10 「勇者召喚」
いけねぇ……歳を取ると、つい説教を始めちまう。
ギンガムル・オックスノックスは篭手を抱きしめるように抱えて泣く一成を見て、頬をかく。
――どうも死んじまった馬鹿息子を思い出しちまうせいか……つい手が出ちまった。
そんなことを思った。
ギンガムルは今でこそドワーフ族の頭領であるが、当然ながらに若い時代もあり、その時代には前魔王の元で人間と戦争をしていた。そして、ギンガムル自身も戦場で斧を振り回し、多くの人間を殺した経験を持っている。
だが、その戦争で息子を亡くした。
辛かった、悲しかった、そして何よりも同じ戦場にいながら息子を守ることができなかったという親の苦悩はきっと同じ経験をした者でなければわからないだろう。
同時に、同じ経験はして欲しくないと思う。
時は流れ、戦争はあるものの、人間の国々も代替わりや様々な事情から回数も少なくなった。
戦争などなくなってしまえ、どうして何度も血を流せるのだろうか?
何度も、何度も、疑問に思った。
もっとも、人間は八十年生きれば長生きだが、異種族は基本的に人間の三倍以上は生きる。精霊などになればそれこそ寿命などあってないものである。
だからかもしれない。人間もきっと親しい者が死ねば悲しむだろう。だが、短い生ゆえに次の代にそれが生かされていないのではと思う。もちろん、両親を亡くす者、兄弟を亡くすものもいるだろう。それが後悔ではなく、憎しみに繋がったら?
戦争は続く。
戦争を経験したことがないゆえに、悲しい思いをしたことがないからやめようとは思わないのだ。
もちろん、全員がそう思っているわけではないことは分かっている。戦争を回避したいと願っている者がいることも知っている。だが、現実として戦争は終わらない。
そして決着も着かない。
――人間と異種族が争って良いことなどない、近年増加する魔物が既に第三の敵として人間にも異種族にも牙を向いているというのに。
このまま破滅に向かうのか? ゆっくりと時間を掛けて。
それを回避しようとしているのが、現魔王であるリオーネ・シュメールであった。
初代魔王を知る数少ない者は彼女を見て、今までの魔王の中で最も初代に似ていると言う。
何が、という説明は聞いたことはない。だが、そう言うのだ。
そして、そんな現魔王が選んだ男――それが「裏切られた勇者」であった。
どうしてリオーネが一成を選んだのかはわからない。だが、初代魔王のように「勇者」として召喚され、「裏切られた」。これほどの皮肉はないだろう、とギンガムルは思う。
年寄り……と言うつもりはまだないが、長く生きている者の経験として、これから何かが起こる――そう思った。
だからだろうか……以前、一成に黒狼と意思疎通を可能とする「黒狼の鈴鳴り」を渡した際、歳相応な笑顔な……だけどどこか悲しさを感じさせる笑みを見て、少しだけ息子と笑った顔が重なった。
戦争なんてなくなるといいね、そんなことを言いながら戦場に出て、敵を倒すためではなく、仲間を守る為に戦った自慢の息子。若くして戦場で息絶えた息子。
人間を憎んだ、恨んだ、呪いもした。だが、息子が死ぬ前に言い残した「いつかみんなで仲良くできる世界が来るといいな」という言葉を思い出しては、人間を許してきた。
他の種族もそうだ。人間に住処を奪われ、親しい者を殺されて、帝国へ逃げてきたのだ。皆、人間に対して良い感情を持っていない。だが、それでも人間によって人間扱いされない人間を帝国は保護する。仲間と認め、助けあう。時には人間と恋に落ちて結ばれる者もいる。
だからこそ異種族たちは知っているのだ。
人間だろうと、異種族だろうと、結局のところは心が大事だと。
綺麗事かもしれない。だが、それでも良いと思う。綺麗事も言えなくなったら、こんな世界はお終いだ。
だから期待しているのだ。
魔王リオーネ・シュメールと元勇者椎名一成がどう進んでいくのか、を。
――彼は重荷を背負っている。そして今、彼の翼は折れている。その折れた翼に君たちはまだ重荷を背負わせたいのかい?
