33 「勇者来襲7」
一成は、ニールになにをされたのかまったくわからなかった。
ただ、わかるのは、とてつもなく強大な力が自分を掠めた。
たったそれだけ。
しかし、そのたったそれだけのことで、一成の拳はニールに届くことはなく、力を失い地に堕ちた。
「がッ……」
背中から地面にぶつかり、盛大に息を吐く。
体が動かない。なにをされた?
そんな思考がぐるぐると頭の中を駆け巡るが、答えは出てこない。
とん、と音を立てて地面に誰かが近くに着地する。ニールだ。
息を切らし、肩で呼吸を繰り返す。美しく整えているはずの長髪も乱れ、整っている容姿もいまでは傷と血にまみれている。
「残念です。いまさらなので言い訳に聞こえるかもしれませんが、できることならば、あのまま私はあなたに勝ちたかった」
ニールに勝利を喜ぶような表情は浮かんでいない。むしろその真逆だ。
戦っている時は、あれほど歓喜の表情を浮かべていたというのに、それほどにこの結果は不満であるのだろう。
「…………」
一成は彼に返事をすることができない。
口が動かない。舌が動かない。
呼吸ができているだけでも奇跡だと言わんばかりに、指一本すら動かない。
――情けない。
心底自分のことをそう思った。
戦いを止めるために、戦場にやってきたのに、守りたいと思う人たちを守るために拳を握ったというのに、こうして自分は地面に力なく倒れている。
――情けない……そして悔しい。
動くことを許されるのならば、唇を千切らんばかりに噛み締めただろう。しかし、今の一成には呆然と目を見開いて、痛みを感じることしか許されない。
視界の片隅には、仲間たちがいる。
獣人に羽交い絞めにされながらも髪を振り乱して一成の名を呼ぶカーティア。
両脇をエルフに挟まれ、身動きが取れないまま、それでも一成を助けたいと叫ぶストラトス。
エルフに肩を掴まれながらも、こちらに必死に手を伸ばし続けるキーア。
起き上がろうとするのを周囲に押し留められているムニリア。
傷付き、今は意識がないハイアウルス。
そして、目に写る帝国の人々。
――俺が守りたかった人たち。
ドクン。
一成の中で、なにかが鼓動した。
誰もがその目を疑った。
たった一本、剣を抜いただけで、このような結果になるとは夢にも思っていなかった。
一成がニールを倒そうとした拳が届く前に、ニールの剣から光の刃が放たれたのだ。
その光を刃と表現していいのか正直わからない。
あまりにもその光は太く、強く、強大だった。
しかし、その光は間違いなく、大地を斬った。深く深く、底が見えないほど深く大地に亀裂が入っている。
きっと、その光を直接受けたのならば、一成は即死どころか塵も残らなかったのではないだろうか。
一成はかすったと思っているが、実際は違う。光の余波を浴びただけだ。
あまりにも強大すぎるその力をニールは制御しきれなかったのだ。ゆえに、即死だけはしなかったが、実際のところ、そう変わりはない。
一成は指一本動かすこともできず、力なく倒れているだけ。
帝国兵たちは誰もが絶望した。
数多の戦場を潜り抜けた将軍ムニリアさえ倒してしまったニール。そんな彼を追い込んだ一成。誰もがそのまま一成がニールを倒すと信じて疑わなかった。
だが、結果はその逆。
強大な力に、放ったニールでさえ制御できない力を浴びて、堕ちてしまった。
カーティアが、ストラトスが、キーアがそしてムニリアも一成の名を叫ぶ。しかし、彼は動かない。
「誰か、魔王様を……」
それは一体誰の声だったのか。
だが、その声に続くように、魔王様、魔王様と声が上がり始めた。
あれだけの力には自分たちでは太刀打ちできない。いや、できるはずがない。元勇者では駄目だった。だが、我らの王である魔王様なら――。
希望の声が上がる。
しかし、希望の声が上がりながらも、誰もが不安に思う。
元勇者と魔王の力量にそう差はなかったと聞いている。ならば、魔王とはいえ負けるのでは?
魔王とはいえ、完全ではないのだ。無敵ではないのだ。
「ならば奴はいったい、何者なのだ?」
将軍を倒し、元勇者を倒し、魔王ですら倒してしまう可能性を持つ男。ニール・クリエフトとは何者だ。
あの力はいったい、なんなのだ?
