魚な魔王様の鱗事情とファッション事情
私は北方の領地を中央から預かる魔王。
我が領地の民や、中央の者たちからは『北の方』と呼ばれているが、他の領地の者たちや、私を卑小な存在であると見下す者たちからは『鱗魔王』であるとか、『魚魔王』であるとか様々な呼ばれ方をしている。
私としては、どちらかというと後者のほうが好ましい。
『鱗魔王』も嫌いではないが、特に『魚魔王』のほうは、なんと回文になっているのだ。すばらしい。
なぜ私が『北の方』という呼び方を好ましく思わないのかといえば、私の以前住んでいた世界の、さらに祖国では、『北の方』といえば『身分の高い人物の奥方』という存在をあらわす言葉であるからだ。
それを知らぬこの世界の者たちには、私の微妙な気持ちなどわかってもらえぬであろう。
だが、声を大にして言いたい。
私は独身だ。
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魚な魔王様の鱗事情とファッション事情
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近々、中央で魔王たちが集まり大魔王様に様々な報告を行う行事がある。
もちろん、北方を守る魔王という立場である私も参加する義務と権利がある。
魔法を使用すれば、テレビ電話……いや、Webとカメラを利用したWeb会議のようなことだって出来る。
しかし、あえて各魔王は必ず決められた期間は中央に足を運び、決まった期日滞在しなければならない。
前世の私の祖国でかつて採用されていた『参勤交代』のようなこの制度は、中央におわす大魔王様への絶対的な忠誠心をあらわすのに欠かせぬものである。
特殊な事情があれば話は別だが、基本的には必ず中央へ行き、大魔王様に謁見せねばならない。
そんな大事な日が刻一刻と近づいているある日、私は、私の姿を映す大鏡の前で立ち尽くしていた。
「北の方様……」
立ち尽くし、微動だにしない私の傍らには、私付きの侍女がいる。
赤い髪をきっちりと結い上げた彼女は、我が城の侍女のお仕着せを身につけている。華美なものではないが、濃い藍色の着物のようなお仕着せは、他の領地のドレスのようなそれよりも動きやすいと評判だ。我が城の侍女は和風メイド、他の城の侍女は西洋風なメイド、とでも言おうか。
膨らんだスカートが仕事の邪魔になるのではなかろうかと思った私が、魔王になったときにそのお仕着せのデザインをかえさせたのだ。好みがどうとか、そういうことでは断じて無い。
彼女は片膝を冷たい床につき、真っ白で糊のきいたハンカチでそっと自分の目元を押さえている。
心なしか、彼女のひれのような耳が、弱々しくしおれているように見える。
「エレーナ」
「はい、北の方様」
「別のものを……」
「……で、では、こちらを……。北の方様の美しい薄桃色の鱗に合わせまして作らせました」
「……ブーツ、か。私には少々長くは無いか?」
「ですが、ブーツ、でございますので……」
私の侍女、エレーナは、そっと私の足元に金糸の刺繍の施された、柔らかなブーツを置いた。
失礼いたします、と、慎重な仕草で私の足にそれを合わせる。
膝上ブーツ……ニーハイという呼ばれ方をしていたような気がする。
それを装着した自らの姿を鏡で眺めた後、ちら、と、鏡越しにエレーナを見遣った。
「……エレーナ」
「は、はい」
「私にブーツは似合わぬようだが」
「北の方様っ! そのようなことは決して……!!」
私の言葉に、顔を真っ青にして悲鳴のような声を上げたエレーナ。
彼女は私についてまだ日が浅い。
彼女の前に私についていた年嵩の侍女ならば、すぐさま「お似合いではございませんね。別のものをご用意いたします」と、傷つく暇も無く、雄々しくばっさり斬って捨ててくれたものだ。
エレーナは年若いがよくやってくれている。
悪いのは私の姿だ。
魔王たちがあつまる場に、いかに貧乏領地の領主といえど『魔王』の称号を冠する者が、みすぼらしい姿で現れるわけにはいくまい。
ゆえに、この時期になると、侍女たちが張り切って私を着飾ろうとしてくれるのだ。
だが、どれほど頑張って着飾ろうとしてくれたとて、元が半人半魚の私では飾りようがあるまい。
体長の長い魚に何を着せればいいというのだ。
本人である私ですらわからぬことを、誰が成しえようか。
以前、人であったときには、娘に「いつもスーツでいればいいのに」と、喜んでいいのか悲しめばいいのかわからない言葉をもらったことがある。
仕事着でもあったスーツは自分で選び身につけていた。普段着のセンスは妻が補完してくれていたため自信があるとは言えないが、スーツにかんしてだけ言えば趣味がよいと職場の女性たちにも好評であった。
そんな私のセンスを発揮する場が、今の私には無い。
ぺたり、と、自らの腹を手で触れてみた。
メタボな気配は無い。