ストラトスは、目の前の女性が……いや、魔王が何を言っているのか分からなかった。いや、分かりたくなかった。
助けになりたいと思っているのに、今度こそと思っているのに、
「どうして、そんなことを言うんだ!」
怒りに任せてストラトスは叫んだ。
だが、魔王――リオーネ・シュメールは何も言わずにただストラトスを見下ろすようにしているだけ。
「なんとか言えよっ!」
それでも魔王は答えない。
それが苛立たしくて、どこか馬鹿にされているような気がして、自分の思いを否定された気がして、ストラトス・アディールは敵意を浮かべた。
しかし、その瞬間だった。
「ッ……」
いつから居たのか、どこに居たのか、ストラトスにはまったくわからなかった。
亜麻色の髪を持つメイドが、戦斧の切っ先をストラトスの喉にピタリと当てていたのだ。
「ストラトスッ!」
その光景にキーア・スリーズが悲鳴を上げる。
彼女もまたメイドの存在に気付かなかったのだ。
その一方で、メイドの存在に気が付いていたシェイナリウスとカーティアがそれぞれ構えようとして、
「クラリッサ、下がってくれ」
「はい」
最初に魔王が動いた。
「君たち二人もだ。一成の仲間と無駄な争いはしたくない」
彼女の言葉にシェイナリウスとカーティアが警戒を緩める。
ふう、と嘆息した後にリオーネが話し始める。
「ストラトス・アディール」
「何だ……」
「君になんて言葉を掛けるべきか迷っていた。結果的に怒らしてしまったなら謝罪しよう。そして、改めて言おう、君に……いや、君たちに一成とまだ会って欲しくはない」
「何故だ!」
「君はどこまでも一成を慕っているんだね、でもだからこそだよ。わからないかな……例え、君たちによって立ち直ったとしよう、それで良いのかい?」
魔王の問いに、ストラトスは即座に答える。
「当たり前だろう!」
「本当に?」
至極当たり前に答えたストラトスに、魔王は冷めた視線を送って尋ねる。
その冷めた視線に半歩退いてしまったストラトスだが、それでも吼える。
「そうだ、当たり前だ。俺は兄貴に救われた、親に捨てられて生きるか死ぬかのところを救ってもらったんだ。あんなに暖かくて優しくて強い人が苦しんでるなら、助けになりたいって思うだろう。例え、助けにならなくても傍にいてやりたいって思うだろう?」
息を切らしてストラトスは叫ぶ。
「そんな理由じゃ駄目か? あの女から兄貴を守れなかった、いや……その後もまったく何もできなかった俺じゃあ近くに居ることも駄目だって言うのか!」
「いや、そんなことを言うつもりはないよ……正直、君の言葉を聞いて一つの懸念が晴れた」
それは一成の仲間が裏切る可能性ということだ。だが、それも杞憂だったとリオーネは思う。
ここまで真っ直ぐに一成を想っているのなら、裏切ることはないだろう。
だが――その真っ直ぐな想い故に一成と会わせたくはないと思うのだ。
「私が君たちを一成と会わせたくない一番の理由、それは……一成が君たちに依存してしまうことを恐れている。同時に、君たちが一成に依存してしまうことも恐れている」
「……なッ」
そんなことを突然に言われ、激昂しかけるストラトスだが、リオーネは構わずに続ける。
「彼が今、傷ついているのは分かっている。苦しんでいるのも分かっている、悲しんで、どうしようもないくらいに絶望していることも知っている。だが、だからこそ自らの足でゆっくりで良い、どのくらい時間が掛かっても良いから、少しずつ立ち上がって歩き出して欲しいんだ」
だからこそ、
「君たちが今ここで一成と再会してしまうことで、君たちに頼るなら良い、だけど――依存してしまったら、次に何か会った時に彼は決して立ち上がれない」
「……」
助け合うのは良いことだと思う。それが仲間であるなら、なお更だ。
だけど、
――私はまだ、一成から仲間に会いたいと聞いたことはない。
いや、それどころか仲間の話すらしていない。
当初、目を覚ました時に触れる程度で話をしたが、それ以来仲間の話を聞いたことがなかった。
彼が会いたくないのか、それとも裏切られたと思っているのか、それは分からない。会いたいと思っているが、もしかしたら……と思っているかもしれない。
だが、それは当たり前だ。
信頼していた者に裏切られる、それは経験したことがなければわからない。とはいえ、誰でも経験するかもしれない。気付かない内に、知らない間に、些細なこととして。
だが一成は違う。
大きな裏切りを受けた。いや、最初から裏切られていたのだ。
今、彼が何を思っているのかリオーネにはわからない。決してわからないだろう。
だからこそ、仲間と会わせることができない。仲間と会うことで立ち直れるかもしれない、だが依存する危険がある。
正直に言ってしまえば、依存するならすればいい、それで立ち直ることができるなら。きっとストラトスたちは裏切らない。だから、依存でも良いと思う。
しかし、それはあくまでもプラス思考としてだ。
もしも一成が仲間に会いたくなかったら? 仲間と会うことで逆に心が駄目になってしまったら?
