5 「勇者でなくても」
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大陸北部にある「帝国」の首都であるイスルギから徒歩で十分もしない場所に、その森はあった。
北部は冬が長く、秋の終わりには雪が降り始める。
それゆえに、森は大事だった。果実や薬草が実り、雪が積もる前に森に負担を与えない程度に森から恵みを与えてもらう。
そんなサイクルを繰り返していた。
しかし、果実や薬草を求めるのはそこに住まう人だけではない。動物も魔物もそれを求めてやってくる。時に、魔物は果実や薬草を取りに来た者や動物を捕食するために、森の中でじっと息を殺していることがある。
そして、帝国から一番近い森でも最近から黒狼の目撃や被害が相次いでいた。
普段であれば、軍が討伐隊を編成し、退治するのだが……まだ連合との戦から一ヶ月も経っていないのだ。そこまでの人員が割けていないのだ。
――グルルッ、グルルルッ
呻るような黒狼の声を聞きながら、翼人の子供ルルは怯えてその場に座り込む。
戦で怪我を負って帰ってきた父親のために、薬草を用意してあげたかったのだ。本当なら薬を買ってあげたかったが、ルルのように幼い少女にそんな金を持っているはずもなく、迷ったあげく森へ薬草を積みに行くことにしたのだ。
だが、ルルは知らなかった。その森に黒狼がいることを。
そして今、目の前には黒狼が三匹いる。
仲間ではないのだろう、互いにけん制するように誰が獲物であるルルを食らうのか睨み合っている。
(逃げなくちゃ!)
薬草を握る手を、ギュッと握り締めて、動こうとしてできなかった。
腰が抜けていたのだ。だが、無理もない。黒狼が恐ろしいのだ。しかも、目の前の三匹はそれぞれ体長五メートル近い。
きっとルルのような幼い少女など一口だろう。
「たすけて」
少女の呟きに、三匹がいっせいにルルを睨む。
「……ヒッ」
恐怖に身をすくませるルルに、一歩、また一歩と黒狼が近づいてくる。
そして、もう駄目だと、恐怖が最大限になったとき兄の声が聞こえた気がした。
「ルルー!」
「おにいちゃん?」
声の方に必死で首を動かすと、ものすごい速さで走ってくる一人の青年に抱きかかえられて、兄のリューイがやってきてくれている。
「おにいちゃん!」
「ルル! 待ってろよ! 今行くから!」
リューイの声を聞いて、さらに速度を上げる一成。
黒狼が獲物を取られると思ったのか、それと新しい獲物がやってきたと思ったのか、呻り声を上げて一成たちを睨むが……。
「とりあえず、先手必勝!」
ドン、と地面を蹴って跳躍すると、一番近くにいた黒狼を蹴り飛ばす。
「リューイ、妹を連れて上へ飛べ! できるだけ高くだぞ!」
「うん!」
リューイは一成の腕の中から飛び出すと、妹を掴んで空へ向かって飛び上がる。
しかし、残る二匹の黒狼がそれをじっと待ってくれるはずもなく、その体格からは信じられない俊敏な動きで跳躍し鋭い牙がならんだ大きな口を開ける。
だが、その牙は子供たちに届くことはなかった。
「なにやってんだよ、俺の相手をしてくれよ?」
二匹の片足を、一成が両腕で掴んでいるのだ。
そして、その腕を思い切り引いて、後方へ投げ飛ばす。
「やっべ……傷口が開いたかも」
腕や腹、背中がズキズキと痛む。
しかし、だからと言ってもう限界ですというわけにはいかないのだ。
「でも、少しだけ嬉しいって思うよな。俺にもまだ、誰かを守りたいって気持ちがあるんだ……まだ誰かのために戦える力があるんだよな」
裏切られて、絶望して、死にたいと思った。本当に、死んで消えてしまいたいと思った。
だけど、そんな自分だけど、もう勇者でないけれど、さっき出会ったばかりの子供たちのために、戦えることが嬉しいと思った。
「とりあえず、今はそれだけでいいや。あまり難しいこと考える頭もないし」
一成は笑みを浮かべる。
そして、立ち上がる三匹の黒狼を見据えて、拳を握るのだ。
椎名一成は勇者としてこちらの世界へ召喚された。だが、召喚されたからといって、特別な力を授けられたわけではない。
