12 「魔神」
大陸西部にあるサンディアル王国。
第一王女である、セリアーヌ・サンディアルは私室にて一つの答えに近づきつつあった。
「間違いない、やっぱり勇者召喚魔術は遠い昔に失われていたのね……」
驚きを隠せないとばかりに、万年筆を持つ手がカタカタと震えている。椅子に座っているというのに足までもが震えてしまう。
無理もない。
「でもまさか、こんなことをする理由がアンナにはないはず……だとしたら、どうして?」
彼女が読んだ本の一冊の中に、大陸暦ができる前よりも昔に書かれた本がある。
その本を書庫で見つけたのは本当に偶然だった。埃をかぶり、誰かの目に触れることを拒むかのように本棚の隙間に落ちていた一冊の本。
それははるか昔に滅んでしまった国の魔術師が書き記した本だった。幸い、文字などは読むことは可能だった。
だから読むことができた。そして、読んでしまったことを後悔した。
セリアーヌ・サンディアルは知ってしまった。
妹であるアンナ・サンディアルが召喚したのは勇者ではないことを。いや、それ以上の存在を召喚していたのだ。
そもそもおかしいと思うことはあった。アンナが召喚しておきながら、一成には「誰か」が召喚してしまったと伝えているのだ。彼はそれを信じていた。
セリアーヌは父である王へ、嘘を付かずに誠意を持って本当のことを話すべきだと意見した。だが、それは却下された。
こちらの都合で勝手に呼ばれたとあっては、その力で何をされるかわからないから。
それが答えだった。保身的な答えだと思う。
だが、王の命令に逆らえないセリアーヌ自身も同罪だと心を痛めながら彼と接した。
とても一時の感情で国や人に害するような人だとは思わなかった。それどころか、話す度に好感が増す人物だった。
だからセリアーヌは本心を言ったのだ。
現在、人間と異種族は対立し、いや人間が異種族を敵と決めつけいると。それをどうにかしたいと。すぐにどうこうできるとは思わないけれど、何かきっかけがあれば、そのきっかけで少しでも溝が埋まればと。
彼は賛同してくれた。
嬉しかった。妹も同じ考えだからと告げ、その後も色々な話をした。
彼は笑顔で話を聞いてくれた。笑顔で話をしてくれた。その笑顔を見て、心がズキズキと痛んだ。
「彼は勇者じゃなかった……」
そう。勇者召喚魔術で召喚された勇者ではなかった。
では何者か?
「彼は……器。そしてきっと、先日召喚された少年も」
「正解です、お姉さま」
「誰ッ?」
ガタンと音を立てて、セリアーヌは立ち上がり、声の主を求めて後ろを振り向く。
「ア、アンナ……」
そこには笑みを浮かべた妹が立っていた。いつの間に部屋に入ってきていたのだろうか?
亜麻色の髪、優しげな笑顔、清楚な白いドレス。すべてがいつもの妹だった。だけど、それが怖い。
そんな姉の心情を知ってか知らずか、妹は笑みを浮かべて近づいてくる。
「凄いです、お姉さま。まさか気付く人間がいたなんて思いもしませんでした! 旧き龍ならともかく、二十年程度しか生きていない人間が、それも書物のみで!」
「な、何を言っているの?」
「確かに魔法陣をそのままにしておくのはミスでしたね。でも、まさかあの魔法陣の違いがわかるほどの書物がまだ残っているだなんて。面倒になりそうな書物はすべて焼いたつもりでしたのに」
そんなことを言って笑う。
セリアーヌには、目の前の人物が本当に妹なのかわからなくなってしまった。
笑みを浮かべているというのにも関わらず、何かとてつもない恐怖感を持っている。
「あ、でも、完全に正解ってわけじゃないんですよ。確かに私が勇者召喚魔術として行っているものは器を召喚する魔術です。ですが、完全な器というのは一つだけしかありません。それが椎名一成です」
「何を言っているの……彼は亡くなったでしょう!」
姉の言葉に、妹はフフフと笑う。
「まさか! あの未完成な魔術で器が死ぬ? そんな馬鹿なことがあるわけがないでしょう! え……でも、あれ? 勇者様を殺したのは私。あの魔術がいくら未完成でも逃げ道はない、生き残るのは不可能なはずでは?」
「……アンナ、一体何を言っているの? 言葉が矛盾しているわ。いいえ、それよりも、貴方が勇者を殺したというのはどういうこと?」
問い詰めようとアンナの方を強く掴むが、彼女はそれを気にした様子もなく笑みを浮かべている。だが、目の焦点は合っていない。
「あれ、おかしいな、私が殺したはずなのに……死んでないの?」
「アンナ!」
パンッとセリアーヌがアンナの頬を平手で打つ。
明らかに正気ではない妹が怖い。正直言ってしまえば、誰かに助けを求めに逃げ出したい。だが、姉として逃げるつもりは彼女になかった。
「……アンナ、一体どうしてしまったの? ちゃんと答えて、彼を殺したというのはどういうこと?」
「……」
「教えてアンナ、どうして――魔神の器――を召喚したの?」
魔神の器。
セリアーヌはそう言った。
そう、椎名一成は勇者なのではない。少なくとも、勇者召喚魔術でこちらの世界に呼ばれたのではないのだ。
旧き神の器として、こちらの世界に呼ばれたのだ。
「でも、彼は死んでしまった。だから新しい器を召喚したのね。貴方は一体何がしたいの?」
その問いに答えるように、頬を叩かれて俯いていたアンナが顔を上げる。そして、その顔に笑みは浮かんでいない。
何の感情も浮かんでいない。完全なる無であった。
セリアーヌは絶句する。どうすればこんな顔ができるのか?
