49 「エピローグ」
長らくお待たせいたしました。
なにもない真っ白な空間の中で、椎名一成は浮かぶように漂っていた。
地面も空もない。ただ、白一色に統一された世界に傷だらけの一成はいた。
「助けることができてよかった。偶然が重ならなければ、アンテサルラからお前のことを救えなかった」
不意に、なにもない空間に一人の青年が現れた。
歳は一成とそう変わらない。
どこにでもいそうな青年だったが、彼が一成の額に手を伸ばすと淡い光が体を包んでいく。
「だいぶ無茶をしたみたいだな。神気によって体はボロボロ。真なる器としての覚醒も、命を縮めている。あの世界から救い出すことができなければ、遠からずお前は死んでいたはずだ」
聞こえていないのを承知しながら、青年は一成を癒やしながら声をかけ続ける。
「まがい物の神々の都合に、こちらの世界の人間が付き合う必要なんてないんだ」
憐れむように、いくつしむように一成の髪を空いている手で梳く。
一成に向ける青年の瞳は、穏やかで優しい。兄のように、父のように見守るような視線を向けていた。
「俺のせいでお前には苦労をかけてしまった。どれほどの謝罪をすれば償えるのかわからない。許してくれとも言えない。すべては俺のせいなのだから」
青年の言葉は要領を得ない。
だが、謝罪していることだけはわかる。その謝罪も一成には伝わってはいないが。
「かつて、俺は、いや--私は、管理神として数多の世界を管理していた。世界とそこに住まう人々は儚く脆い。管理する者ではなく守護する者が必要だと思った私は、優れた人間に擬似的な神の力を与えることで世界の守護者をつくろうとした。だが、それが間違いだった」
それはまだ、青年が神として世界を見守っていた遠い昔。
世界の守護者を人間の優れた者から選んだ。
太陽神、大地神、戦神、魔神という立場と司る力を与えたのだ。
それが、アンテサルラを始めとする、一成が出会った異世界の神の正体だ。
彼らもまた、はじめは人間だった。
ゆえに、人間のように感情を持つ。愛に狂い、復讐に身を焦がし、誰かを大切に思うのだ。
「今でも当時の選択を間違いだとは思わない。世界の守護者は、人を思いやることのできる人の気持ちを持っていなければいけなかったのだ。私が一から存在を作っても、その存在は私と同じ考えをして行動を取っただろう。しかし、私は所詮管理神であり、人ではない。ゆえに人の感情まで理解できなかった」
それこそが最も大きな失敗だと青年は自嘲する。
「彼らは最初からあのようになってしまったわけではない。私が出会った頃は、誰もが正義感と強く優しい心を持った善人だった。それは間違いない。しかし、人間の感情は私の想像よりも上をいった。愛に狂う者、欲を抱く者、無欲だが巻き込まれた者がいた。神の力を持っていた彼らはその力を次第に自分のために使うようになってしまった」
つらそうに、悔しそうに、青年は過去を振り返り語り続ける。
一度も選択肢を間違えたと思わなかったわけではない。しかし、異世界の神々も人間のために戦い傷つき散っていたのだ。
彼らは確かに世界を守護したのだ。
だが、その守護者の彼らが、今の世界に新たな災厄をもたらす可能性があるということは青年にとって胸が痛いことである。
管理神として彼らを諌めなかったわけではない。放置することなどできなかった。
世界の人間を生み出したのは管理神である。自分たちの子供なのだ。愛しくないわけがない。大切でないわけがない。
しかし、親の愛情は子どもたちに伝わらなかった。
「私が彼らを諌めようと地上に降りた時、絶対の神になろうと企んでいたアンテサルラに力を奪われてしまった。まさか私にまで牙を向くと思っていなかった私の失態だ。そのせいでアンテサルラは私に変わる神となろうとした。いや、事実なったのだ。それを阻止しようとした神々は儚く散っていった」
すべての原因は私だ。
責められるべきなのも、世界の憎悪を一身に受けなければいけないもの私だ。
「力を失った私は向こうの世界に干渉できなくなった。しかし、腐っても管理神。一つの世界に阻まれたとしても、見守らなければいけない世界は数多にある。そこで私はひとつの決断をした」
