14 「エピローグ 1」
サンディアル王国領土の荒野にて、一人の黒髪の少年が十を超える魔物の死体の中で笑っていた。
魔物の返り血を浴びて、笑い続ける黒髪の少年は小柄で、眼鏡を掛けた大人しそうな少年だった。年齢は十四、五歳くらいだろうか。
だか、そんな彼の笑みは歪で濁った笑みだった。
「凄い! 凄いよ、魔術って! これが僕の力だなんて信じられないよ!」
少年は勇者召喚魔術によってこちらの世界へ召喚された異邦人――ということになっている。
本人にすら知らされていない、いや、本当に知る者は極一部だけだが、彼は勇者なのではなかった。
肉体を失った魔神が世界で力を振るうにあたって必要とする器であったのだ。
しかし、少年はその真実を知らない。知らないまま、力に酔ったように笑い続ける。
「凄いです、勇者様」
返り血を浴びた少年に綺麗なタオルを持って近づいていくのは、彼は召喚したアンナ・サンディアルだ。
サンディアル王国第二王女という立場でありながら、民や近隣諸国からも聖女と呼ばれる医療魔術の使い手でもある。
「前勇者様は魔力を膂力に変換することで戦う方でしたが、サトル様はその逆ですね。魔術に優れています」
「うん、僕自身も驚いたよ! それに魔術ってこんなに気持ちのいいものなんだね。あーあ、この力が地球にいた時にもあればクラスの連中に使ってやったのに」
心底残念に少年は呟く。
少年は一成同様に地球から召喚されたのだった。そして、学校やクラスに馴染めず、お世辞にも楽しいといえるような学園生活は送っていなかったのだ。
だからこそ、と余計に思ってしまう。
この力がもっと早く使えていたらよかったのに、と。
もし、魔術が地球で使えたら、彼は一体どうするつもりだったのだろうか?
「それにしても、初級の攻撃魔術でここまであっさりと魔物の群れを倒してしまうとは、魔術の才能はもの凄いと思いますよ」
「そ、そうかな?」
「はい。それに敵対した魔物に対して、即座にどの魔術を使うべきかと判断した判断力も素晴らしいです」
タオルで顔を拭きながら、少年に向かってアンナは可憐な笑みを浮かべながら褒め続ける。
実際、少年の魔術の才能、そして判断力は誰が見ても文句なしに素晴らしいものであった。
現に、万が一に備えていたアンナの近衛兵たちも、少年の技量に驚嘆と賞賛の声を上げている。
少年は照れたような笑みを浮かべながら、頬を赤く染めている。
アンナ・サンディアルという異世界の国の王女様にこうも褒められ、そして惚れ惚れしてしまう可憐な笑みを吐息が掛かりそうな距離で向けられれば、女子に対して免疫などない少年には強い刺激であった。
「お見事です、勇者様。俊敏な黒狼には風の魔術を、グールに対しては炎の魔術と、前知識があったとはいえ初の実戦でこれだけ臨機応変に対応できるのでしたら、今後の戦闘も問題ないでしょう」
近衛を率いる金髪の青年に褒められ、少年はさらに笑みを深める。
自分よりも年上であり、それこそ漫画などに出てきそうな美青年の騎士に褒められるというのはとても気分の良いものであった。
「褒めてもらえて嬉しいです! この力があれば、僕がこの世界を守れるんですよね。異種族っていう人間を脅かす魔物から」
地球から召喚された少年、結城悟は偽りの情報を与えられ、それを疑いもせずに信じ、そして力を着けていくのだった。
大陸北部帝国領の帝都から少し離れた町のはずれで、ストラトス・アディールは朝の日課となっている剣の素振りを続けていた。
その隣ではキーア・スリーズが地面に座り込んで魔術書を黙々と読んでいる。
「千っ……と。よし、素振りお終い」
「お疲れー」
魔術書から目を離さずに、キーアが腕を軽く振るうと、近くの木の枝に掛けてあったタオルが弱い風に煽られてストラトスのふわりと腕に収まる。
「サンキュー。ていうかお前、帝国に着いてから魔術の腕がグンと上がったよな……」
「うん、先生がいいからね」
キーアが魔術師として天才的な才能を秘めていることは知っていたが、ここまで急に実力が向上していることに驚きを隠せないストラトス。
それに対して、ストラトスは剣士だ。最近では、魔術によって一時的に膂力を上げることを覚えたが、それでもキーアとの差は随分と開いてしまったことに悔しさを覚えている。
だが、同時に仲間として頼りにも思っているのだ。
ストラトスにとって、キーアにとっても、お互いにライバルであり大切な仲間だ。
