30 「勇者来襲4」
「ハイアウルス殿っ!」
鮮血を散らしながら、戦場に倒れたエルフの族長を目にし、ムニリアは声を張り上げた。
「邪魔だ、どけっ! 私の邪魔をするな!」
目の前の敵を切り捨てながらムニリアはハイアウルスへと駆け寄る。
「ハイアウルス殿、生きているか!」
ハイアウルスの体を抱きかかえ必死に声をかける。戦場だということは忘れているわけではない。だが、それでもこのまま死なすには惜しい男だった。
傷が酷い。右肩から縦に一閃されている。血は溢れだし、止まる気配はない。まだ死んでいるわけではないが、意識はなく、このままでは長くは持たないだろう。
――ここで死なせることはできない。
だが、そんなムニリアの想いを無視するかのように、無慈悲な声がかけられる。
「ああ、よかった。また会えましたね。ムニリア殿――では、続きを」
剣を構え、先ほどの続きを望むニールだ。
ムニリアは選択を迫られた。
このまま背を向けて、ハイアウルスを抱えて逃げたところで、二人揃ってニールに切り捨てられてしまう。だからといって、ニールに挑み戦ったとして勝てる見込みは少なく、その間にムニリアが死んでしまう可能性が高い。
「こないならこちらから行きますよ?」
ニールはムニリアに考える時間さえくれなかった。
――ここまでか……
そう思った瞬間だった。
「ムニリア様! 時間を稼ぎます、ハイアウルス様をどうか!」
「お願いします!」
ムニリアとニールの間に、若いエルフの青年たちが割って入った。
ハイアウルスが族長として治めていた集落の青年たちだ。彼らは長を助けるために、自らを犠牲にしてでも時間を稼ごうと行動した。
「邪魔です」
あっという間に一人が切り捨てられた。
胴体と首が別れ、鮮血が噴出し、おもちゃのように首が飛んだ。
「ムニリア殿、お早く!」
「すまない、感謝する」
覚悟を決めた青年たちに、礼を述べてムニリアはハイアウルスを担ぐとニールから離れようと走った。
背後から悲鳴と、絶叫が聞こえるが、決して振り返らなかった。
そして、後ろから一人がゆっくりと地面を踏みしめて歩いてくる。
一歩一歩確実に、自身の命を刈り取ろうと近づいてくる。
「すまないが、彼を医療魔術を使える者の元へと運んでくれ……私は、あの男を止める」
「しかし、将軍……」
「行けっ!」
「はっ!」
一人の兵を捕まえハイアウルスを預けると、有無を言わさずに指示を出す。
兵がハイアウルスを抱えて離れていくのを確認すると、剣の切っ先をニールへと向けた。
「ここから先は通さん」
「ええ、私の狙いはあなたです。それ以外の塵芥などには微塵も興味がありません」
今のニールにとって、ムニリアだけが興味の対象であった。そして、自らを楽しませてくれる存在を、このまま放っておくことはできない。
今度こそ、ここで必ず殺してみせよう。決して逃がしはしない。
温和な笑みを浮かべならがも、ニールの瞳は獲物を狙う獣だった。
「行きますよ、楽しませてくださいね」
ムニリアの返事は聞かずにニールは地面を滑るように疾走する。
刹那、剣と剣がぶつかり合う金属音が響く。
互いの剣圧が風を巻き起こし、ムニリアの鎧に傷をつけ、ニールの頬を切り裂いた。
「素晴らしい」
「……くっ」
喜びを隠せないニールに対してムニリアには余裕がない。
ニールは剣撃を止めるつもりはない。片手で握った剣を、何度も振るいながら一歩一歩前に進んでいく。
連続する剣撃に、ムニリアは後退させられていく。襲い掛かる剣撃を受けながら、息を切らしていた。あっという間に体力は落ち、呼吸が苦しい。
ハイアウルスから借りた剣がなければとっくに死んでいただろう、そう思う。
ムニリアは全神経をニールの動きに集中する。
上から、下から、左から、右から、いつの間にか回りこまれて後ろから。
次々と自分の命を刈り取ろうとする刃を受けるだけで精一杯だった。反応ができているだけでも自分を褒めてやりたい気分になる。
一方で、ニールは歓喜の表情を顔に浮かべて剣を振り続ける。
打ち合い、とまではいかないが、自分の攻撃を何度も何度も受け止めている帝国将軍に喜びを隠しきれない。
それでも終わりの時間は訪れることを彼は確信していた。
次第に、ニールの攻撃はムニリアの鎧を切り裂き、砕いていく。
帝国将軍の一人、黒騎士の通り名の所以なる漆黒の鎧を破壊していく。鎧の切り裂くたびに、血飛沫が飛び、彼の褐色の肌が露になる。
すでにムニリアの漆黒の鎧はその機能を保ってはいない。兜もとうに破壊され、角の生えた顔に汗と疲労が浮かんでいる。
額から血を流し、肩で息をするムニリアを見つめ、ニールは剣を振るう手を止めた。
「もう、お終いでしょうか?」
皮肉などではなく、ただ純粋な問い。
至極残念そうな顔をしていた。もうお終いなのか、そう言いたげな表情を浮かべている。
――このまま終われるものかっ!