『陸でも魚になり隊』の者たちに言わせれば、美しい流線型がうらやましい姿であるらしい。
皆目わからん。
ともかく、こうして悩んでいても解決の道は無いように思われた。
よって、私は、うんうん唸っていまだに悩み続けるエレーナに向かって言った。
「いつものアレでよい。用意せよ」
「ですが……」
「かまわん。多少色や装飾を変えればよい」
「かしこまりました。では、いつもの……『下駄』をご用意いたします」
「頼む。……ああ、それと、」
「お任せください。今年、献上された珊瑚と真珠をあしらった冠も、すでに準備が整ってございます」
「そうか、仕事が速いな。……だが、やはり今年も、私の身を飾るものは『下駄』と『冠』だけとなる、か」
私のような姿の者が無理にそれらしい服を着ようとすると、ギャグかと突っ込まれそうな姿になる。よって、私はいつも、すべて諦め裸族で通している。
身につけるものといえば、履物の中でも装飾がなく、さらっと履ける『下駄』や『サンダル』が主だ。
たまにそれに加えて『冠』などの装飾がつく。……というか、乗せられる。
他の魔王たちからの、「お前またその格好か」という視線を、今回も甘んじて受けてこようではないか。
まあ、こうして鱗に覆われた姿を見せることが、『鱗魔王』と呼ばれる原因でもあるのだろう。気に入らぬわけではないので、好きに呼んでもらってもかまわないのだが。
「まあ! ですが、北の方様の美しい鱗を隠さずにすむのですよ!」
しばし物思いにふけっていると、私が気落ちしているとでも思ったのか、エレーナが声を大にして主張した。
お前もか、エレーナ。
いや、『陸でも魚になり隊』構成員や、城に仕えてくれているお前たちの私の鱗に対するその気持ち、時々重く感じることがあるのだが……。どうしてこうなった。
哀愁に囚われそうになったが、彼女の主である私が、方向性に納得いかぬものはあれど、その慕ってくれる気持ちを無碍にするわけにもいかずに気にせぬそぶりで答えを返す。
「うむ……慰め方がうまくなってきたな、エレーナ。優秀な侍女が居てくれて、私は誇らしいぞ」
「いえ、その、慰めではなく、本当に美しいと思っておりますのに……」
「そうか。なら、次の生え変わりの時にはエレーナに一枚鱗を下賜しよう」
「そ、そんな! 北の方様の鱗はすべて、宝物庫に納められる、いわば国宝! 私がいただくわけには参りません!! いつ生え変わるのかもわかりませんし、それほど多くもない、稀少なものなのですよ!」
「だがな、ただ眠らせておくのもどうかと思うのだ……。一応、欲しいと言う者には分けてもかまわんと思っておるし、一枚くらいどうとでもなろう」
魔王になってから、そのようなことを直接言うものは居なくなったが、以前は兄弟たちに乞われれば、生え変わった鱗を渡してやったりもしていたのだ。
どうやら、私の鱗は、私があまり魔力制御がうまく出来ていないせいなのか、魔力を帯びたまま剥がれ落ちる。その後、魚玉のような硬さを持ち、輝きを放っている。
兄弟たちはそれを使って装飾品をあつらえたり、武器の素材として使用していたようなのだ。
通常の魚人の鱗は、自らの身に纏っている時ならいざ知らず、生え変わりにより地に落ちた鱗にそこまでの硬さはない。体と接しているときには魔力を帯び、すばらしい硬度を誇る鱗。一生生え変わらない種もいるくらいだ。
ゆえに、生きた状態でなければその美しさも強さも保てないとなれば、魚玉とは違い宝石のように扱われることもなく、ただ大地に帰るのを待つばかりの鱗。
それが、なぜか私の鱗に限っては身を離れた後も魔力を帯び、硬度を保つ。
魔王の地位についてから、その希少性に目をつけた臣下たちが、いずれ北領の切り札として活用すべく、量としてはさほど多いものではないのだが、すべてを宝物庫に溜め込んでいるのだ。
私としても、まあ、役に立つのならばやぶさかではないのだが、なんというか、自分の切った爪を溜め込まれているような、抜けた髪の毛をとって置かれているような微妙な気持ちになる。
時々、領地の実りの少ない時期や、どうしても財政が立ち行かない時に、少しずつ市場に放出してなんとか我が領民たちを養っている。
極稀に市場に出回る私の鱗を、事情を知らぬものたちは謎の高魔力・高耐性素材として高額取引材料にしているようだ。
たいした価値もあるまいと思っていたのだが、その認識はあるとき覆された。
この私の鱗、はじめに目をつけたのは確かに兄弟たちであったのだが、それを利用価値のあるものとしてはじめて認めたのは、『陸でも魚になり隊』の幹部の一人であった。
私の妹が身につけていた、魔力を帯びた鱗のピアス。
それをたまたま見かけた隊の幹部が、これは魔力石よりも希少性が高い素材になる、と、予見したのだ。
魔力石とは、その名のとおり、魔力をその身に蓄えた石の事である。
通常は、自然界で長い年月をかけその内に魔力を溜め込んでいく。そして、採掘される場所に縁の深い属性の魔力の石が出来上がるのだ。