同じく仲間である、シェイナリウス・ウォーカーやカーティア・ドレスデンなどは既に戦い方が完成されていることや、実力に差があるために、お互いに切磋琢磨する相手には向いていない。
その分、ストラトスとキーアは年齢も一歳しか離れていなく、剣士と魔術師というスタイルの違いはあるものの、互いに切磋琢磨する相手には丁度よかった。
「だよなぁ……」
ストラトスもキーアも強くなるためにと、師匠を見つけ弟子入りしていたのだ。
ストラトスは鬼族の剣士に。キーアは精霊に。
以前は、シェイナリウスが二人を指導していたが、本格的に教えをと望んだ二人に、彼女は自分は教えるには向いていないと断り、それぞれのスタイルに特化している者を紹介したのだ。
そして、ストラトスは鬼族の剣士に弟子入りを希望したが、相手も人間相手に教えることが初めてなので、とりあえずどのくらいまでの訓練に耐えることができるのかと試されている。
キーアは精霊たちに教えを請うた。精霊は自身が魔術の塊のような存在であり、ゆえに魔術を学ぶなら彼等ほど優秀な者はいないとキーアは思っていた。
キーアは現在、精霊に魔術を学びながら、エルフが持っていた魔術書を借りて、知識を増やしている。
経過としては、互いに順調であった。
「兄貴、どうしてるかな?」
「わからないけど……元気だといいね」
タオルで汗を拭きながらストラトスは未だ会えない、兄貴分を思う。
キーアも魔術書から顔を上げて、兄のように慕う一成を思い浮かべた。
どうしているだろうか? 元気だといいな、と思う。
だが、信頼していたアンナ・サンディアルに裏切られてしまったのだから、と心配になってしまう。
「だけど、俺たちの知ってる兄貴なら……心が傷ついていても、やせ我慢して立ち上がると思うんだよな」
「うん」
「だから兄貴がやせ我慢しながら立ち上がったなら、前へ進むと決めたのなら、今度こそ、俺たちが力になってやりたいよな」
「そうだね。うん、そう思う。その為にも……再会できるその日までに少しでも力を手に入れないとね」
「ああ、それで……強くなったなって言って欲しいな」
最後の最後で願望を呟くストラトスにキーアは笑みを浮かべた。
兄貴、兄貴と慕うストラトスは、心の底から一成を慕っている。それは自分も同じだ。
兄のような存在だなんて言いたくない。兄と呼びたい。そんな思いもある。
だが、兄と呼ぶなら、呼びたいのなら、一成を支えられるようになりたいと思う。今度こそ、悔しくて涙を流さないように。
「さて、と。そろそろ師匠の所へ行くか! まったくさ、兄貴もバカみたいに強いなって思ったけど、師匠もかなりの強さだぜ。鬼族の力って凄いよなぁ……しかもその力に振り回されずに自在に使うんだからさ」
「それは精霊も一緒だよ。才能がある、なんて言われてたけど、師匠たちから見れば私なんてただの凡人だよ」
嫉妬や妬みで言っているわけではない。
ただ純粋に、感心しているのだ。そして、それ以上に憧れてもいるのだ。
「じゃあ、今日も一日頑張ろうぜ。そうすれば、少しだけでも、少しずつでも強くなれるんだから!」
「うん!」
頼りにしてもらいたい。
次に再会した時には、兄と慕う一成にそう思って欲しいと心から思う二人だった。
カーティア・ドレスデンは朝食を終えて、お茶を飲んでいた。
きっと今頃はストラトスが素振りをし、キーアが彼の傍らで魔術書を読んでいるのだろう。
カーティアは現在、ストラトスとキーアと共にこの帝都から近い町で小さな家を用意してもらい三人で生活している。
同じ町には、シェイナリウス・ウォーカーとレイン・ウォーカーも住んでいる。もちろん、彼女たちの集落のエルフたちも同様だ。
カーティアは朝は苦手だった。それゆえに、ストラトスたちのように朝の鍛錬はできない。何度か幼少期に厳しい父に早朝鍛錬をさせられたことがあったが、その父でさえ無駄だと投げ出したほどだった。
それ以来、早朝鍛錬はしていない。代わりに起きてから昼間までは知識面での勉強をし、昼間に鍛錬をするのがカーティアのスタイルだった。
夕方には食事の仕度をし、夜になればまた鍛錬をしてから汗を流して就寝する。そんな生活を続けている。
この町で暮らして一ヶ月も経っていないが、故郷であるサンディアル王国よりも過ごしやすかった。人間はカーティアたちだけではない。そして異種族も暮らしている。
