32 「勇者来襲6」
「覚悟はいいか、ニール・クリエフト?」
強く握り締めた拳を目の前の男に向ける。
一成は内心、舌打ちをしていた。
――来るのが遅かった。
そう思わずには入られなかった。
家を飛び出したときには、まだ戦闘は始まっていなかったというのに、短い時間でハイアウルスは死にかけ、ムニリアは片腕を失い、斬られるという重症を負っている。
「や、やはり、生きておられたのですね、一成様! 命を落とされたと伺っていましたが、私にはあなたがそう簡単に死ぬことはないとわかっていましたから!」
「……どういう意味だ?」
「そう、そうですね、あなたはまだご自身の価値に気付いておられない」
瞬間、二人の距離が一瞬で詰まり、折れた剣と漆黒の篭手がぶつかり火花を散らした。
にぃ――ニールの笑みが深まる。
「このように、異種族の誰もが反応できない私の本気に、あなたはいとも簡単に着いてくる!」
「何が言いたいのかはわからねえけど、いっぱいいっぱいだぞ! いきなり斬りかかってきやがって、上等だ!」
二人はその勢いのまま戦い続ける。
両腕に篭手を装備した一成は拳を主とした攻撃を繰り出す。対してニールは折れた剣と、鞘を使い受け止め、いなし、自らも仕掛ける。
金属同士の音が響き、火花が散る。
一成の拳がニールの頬を捉えると、その衝撃で体が浮いたニールを畳み掛けるようにさらに一歩踏み込むが、宙に浮いたままニールは起用に体をひねり、折れた剣で一成の頬を切り裂いた。
お互いに致命傷はない。
軽症としか呼べない程度の傷だが、それでも互いの攻撃は確実に当たっていた。
「最高です! ですが、あなたの力はこの程度ではないでしょう! もっと、もっともっと見せてください、あなたの本気を!」
歓喜するように、宝を見つけた少年のように、ニールは楽しそうに、嬉しそうに、声を張り上げた。
そんなニールに対して、一成は目を細め、疑問の声を上げた。
「ニール・クリエフト――アンタ、こんなに強かったっけ?」
「それはその身をもってお確かめくださいッ!」
ニールは地面を滑るように疾走する。
対して一成は疾風のように駆ける。
二人がぶつかると、衝撃が起こり、その余波で暴風が周囲を襲った。
「一成様、あなたはまた強くおなりになりましたね。戦闘の基礎を教えた身としては、これ以上もない喜びが込み上げてきます!」
ニールが槍のように放った鞘が一成の額を捉えた。ゴッ、と音を立てて、額を割り、血が噴出す。
衝撃と痛みを無視して、一成は鞘を握るニールの手を掴むと、強引に自分に手繰り寄せ、バランスを崩した彼の側頭部に一切の手加減をしていない蹴りを放った。
鈍い音が響く。
本来なら、ニールは今の蹴りで宙を舞い転がっていくはずだったが、一成が手を掴んでいるのでそれを許さない。
宙を舞ったニールをそのまま地面の叩きつけ、返り血の着いている白い鎧の胸部分を思い切り踏み抜いた。
「が、ハッ……」
ニールが大きく空気を吐き出す。いや、それだけではない、唾液と血も一緒に吐き出し、一成の顔に飛ぶ。
そのまま止めを刺すのか。
いつの間にか、誰もが戦いをやめ、二人の泥仕合のような戦いを見ていた。
だが、彼らの予想とは反対に、一成は大きく後退し、膝を着く。
「一成ッ!」
遠くから一成を見守っていたカーティアが最初に気がついた。
一成の左足の腿に、ニールが握っていた折れた剣が突きたてられていたからだ。
一体、いつそんなことをできる余裕があったのかとカーティアは驚きを隠せない。
いや、ニールに対してだけではない。一成に対しても驚きを隠せなかった。
龍神から神気を浴びせられ、体を蝕む酷い火傷を負っているというのに、先ほどまでは動くのもやっとだったはずなのに、どうしてあれだけの動きができる?
――力が湧いてくるようだ。
先ほど、一成がそう言ったことを思い出す。だが、それはありえないと内心否定する。
力が湧いてくるような要素がないのだ。回復魔術はすでに施したが、それでも回復していない。神気に焼かれたというのはそのくらい酷いのだ。
一成は最初から魔力による身体強化という、彼にとっての唯一の武器を始めから使っている。だが、それも力が湧き出てくるような魔術ではない。
カーティアの心に不安が宿った。
――一成、お前に何が起きている?