先ほどの笑みも怖かったが、今の顔は恐ろしい。体だけではなく、心すら恐ろしくて震えてくる。
「器が欲しいのは簡単だ、人間よ。神々は古の決まりによって地上に現れる場合に制限が掛けられる。だが、器となるべき者がいれば話は別だ」
アンナの顔で、アンナの声で、誰かが喋る。
「だ、誰なの?」
「その問いに答える必要はない。お前の中で既に答えは出ているだろう?」
「ま……魔神」
「そうだ。私は求めた。地上で私の力を振るうために、何度も何度も何度も! そしてようやく現れた器があの男だ!」
「でも、彼は死んだ」
「死んでいない。私がそれをさせるわけがないだろう。もっとも、アンナ自身は真なる器を殺したがっていたがな、心の底から」
クツクツ、とアンナの顔で魔神が笑う。
セリアーヌは助けを呼ぼうと、大声を出そうとして――できなかった。
助けを呼んで何になる?
そう一瞬躊躇ってしまった。そして、その一瞬がいけなかった。
「思ったよりも冷静だな、感心する」
勢いよく伸ばされた手がセリアーヌの首を掴み持ち上げられる。
「が、ぐ……」
「人間よ、お前の判断は正しい。助けを呼んでも無駄になる。私が力を振るえば、抵抗力のない人間など簡単に殺せる。いや、それ以前に私が人間程度に正体が暴かれるわけがない。今、私がお前の前にいるのは、自力で勇者召喚魔術の嘘を見破ったからだ。褒美のようなものと思え」
この細い腕でどうしてこれ程の力を使えるのか?
魔力も何も宿っていない、細い腕で。
「……これでは会話にならないな」
魔神はそんなことを言って、突然手を離す。
それによってセリアーヌは床に落とされ、ゴホゴホと咳き込む。
「――――」
何と発音したのかわからなかった。
だが、瞬間、セリアーヌの体が浮かぶと、壁に叩き付けられ、十字に貼り付けられる。
「拘束はしたが、首から上は動かせるぞ。もちろん、会話も可能だ」
「貴方は妹の体を奪ったの?」
「違う。お前にならわからないか?」
まさか、と思った。
そして気がつけば、口が勝手に動いていた。
「アンナも器……なの?」
「半分正解で半分は不正解だ。まぁだが、おまけで正解にしておいてやろう。正しく言えば、真なる器というのは一つだけだ。だからといって、たった一つだけしか器がないわけでない。アンナ・サンディアルも器の一人だ。だが、私の器ではない。だから今は間借りしている状態になる。おかげで自由に力も使えない」
「アンナを返して!」
姉の懇願に、魔神は妹の顔で駄目だと笑う。
妹の顔で歪んだ笑みを浮かべる。
それが恐ろしかった。そして、許せなかった。
「残念ながら私はこの器から出て行くことはできない。既に私の肉体はアンテサルラによって煉獄に落とされ滅ぼされている。だが、魂は残った。ゆえに器を求める。そして、器となるべき者がいるからといって、自由自在にできるわけではないのだ。色々決まりがあるのだよ」
魔神は簡単に折れてしまいそうな細い指を一本立てる。
「まず一つ、器が私を受け入れること」
意地悪く笑いながら魔神はセリアーヌに告げる。それだけで、彼女の顔は真っ青になった。
「まさか……その子が貴方を受け入れたというの?」
「そうだ。アンナが望み、私が望み、アンナが私を受け入れたのだ」
そして、さらにもう一本指を立てる。
「二つ、私の意志では器から出ることは不可能だということだ」
「……どうすれば、いいの?」
可能であるなら、自分自身を器にしても構わない。
そこまでを覚悟してセリアーヌは魔神に問う。
「お前の考えくらいは簡単にわかる。お前では私の器にはなれない。必ずしも誰もが器であるわけではないだ。そして、私がこの器から出て行くには――肉体が死ななければいけない」
「なんてことを……」
セリアーヌは絶句する。
「アンナはそれも覚悟で私を受け入れたぞ。だが、今では後悔しているようだな。私の真なる器を殺したと思ったその瞬間から心は壊れかけていた。それでも、いや……だからこそか? 抵抗を続けている」
理解できない内容だった。矛盾点が多い。
魔神は器である一成を殺したくはないはず、だがアンナは一成を殺そうとした、いや殺したと思っていた。魔神の話では一成は生きている。
だが、おかしい。
魔神が、アンナが一成を殺そうとしたことを放っておいたのはわかる。殺せないとわかっていたからだ。だが、アンナはおかしい。
一成を殺そうとしたのに、殺したかったというのに、殺したと思った途端に心が壊れかけた?