勇者召喚魔術は勇者となりえるもの、勇者の資格があるものを呼び出すというシンプルな召喚術なのだ。
つまり、地球では意味のなく、生涯気がつくこともなかったであろう力が一成にはあったのだ。それゆえに、こちらの世界に召喚されてしまった。
――ぐるるるる
黒狼が呻り声を上げる。
蹴りと腕だけで、自らの巨体をぶっ飛ばした一成に黒狼は警戒しているのだ。
そして、痺れを切らしたのか一匹が地面を蹴って突っ込んでくる。そして、鎧をも切り裂く鋭い爪で一成の体を切り裂こうとする。
しかし、それも一成には通用しなかった。
爪が届けば一成も大怪我を負っただろう。だが、前足の足首を掴み受け止めたのだ。片手で。
五メートルもある体格を考えれば体重も凄いはずだ。だが、全てではないとはいえ、片手でその重みも受け止めているのだ。
一成には膨大な魔力があった。しかし、その魔力を魔術として使用するには才能がなかった。初歩的な魔術、医療魔術などは使えるが、それでも才能は無いに等しい。
そこで、師であるシェイナリウス・ウォーカーはその膨大な魔力を膂力に変換するようにと言った。
そして、思い出したくもないほどのしごきを受けて、魔力を膂力に変換することに成功したのだ。同時に、魔力を何かに込めることもできるようになった。
ゆえに、走れば獣のように早く、蹴りや拳は黒狼の巨体もぶっ飛ばす。シンプルゆえに強い力を得たのだ。
「二人は……だいぶ離れたな。これなら大丈夫だろ」
後ろを振り返ると、兄弟は一成の言いつけ通りに街へ向かっている。もう森からも出ているし、黒狼も追いかけはしないだろう。
ホッとした瞬間、残りの二体が牙を、爪を、一成に向けて襲い掛かってきた。
爪は同様に受け止めたが、牙は体から腿にかけてを思い切り噛み付かれた。魔力を膂力に変換していなければ、きっと抉られていただろ。
「っーかさ、お前ら……獣のくせに、どっちが本当に強いのか本能でわからねえのかよ?」
鋭い牙に噛み付かれているというのに、激痛でのた打ち回りたい気持ちもあった。
同時に、できるだけ黒狼を傷つけずにこの場を収めたいという気持ちが強かった。
そして……両腕で掴んでいる二匹の前足から力が抜けて、噛み付いていた黒狼も顎の力を緩めた。
そのせいで体から多くの血が流れて出てくるが、あまりそのことが気にならなかった。どうしてだろうか、と思ったのと同時に、ふらりと体が傾き倒れてしまう。
正直まずいと思った。だけど、助けたい子供は助けることができたし、もう良いかなとも思ってしまった。
しかし、一成は驚くことになる。
てっきり襲い掛かってくると思った黒狼が心配そうに、鼻をこすりつけてくるのだ。癒そうとしているのだろうかか、体の傷口も舐めてくる。
「驚いたな……黒狼を屈服させたのか?」
それは聞いたことのある声だった。
――確か、魔王と一緒に死に掛けたとき、メイドと一緒にやってきた……
そこまで思い出すと、一成は眠るように意識を手放したのだった。
「本当に心配したんたんだぞ。君は一体、何を考えているんだ? 日常生活は問題なく送れるだろうとは行ったが、戦闘行為はもちろん、魔力を使った全力疾走などをしたら傷口が開くのは当たり前だ。いや、それは良いとしても黒狼に噛まれるだなんて、君は本当にまだ生きていたくないのかい?」
夜、目を覚ました一成は、ベッドの隣にある椅子に腰か掛けていた魔王リオーネに説教を食らった。
「無事だったから良いとしても、あれは一体どうするつもりだい?」
「……あれってなに?」
「黒狼だよ、君が屈服させたんだろう。三匹も着いて来てしまって、今は庭にいるよ。幸い、街の者を襲うつもりはないようだからいいけれど、ご近所は皆怖がってしまっているではないか、まったく……呆れるを通り越して驚愕だよ」
人間が黒狼を屈服させたなど、前代未聞だと彼女は言う。
とはいえ、一成としてはそんなつもりはなかった。
ただ、少し戦ってみて、勝てると思ったのだ。だからこそ、命を奪うよりも、相手がそれに気付いて退いてくれればと思ったのだが……まさか街まで着いてくるとは思わなかった。
