9 「魔王、勇者の仲間の前に現れる」
総合評価が19000ptを超えました。驚きと同時に、本当に嬉しい限りです!
読んでくださる皆様、本当にどうもありがとうございます!
ウキウキと笑みを浮かべるドワーフ族の頭領、ギンガムル・オックスノックスに連れられて来たのは、魔王城の敷地にある工房だった。
もっと工房と言っても、レンガ造りである一般的な建物だ。だが、その中は工房の名に相応しい道具の種類で溢れかえっている。
「すごいな……」
一成にとって素直な感想だった。
今まで武器、防具屋はもちろん、工房にも立ち寄ったことはあるが、それはあくまでも「人間」の職人による「人間」のためのものだった。だが、この工房は違う。「人間」だけではなく「異種族」も使うことを前提にして作られている。
いや、違うか。逆だ。
一成は思い直す。
「異種族」だけではなく、「人間」も使うことを前提にして作られているのだ。
「そうだろう、魔王城はそれぞれの種族の長が集まるような大きな会議か、敵を迎え撃つくらいにしか使われないが、この工房だけは別だ。我らドワーフ族だけではなく、様々な種族の中から選ばれた者のみがここで働くことができる。職人にとって、この工房はとても神聖な領域だ」
ドワーフ族は自身の工房を持つ。腕によって、立場によって、大なり小なりと差はあるのは仕方がない。それが職人というものだ。腕が良ければ、自然と工房も大きくなっていく。
だが、職人はなにもドワーフ族だけではないのだ。
例えば、炎の精霊族が発する炎によって鍛えられた剣は、まるで意思を持っているのではと思わせる炎を宿していると聞く。
例えば、エルフが魔術を込めた防具は、対攻撃魔術の防具としてドワーフ族よりも勝ると聞く。
例えば、異種族よりも秀でていない人間が考える武器、防具、道具は面白みがあり、柔軟性があり、便利であると聞く。
このように、様々な種族が互いの長所を生かしながら物を作ることができる工房なのだ。
もっとも、最近では種族同士が手を取り合い様々な物を作るのは珍しくはない。だが、始まりはこの工房なのだ。それゆえに、職人にとっては神聖であり、「始まりの工房」とまで呼ばれているのだ。
「それで、だ」
「うん?」
「さっきも言ったが、お前さんに渡したいものがある」
工房の一室で、ギンガムルと一成は二人向かい合う形になる。
そして、ギンガムルは一つの棚から布をかぶせたものをそっと大事に手に取ると、二人から一番近いテーブルの上に置いた。
コトン、と軽い音が響く。
「今更だが、ワシもこの工房で働く――いや、もったいぶる言い方はしない方がいいな、ワシはこの工房を任されている。だからこそ、頭領と呼ばれているんだが……」
少し照れたように笑う、ギンガムル。
一成はなるほど、思う。ギンガムルの頭領という呼び名は、ドワーフ族の長だけではなく、「始まりの工房」の責任者も兼ねているのだと。ゆえに頭領。
「お前さんが、武器よりも素手が得意と聞いてな、だからワシら工房の力を結集させて作り上げたのがこれだ」
ギンガムルはそう言って、布を剥がす。
そして、あらわになったのは――篭手であった。作りはとてもシンプルな黒い篭手だった。装飾などはなく、その代わりに黒曜石を思わせるほどの美しさを持つ篭手であった。
「……凄く、綺麗だ」
一成は、その篭手に思わず見入ってしまった。
黒曜石を思わせる一方で、その深い黒ゆえに、どこか夜の海すらも連想させる美しさ。
武器に美しさなど、と無粋なことは言えない。これほどの物をどう言葉にしていいのかわからなかった。
そして何よりも、強い魔力を感じる。ゆえに、海を連想したのだ。海のように深く、大きい、穏やかであり、だが時として大きく荒れもする広大な海。
一成にとって魔力は海のように感じることが多かった。まるで波打つように、魔力が伝わり魔術となる。
そんな感想を持っているからだろう、この黒く美しい篭手が夜の海を連想させるのは。
「お前さんが剣が苦手だっていうのは、魔王の嬢ちゃんから聞いてあった。こういうことを言ったらスマンと思うが、お前さんが「元勇者」であって「聖女」に裏切られたことも知ってる」
「だったら、どうして……」
そんな独白を聞いて、一成は戸惑った。
何も言わないのだ? 文句の一つでも言うべきではないのか?
