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13 「元勇者、立ち上がり前へ」





 「元勇者」椎名一成シイナカズナリがドワーフの頭領ギンガムル・オックスノックスから篭手を受け取って、もう一週間が経っていた。

 そして、彼は今夜も闇の中で篭手を装備した腕を振り、足を振るう。それを繰り返す。

場所は魔王城の敷地内だ。さすがにこんなことを住まわせてもらっている家の庭ではできない。

 一成は武術の心得があるわけではない。せいぜい喧嘩経験くらいしかなかった。剣術も一応はこちらの世界で教わったものの、苦手だと感じていた。

生きているものを切るというのに抵抗を感じたのだ。それでも敵が容赦なく襲い掛かってくれば、死なないために剣を振るうしかなかったが。

 目の前に架空の敵がいると仮定して拳を突き出す。そのまま地面を蹴って飛び上がると次に繰り出すのは足だ。

 魔力によって膂力を強化しているせいだろう、放った蹴りの後に風が唸る。


「ふぅ……」


 一通り体を動かしてから、大きく深呼吸をする。

 一成が体を動かし始めてから約一時間が経過していた。額から汗が流れてくる。

 新しく用意してもらった服も汗で湿ってしまっている。黒髪同様に黒いジャケットにパンツ。ジャケットの袖には篭手を装備しやすいようにスリットが入っている。パンツの裾にもブーツが履きやすいように同じようにスリットが入っている。これもギンガムルが工房にて用意してくれたものだった。

 一成は服から砂埃を払いながら呼吸を繰り返す。まだまだ体は動く。

 他人が見れば、彼は無心に体を動かしているように見えていたかもしれない。だが、そうではない。体を動かしながら、頭の中はグチャグチャと考えごとをしてしまっている。

 ギンガムルによって、いい加減に立ち上がらなければ、前へ進まなければいけないと思えるようになった。

 いや、前からそんなことは思っていた。だけどできなかった。心が弱かったから。悲しくて、悔しくて、憎くて、もう何もかもが嫌になってしまって。すべてを投げ出したいと思ってしまったから。

 だが、今、腕にはめている篭手を受け取ったことによって、きっかけができた。立ち上がるきっかけだ。前に進むきっかけだ。


――償うために。自分自身を許せるために。そして何よりも、憎まないために立ち上がりたい、前に進みたいと思った。


 そして、気が付いたのだ。ずっと自分が見守られていたことに。

 魔王であるリオーネ・シュメール、メイドのクラリッサ、黒騎士。その三人は何も言わずに見守っていてくれたのだ。

 もっと早くに気付くことができたはずだった。どうして気付けなかったのかとも思う。

 結局のところ、自分のことだけしか考えていなかったのだろう。

 裏切られたことで傷ついた。死んでしまいたいほど傷ついた。

だけど――それがなんだ?

 一成だって、敵対した異種族を傷つけてきた。数少ないとはいえ、殺したこともある。

 信頼していた人に裏切られ、道具と言われ、傷ついた。心も体も。だが、それで歩みを止めていい理由にはならない。今ならそう思える。思えるようになった。

 立ち上がらなくてはいけない。自分でも嫌になるほどの悲しみや絶望を抱えながらでも。

 前へ進まなければいけない。ズルズルと感情を引きずりながらでも、一歩ずつ確実に。

 この一週間、そんなことを考えながら、ただ我武者羅に体を動かし続けていた。

 鈍っていた体はすぐに悲鳴を上げるが、そんな体を動かし続けるのは少しだけ心地よかった。

 考えはまとまらなくても、暗いことは考えなかった。

 なんとなくだけど、今はそれでいいと思えた。


「少しだけ、マシな顔になったな……」


 低くよく響く声だった。突然声を掛けられたものの、誰かに見られていることに少し前から気付いていたので驚くことはしなかった。


「……黒騎士さん」


 だが、その視線の主が黒騎士という、まだ名前も知らない相手だったとは少しだけ意外だった。

 声で男だというのはわかっていた。しかし、顔すら見たことはない。人間なのか、異種族なのか、そもそも漆黒の甲冑の中に中身が存在しているのかも知らない。


「……そういえば、名乗っていなかったな」


 少しだけ苦笑するように彼は言う。

 一成の顔を見て気付いたのかもしれない。

 そして、驚くべきことに……顔を覆う兜に手を掛けて、外した。素顔を見せたのだ。


「そんな顔してたんだ……もしかしたら中身がないかと思ってたけど、あったんだな、中身」

「それはあるさ。私の名はムニリアという、その……色々訳があって本名で呼ばれるのは好きではないんだ。ゆえに黒騎士と呼ばれている」


 ムニリア――そう名乗った黒騎士の素顔は、同性である一成が見惚れるほどの美青年であった。褐色の肌と銀髪、青い瞳に調った鼻や唇、美しいという言葉がこれほど似合う青年も珍しいと思える。しかし、その美しい顔には刃物によってできたであろう、左の耳から頬、鼻に掛けて一筋の傷がある。だが、その傷がまた彼の魅力を引き立てているように感じてしまう。