帝国兵の動揺は止まることはなかった。
サンディアル王国兵も大きく動揺していた。
帝国兵が思っていたように、こちらもニールが倒されてしまうとばかり思っていたからだ。
だが、あの力はなんだ。あんな力を持っているニールはいったい何者なのだ。
味方にいるからこそ、不安も大きくなる。
そんな中、一人だけ不安を感じていない者がいた。
それは――勇者、結城悟。
悟が感じているのは、不安ではない。恐怖と屈辱だった。
ハイアウルス・ウォーカーにもう少しで殺されてしまうところだった。ニールが止めなければきっと死んでいただろう。そのことに恐怖し、腰を抜かしていた。
しかし、それと同時に、耐え難い屈辱も覚えていた。
勇者であるはずの自分が、たかがエルフなどに恐怖を与えられたのだ。仲間が助けなければ死んでいたなど、決して勇者が晒していい失態ではない。
幽鬼のように立ち上がると、悟は荷馬車へと足を運ぶ。
――許せない。
自分に恐怖を植えつけたエルフを。
――認められない。
自分以外に勇者がいるという事実を。
悟は腰を抜かし、恐怖に震えながらも、ニールと一成の戦いを見ていた。
そして聞こえてしまったのだ。
ニールが一成に対して勇者と言ったのを。
勇者は自分ではなかったのだ? 前の勇者は死んだはずだ。生きているのなら、僕はいったいどうなってしまう?
思考が纏まらない。
多くの感情が一度に襲いかかってきたせいで、頭が働かない。
それでも、悟は自分がどうなりたいのか、どうしたいのかだけはわかっていた。
頭で理解していたわけではない。感情で考えたわけでもない。
ただ、単純な願いだった。
――勝者になりたい。
それだけ。
だから彼は手段を選ばない。使える者は躊躇なく使う。
荷馬車に近づくと、ぎぃと扉を開けた。
中には、ごく普通の村人が男女四名。そして一人だけ着ている者が上等である貴族の男が一人。
縄で手足を縛られていた。
村人四名は荷馬車に転がされていたが、貴族の男だけは簡易な椅子に括り付けられている。
座り心地は悪いだろうが、転がされるよりもマシだろう。
目の前の五人は敗者だ、と悟は思う。
これから、彼らを使い、悟は勝者となる。
勇者と呼ばれた男が力なく倒れている今なら、自分に恐怖を与えたエルフや帝国将軍がいない今ならば、悟は勝者になれる。
そう信じて疑わなかった。
「……降りろ、お前たちは僕のために餌になるんだ」
低く、狂気さえ感じさせる声で、悟は五人に言い放った。
ニール・クリエフトはこの結末に納得ができないものの、一成に止めを刺すべく彼の体を跨いだ。
まだ使いこなせていない力も、この距離から放てば必ず当たる。
なっとくができないからといって、このまま命を奪わないという選択はニールの中にはなかった。
いずれ元勇者は自分の邪魔をする。
そうわかっているから。
思い返せば、ニールは一成を嫌いではなかった。いや、どちらかといえば好感を抱いていた。それこそ、現勇者である悟よりも。
彼がただの一人の人間であればよかったのにと思わなくもない。
だが、その考えこそ無駄だとわかっていた。
ニールには目的がある。そのために、多くのものを利用し、利用されている。
先ほどの力もそうだ。
“与えられた力”が込められた剣。
正確に言うならば、“与えられた力”のニールが使いこなせない分を封印してある剣だ。
一成に放ったのは、その力。剣に力を封じてあったので、刃として放たれたのだ。
「私たちは同じ存在です。選ばれた人間――ですが、選ばれた理由が違った。だからこそ、私はあなたを生かしてはおけず、きっとあなたも私を殺すでしょう。ならば私はあなたが力に本当の意味で目覚める前に、例え使いきれない力を使ってでもあなたを始末します」
もうピクリとも動かない一成に、ニールは静かに告げた。
やはり反応はない。
それならそれでいいと思う。
静かに腰の剣を抜いた。
刀身が目がくらむほどの輝かしい、白い光を放つ。
「このような別れは、とても残念です」
白い光は、強大な力となる。ニールは剣を空へと向けると、光が空へと伸びていく。
まるで巨大な剣のようだ。
ニールの背後で、一成の仲間たちが彼を助けようと動こうとしているが、力の余波で近づくことさえできない。ニールでさえ、気を抜けば自身がこのもてあましている力にどうにかされてしまいそうになるのだ。
ただの人間や異種族が近づけるわけはない。“領域”が違うのだ。
ニールは後ろを振り返ることはしなかったが、少しだけ、本当に少しだけ、かつて同じ目的を持っていた仲間たちのことを思う。
仲間、というほどの関わりはそう持っていたわけではなかったが、彼の中ではカーティアも、ストラトスも、キーアも、そして目の前に倒れている一成も仲間だった。
ニールはかつての仲間を失う。
一人は自らの手で、残りも追って命を奪うだろう。そのための準備もしてある。
そのことに、少しだけ、本当に少しだけ寂しく思った。
だが、その思いを捨てるように、感情を切り捨てるように。
「いずれまた、お会いしましょう」
一成に向かい、光の剣を容赦なく振り下ろした。
少しずつ色々な視点からお送りします。次回から二章の本質に振れる予定です。