか。
勝手な思い込みだが、つくづく惜しい話だ。
「四、三、二、一。……うん、お疲れ」
アリシァが一、と口に出した瞬間、一瞬のブラックアウトの後、ジープ自体が左方向に転移した。
バキ、と、サイドミラーが吹き飛び、はるか後方に置き去りにされていったのがその証拠だ。
「でもこの後はどうするんですか? ……また撃たれたら厳しいですよ」
額に汗を浮かべ、斉藤が言う。
「ふふ、もう私にとっての境界線は越えたよ」
境界線?
「ここまで近づけば……屋外に出てる彼の思考は、読める」
そうか。そういう意味か。
……まてよ。ということは、相手はアリシァの能力の限界を知っていた、という事になるんじゃないか?
ミーミルの能力は、予知だったな。
……何故だ?
手下にESP系の能力者がいるということか?
それとも、何かしらの情報源を持っているということなのか?
「斉藤くん、後三秒、二秒、一。……うん」
再び視界が闇に染まり、転移したことを悟る。
これを到着まで続ける気か?
俺の疑念を悟ったかのようなタイミングでアリシァが振り向く。いや、事実悟ったのだろう。
「よし、終わり。彼も狙撃は諦めたみたいね、今中に戻っていったわ」
「そ、そうですかあ……勘弁してくださいよ、もう」
大きくため息を吐く斉藤。心なしか顔色も悪い。
「で、何か分かりましたか?」
「まあ、一応ね。今狙撃したのはユーリって奴ね。能力は透視、と遠見。視力は十五くらいあるみたい。人工衛星も目視できるみたいだから」
「透視、ですか」
それはまた、随分と……。
「う、うん。私も見られちゃった。……響も」
「……そう、ですか」
なんともコメントしにくい能力だな。
「他には何かないですか? 雪見とか、もう一人の情報とか」
「あ、ええ。ごめんなさいね、雪見さんのことは読み取れなかった。
もう一人はイリーナっていって、女性ね。この子に能力は無いみたい。ユーリくんは彼女のことを嫌ってるみたいだけど、理由までは判らなかった。なんでかな?」
俺に聞かれても知りませんよ。
……しかし、有益な情報だったか。少なくとも能力者は二人だけ、という事になるのだから。実質気をつけるのはユーリとミーミルだけ、といったところだろう。
唯一、気になることは。
ミーミルの予知。その精度だ。鉛の壁に囲まれていながらも使うことの出来る能力。
どれだけ強い能力なのか。
ミーミルと相対する未来を思い浮かべ、俺はぶるりと身を震わせた。
ユーリ・アメデオ:22歳。能力は‘透視‘と‘遠見‘。視力は計ることが出来ないほど良い。組み合わせれば地球の裏側まで覗く事が出来る……わけではない。当人にとって歯がゆい事に、透視の限界は二キロ程度。