「カーティア殿、あれは本当に、一成、か?」
意識のあるムニリアが、呼吸を荒くしながらも困惑していた。
「ムニリア殿、話してはいけません!」
カーティアが回復魔術を施してはいるが、応急処置に近い。優れた回復魔術を行使できる者たちは、ムニリアよりも重症であるハイアウルスの下で処置を行っているのだ。カーティアはその繋ぎだ。
ゆえに、ムニリアには極力安静にしてもらいたいのだ。
だが、それでも、ムニリアは無理やり体を起こし、再度拳を放つ一成と、鞘を振るい、折れた剣を拾ってまた攻撃を仕掛けるニールから目を離さない。
「私は何度か一成と手合わせをしている……しかし、あれほどの力はなかったはずだ。私がまったくと言っていいほど相手にならなかったニール・クリエフトを相手にあそこまで戦えるのか?」
「私にもわからない。一成は神気によって体力は落ち、痛みも酷いはずだ」
「ならば、なぜ?」
二人にはわからない。
だが、そんな二人に少年の声が答えた。
「それはやっぱり兄貴だからじゃないかな?」
「ストラトス、それはどういう意味だ?」
負傷者の手当てをキーアと共に続けながら、ストラトスは返事を返した。
「だって、兄貴は怒ってるんだ。ムニリアさんや、ハイアウルス様を傷つけられて、帝国の人たちの命を奪われて。守りたい、守れなかった人たちの分まで守りたいと思って今、戦ってるんだ――守ろうとする兄貴はとても強いよ」
一成を兄貴と慕い、追い続けてきたストラトスであるからこその言葉だった。
とはいえ、二人はそれだけでは納得しきることはできない。
カーティアだって知っている。一成が誰かを、何かを倒すよりも、誰かを、何かを守るために戦う方が強いということを。
しかし、それだけでは説明がつかない。
今の一成は――異常だ。
まるで、自分たちの知らない別の力を使っているような、そんな気がしてしかたがなかった。
そんなカーティアたちの心配を他所に、一成とニールは戦い続けていた。
すでに、二人とも肩で息をして、一成は額から血を流し、まぶたを腫らし、強固な篭手すらもヒビが入っている。足元には左足から流れた血溜まりが広がり続けている。ニールも同じく、額や頬から血を流し、鎧を砕かれ、剣と鞘は完全に破壊されてしまった。
「人間を簡単に凌駕する異種族に対してほぼ無傷であった私が、同じ人間にこうまで傷つけられるとは……さすがは一成様。しかも、あなたは――まだ、本気を出していない。いや、出せないというのが正しいのでしょうか?」
「……なにを言ってる? 俺はもう十分本気を出して」
「いませんよね。そうであれば私はとっくに死んでいるはずです。こんなボロボロにされているので偉そうなことは言えませんが、それでもこのままならまだ私はあなたに勝つ可能性があります」
「へえ……」
小さく声を上げて、一成はニールの腰を見てから指差した。
「ようやく抜く気になったか、もう一本の剣を?」
「できれはこの剣を使いたくはなかったのですが、残念です。ですが、私はここで死ぬことはできませんので」
一成はニールの言葉が理解できない。
それはまるで、腰に残っている一本の剣を抜けば自分に勝てるように聞こえるではないか。
その疑問が伝わったのか、ニールは一成に頷く。
「そうです、この剣を抜けば私の勝ちです。あなたが本来の力を使えることができれば、また話は違うのでしょうが――今は違う。本来の力抜きでここまでの力を持つあなたは脅威でしかない、残念ですがここで死んでいただきます」
「始めから殺すつもりだったくせによく言うぜ。それに、さっきから本来の力だなんだってわけがわかんねーんだよ!」
だんッ、と地面を蹴り、一成は獣が地を駆けるかのごとく、体を低くして突進する。
地面を滑りながら足を狙い機動力を殺そうとするが、ニールは高く飛んでそれをかわした。
だが、空中に浮いてしまえば、よほどの魔術師でないかぎり宙で行動することはできない。そしてニールは一成同様に魔術を使う才能がない。
これは最大のチャンスだった。
「うぉ――オオオオオオオオオッ!」
地面を蹴って、一成はニールに向かって飛翔する。
敵を倒すために。
仲間を守るために。
奪われた命のために。
椎名一成はここでニール・クリエフトを倒す。
――そのつもりだった。
しかし、ニールが腰に下げていたもう一本の剣を抜いたと同時だった。
「――あ」
あと少しでニールに一成の拳が届く。
そのはずだったのに、見えない何かに一成は攻撃され、地に堕ちた。
「あ、ああ……嘘だ、そんな……か、か、一成ィイイイイイイッ!」
カーティアの絶叫が、戦場に大きく響いた。
続けて短いですが、きりのよいところなので、ここまでを最新話として投稿します。