 実年齢はわからないが、外見は二十台半ばに感じることができる。

 そして何よりも目立つのは、長い銀髪の隙間から伸びている額の二本の角だった。異種族である証拠だ。

 鬼族。

 彼は鬼族なのだ。鬼族は身体能力が人間の倍以上だ。だからこそ、全身を覆う重い甲冑を身に纏って動くことが可能であるのだ。


「俺、マシな顔になったかな?」


 初めて見た容姿に戸惑いながらも、ムニリアの掛けてくれた言葉を聞き返す。


「ああ、私はそう思う。以前はもうっとこう、投げやりなような顔をしていた。今は違う。目にも力が少しだけだが感じることができる」


 そう言ってくれるムニリアの言葉が嬉しかった。


「そっか、じゃあ少しは動き出せたってことか」


 それならいいと思う。

 もう止まっていたくないと思えるようになったから。


「それにしてもさ、黒騎士――じゃなくて、ムニリアさんは鬼族だったんだ?」

「ああ……まぁ、性格に言うと半分だけというのが正解だがな」

「半分?」


 一成が不思議そうな顔をすると、ムニリアは少しだけ困った顔をしてから、


「私は半分人間の血が流れているんだ」

「……言われないとわからないな」


 一成の言葉に、「確かに」とムニリアは苦笑してみせる。

 鬼族は人間と見た目はほとんど変わらない。変わりがあるとすれば額にある角と、人間にとっては想像できない身体能力だ。

 だが、人間にとってそれは大きな違いなのだ。そしてそのことを恐れる者もいれば利用しようとする者もいる。

 かつて、帝国初代魔王が召喚された国では鬼族が家畜のように労働力とされていたように。


「いずれわかることだから言っておこう。私の母は鬼族だが、父は人間だ。そして、私は望まれて生まれてきたわけではないんだ」

「……それは」


 嫌な想像が簡単にできてしまう。


「君が今しているように、簡単に想像できる通りだ。人間にとって異種族とは敵であり忌み嫌うものであり、交わるなど禁忌に近いと思っている者も多い。しかし、中には禁忌と思うゆえにそれをしたいと思う人間もいるということだ」


 どうしてそんなことを急に自分に語るのだろうか。

 疑問に思う一成に、ムニリアは目に見えてわかるほど辛い顔をして話を続ける。


「鬼族は見た目は角以外は人間と変わりはない。だからこそ抵抗も少なかったのかもしれない。母は人間に捕らえられ……私が生まれた」

「……」

「いや、すまん。そんな顔をさせたくてこんな話をしたわけではなかったんだ」


 一体、自分はどんな顔をしていたのだろうか?


「何を突然と思うかもしれないが、フェアではないと思ったのだ」

「どういう意味だよ?」

「私は君が裏切られたことを知っている。そして君が傷ついていることも。だから、私も話した、それだけだ」

「別に、そんな理由で話さなくたって……アンタ、辛そうな顔してるぞ?」


 もしかすると、目の前の男は過去のことと割り切れていないのかもしれない。人間の血が流れていること恥じているのかもしれない。母を辱めた人間を憎んでいるのかもしれない。

 少なくとも、解決したようなことであれば辛そうな顔はしないだろう。


「……私はあまりこういう風に話が上手いわけではない。だが、一つだけ言っておきたいと思ったんだ」

「言っておきたいこと?」

「私は母を辱めた人間が嫌いだ。そしてその血が体の中に流れていることを嫌悪している。だが、母は私を育ててくれた。愛してくれているのかは、未だに怖くて聞けないが……それでも私は今こうして前に進んでいる。過去を引きずりながら」