だがこの町には争いはない。人間が異種族を害することも、異種族が人間を害することもない。
良い町だと思う。そして、先の戦争で帝国を相手にしたことに、後悔と謝罪の気持ち覚えずにはいられなかった。
結局自分も国の都合でいいように動かされていた一人だということを痛感した。
「あの馬鹿は今頃どうしているのだろうか?」
カップをテーブルに置くと、そう遠くない場所にいるというのに未だ会えない仲間であり想い人である一成を思う。
魔王と対面してから一週間以上が経っている。
その後、魔王からは何もない。
今思えば、よく魔王相手に一歩も退かずに意見を思い切り言ったものだと思う。そういうことならストラトスも負けてはいなかったが。
毎日思うのは一成のことばかりだった。
まだ傷ついているのだろうか。いや、それは当たり前だ。信頼していた人に裏切られたのだから。カーティア自身も、アンナを信頼していた。だからこそ、傷ついていないと言えば嘘になる。
だが――あの時の表情が嘘だとは思えなかった。
カーティアが黒騎士――ムニリアと相打ったことで戦線を離脱しなければいけなかった時、一成のことをアンナに託したのだ。その時のことを今でも鮮明に覚えている。
覚えているからこそ、その時の判断に後悔していた。が……本当にあの時にの彼女は演技をしていたのだろうか?
そんな疑問が頭を過ぎる時がある。
その度に、何を馬鹿なと思い直す。現に彼女は一成を裏切り、カーティアの信頼も裏切った。
どうしてそんなことをしたのだろうと思う。理由が知りたい。それだけは変わらない。
ストラトスたちから、シェイナリウスからも話は聞いた。だが、それでも本人の口から聞きたいという思いは強かった。もちろん、裏切ったことに対しての決着はつけるつもりではいる。
それでも、その前に一言だけでも彼女の口から理由を聞きたいと思っているのだ。
カーティア・ドレスデンとアンナ・サンディアルは王族と貴族という身分の違いはあるものの、旅の間は友人のように接していた。少なくともカーティア自身はそう接していた。
今、カーティアが使える医療魔術は彼女から教わったものだ。
アンナが多くの人々を救っているのを見て、剣を振るうだけの自分も手伝いたくて教わった魔術だった。
思い出すときりがない。
カーティアはため息を吐く。
「私は貴方を友人だと思っていた。だが、貴方は裏切った。貴方は私のことをずっとどう思っていたのだろうか?」
声が彼女に届くはずがないことはわかっている。それでも言葉にせずにはいられなかった。
初めての友人は私のことを本当にどう思っていたのだろうか?
そのことが知りたくて仕方がなかった。
帝国領土に入ってからずっと、思うことは一成のことと、アンナのことばかりだった。
シェイナリウス・ウォーカーとレイン・ウォーカー姉妹は今日も魔物を相手に戦ってきた。
彼女たちウォーカー姉妹は、大陸北部に出現する魔物を討伐する部隊に現在属している。
異種族を魔物から守る為というのも一つの理由だ。人間よりも優れていると思われている異種族であるが、すべての異種族がそうではない。
また優れている種族であっても向き不向きもあるので、魔物に襲われれば抗えない者もいるのだ。
そしてなによりも、自分たちを受け入れてくれた帝国へ恩返しをしたいと思っているのも大きな理由だった。
サンディアル王国と友好関係を結んでいたが、それゆえに帝国と敵対することとなった。しかし、サンディアル王国に友好関係を破棄され、誘われたとはいえ賭けに近い状況で帝国へとやってきた彼女たちの部族は暖かく迎えられた。
もっとも不満に思っている者もいることは確かだった。そして、北部に住みながら帝国へ属さず人間を完全に敵視している異種族たちもいるのだ。
それゆえに、シェイナリウスたちは態度で示しているのだ。帝国に敵意はなく、受け入れてくれたことへの感謝を示すために魔物の討伐へ参加する。
必要以上に参加するウォーカー姉妹を気遣って声を掛けてくれる町の人たちはたくさんいるが、そんな人たちがいるからこそ彼等のために町を、帝国を守りたいと思っているのだ。
そして、もう一つだけ大きな恩がある。元勇者、椎名一成を帝国が受け入れてくれていることだ。
これは本当にありがたかった。人間は好きではないシェイナイリウスだが、一成とその仲間たちのことは気に入っていた。特に、一成は種族など気にしたことがない人間であり、失ったと思ってからはじめて気付いたが弟のように想っていた。