それは自身の存在を切り刻むことだった。
傷つけるという意味ではない。
管理神としての青年は、力を分割してその分割された力のひとつひとつが一人の人間となった。
人間となった管理神は人間の心を学ぶために、人間として生きた。
「そこで私は、いや俺は--お前と出会ったんだ一成」
色々な世界で、色々な人生を歩んでいる青年たち。
その一人でしかないが、椎名一成と出会ったことで青年は感情を広げた。
「俺は、遠藤友也は--椎名一成からたくさんのことを教わった。お前だけじゃない。仲間たちや、お前の幼なじみ志村京子からも俺は多くのことを学び、心というものを教わった。できることなら、このままお前たちが死ぬまで、側で兄のように見守っていたかった。だが、例え神と名乗っていたとしても思い通りにならないものだな。まさか、お前が私を拒んだ世界に召喚されるなど夢にも思いもしなかった」
管理神--否、遠藤友也は大いに慌てた。
何度も一成を取り戻そうとした。
人間としてではなく、管理神としての力を取り戻してまで一成のために動いた。
しかし、それでも助けることはできなかった。
「だが、一成が覚醒し、神気を得た。そこへアンテサルラたちが集まったことで、世界の均衡が崩れた。俺はその隙を逃さなかった。そしてお前は見事に、彼らを一時的に追いやることに成功した。最大にして最高のチャンスだった」
友也は、神々と同じく弾き飛ばされた一成を拾い上げることに成功した。
世界に干渉できなくとも、裏道というものは存在する。
友也はその裏道を使い、一成を救ったのだ。
「うっ……」
傷が癒えたことで一成の意識が戻りかける。だが、友也は彼の両目を追おうように手のひらをかぶせると神気を送る。
「今はまだ眠っていろ。まだお前を蝕むものを癒やすことはできない。起きれば激痛と苦痛にのたうち回ることになってしまう」
しかし、友也の今の力では蝕んでいるものを取り除くことはできても、その根本まではなかったことにできない。
真なる器としての素質、覚醒した力、内側に宿っている神気。
一成を蝕んでいる原因だ。
これをなかったことにするには、他の世界にいる自分たちとひとつに戻り、再び管理神に戻らなければいけない。
だが、それには時間が必要だった。
そして、その時間が一成にはない。
「すまない。今はただ、根本となる原因をお前の内側に、私の力で封じることしかできない。しかし、それだけでも数年は問題なく過ごせる。お前自身が、その力を使わなければ、という前提がつくが」
友也は決断する。
許されないと思いながら、一成へと神気を送り操作し始める。
「お前を蝕む原因をすべて封印しよう。同時に、お前がこの世界を去って向こうの世界で過ごした一年の記憶も共に封じさせてもらう」
本来ならば、例え管理神だとしてもやってはいけないこと。
「いつか封印が解ける日が来るかもしれない。それまでに俺がお前を救うことができればそれでいい。しかし、私よりも先に、封印が破綻すれば記憶とともにお前はすべてを思い出すだろう。この空間での私の独白も。そうしたら、存分に恨んでくれ、殺してくれても構わない」
だから今は、全てを忘れて穏やかな平穏に戻れ。
お前を思う、優しい幼なじみと家族のもとで争いとは無縁の生活を送ってくれ。
それが私の傲慢な願いだ。
「さあ、傷は癒えた。根本たる原因も封じた。椎名一成、さあ戻るんだ。懐かしい、地球に」
友也の言葉と共に、光りに包まれた一成の体が消えていく。
彼の言葉通りなら、おそらくこの空間から出て地球へと戻ったのだろう。
「ずっとお前のことを想い、心配していた幼なじみを安心させてやれ」
この言葉は、管理神ではなく、一成の慕う先輩遠藤友也としての言葉だった。
「だけど、俺は思ってしまうんだ。もしかしたら、お前は向こうの世界に必要とされているのではないかと。そう思ってしまう」
管理神である自分の友人であり、異世界の神の真なる器でも合った。
これがただの偶然だろうか?