 月の光が彼の銀髪に反射して、幻想的な印象をムニリアに与える。

 どこか悲しそうに、それでいながら苦笑してみせる彼を見てようやく気がついた。彼は人間が嫌いだと言ったが、彼が一成を見る瞳にはそのような感情はない。

 ムニリアが自分を励ましているのだと。不器用にだが、それでも一生懸命に。

 嬉しいと思った。心から思った。


「ムニリアさん……って、名前で呼ばれるの嫌なんだったけ?」

「いや、フルネームで呼ばれるのは嫌だが、名前だけなら構わない」

「じゃあムニリアさんで。アンタ、獲物は何を使ってる?」

「騎士と呼ばれているのでな、もちろん剣だ。弓や槍の心得もある。身を軽くすれば体術もそこそこだと自負している」


 じゃあさ、と一成は笑ってみせる。少しだけ不敵に。


「せっかくだから友好を深めようぜ、相手してくれるかい?」


 ムニリアに向かって、握った拳を突き出した。

 対して、ムニリアも不敵な笑みを浮かべる。


「いいだろう。これでも一応、四将軍の一人だ。相手になろう」

「いいねぇ……ずっと一人で黙々とやっていたから、付き合ってくれる相手が欲しかったんだよ」

「とはいえ、あまり期待はしないでくれよ。先の戦いで私は君の仲間に敗れているからな」

「……ああ、カーティアか、アイツは俺よりも強いからなぁ」


 戦線を離脱してしまったままそれっきりの仲間を思い出して苦笑してみせる。彼女は本当に自分よりも強かった。戦いの話だけではない、心も、あり方も。そして何よりも真っ直ぐな人だった。


「ほう、仲間よりも弱い勇者だったのか?」

「そうだよ、悪くないだろう、そういうのも」

「そうだな。悪くない。君は、仲間に会いたいか?」


 その質問にはすぐに答えられなかった。

 でも、だけど。


「ああ、今の俺ならはっきりと言えるよ。会いたいね、会いたいと思うよ」


 向こうがどう思うかはわからないけれど、と一成は付け加える。

 会いたいが、怖いとも思っているのだろうと、ムニリアは思う。


「ならいつか会えるだろう」


 そう言って、互いに言葉を止めた。もう会話はいらない。会話は後でいいだろう。

 一成は拳を握り構え、ムニリアは兜を地面に置いて腰の鞘から剣を抜いた。

 合図も何もいらなかった。

 目と目が合う。そして、互いの目が頷いた瞬間――二人はぶつかった。



 ――本当に、アイツらは今頃どうしてるんだろうな?



 拳と剣がぶつかる瞬間、一成は仲間のことを思った。







 リオーネ・シュメールは自宅の部屋の窓から魔王城を見つめていた。

 彼女の背後には控えるように、メイドのクラリッサがいる。


「少し以外だった。ムニリアがあそこまで気に掛けていたとは……」

「彼は人間が嫌いですから……いえ、正確には自身の中に流れている血をですね」

「彼も彼で苦しみながら、それでも歩み続けている。一成もムニリア同様にこれからそうしていかなければいけないんだろうね」


 少しだけ悲しそうにリオーネは呟く。


「ですが、この一週間何をしているかと思っていましたが、隠れて鍛錬をしていたとは。それに仲間と会いたいとも言いましたね。一成様も前に進むことを選ばれたのでしょう」

「まったく、毎晩どこかにフラッと出て行くから何かと思ったら……」

「覗き見してしまったことが申し訳ないですね」

「うっ……しかし、一週間も続けば心配になるだろう? この件に関しては謝るよ。だけどね、やっぱり一言くらい言って欲しかったよ。もちろん、一人で色々考えたかったからだと思うけれどね」

「そうですね」


 誰にも依存することなく、一成は再び立ち上がり歩き始めた。

 それにはリオーネ、クラリッサ、ムニリア、ギンガムル、リューイたちの存在もきっかけとしてあっただろう。

 それでも、リオーネが望む形で立ち上がってくれた。それが素直に嬉しいと思う。


「では約束通りにストラトス・アディールたちと再会させなければいけないね。約束をしてしまったから」


 一成の仲間であるストラトスたちと会っているリオーネは、彼等がアンナ・サンディアルのように裏切るということはないと確信していた。

 特にストラトスとカーティアは、例えどんなことがあっても一成の味方であり続けるだろうと思う。

 問題であった、一成自身も誰かに寄りかかる形ではなく、依存することもなく、時間と帝国人との関わりによって、傷は癒えてはいなくても立ち上がることができた。


「これでようやく、私も前に進める」

「はい」


 リオーネは尋ねなくてはいけない。

 一成が立ち上がり、前にと進み始めたのなら以前話したことの答えを尋ねなければいけない。断られてもいいと思っている。だが、共に歩んでくれればこれほどの嬉しいことはない。


「一成はどう返事をしてくれるんだろうか……」


 期待と不安を混ぜた声で、リオーネは呟くのだった。





若干遅くなりましたが、最新話投稿させて頂きました。


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