一成だけではない、仲間たちもきっと大きく傷ついてしまうのは目に見えている。
――だから私は一成と仲間を合わせたくない。
色々な理由を並べたところで、結局のところ椎名一成自身がまずは自身で立ち上がり、仲間と向き合える準備をしなければいけないのだ。
リオーネ・シュメールは一成のためだけではない、一成の仲間たちのためにも、彼等を再会させたくないのだ。
だが、それも所詮はリオーネの我侭であり、自己満足にしか過ぎない。
リオーネには進むべき道がある。それに一成が共に歩んでくれれば嬉しいと思っている。そして、彼の仲間も同様だ。
もう既に世界は「人間」と「異種族」が争っていられるほど時間がないのだから。
サンディアル王国内にある、太陽の女神サンラを祭る神殿の最上階。
太陽の女神であるサンラの加護を受けられるように、最上階の天井はガラスになっている。耐久性に不安を覚えるものも多いが、強化魔法によって保護されているガラスは最上級攻撃魔術すら防ぐという噂である。
そんな最上階、太陽の光が降り注ぐ中、一人の小柄な少年が呆然とその場に立ち尽くしていた。
「ここは、どこ?」
小柄で体格は細く、あまり運動は得意ではないかと思われる少年は不安げに辺りを見回すと、観賞用と思われる植物が多く育てられていて、日の光を浴びて豊かに輝いている。
上を見上げると、ガラスの天井と雲一つない青空が広がっている。
そして、足元に視線を移すと……まるで少年には理解ができない文字で書かれた陣があった。
「魔法陣?」
呟いてから少年は笑う。まさか、そんな馬鹿な、と。
自分はさっきまで自宅にいたはずだ、だけどどうしてこんな場所にいる?
疑問は尽きない。
そんな時だった。
「お待ちしておりました、「勇者」さま」
とても優しげな声だった。
「誰っ?」
声の主を探して、戸惑いながら周囲を見回すと――亜麻色の髪の少女が優しげな笑みを浮かべて立っていた。
思わず息を呑んでしまう。
可憐な少女だった。少女のように小柄なだけだろうか?
純白のドレスに身を包み、聖女のように笑みを浮かべる少女から目を離せなかった。
「……勇者?」
ずっと彼女を見続けていたかったが、聞き逃せない言葉を言ったことを思い出して正気に戻る。そして、聞き返した。
彼女は可憐な笑みを浮かべて、
「はい、貴方は勇者としてこちらの世界へ招かれました」
「こちらの世界って?」
「はい、この世界は貴方の世界とは別の世界となります」
そんなことを突然言われて受け入れられる訳がなく、さらに混乱するばかり。
戸惑い、混乱し、思わずその場に座り込んでしまう少年に、彼女は駆け寄ってそっと体を支えた。
甘い香りがする。
「どうか落ち着いてください、貴方は選ばれたのです。今、この世界は大きな危機に見舞われています。私たち「人間」だけではもう対処ができないのです」
「……どうして?」
「どうしてでしょうか……私にも分からないことは多く、戸惑っているばかりです。こちらの身勝手な都合で本当に申し訳ありませんが、もう貴方に頼るしかないのです」
甘い香りに包まれながら、少年は彼女の言葉を聞き続ける。
「どうか私たちを助けてください「勇者」さま……」
彼女の頬を涙が伝う。
泣いているのだ。
少年の心が痛む。
「勝手な理由だと理解しています。貴方はこれから辛い思いをするでしょう、ですが私は貴方に助けを求めるしかないのです……私を助けてくださいますか?」
「……うん、僕にできることなら」
少年は思う。彼女を泣かしてはいけないと。
どうして自分が勇者なのかわからない。わかるわけがない。
だけど、きっと僕は彼女を守る為に選ばれたのだろう、と思った。
この可憐で、どこか儚げな彼女を。
「君の名前は?」
名前が聞きたかった。
「私の名前は、アンナ・サンディアル。サンディアル王国の第二王女です。貴方のお名前を教えていただいてよろしいですか?」
アンナ・サンディアルは、可憐な笑みを浮かべて――嗤った。
若干短いですが、更新させていただきました。
後の展開を楽しみにしてくださると嬉しいです。
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