偶然であって欲しいと願うが、もしかしたら偶然ではなく必然であった気がしてならない。
「もしかすると、もう俺は管理神として世界に必要されていないのかかもしれないな」
それは存在を否定されるということ。
つまり、管理神である遠藤友也の--死に繋がるのだった。
「それもひとつの結論か。いまはただ、一成の無事を喜ぼう」
友也はそう言い残して白い空間から消えたのだった。
*
「かっちゃんっ!」
大声を上げて病院の個室に飛び込んできたのは、志村京子だった。
彼女の表情はなんというべきか、安堵と心配が混ざりに混ざってどうしていいのかわからない。そんな印象をあたえる。
理由はただひとつだけ。
--ずっと行方不明だった幼なじみが見つかったのだ。
一年以上も失踪していた椎名一成が、数日前に保護された。
街の外れにある海岸で、砂浜に俯せて倒れていたところを通りかかった人に見つけられたのだ。
外傷こそないが、肉体的に極度の疲労をしているようで昨日まで目を覚まさなかった。
一度だけ、一成の両親と一緒に眠る彼を見舞ったが、もしかしたらこのまま目を覚まさないのか心配になってしまうほどだった。
しかし、昨日目を覚まし、検査を終えて、面会が許された。
面会時間と共に京子が部屋に飛び込んできたのも無理はないというものだ。
「よう、京子。久しぶり……になるのかな?」
「久しぶりどころじゃないよ、一年以上もどこに言っていたの?」
「ごめん。なにも覚えてないんだ。思い出そうとすると、頭が割れそうなほど痛むんだよ。医者は心的ストレスがどうこうって言っていたけど、実際はどうなのかわからない」
「そうなんだ……でも、こうしてかっちゃんが無事なだけでよかった」
大げさだな、と一成は笑ったが、この一年間ずっと一成のことばかりを思っていた京子にとっては大げさではない。
夢の中でさえ一成だった。いや、違う。夢の中じゃなければ一成に会えなかったのだ。
しかし、その夢の内容も酷いもので、裏切られたり傷ついたりと、見ていられなかった。それでも、せめて夢の中だけでも会いたいと父親の睡眠薬に手を出したほどなのだから、彼女の心情は察するに余りある。
その睡眠薬に関しては両親に露見し、大いに叱られ心配された。結果としてカウンセラーに通うことになったが、京子の両親も一成が無事に見つかったことで胸をなでおろしていた。
一成の無事に安堵していたのも事実だが、京子の精神がこれ以上どうにかならないと思ったからだ。
一成に依存していると取れる京子だが、彼女自身はそう思っていない。依存ではなく、ただ心配だったのだ。
想いを抱いていた相手が消えるように失踪してしまった。その前に喧嘩をしてしまい、まともに顔さえ合わせられなかった。
彼女に残ったのは後悔。
もちろん、それを依存と取る人もいるかもしれない。
「退院はいつできるの?」
「あとニ、三日は様子見で入院させとくって親に言われたよ。警察も話を聞きに来るらしいから、家にいるよりも都合がいいみたいなんだ」
「そっか。早く退院できるといいね」
「まったくだよ。でもさ--」
「どうしたの?」
「どうして俺はなにも覚えていないはずなのに、心につらい気持ちや温かい気持ちがあるんだろうって思ったんだ」
「言いたいことがわからないよ」
俺も自分で言いたいことがわからないよ、と一成は苦笑い。
彼自身、不思議なのだ。
なにも覚えていない。失踪していた、それも一年以上。そんなことを説明されてもよくわからないのだ。
一年以上前のことすら曖昧にしか覚えていないのだから。
ただ、この一年は何かあったと思っている。
記憶が無いから大変な目にあったのではないか、という推測などではない。
記憶がなくても、心がなんとなく覚えているのだ。
辛いことがあった。悲しいことも、やりきれないこともたくさんあった。だけど、それ以上にいいこともあった。本当なら忘れてはならないことがあったはずだと、頭ではなく、胸の中で覚えている気がするのだ。
「なんだろう、無性に会いたいよ」
誰にとは言わない。一成自身が、その誰かがわからないからだ。
だけど会いたかった。
笑顔が見たかった。会話をしたかった。
そう思う大切な人たちが何人もいる気がしてならない。
それ以上に、
--俺はきっと何かをやり残している。
そう確信している。
胸騒ぎがする。自分の知らないところでなにかがまだ終わらずに進んでいるような気がしてならない。
そう思うと記憶を取り戻したいと気がはやってしまう。
医者は一時的なものかもしれないと言っていたが、その一時的がいつまでなのかわかるわけがない。
どうしてだろうか?