悔しさだけが込み上げてくる。
仲間の命を奪われ、この戦場もニール一人の独壇場に近い。
そんな男に、将軍という肩書きを持っていながらムニリアは一矢報いることすらできていないのだから。
「うぉおおおおおおおおっ!」
構えを解いているニールに向かい、ムニリアは鬼族の身体能力を全開にして襲い掛かる。
「お見事です」
しかし――
「ば、馬鹿な……」
爆発的な身体能力を使い、人間には反応できない速さで襲い掛かったというのに、通用しなかった。
それだけではない。
人間であるはずのニールが、鬼族としての身体能力を発揮しているムニリアが何をされたのか理解できない、速度で動いたのだ。
――人間が異種族を凌駕したのだ。
剣を握っていた右腕は、肩の下から切り落とされた。鎧のなくなった胸を斬り裂かれ、噴出す鮮血が噴出す。
それでもムニリアは倒れなかった。
「あなたは最高でした。最後は私が今出来る最高の力を持って迎撃させてもらいました。正直、死んでいないのが不思議です。異種族など関係なく、私が殺すために剣を本気で振るったというのに……やはりあなたは素晴らしい」
「私は、まだ……戦える」
「とても楽しかったですよ」
ムニリアの意識はまだはっきりとしている。
不思議と痛みはない。痛覚が麻痺しているようだった。
例え、片腕がなくなろうと、胸を斬り裂かれようと、まだ自分は生きている。
二本の足で立ち、左腕も残っている。武器はなくとも、鬼族であるムニリアであれば拳ひとつあれば戦える。
「まだ、負けるわけにはいかないのだ……」
ムニリアから発せらる闘志を感じ取り、ニールは一人の剣士として敬意を払った。
自分と打ち合える者がいることに歓喜していた表情とは違う。
スッと目を細め、剣を構えて腰を低くする。
「あなたに最大の敬意を――」
ニールは力を試す相手ではなく、一人の敵としてムニリアの命を奪うことを決めた。
そして、誰にも反応ができない速度でムニリアとの間合いを詰めると、彼の命を奪うために剣を振るった。
だが――
「やらせるわけねえだろ?」
ニールの放った剣が、ムニリアに届くことはなかった。
漆黒の篭手に阻まれて、無残に折れた。
「……ああ、まさか、まさかあなたがここで出てくるとは!」
ニールは自分の折れた剣と、攻撃を止めた相手を見比べながら、声を震わせた。
「ムニリアさん、大丈夫か? まだ、生きているか?」
「……一成……?」
「ああ、俺だ。この戦いを止めるために、俺は戦いに来た」
漆黒の篭手を両腕にはめ、黒いジャケットを羽織った青年――椎名一成はムニリアの傷付いた体を労わるように優しく抱きしめると、音も立てずに消えた。
正確に表現するならば、消えたとしか認識できない速度で動いたのだ。
一成は、一瞬でニールから距離を置くと、その場所に待っていたストラトスたちにムニリアを預ける。
「絶対に死なせるなよ」
「大丈夫、死なせはしない」
返事をしたのはカーティアだ。
「兄貴は、どうするの?」
「俺は、あの男を止める」
「死なないでね、兄貴……」
心配で仕方がないという声を出すストラトスの頭を撫でると、一成はゆっくりと、そして力強く頷いた。
「ああ、俺は死んだりしない。お前たちを残して死んでたまるか」
「うんっ!」
「じゃあ、頼むぞ」
そう声をかけて、一成はニールの元へと戻る。
音も立てずにニールの前に立ちふさがると、握り締めた拳を向けた。
「覚悟はいいか、ニール・クリエフト?」
最新話投稿しました。間が空いてしまい申し訳ありません。