37 「勇者来襲11」
カーティア・ドレスデンは押しつぶされそうな圧迫感を受けながら、地面に倒れていた。
それでも必死に顔を上げて、一成の様子を見続ける。
――一成はどうしてしまったのだ……?
黒い獣のなった一成が、理性など感じさせず、拳を振るい、蹴りを放つ。
この場で立ち上がっていることができるニールと戦っている。
いや、あれを戦いといっていいのだろうか。
戦い方こそ、人間として戦っているが、カーティアにはそう感じることはできなかった。
ただ、目の前の標的を狙うだけ。理性を失った獣のように、四肢を振るっている。
なによりも異様なのは、これだけの圧迫感があるというのにもかかわらず、魔力はほとんど感じられない。
もっと別のなにか――そう、さきほどニールが放った強大な光の剣に近いものをカーティアは一成から感じていた。
――だが、そんなことはどうでもいいッ!
今、一成が生きている。それがカーティアにとっては一番大事だった。
ニールと戦い、最後の最後で逆転されてしまい、命を奪われかけた。これを少年が現れて止めたが、次に起きたことは一成の肌が褐色に染まり、髪が伸びて、理性を失った。
それでも一成は生きている。
カーティアは願ったはずだ。
――なにがあっても、どんな形でもいいから、死なないでくれ、と。
そして、その願いは叶えられた。
「私は、こんなことを願っていたわけではない、ただ、一成に死んでほしくなかっただけ」
生きていればいいわけではない。
獣のように理性を失った一成など見ていたくはない。
「目を覚ませ――馬鹿者」
ストラトスとキーアがなにが起きているのか、理解できなかった。
どうして今、自分たちが倒れているのか、どうして一成がああなってしまったのかも。
なに一つとしてわからず、困惑することもできずにいるだけだった。
体を起こすこともできずに、ストラトスは呟くように呻く。
「兄貴に、なにがあったんだ……」
呼吸が辛い。上からなにかに押しつぶされている、そんな錯覚さえ覚える。
「ストラトスさん……一成さんは、どうして……」
キーアのか細い言葉にストラトスは返事をすることができない。
どうして、と問われても、答えなどない。
ストラトスにだってわからないのだから。
「完全な覚醒に至った――いや、暴走だ」
だが、そんな二人の疑問に答えたものがいた。
ムニリアだ。
右腕の失った部分を押さえながら、彼は額を地面に押し付けて体を起こそうとしている。
「暴走?」
「そうだ、一成は、器として覚醒しきれなかった」
「その代わりに暴走したんですか?」
キーアの問いに「そうだ」とムニリアは返事をする。
なぜ、そんなことがわかるのか、そうストラトスたちは思う。
自分たちは知らないし、聞かされてもいない。いや、そもそも器という言葉すらついこの間、聞いたばかりだ。
「私たちは、一成が器であることは知らなかったが、器の存在は知っていた」
器は神の入れ物。地上で力を振るうために、神が降臨する依代。
だが、これが真なる器であれば、大きく話は変わる。
神と真なる器は、在り方が違えど、根本は同じ存在。神の半身といっても過言ではない。
だが、神を受け入れるには器としての成長が必要だった。成長をし、真なる器が覚醒することで、器としての準備が整うのだ。
あとは、神を受け入れるだけ。
そうすれば、真なる器が神と同一となり、神として地上に降りてくる。
そう言われている。
「なら、どうして暴走なんてこと……」
「それはわからない、知識として伝えられてはいるが、実際に真なる器と出会ったのは初めてだ。覚醒や暴走とは言ったが、あくまでも私見でしかない。もしかすれば、あの状態が覚醒なのかもしれない」
以前、龍神たちから一成が覚醒したとは言われていた。だが、それでも大きな変化はなかった。
つまり、覚醒はしたものの、それはほんの始まりでしかなかったのだ。
そして今、本当の意味での覚醒に至った、そう思った矢先だった。一成が理性を失った獣のように力を振るっている。
あれは危険だ。危険過ぎる。
ムニリアの本能が、警告音を悲鳴のように上げている。
かかわるな、と。この場から、どうにかして逃げろとうるさいくらいに告げている。
「私は見届けたい、いや、違う。私は、一成に神の器になどなってほしくはないのだ!」
どうせ動くことができない、そんな野暮なことは言わない。
ムニリアはこのまま動けないことに、いつまでも甘んじていることを良しとできない。
「うぉおおおおおおおッ!」
渾身の力を振り絞って、ムニリアは上半身を起こした。
この場の誰もが圧迫感に押しつぶされている中、唯一抗いきったのだ。
そして、彼は、血にまみれている残された左腕を、ストラトスとキーアに向ける。
「さあ、お前たちも抗え、それが今、私たちが一成にしてやれることの一つなのだから」