それでは殺したかったのか、殺したくなかったのかわからない。
「真なる器でないと困ることが多い。まず、力が使えない。そして私の力に耐えられずに、器が勝手に崩壊していく。そして面倒なことに、器が崩壊する場合、私にも死が訪れる。これは枷なのだ。神々が好き勝手に地上に現れることをさせないための枷だ」
「なら……妹を見捨てれば貴方はこのまま死ぬのね?」
「そうだ。だが、私もそれ相応の覚悟で地上へとやってきた。そう簡単には死んでやらんよ?」
そのために、二度目の召喚をしたのだと悟る。
器を召喚する魔術だ。召喚された少年が、魔神の器でなくても、アンナ同様に器にすることができる。
アンナの体が魔神の力に耐えられず崩壊してしまう前にそれをしてしまえば……。
「そうだ。理解が早いな。真なる器でなくても可能だからこそ、二度目の召喚をしたのだ。私の力は強い、これほどの力を秘めているアンナでさえ二年前に崩壊が始まった。そのことだけは残念に思うがな」
それはアンナが変わってしまったと感じた時期と同じだ。
いや、それよりも……
「アンナは一体、何年前から貴方の器になっていたというの?」
「四年前だ」
「そんな……どうして?」
成人する前からそんなことになっていただなんて……。
一体、何の理由があってアンナはそこまでしたというの?
「――復讐だ。アンナ・サンディアルは復讐のために私を受け入れた。おっと、これ以上は本人から聞くんだな。私はこれ以上の発言をアンナとの契約でできない」
「復讐……何に復讐するというの? アンナ! 答えて、ねぇ!」
「無駄だ人間。今は私が完全に体を支配している。声は届いてはいるが、返事はできない。もっとも、半分以上私に支配されている状態が常だ。アンナは心の奥底に溜めた負の感情で動いている。仮に返事をしても、お前の聞きたい返事は聞けないだろう」
知らずにセリアーヌの瞳から涙が流れていた。
何を思って妹が復讐をしようとしていたのか。何に対して復讐をしようとしていたのか。それさえも知らない。知ることができない。
自分にできたのは、ただ勇者召喚魔術が魔神の器を召喚する魔術だと見破ったことだけだ。
こんなことなら、何も知りたくはなかった。
「……ッ、そろそろ限界か。面白いことに、私がアンナの体を完全に支配すると、アンナは理性を取り戻し、抵抗する。だが、支配をやめるとまた負の感情に捕らわれ、復讐のために動くのだから」
「待って!」
「なんだ、人間よ」
「貴方の目的は何なのですか? リスクを負ってまで地上に古の神が来たのですからそれ相応の理由があるはずでしょう?」
「ふむ。お前も面白い人間だな。この状態で、涙を流しながらも希望を見つけようとするのか? まぁいい、答えてやろう。とはいえ、お前にしてみればつまらん目的かもしれんぞ?」
「構いません」
涙を流し、絶望していた。
それでも、決して負けてやるかと妹の体を支配する魔神を睨みつける。
そして、気付いた。
「復讐だ」
妹の瞳は濁った灰色一色になっていた。
久しぶりの連続更新です。
はい、今回はサンディアル王国にて、ついにアンナの秘密が明かされました。とはいえ、すべてではありません。
まだまだ疑問などは残りますが、今後の展開をお待ち頂けると幸いです。
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