「ま、まぁそれは置いておくとして、子供は無事か? えっと、リューイとルルだったな、名前は」
「ああ、あの子供たちなら無事だ。逃げている途中、捜索隊に保護されて、そのまま街へと無事に戻った。君の事を心配していたよ、見舞いにも来たんだが……黒狼に怖がって逃げてしまったよ」
苦笑いを浮かべてみせるリオーネ。
「あー」
まぁ確かに黒狼が三匹もいたら、そりゃあ逃げるだろうなと思う一成だった。
しかし、疑問は残る。
「俺は別に屈服させたつもりはないんだけどな……」
「魔物は基本的に本能に忠実だ。そして、黒狼は本能に忠実であっても愚かではない、どちらかといえば賢い魔物だ。それゆえに敵対すると面倒であり、脅威なのだが……きっと君に勝てないと本能で理解して、君が黒狼を傷つけるつもりがないとも理解したのだろう。ゆえに、君に下ったのだ」
「じゃあ俺があの良い感じの毛並みを撫でまくろうが、自由と?」
「……気になるのはそこでいいのか? だが、嫌がらない程度であれば問題ないんだろうね。ただし、あの黒狼たちが何か問題を起こしたら君の責任になるよ。それだけはしっかりと覚えておいて欲しい。一応、ドワーフ族が魔物と意思疎通をできる道具を造ってみると言っていたから期待していいとは思うよ。彼等の技術は凄いからね」
わかった、と一成は頷く。
「しかし、本当に驚き心配したよ。てっきり、私は君が自暴自棄になってしまい、どこかへフラフラと行ってしまったんだと思ったんだ。つい、捜索隊を編成してしまったよ」
「いや、それは悪いと思ってるよ」
さりげなく信用されていないな、と思うがそれはあえて口にはださない。
立場が逆なら同じようなことを思うだろうから。
「結局、杞憂に終わったからそれは良いんだ。だが、まさか黒狼と戦っているとは思わなかったね。まぁ、戦いというほどではなかっただろうけど、大怪我を負ったのは間違いない。医療魔術も完全じゃない。しばらくは安静にしているといい」
「わかった。悪いな、色々と面倒掛けて」
「構わない。君は覚えているか分からないけれど、一度君に命を救われているからね。それよりも、黒騎士に礼を言っておくといいよ。黒騎士が君を発見して、君を守ろうとする黒狼からなんとか街へと連れてきてくれたのだから」
そういえば、最後に黒騎士を見たなと思い出す。
男なのか女なのか分からない中性的な声だった。鎧と兜で体つきも、顔も見えないので性別も分からない。
それに、まともに顔を合わせたこともなかったなと思う。
「……傷が癒えてこの国を出て行く時までには礼を言うよ」
一成がそう呟いた瞬間、椅子を蹴倒すようにしてリオーネが立ち上がる。
そして、震える声で、恐る恐る尋ねてくる。
「君は、帝国から出て行くつもりなのかい?」
「一応、そのつもりだけど……いつまでも迷惑は掛けられないし、問題あるか?」
「いや、問題はない……だが、私は迷惑だと思っていない、それにできれば出て行って欲しくないと私は思っている」
それが分からない。
リオーネは良くしてくれている。
敵対していたというのに、死に掛けていたのだから放っておけば良いのに、それがどうしてだか一成にはわからなかった。
「アンタは初代魔王のことがあるから俺を助けたんじゃないのか?」
「それは理由の一つだ。私は言ったはずだ。君の故郷の話を聞かせて欲しい、君のことを知りたい、私のことを知って欲しいと」
「ああ」
「ただの興味や酔狂だけでそんなことを言ったわけじゃないんだよ」
「じゃあ何だよ?」
――君と私で帝国を、いや世界を少しでも良いものにしたいと思っているんだ。
一瞬、一成はリオーネの言葉にあっけに取られてしまう。
まさかそんなことを言われるとは、夢にも思っていなかった。
だからこそ、返事に困る。
「以前、君に言ったが覚えているだろうか? 君みたいな勇者とは始めて出会ったんだ。私は君との出会いに運命のようなものを感じたよ」
「……」
「私はね、別に人間をどうこうしたいだなんて微塵も思っていない。ただ願うのは、我ら異種族の平穏。そして可能であれば人間と異種族の友好関係の成立」