「俺は敵だったんだぞ?」
「そんなことは知ってる」
「俺は異種族を数多く倒した、数は少ないけれど殺しもしたし、怪我させた数なら数え切れない」
「それだって知ってる」
「俺は、リオーネを……アンタたちの魔王を倒そうとしたんだぞ!」
恨めよ、怨めよ!
俺はアンタたちのもっとも障害たる「勇者」だ!
一成は叫ぶ。
「だが、お前さんは魔王の嬢ちゃんを殺すつもりはなかっただろう? それどころか、聖女の魔術から嬢ちゃんを守ったって聞いたぞ。だから感謝している」
「それは、結果論だっ!」
「それにお前さんは嬢ちゃんを倒すつもりだったかもしれないが、殺すつもりはなかっただろう。異種族と人間の友好関係を結べればと思っていたんだろう?」
「そうじゃない、そうじゃない! 俺が言いたいのはそうじゃない、アンタは、いやアンタたちはどうして俺をそう簡単に受け入れられる? どうして俺に優しくする? もっと恨めよ、もっと憎めよ、もっともっと責めろよ!」
「……」
「何黙ってんだよ! なんだよ、あれか? 俺が裏切られた間抜けだからって哀れんでるのか、そうだろう? そうじゃなかったら、俺に武器なんて渡すわけねえからな……それで今度はアンタらが俺を裏切ってお終いか!」
苦痛だ、苦痛なんだよ。
ずっと、ずっと、誰も彼も俺に優しくして。俺は敵だったのに、アンタたち異種族と何も知らずに、ただ戦ってただけの相手だぞ。
なのに、どうして優しくするんだよ! どうして、どうして、どうして!
「ふう、言いたいことはそれだけか?」
一成の叫びに、ギンガムルはため息を吐く。
そして、
「歯ぁ、食いしばれ!」
ドゴンッ! と、鍛え抜かれたドワーフ族の渾身の拳で一成の頬を殴り飛ばした。
魔力による強化などしていなかった一成は、大きく後ろに吹っ飛ばされて壁に当たって床に落ちた。
数メートルは飛んだだろう。
そして、一瞬だけだが、一成の意識は飛んだ。
「小僧、お前さんは腹の中でそんなことを考えてたのか……」
気持ちは理解できる、とは言わない。だが、分からなくもない、とギンガムルは言う。
「良いか、ワシら帝国の民は「元勇者」椎名一成を受け入れはした。同情もした、哀れみもした。そして、憎みもしたし、恨みもした。それに何より、許していない」
――許していない。
そう言われたかったのに、床に倒れる一成はその言葉に怯えるようにビクリと震える。
「確かに敵だった。なら敵をいつまでも恨んでいれば、憎んでいればいいのか? それは間違いだ、小僧。人間の国じゃ、いつまでも恨み、憎むかもしれんが、ここは、帝国では負の連鎖は断ち切るという意思を民が持っている」
「……負の連鎖を断ち切る」
蹲っている一成が、小さな声で繰り返す。
「そうだ。憎んで、恨んで、復讐して、そして相手が同じ事をしてそれを繰り返す。馬鹿げているとは思わないか?」
「……それじゃあ、やられてもやり返すことができないじゃねえか」
「そう極端な意味ではない。敵対すれば戦う、戦うなら容赦はしない、だが今のお前さんはどうだ? 戦う意思など持っておらんではないか?」
「……」
「もしもだ、お前さんがまだワシら異種族を倒したいと戦意を持っているなら、受け入れることはできない、それ相応に対応する。だが、違うだろう。お前さんは最初からワシら異種族と本気で戦いたかったか?」
んなわけねーだろう!
これ以上もないくらいに一成は叫んだ。
「誰が好き好んで戦うかよ! 喧嘩なら別だ、喧嘩なら何度だってやってやる。だけど殺したり、殺されたり、そんなやり取りは嫌に決まってんだろう! 人間、異種族、なんだよそれ? そんなくだらねー理由で戦ってんじゃねえよ、馬鹿じゃねえのお前ら!」
「……確かに」
ギンガムルは苦笑いをして頷く。
「だいたい、こっちの世界の人間は頭がおかしいんだよ! 何が勇者だ、何が聖女だ、結局殺し合いの駒じゃねえか! 初代魔王だって、俺と同じ騙された間抜けだ! その子孫のリオーネも馬鹿だ、大馬鹿だ、俺を助けやがって、俺に優しくしやがって、いっそ殺してくれれば全部楽になれたのに、アンタたちを傷つけた罪の意識を感じなくて良かったのに!」
――俺は、何も知らないまま死にたかった!