今、こうして焦るように記憶を求めていることにも、なにか原因があるような気がした。
「ねえ、かっちゃん、無理はしないでね」
「もちろん。するつもりはないよ」
心配気に顔を覗きこんでくる幼なじみを安心させるように、笑ってみせる。
一成は両親から、京子にどれだけ心配をかけていたか説明された。
それを知った一成は心が傷んだ。
そして、また不思議に思ったのだ。以前の自分だったらもっとそっけない態度をとっていたのはずだったのに、と。
「なんだかかっちゃん変わったね」
まるで一成の心を見透かしたように、京子が言った。
思わず胸が鳴る。
幼なじみから見ても変わったように見えるらしい。
なにを、とは聞かない。聞かないほうがいいような気がした。
ただ、もしも自分が変わることができているのなら--それはきっと、記憶のない一年間になにかあったのだろう。
思い出せないことがもどかしい。
「きっと変わることができたのなら、あいつらのおかげなのかもしれないな……」
「え? あいつらって、誰?」
「……俺、今なにか言ったか?」
「ううん、なにも言ってなかったよ。それよりも、これからどうするの?」
なにかを無意識に言ったようだったが、一成はそのことを隠した京子に不思議に思いながら、質問されたこれからを考える。
高校はどうなるのだろうか?
一年以上も行っていなかったのだ、留年は間違いない。言われてもパッとしないが、一年でいろいろなことがあったはずなのだ。こちらの世界でなにがあったのかも知りたい。
だけど、それよりも、
「今はただゆっくりと眠りたいよ。体を、心を休めておきたい」
いつか来るその日まで。
「今日はもう休む?」
「そうだな。休もうかな。でも、お願いがあるんだ」
「なにかな?」
「俺が眠るまで、この一年間京子がなにをしていたか、世界になにがあったのか知りたいんだ。京子が知っている限りでいいから話してくれ」
「なんだか子供に絵本を読むようだね」
「あー、そう言われればそうだな。まあ、そんな感じで頼めるかな?」
「いいよ、私で良ければ喜んで」
そうして椎名一成は、志村京子の話を聞きながら目を瞑る。
彼女の話に耳を傾けながら、脳裏に記憶に無い少年少女たちが浮かんでは消えていくのがわかった。
ああ、きっと彼らが俺にとって大切な人たちなのだろう。
なんとなくだがそう思う。そして、その気持は間違っていないと思う。
また、きっと会えるから待っていてくれ。
一成は、名前さえ浮かんでこない彼らに伝わるように胸の中でつぶやくと、次第に睡魔に身を任せるように眠りについた。
「かっちゃん、寝ちゃったの?」
声をかけるが反応はない。
やはり疲れているんだね、と京子は幼なじみの寝顔を眺めながら静に微笑んだ。
そして、
「もう向こうの世界に絶対に渡したりしないから」
微笑みを浮かべたまま、誰かに言い聞かせるわけでもなくそうつぶやいたのだ。
その声は、発した京子自身にさえ酷く冷たく聞こえたのだった。
こうして、一年以上も続いた椎名一成の戦いは休戦となった。
また戦うのか?
それともこのまま戦いと縁のない世界で生涯を終えるのかは、まさに神のみぞ知ることだろう。
いいや、神にさえもわかりはしないだろう。
眠れ、今はただ眠れ。
いずれ来るかもしれない戦いに負けないように。
力を蓄え、勝利するために。
にやり、と一成の中でなにかが笑った気がした。
ご愛読どうもありがとうございました。
書籍版とは全く違う終わり方ではありますが、これにて本作を完結とさせていただきます。