だからこそ、アンナ・サンディアルに裏切られた一成を保護してくれた帝国に恩義を感じている。
師であるシェイナリウスがするべきだったことをしてくれている、魔王リオーネ・シュメールにも感謝をしている。
ゆえに、シェイナリウスとレインは帝国の為に少しでも役立とうとしているのだ。
「それにしても、大陸北部は噂以上に魔物が多く、そして強いな」
「そうですね。大陸西部も年々魔物が増え脅威となっていましたが、北部はそれ以上ですね。正直、人間には住めませんよ」
大陸北部は魔物が多いというのは本当だった。
大陸西部も魔物の数は多かったが、北部の魔物の数はそれ以上だった。そして、魔物も強い魔物が多く、まるで指揮官がいるのではと思うくらいに連携が取れている群れまでも存在することに驚かされたこともあった。
改めてシェイナリウスは思う。人間と異種族は争っている。だが、人間にとって脅威は異種族だけだろうか? 我ら異種族にとって脅威は人間だけだろうか?
答えは否。
魔物という脅威が存在している。人間にとっても、異種族にとっても脅威として存在しているのだ。
では魔物とは一体なんだ?
一説によると、かつて旧き神々が存在していた時代に、一柱の神によって生み出されたのが魔物だという。
本当かどうかはわからない。
魔物と呼ばれる存在も、グールのように寄生虫のものから、獣が突然変異の進化をしたのではないかと思えるものまでいる。そして、人型の魔物もいるのだ。
また黒狼は魔物と区別されているが、これは微妙なのだ。知性が高いが、意思疎通が獣程度にしかできないことで魔物とされているが、黒狼は純粋に狼が進化したものではないかという説もある。
だが、とシェイナリウスは思う。本当にただの魔物であるならば、人間に屈服し懐くことなどあるだろうか?
このように魔物というのは不明な点が多いのだ。それゆえに、人間の中には魔物と異種族を同じと判断するものは多い。
どちらも人間に対して脅威だと思われているからだ。異種族からしてみれば、人間のほうがよほど恐ろしい存在だと感じているというのに。
「問題は多いな……そして答えがわからないものだらけだ」
つい、大きなため息を吐かずにはいられなかった。
これから先、異種族と人間はどうなっていくのだろうか?
魔王リオーネの考えは聞いた、正直夢物語だと思ってしまう。だが、それでも、少しだけでも世界が今よりも良くなるのなら――夢物語でも信じていたいと思ってしまう。
エルフとして長い時間を生きているシェイナリウスだから、余計にそう思う。生まれた時から人間と異種族は争い、溝は広がっていくばかりだ。いい加減、うんざりなのだ。
「異種族の王である魔王は平和を望む。なら、人間の希望である勇者は何を望む?」
ここにはいない、弟子を想ってシェイナリウスは呟く。
以前の一成なら平和を望むだろう。現に望んでいた。人間と異種族などという些細な違いなど気にはしないと言っていた。
魔王ですら倒すつもりではいたが殺すつもりは一切なかった。そもそも彼の選択肢に魔王を殺すというものはなかったのだ。
だが、今はどうだろうか?
異種族に対して悪い感情はないだろう。だが、人間に対しては?
帝国に来て知ったことだが、帝国に暮らす人間の中には同じ人間を恨む者が多い。帝国の考えのもと、表立って何かをしようなどとは思っていないが、人間でありながら人間扱いされなかった者たちの心情は計り知れない。
では、信頼していたアンナ・サンディアルに裏切られた一成はどうなのだろうか?
それが心配だった。
そんな人物ではないと思いながらも、もしかしたらという考えが消えない。
この心配は一成と再会するまで消えてくれないだろう。
「まったく、近くにいた時も、こうして離れている時も、お前はいつでも私に心配ばかり掛ける……」
ストラトスたちだけではない。
シェイナリウスもレインも一成に会いたいと強く思っているのだ。
そして、願わくば――例え傷ついていても、以前と変わらぬ一成でいて欲しいと心から思うのであった。
今回は一章のエピローグに当たります。
若干、長くなってしまったので、二話に別けさせて頂きます。
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