31 「勇者来襲5」
時間は遡る。
一成は神気によって焼かれたにもかかわらず、痛みを無視して部屋から出て行く。
今もまだ一成を止めたがっているストラトスには悪いとは思うが、仲間が戦っているのなら、サンディアル王国の狙いがストラトスたち三人であるのなら、こんなところで寝ているわけにはいかない。
「一成さん……本当に戦うんですか?」
廊下で不安を隠せない表情を浮かべているキーアを優しく撫でると、心配するなと声をかけた。
キーアもストラトスも、力ずくでも一成を部屋に押し込めたいという気持ちはある。だが、それ以上にそんなことをしようとしても一成がおとなしくなすがままにされるわけがない。
一成自身、ストラトスたちの心配を無下にしているわけではない。
それ以上に、自分が戦場にいないことで、何かあったら嫌なのだ。
一成が戦場に立てば戦果が変わるというほど自惚れているわけではない。そうではなく、自分の知らないところで誰かが傷付き、命を落とすということが我慢できないのだ。
「兄貴、どうしても行くなら――俺も連れて行ってくれ」
「ストラトス……お前」
「無理を言ってるのは兄貴だって同じなんだ、俺だけが駄目だなんて言わせないぜ! それに、俺だって帝国にきてから少しは鍛えてもらったんだ!」
強くなったと言えないのが残念ではあったが、慢心しているよりはいい。
ストラトスは邪魔にならない程度になら動ける自身を持っている。これは関しては、師事している人からのお墨付きもある。
「私も行きます!」
「ええっ!」
「キーア、お前もか?」
驚くストラトスに、もはや呆れるというよりも苦笑してしまう一成だった。
少し会っていない間に随分と二人とも逞しくなったと思う。その成長が早過ぎて、自分が見ることができなかったことに、若干の寂しさも覚えるが、今はそれ以上に二人の成長が嬉しい。
「言っても聞かないよな、二人とも?」
「もちろん! 兄貴だって寝てろって言われて、今から部屋に戻るかよ?」
「いいや、そんなわけねえだろ」
「じゃあ、同じですね」
「まったく……口も達者になったな――じゃあ、行くぞ」
「おう!」
「はい!」
これから向かう戦場に、弟分と妹分を連れて行くことに不安を覚えないわけではない。
だが、それでも、一緒に来たいという二人の意思を無視してしまうことはできなかった。
ならば、やることは一つだけ。
――二人を決して死なせない。
一成はそう強く決意した。
「待て、一成」
「待つんだ、椎名一成」
「……リオーネ、カーティア」
一番の難関が来たと、一成は思った。
家から出るための扉の前には、壁に寄りかかるリオーネと、仁王立ちしているカーティアが一成を待ち構えていた。
「まさかとは思うが、ムニリアたちが戦っている戦場へ、そんな体で乗り込もうなどと考えているわけではないだろうね?」
「え、えーと、なんていうかな、リオーネ……あのさ」
「お前のことは馬鹿だとは思っているが、まさかそこまで馬鹿ではないだろう?」
「あの、ですね、カーティアさん……」
「黙れ」
「はい」
なかなか出てこない言い訳に腹を立てたのか、カーティアからの冷たい視線と言葉に大人しく従う一成。
正直、先ほどまでの決意に満ちた顔はしていない。
そんな一成に、さらに無慈悲な言葉カーティアから告げられる。
「座れ」
「え? あの、ここに? 床に?」
「座れ」
突然、床に座れと言われ戸惑い聞き返すが、短い言葉で有無を言わせない雰囲気が全開のカーティアに大人しく従った。
「わかりました」
座れと言われたが、正座しろとは言われていない。だというのに、カーティアの雰囲気に呑まれ、自ら正座する一成。
弟分と妹分は、そんな兄貴分を見て微妙な顔をしている。
「もう一度聞くぞ。戦いにいくのか?」
「ああ、行くよ」
「どうしてもか?」
「どうしてもだ。誰が止めようと、俺は戦いに行く。もう決めたんだ」
一成の言葉に、カーティアは険しい表情を崩す。そして、彼女は膝をついて一成と目線を合わせる。
「私が行かないでくれと言っても?」
「ごめん」
カーティアの瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだ。
「私には止められないんだな?」
「カーティアに止められないんじゃない。誰にも止められない、俺は止まるつもりはないから」
「――お前らしい」
カーティアの潤んだ瞳に見つめられて、一成は思わず息を呑んだ。
互いの息が触れそうなほど二人の距離は近づいている。そして、
「……う、むっ?」
二人の距離はゼロになった。
目を見開き驚く一成。いや、驚いたのは一成だけではない、年少コンビもこれでもかというくらいに驚いている。唯一、違うのはリオーネだけが、苦笑している。
何秒経っただろうか?