それは……正直難しいだろうと思う。
だが魔王は笑ってみせる。
「うん、確かに難しいことを言っているのは承知している。正直、何をどうすればそこへ至れるのか検討もついていない。だけどね、人間と異種族が互いに手を取り合って平和に暮らしていた時代もあったんだよ」
「え?」
まさか、と思った。
今まで、たった一年だが、旅をして来て異種族に嫌悪感を持たない人間にはあったことはあるが、互いに手を取り合って生活していた者などみたことはない。
いや、エルフという異種族と自分は、ストラトスやキーア、そしてカーティアたちも上手くはやっていた。
だが、手を取り合った平和な時代があったと言われても、たった一年しかこちらの世界にいない一成でも何かの間違いではないかと思ってしまう。
それほど異種族と人間の溝は深いのだ。
「正直、驚くのは無理もないね。だが、本当にそんな平和な時代があったんだよ。ただ、残念なことに、どうしてその平和な時代が終わり今のように人間と異種族に大きな溝ができてしまったのかは私もわからない」
だからこそ、と彼女は言う。
「私と一緒に、少しでも世界が平和になるように、手伝ってくれないか?」
「俺が、か?」
「そうだ。君でないと駄目だ。君のように、人間であり、異種族に偏見を持たない君のような人間だからこそ、共に歩みたいと思う」
それは魔王リオーネ・シュメールの嘘偽りのない言葉だった。
だが、その言葉に一成はすぐに返事ができない。
確かに、平和になれば良いと思う。翼人、獣人、鬼族、人間の子供たちが一緒に遊んでいたように、種族など気にせずに手を取り合えたらきっとこの世界は素晴らしいものになるのではないかとも思う。
しかし、自分に何ができる?
裏切られて、抜け殻になっていて、少しだけまだ守りたいという気持ちはある。まだ戦えるということもわかった。だが、それだけの自分に一体何ができるのだろうか?
「答えを今、聞くつもりはないよ。むしろ、君が今とても一生懸命に考えてくれていることは伝わったから、それだけで私は嬉しい」
「……ごめん」
「謝る必要なんてない。私のわがままなんだ。でも、やっぱりこのままじゃいけないと思ってしまうからね」
自分はこの世界のことを、異種族と人間とのことを知らなかったと一成は後に思う。
人間が異種族を嫌っていること、迫害していることは知っている。だが、その理由は?
その結果、異種族は何をされた?
異種族だけではない、人間だって身分の差があり、酷い者は家畜以下の扱いを受けるという。それはどんな扱いなのだ?
一成は何も知らない。
そもそも、勇者として魔王を倒そうとした、本当の理由は?
「俺は……」
「病み上がりの君に、色々と言うべきでは無かったかな? 少し焦っていたかもしれない。でもね、私は君となら、何か一つでも後で振り返って「ああ、やってよかった」と思えることができる気がするんだ」
「どうして、そう思う?」
「う……そう問われると難しいんだが、二日間君と戦って、君と一緒に死にかけて、まだ出会って間もないけれど色々な経験を一緒にした。そして、さっきも言ったけど、君は今までの勇者とは違う。だから、そう希望を感じるんだ。そして、その希望と共に私は何かをしたいと思っている」
こういうことは上手く言えないし、伝えるのが難しいね、とリオーネは苦笑する。
「とにかく、少しだけ考えてみて欲しい。もちろん、断っても帝国から追い出そうとはしない。それは約束する。では、私はこれで失礼するね」
そう言ってリオーネは部屋から出て行ってしまう。
体が痛む。心が痛む。疲労していると体が悲鳴を上げていて、目を瞑れば眠ってしまいそうなほど疲れているのに……なんだか今夜は眠れない気がした。
今回は元勇者をメインにさせて頂きました!
迷いながら、一歩ずつ。そして、また迷う。しばらくそんな感じが続きそうです。
次回は仲間のお話です!
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