結局のところ、それが偽らざる椎名一成の本音だった。
立ち直ってなどいない。いつまでも、ウジウジとグズグズと引きずって引きずって、近所の子供たちと触れ合うたびに笑顔の下で泣いて、リオーネたちが優しくするたびに心から血が流れていた。
だけど、それが罰だと思っていた。それが、辛くて仕方がなくても。
「それが本音か、吐き出してすっきりしただろう?」
知らない内に、涙で顔をグシャグシャにした一成が顔を上げると、暖かい笑みを浮かべたギンガムルがいた。
そしてその手には黒い篭手を。
「先ほど、ワシは許しておらんと言った。だが、許さないと言ってはいない。お前さんは、償うべきだ。自分自身の為に。ワシらが心からお前さんを許していると言っても、絶対に納得しないだろう。それはお前さん自身が自分のことを絶対に許していないからだ」
「……」
「だから、ワシらはこの篭手を作った。お前さんが自分を許せるように、自分の意思で守りたいものを守れるように、な」
――そうすれば、きっと自分自身のことを許せる時が来る。
ギンガムルは優しい声で、諭すように一成に言う。
「受け取れ、一成。これはお前さんの物だ。別にこれで帝国のために戦えなんて言うつもりは一切ない。自由にしろ」
差し出された篭手を、一成は恐る恐ると手を伸ばし、そして掴んだ。
「これでお前さんは一歩前進した。良いじゃないか、傷つきながらでも、泣きながらでも、失敗したって何度でもやり直せ、生きているんだからそうやって一歩ずつ前に進めれば後で後ろを振り返った時は大体笑えるもんだ」
どこか、地球にいる父を思い出させるような笑みを浮かべたギンガムルに、一成は「ありがとう」と涙でグシャグシャになった顔で言ったのだった。
ストラトス・アディールはこれでもかというくらいに、不満であった。
今すぐ暴れだして慕う兄貴の下へと行きたいのだが、如何せん周囲を囲んでいるのがエルフたちであり自分よりも実力者であるゆえにそれができない。
同時に、我慢しているのは自分だけではないということが、ストラトスの理性を繋ぎ止めていた。
事の発端は、シェイナリウス・ウォーカーとの再会だった。周囲を囲まれるという物騒なものであったが、再会は再会だ。
シェイナリウスは長く美しい銀髪を伸ばし、ストラトスが初めて見るエルフ族の民族衣装を身に纏っていた。
サンディアル王国内で立場が危うくなっていたエルフたちがどうしているのか心配だったストラトスだが、大陸北部で再会できるような気がしていた。そして再会できた。
一度は囲まれたりしたものの、魔王が敗れたという連合諸国の発表のせいか人間がパーティーを組んで北部へやって来るのだという。
つまり、ストラトスたちはそんな輩と間違えられたのだ。
もっとも、ストラトスたちと確認されるとすぐに警戒は解かれたが。
それ以上に、シェイナリウスから聞かされた、椎名一成の生存を聞き、ストラトスはもちろん、キーア・スリーズ、カーティア・ドレスデンは涙を流して喜んだ。
生きている、と信じていてもどこか不安だったのだ。
それが解消された。
だが、決して会ってはいけないと魔王直々に言われていると聞かされ、会いにいけないことに憤りを感じていた。
数日我慢した。だが、その我慢にも限界があるのだ。
「何が、兄貴が自分で一歩を踏み出すまで我慢しろだっ! 兄貴が一歩前に進めないなら俺たちが支えてやるよ! いつだって兄貴は俺たちにそうしてくれたように、今度は俺たちが……そうだろう!」
炎のような赤髪を振り乱しストラトスは大声で同意を求める。
「それはもちろんだ。しかし、な……」
「うん、だけど……」
だが、ストラトスと違い、金色の髪を顎の辺りで揃えた修道服に不釣合いな剣を持つカーティア・ドレスデンと、灰色の髪にローブを纏ったキーア・スリーズは言いよどむ。
「な、なんだよ……どうして、そんな反応をするんだよ?」
きっと自分と一緒だと思っていたのに、自分とは違う、躊躇うような反応をされてしまい、ストラトスは訳が分からないと混乱しかける。
「俺、間違ってるか? 兄貴の下へ行きたいって思って帝国まで来たのに、兄貴が前に進めないなら力になりたいって思ってるのは間違ってるのか?」
「いや、そんなことはない」
答えたのはシェイナリウスだった。
ストラトスの気持ちは間違ってはいない。いや、そもそも気持ちに間違いも正解もないのだ。そしてなによりも、シェイナイリウス自身も、もちろんこの場にいない妹であるレイン・ウォーカーも何度一成と会いたいと思ったことか。