二人は大きく頷いた。
「魔王様、気がついておられますか?」
魔王城、リオーネの執務室で、クラリッサがリオーネに問うた。
「ああ、わかっている。ついに、この時が来てしまった。だが、こんなにも早く――もっと時間はなかったのだろうか?」
魔王リオーネ・シュメールは、大きく拳を机に叩きつける。
「龍神王がこられた時、いや、一成が真なる器だと聞いたときから、予想も覚悟もしていた。だが、実際に直面すれば辛い」
「魔王様……」
「彼が戦場へ向かうことはわかっていた。止めようと思えば止めれたが、彼の意思を尊重したのは私だ。その結果が、これか……」
泣きたくなる衝動に駆られながらも、リオーネは唯一の抵抗として涙を零しはしない。
素直になれない主に、クラリッサは声をかけることができなかった。
「真なる器――どこの神の器なのかすら私にはわからない。所詮、魔王といっても、神ではないのだから」
魔王、魔王と呼ばれても、慕ってくれる臣下がいたとしても、やれないことはやれない。知らないことは知らない、それが現実だ。
できることなら、共に歩めると思った一成のもとへと向かいたい。
だが、その衝動を必死に抑えている。
なぜなら――
「私には守らなければいけない民がいる」
そう、ここ魔王城の中には、多くの民が避難してきている。
魔王たちがいた街の住民も、帝都の住民も、近隣の街からも多くの民が集まっている。
リオーネは魔王として、彼らを守る義務があった。
ゆえに、一成のもとへは迎えない。
それが、歯がゆい。
「一成様ならきっと――」
「いや、きっとはない」
クラリッサの慰めの言葉すら、リオーネは切って捨てた。
諦めたわけではない。可能性が少しでもあるのならば、それを信じていたいと思っている。
心から。
――どうして、こうも悪いことが続くのだ。
そう思わずにはいられなかった。
龍神の登場、一成の真実、そしてニール・クリエフトの襲来。
どれか一つでもなければ、リオーネはその力を一成に惜しむことなく貸すことができただろう。だが、これだけのことが一度に起きてしまった事実は変わらない。
ゆえに、彼女は一成ではなく、民を選んだ。
魔王として、異種族の王として。
「現在、最北部にいる他将軍たちも、こちらへと向かってきています」
「間に合うだろうか?」
「わかりません。ですが、将軍の中でも頭一つ分、実力が抜きん出ているムニリア殿がいるのですから、彼に将軍たちが加われば――」
「いや、それでも龍神は退くことはできない。そもそも、ニール・クリエフトはハイアウルス殿とムニリアをたった一人で倒したのだ、一成の安否もわからない」
放っていた使い魔からの情報で、ハイアウルスとムニリアが倒されたところまでは把握している。その後、一成が現れ、ニールと戦い、最後に強大な光によって使い魔は消し飛んだ。
ゆえに、その後の状況は不明。
ただ、わかるのは、今――魔王城の中であっても感じ取ることのできる、この圧迫感。
これは龍神のものではない。ニールの放った力でもない。
そうなれば、消去法で答えは一つしかなかった。
――真なる器として覚醒した一成の力。
だが、この魔力ではない、強烈な力はなんなのだろうか?
予想すべきは神気だが、リオーネは神気を知らない。知ることができないのだ。
神は存在が違う。立っている場所が、次元が違うのだ。
戦えないわけではない、倒せないこともない。過去に、人間が神を倒した例もある。
――だが、それでも、神を理解することは“人”にはできない。
「私は無力だと痛感させられたよ。大事な仲間たちが戦っているのに、私はここから動くことができない。偉そうなことを言って、一成たちに共に歩みたいと言っておきならが、なにもできない」
――無様だ。
リオーネは自身を自嘲する。
心が弱ってしまった主に、クラリッサはなにかしてあげることはできないかと思う。
民は魔王城にいれば、よほどのことがない限りは安全だ。
魔王だけではなく、兵士たちにも守られている。
龍神も帝国の民に手を出すつもりはないだろう。そうなると、心配なのはサンディアル王国兵たちだが、それは魔王と自分が相手をする。
勝てるかどうかは不明な点が多いゆえに、断言ができない。しかし、民を逃がす時間くらいは稼いでみせるつもりだ。
そこで、クラリッサは一つのことを思い出した。
「魔王様」
「……どうした?」
「私たちは確かにここから動くことができません。ですが、一つだけできることがありました」
「なんだ、それは?」
驚き目を見開く、魔王にクラリッサは問う。
「魔王様、ここは魔王城なのですよ?」
「あ、ああ」
「では、魔王城の最上階にある魔法陣を使いましょう。私たちがここからできること、それは――砲撃による援護射撃です」
最新話投稿します。次回は一成の視点から。