しばらくして、カーティアがゆっくりと唇を離す。
「お、おま、おまえ……なになに、を……」
カーティアの頬は赤く染まっているが、一成も負けてはいない。
名残惜しそうに、カーティアは唇を指でなぞると、懇願するようにいまだうろたえる一成に言葉をかけた。
「――どうか死なないで」
「あ、ああ……」
何とか返事をする一成だったが、正直混乱している。
カーティアのキスの意味がわからないほど鈍感ではない。彼女は誇り高く、誰にでも唇を許すような女性ではない。それも、自分から、それはつまり――
かあああ、と一成の顔が赤くなっていく。
体の痛みさえ今は感じない。それほど、混乱してしまったのだ。
「そ、それだけだっ!」
カーティアも乙女だ。二人きりの時ならいざ知らず、三人の視線があるこの場でキスをするなど実は一大決心にも近かった。
しかし、後悔など微塵もしていない。
もう、後でああしておけばよかった、などとは思いたくはなかったから。
勢いよく立ちがあると、いまだ混乱している一成に声をかけた。
「返事をしたなら、約束だ。絶対に死ぬなよ!」
「わ、わかった。約束するよ、カーティア」
「そ、それと、私も着いていくからな」
「……あ、はい。って、思わず返事したけど、お前もかよ?」
一成の言葉に、カーティアは当たり前だとばかりに頷く。
「もう二度と後悔をしないために。私はお前の傍から離れない。それが、私の想いと覚悟だ」
以前のように後悔をしないように、悔しくて涙を流し続ける日々を送らないために。
カーティアは強い意志を込めて告げた。
本当なら、生死を共にしたいとも思っているが、それを言えば一成の枷になってしまうことは間違いないだろう。だからこそ、この気持ちは誰にも告げることなく、自分の心の内側に潜めておこう。
「まったく、どいつもこいつも、みんな勝手な奴らばかりだ」
「それはお前もだ」
「兄貴に言われたくないっす」
「同感です」
三人の仲間が、お前が言うなと言わんばかりに反論してくる。
思わずがっくりと肩が下がる。
そんな一成を見ながら、リオーネは苦笑していた。
――ああ、もう一成は大丈夫だ。
そう思った。
もう、裏切られて絶望していた勇者ではない。勇者という重石を取り払い、椎名一成として立ち上がっている。前を向いている。
リオーネは思う。一成は見守らなければいけない危うい存在ではなくなった。頼るべき同胞として、共に歩む者として彼はここにいる。
「一成、私は立場があるから行くことはできない。だから私は私のやるべきことをする。だが、気をつけろ。どれだけ強い意志を持とうとも、神気に焼かれたその体は確実に死に近づいているのだから」
「わかってるよ」
「なら、いいが……」
「でもさ、どうしてだか気分がいいんだ。これから戦うっていうのに、戦うことに恐怖があるのに。自分でもわからないくらいに、気分がいい。力が湧いてくるようだ」
――ドクン、ドクン、と一成の中で何かが鼓動する。
だが、それには気づかない。気づけない。
「逆にそれは大丈夫なのか? 今の体の状態で力がわいてくるなど、ありえないはずなんだがね?」
「いや、あくまでもそんな感じがするだけだから、あまり気にしないでくれ。とにかく、そのくらい俺は大丈夫だってことだよ」
「ならいいが……」
リオーネは一成の体を、体内の魔力の流れなどを見るが、特に変わりはない。どちらかといえば、神気のせいで不安定になっているほうが心配になる。
力がわいてくる、というのは一成の気のせいだろう。
守るべき仲間が傍にいて、力が湧いてくる気分になっているのだろうとリオーネは判断した。
「まだ、幸い戦闘は始まっていないが、ここからでも一触即発なのが感じ取れる。行くのなら、時間はないんぞ?」
「俺にもわかるよ。じゃあ、行ってくる」
「ああ、行ってこい。カーティア、ストラトス、キーア、君たちもどうか無事に帰ってきてくれ」
リオーネの言葉に、一成たちは大きく頷き、外へと飛び出した。
「本当に、無事に帰ってきてくれ」
どうしてだかリオーネの胸の中には、一抹の不安があった。
巫女の血が何かを訴えている。だが、それがなんなのかわからなかった。
ならば自分のすべきことを確実にしておこう。
リオーネは使い魔を飛ばし、街のいたるところへいる部下へと支持を出す。
そして、自分自身も後方支援として向かうべき、外へと出て行く。
「おそらくこの戦いで、魔王と勇者の生存が知れ渡るだろう。国々はどう動くのだろうな……」
そんな呟きは誰にも聞かれることなく、風にかき消された。
最新話投稿します。今回は、一成が戦場へと向かう前の話です。