カーティアとキーアも思いは同じだろう。
「私たちも会いたいと思っている。魔王が命じなければ私は会いにとっくに行っていた。私はあの馬鹿弟子の師だ。弟子を支えるのが師だ。だが、同時にエルフ族の一つの部族の長の娘として軽率な行動はできないのだ」
――それに、アイツが私たちに会いたいと思っているかどうか分からない。
その言葉はストラトス・アディールの心に深く突き刺さった。
「なんすか、それ? なんだよ、それはッ!」
思わずシェイナリウスの胸倉を掴もうとして、カーティアに羽交い絞めにされて止められる。
「やめるんだ、ストラトス!」
「放せ!」
だが、そう言われて今のストラトスを放すほどカーティアは馬鹿ではない。
「違うだろ! そうじゃないだろう! 兄貴が俺たちに会いたくない? 違うだろう、俺たちはそんなことで躊躇する程度の覚悟で帝国に来たのか? アンタたちは、兄貴のことを思って言ってるんじゃない、自分たちが傷つきたくないからそう言って誤魔化してるだけだ!」
ストラトスの言葉に、シェイナリウス、カーティア、キーアが反応する。
「兄貴にあんなことが遭ったのに何もできなかったのは俺たちだ。兄貴がもしも俺たちに会いたくないとか、恨んでいるとか思っているのも俺たちのせいだ! だったら、だったらそれでも兄貴に会って力になれなくてゴメンって謝って、恨んでも良いから、憎んでも良いから、裏切ってはいないって言いたくないのかよ! 俺たちはあの女とは違うって信じて欲しくないのかよ!」
ストラトスは分かっている。所詮、この気持ちも自分本位の感情だ。きっと、兄貴のことを考えていないだろう。
だけど、それでもだけど、会いに行きたいのだ。
「君の気持ちはわからないではないけれど、私はそれを許すことができない」
ストラトスの叫びの言葉に、シェイナリウスでもない、カーティアでもない、キーアでもない声が返事をする。
「誰だっ!」
声の方向はストラトスの真正面だった。だが、そこに人影すらない。
しかし、次の瞬間、声と共に魔法陣が展開されて、一人の女性が現れる。
「確かに君たちであれば、一成を支えることはできるだろう。一成が一歩進むきっかけになってくれるかもしれない。だが、私は一成に君たちに頼らないで立ち上がって欲しいと思っている」
現れたのは、透き通るような白い肌を持ち、その肌に映える艶やかな黒髪を伸ばした女性だった。
もちろん、ストラトスやカーティア、キーアには彼女が誰なのかがわからない。
だが、シェイナリウスだけは違った。
「魔王、リオーネ・シュメール……」
どうして、貴方がここに?
そう聞かずにはいられなかった。
同時にシェイナリウスが呟いた魔王という言葉に、彼女が帝国の王である魔王なのだと三人はようやく気付く。
「うん、君の質問に答えるけれど、君たちが合流して私に連絡が来たのは先程だった。だから、挨拶を兼ねて一成のことについて色々と話と相談をしておこうと思ってね」
魔王リオーネは淡々と言う。
そして、ストラトスと目を合わせると軽く会釈をする。
「こうしてお目に掛かるのは初めてだね、ストラトス・アディール」
「あ、あんたが魔王なのか……?」
「そう、私が魔王リオーネ・シュメールだ。女でびっくりしたかな?」
少しだけ微笑んでみせるが、ストラトスにとっては逆効果であった。
「違う! 魔王が女だとか男だとかどうでもいい、どうして俺たちを兄貴に会わせてくれないんだ! お前は何を企んでいるんだ!」
「企む? 私は何も企んでいない。もちろん、一成と共に今後を歩んでいきたいと願ってはいるが、今はただ少しでも彼に安らぎをと思っている」
「ふざけるな、俺が聞いてるのはそんなことじゃない、どうして俺たちを兄貴に会わせないんだって聞いてるんだよっ!」
ストラトスの言葉に、リオーネは笑みを消した。
表情が一瞬にして抜け落ちたことに、それと同時に感じる敵意にストラトスはもちろん、カーティアとキーアもゴクリと喉を鳴らす。
「どうして君たちを一成に会わせない? そんなことを言われなければ君は気付けないのか?」
「だ、だから、なんだって言うんだ!」
意地で意地だけでストラトスは吼えた。
だが、魔王からの返事は冷たいものだった。
「彼は重荷を背負っている。そして今、彼の翼は折れている。その折れた翼に君たちはまだ重荷を背負わせたいのかい?」
淡々と冷えた声で、魔王はそう言った。
最新話をお届けします。