北の魔王様と盤上の愚者
私は魔族領の北を治める魔王。
世の者らには、最弱魔王などと渾名されている。
不満などはない。事実であるのだから。
だが、真実というものはさらに無常である。
私は、ただただ肩を落とし、自らの力の無さを恥じるほかない。
「北の方様。また、で、ございますか……」
「うむ。また、だ。どうもうまくない」
「勝てませんねぇ……。右様に」
「うむ。右の奴、手加減というものをせぬ。『接待』という言葉を知らんのか」
私は、右手に握りしめた光沢のある石でできた人形を、木の盤上のどこへと配置するか迷っていた。
何をしているのかといえば、私が人の世界にいたころに触れた、いわゆる『戦争ゲーム』のようなものである。
私が伝えて広めたなどということは一切ない。
その遊戯の名前は、この魔族領では『戦争ゲーム』という名ですらない。『盤上の愚者』という名で広く知られている。ローカルルールなどにより名は地域で変わるらしい。
当たり前のことではあるが、魔族領内、いや、世界にはさまざまな遊戯が存在している。
もちろん、科学の粋を集めたようなものは存在しない。
とはいえ、人間種族たちの文化が長い時間をかけて流れてくる、もしくは逆もあるが、ともかく、私が人であったときに見聞きしたような遊戯は大抵のものが存在していた。
似た生き物であるなら、考え付くものも似たものになるのであろうか。
私が新たに何かを伝えて創作したものなどほぼ皆無なのである。
私は弱い。
最弱といわれてもそれは過言ではないと言おう。
比類なき弱さである。
戦争ゲームから戦術を学ぶなどという領域の話ではない。
北領の宰相であり陸魚隊の幹部でもある右は、なんというか、強い。本当に強すぎる。
稚魚のヒレを折るように、いつも、私はあっさりと負け戦を演ずることとなるのだ。
そして、そこに情けも容赦も接待も介入することはない。
ただ、私が熟考できるようにと、日に一手ずつしか進めない優しさもある。
これを理由に仕事をしないということがないようにという、宰相としての手腕も見え隠れするのではあるが、そこは『優しさ』だと思い込みでもせぬことには、もはややってられないほどの力量の差なのである。
私が休憩時間や夜の自由な時間にうんうん唸っている間も、右は精力的に自らの仕事をこなし、朝、ふらりと盤のある部屋にやってきて一手さしてその日の仕事へと向かうのである。
あの指し手の適当さ加減は、私以外が相手であれば不敬であり屈辱的であると罵られても仕方のない様子なのである。
エレーヌに言わせれば、右はどちらかというと力押しの傾向があり、つけいる隙はある、とのことだ。
私のそばに控え、給仕の手を止めぬまま盤上をチラ見するエレーヌ。
私が一手を置こうとすると、特有なヒレの形の耳がぴんと飛び跳ねるように動き、悲しげな視線を向けてくる。
ゆっくりとその一手を下げると、ほっとしたように給仕に戻るエレーヌ。
私は、そっと気づかれぬようため息をついた。
彼女は、前年度の陸魚隊主催、北領遊戯大会、『盤上の愚者の部』の覇者である。
右を上回る盤上の強者がいるというのも私の弱さを浮き彫りにさせる要因となっている。
盤上で踊る予定であった人形を、自らの陣地へと戻した。
そして。
私は執務室に置いてあるあるものを思い出し、うむ、と頷いた。
そして、翌朝。
「き、ききききき、北の方様っ!! これは卑怯にもほどがありますっ!!!! 攻められないではありませんかぁああああ!!! ぁあああ!! しかも本物の鱗っ!? お小さくても素晴らしいお姿ですぞぉお!!!」
いつものように盤のある部屋へふらりと訪れた右の絶叫があたりに響いたそうである。
私はそのころ、エレーヌに手伝われながら数日前に剥がれ落ちた自らの鱗の仕分けをしていた。
「あの、北の方様、鱗が報告より数枚足りませんが……」
「うむ。ちょっと戦争に出てもらっている」
右が床に膝から崩れ落ちたそばにある盤上。
その私の軍の前線、ど真ん中では。
私から剥がれ落ちた鱗を纏った、人形(北の魔王ミニチュア Ver.)が両腕を広げ仁王立ちしているのであった。
その後、右からの降伏の宣言をもってその一戦は終わりを迎えることとなったのだが、その盤が城のエントランスホールに飾られることになったのは余談である。
end