北の魔王様は頑張りたい
水中で泳ぐ魚人の子らを見るとき、私は思う。
本当にこの子らが人の形になるものなのかと。
そんな風に考えてしまう私は、未だに自分を人だと思っているのだ。
どう見ても、魚であるというのに。
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北の魔王様は頑張りたい
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人種族との戦は、私の側近である『右』の言う通りに、ほどなく終結を迎えた。
起こった原因すら定かではないその諍いは、大魔王様の強大なお力により、それまでの混乱が嘘のようにあっさりとおさまったのだという。
伝聞であるので、こうである、と断言はできない。
だが、大魔王様の暇つぶしであるという 右の言葉は間違いではなかったようだった。
強大なお力で、と、言うが、どういう方法でおおさめになられたのかというのは、北には伝わっていない。北どころか、実は兵士として出陣していた者たちですら把握していないのだという。
誰にも、何にも、残らない強大な力とはいったいなんであるのか。あまりに荒唐無稽すぎて何度も陸魚隊からの報告書を読み直したものだ。
前線にて対応していた西の魔王からの手紙では、『あれは反則』と、中身の無い事しか書かれていなかった。次回の参勤交代で問いただすことにする。
一方、人種族との戦の後、私が大魔王様からお預かりする北方の領地には、少しの変化が現れていた。
それは、人種族の来訪である。
今回の戦の後、人種族の魔王領への訪れが大魔王様により公式に許可されたのだ。
それなりに入国時の税や検査もあるのだが、それでも未知の世界というのはいつの世も冒険心を駆り立てるというもの。特に、商人の張り切りようは人種族だけではなくこちら側の商人たちも並大抵ではない。今まで戦をしていたとは思えぬ変わりようではあるが、そもそも、今回の戦はコレが拗れに拗れた結果もたらされたともいわれている。
大魔王様のお力を目の当たりにした人間種族側が、譲歩に譲歩を重ね、これで許してくださいお願いします、という土下座外交だったそうである。ちなみに、今までは不可侵の条約下、非公式に勝手に行き来はしていたのだった。
そして、人種族が大手を振って魔族領へと足を踏み入れられるようになって、我が領地にも訪れる観光ラッシュ。
広い人種族の領土にも無い様な、珍しい素材があるらしい。『珍しい』魚人たちの住処が集まっているらしい。他にない技術があるらしい。凄い魔王がいるらしい。……そんな理由で、人種族が我らが領地へ足を運ぶようになったのだ。
人の形に近い姿の、人当たりの良い陸魚隊の者が来訪者に声をかけ、此処へやってくる理由のアンケートを行った結果がこれである。凄い魔王、という点においては、『凄い(弱い変な)魔王』という言葉が見え隠れするのだが、そのほかの理由に、私は心躍った。
常から考えていた、我が領地の魅力が外に向いたなら、という、それが実現してきたのではないか。私の最弱ぶりを知る魔族たちには受け入れられなくとも、事前知識のない人種族たちなら、純粋に我が領地のすばらしさを理解してもらえるのではなかろうか。
私は、いつもの如く表情の動かぬ魚の顔であったが、喜んでいるということは城に仕える者たちにはすぐに知れてしまったようであった。良かったですね、と、まるで孫の喜ぶさまを見守る祖父母の様な言葉と視線を受け取ることとなった。
何故、表情の出ない私の機嫌が分かるのか。エレーナに問うと、下駄の音がコロンコロンと軽快でしたし、鱗の艶も素敵でしたし……と、本人にもわからない理由を並べたてられたので、早々に話を切り上げた。
人種族の訪れは、我が領地にどんな影響を及ぼすのか。私には皆目見当もつかなかった。はじめは物珍しさから足が向くとして、楽しめる様な観光地もなく、土産物もない。そんなところを訪れてなんとするのか。数度訪れようと思うだろうか。いずれは今までの様にひっそりと寂しい領地に戻るのではないか。そんな不安も同時に抱えていた。
けれどそれは、かつて別の生を生きた記憶のある私の持つ特殊な考えだったのである。
それを気付かせてくれたのは、陸魚隊だった。
陸魚隊はブレるということを知らなかった。
まず、訪れる人種族を関所で選別し、不法なルートで侵入したものは容赦なく海へと捨てた。
領地のものを害そうという心根の者は追い返し、陸魚隊の会報を所持している者は、関連施設ツアーの案内パンフレットを見せ、参加を推奨した。
技術を学びたいという人種族には、陸魚隊所属の新人を一人あてがい、共に切磋琢磨するよう促した。
私は問いたい。
陸魚隊、隊員数増えていないか、と。
人種族が訪れることによって、他の魔王領からの訪問者まで増えてきた。とはいえ、かつてに比べれば、という程度で、然程の数でもない。だが、しかし。待ってほしい。何故、他種族が会報を持っているのだ。関連施設ツアーとはなんだ。関所の管理は北領地軍の管轄のはずであるのに、何故陸魚隊主体で関所を守っておるのだ。現在領内にいる観光客、もしや、選別の段階でものすごく減らされておらんか……?我が領地が力を得る絶好の機会だというのに、何故。
陸魚隊創設者である、我が側近 右は言う。
「そもそも、今までの領地の状態で不満は無いのです。これは、領民の総意でございますよ、我が君。陸魚隊……いえ、我らが魔王様の妨げになるものは排除し、利となるならば受け入れましょう。そうして我らの領地は成り立っているのです」
お話は変わりますが、関所は軍所属の陸魚隊員が主に担当しております。
右は、そう告げてから、颯爽と仕事に戻っていった。
私は、観光の目玉をどうするか、であるとか、一つは目玉となる土産物を用意すべきではないか、というような提案をする隙すら与えられなかった。
そうか、そういう方向で我が領地を盛り上げる必要は無いのか。そうか……。
魚魔王まんじゅうに、焼き印入れたりしたかったな、とか、そういう事は心にしまって、そっと企画書を引き出しに押し込んだ。
ほんのちょっと傷心を味わった私であったが、むろん、それが表情に出ることは無い。領民が領地を好いてくれているというのなら、それを守っていこう。そう決意して、私は机に向かった。
大魔王様からのプライベート用封蝋の手紙を、企画書を入れた引き出しにしまいこむ。
大魔王様が何を思って戦を起こし、終わらせたのか、本当の意味で知ることはできない。それは、どの魔王であってもそうだろう。
『楽しませておくれ』
その一文が、暫く頭から離れることは無かった。
しばらくの後、何故か雑貨屋などで『うろこまんじゅう』という商品が売り出されはじめ、その饅頭の皮の上には私をデフォルメした焼き印が押されていることを、陸魚隊の会報で知ることとなる。
私の引き出しの中まで把握されているのか……?
とはいえ、ちょっとだけ嬉しかったのは誰にも告げていない。
end