たとえば、火山で発生した魔力石はその地に発生する火の精霊たち(精霊とは、世界に満ちた魔力の要素。時折、凝り固まって大きく育ち、意思を持つ存在も在る)の影響を受け火の属性の魔力石となる、といった具合だ。
大雑把なことしか説明できないのは、『魔力石ができる過程って、なんとなくそんな感じ』というような研究しかなされていないためだ。
とはいえ、魔力石の持つ力と魅力は、『出来上がりの過程とかどうでもいいんじゃないの?』というくらいに劇的である。
魔力石を使えば、ただの鉄の剣が火の力を持った火鉄剣となり、装飾品を作れば火の力をその身に受けたときに大部分を和らげてくれる、防御作用のあるものとなる。
純度の高い魔力石であればあるほど、それぞれの道具としての威力や力も底上げされていく。
そんな、魅力的な素材である魔力石と同等以上と評された私の鱗は、市場で売買されるようになると、劇的に値がつりあがった。
私は、あまりの高額取引振りに、恐れおののいた。
いいのか。
私の鱗だぞ。
もういらない鱗なんだぞ。
魚を料理するときには、とりあえず削ぎ落とされてしまう、鱗だぞ。
何度か確認したが、事実は変わらず。
実際に、私の鱗を最初に価値あるものと評価した隊の幹部によると、『属性を持たない魔力石』という素材に分類されるのだという。
属性を持たない魔力石というのは非常に稀少で、さらに、素材としては属性による強化が無いために脆くもある。
それらの短所を持たない魔力石というのが、私の鱗なのだという。
私は水の属性であるのだからして、水の属性の素材になるのではないか、と、単純に疑問に思ったことを問うてみれば、確かにそのとおりなのではあるが、と、相手も首をかしげた。
その後、生え変わりの瞬間を見た相手は、ぽん、と手を打って言った。
確かに、私の体にあるときには水の属性を帯びているのだが、なぜか離れた瞬間に純粋な力としての魔力だけが鱗に残り、あとは私自身が水の魔力要素を引き寄せ吸収してしまっているのだという。
不思議ですね、と、今は私の右腕と目される宰相となった隊の幹部が言う。
私も自分という存在がいまだによくわからない。
ちなみに、この鱗の存在があり、私の魔王着任は認められたのではなかろうかと思っている。生きているだけで金になるのだ。囲っておいて損はあるまい。
とはいえ、これをすべて放出してしまえば、市場の均衡が壊れる可能性もあるため、せいぜいが数年に10~20程度を素材として提供している。
それに、確かに高額で買取される素材ではあるのだが、このようなあぶく銭に頼りきって、いざというときに領民が苦しむ原因になってはいけない。
私が死んでしまった後には、臨時収入をあてにすることはできなくなるのだから。
とまあ、市場での価値もあり、私が魔王として存在するためのひとつの切り札でもある鱗。
だが、どうしても私の意識の中ではあまり価値があるようにも思えずにいる。
「私なぞの鱗だと公表されてしまえば、価格は暴落するやも知れぬ故、それだけは黙っておいてくれ」
こんな半魚人の鱗だなどと知れたら、生臭いだの何だの言われて価値が無くなるかもしれない。
私は自分の価値をさほど高く見積もってはいないのだ。
私は、そばに控えるエレーナに、ささやくように笑って言った。
「北の方様……。どうしてそれほどまでにご自身を低く見られるのか……」
はあ、と、困ったようにため息をつくエレーナ。
ゆらり、と、尾を揺らして、私は大鏡の前から退いた。
そして、ふと、侍女を見下ろして足を止める。
「ああ、そうだ、エレーナ。最近城下で流行している『浴衣』のようなものならば、私の姿でも身につけられるかも知れんな」
「……なるほど、前あわせの形ならば……! さっそく仕立ててまいります!」
「うむ、まあ、今回のものには間に合わずともかまわ……」
私の言葉を皆まで聞くことなく、淑やかにと教育されているはずの侍女、エレーナは部屋を飛び出していった。
「北の方様の美しい鱗をお守りするためにー!!」
「……エレーナ。なぜ廊下で雄叫びをあげる……?」
高級素材であることが原因で鱗を誉めそやされているのだろう、と、一時期は思っていた。
私が魔王としてたったとき、確かにそれを反勢力を押さえ込む材料ともした。
だが、今ならわかる。
我が城にいる者たちは、本当に、ただただ、鱗自体の美しさを本気で褒め称えているのだと。
できれば、崇拝の意味合いの強いフェティシズムあふれる視線を控えてくれるとありがたい。
私は精神的圧迫に弱い。過剰な期待を寄せるのも、できればやめて欲しいのだ。
ああ、早く人間の姿をとれるようにならねば……。
補足ではあるが、私の体に合わせようとするとどうやっても『半被』のような形状になってしまう『浴衣』は、結局、ねじり鉢巻をつけなければいけないような気分にさせられた私の拒否の言葉により、お蔵入りとなったのだった。
end