世界を股にかけるラーメン屋と会った話(俺は素敵なラーメン屋さん)
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↑俺は素敵なラーメン屋さん という別シリーズの「どこかの北の鱗魔王様」というお話の魔王様側からのお話。
とくに新しい情報は入ってませんが、食べた感想はちょっと違うかも。
以前、城の中庭に突如現れた不思議なラーメンの屋台の話をしよう。
西の魔王と共に酒を浴びるように飲んだあの日。
きっと酒の成分で私の魚特有の臭みも緩和されて、うま味成分がマシマシの美味しい身になっていただろう。
切り身になる気は毛頭無いが。
醤油ラーメンでも食べたいものだ、なんぞと思い始めた頃合いに、笛のような音が遠くで聞こえた気がした。
いかん、幻聴が聞こえてきたやもしれぬ。醤油ラーメンが食べたいだなどと考えてしまったばかりに……。
少々休んでくるが、好きに飲んでいて構わない、と『西の』に伝え、一度会食していた部屋を出た。
陸魚隊のメンツが数名残っておるので、まあ、何とかなるだろう。
涼しい空気を感じながら自室へ向かおうと歩き出したところで、エレーナがそっと近づいてきた。
何か異常でもあったのかと足を止めると、中庭に何やらおかしな出で立ちの者がいる、と言う。
兵たちを向かわせようと思ったものの、何故か誰も中庭にたどり着けないということだった。
そのような異常な状態であるため、魔王である私の元へ報告に来たエレーナは、中庭を見下ろせる位置まで速やかに誘導してくれた。
とても優秀。
うちのエレーナは、仕事ができる。えらい。
そうして私が目にしたのは。
私が魚になる前、人であった頃。
その当時であってもかなり懐かしい部類に入る、移動式のラーメン屋台が赤提灯をぶら下げてそこに居たのである。
……魔王城にラーメン屋台……?
何故に……?
いかがいたしましょう、と問うキリッと仕事ができるモードのエレーナを宥めつつ、アレは私の知るものであると告げて周りを囲む兵たちを下がらせた。
私が一匹で対応すべきであると、何となく理解した。
少々の懸念があるとすれば、私の姿に驚かれはしないかということくらいである。
中庭へ降り、下駄の音をわざとらしく鳴らしながら近づいていく。
屋台の中でごそごそと動いている男が見えた。
赤提灯の明かりだけでなく、電灯の明かりの下で、カウンター越しに湯気が立ち上がっているのが見える。
クラシックな木造の屋台は、なかなか珍しい部類であると思われた。
このような魚の姿である私が言うことでもなかろうが。
近づく音に気が付いたのか、男が顔を上げた。
「へい、らっしゃーい」
威勢の良い声。
正しくラーメン屋の店主。
麵を茹でる熱い匂い、複雑な醤油の香り。
それらが私の記憶を呼び覚ました。
そして、郷愁も。
しかし、そう、声をかけてもらったなら、私も返さねばなるまい。
「ラーメンの屋台、か? なんともレトロチックな屋台だな」
「お。魚人のにーさん、あんた、ラーメン知ってんのかい?」
打てば響くような返答。
この屋台の主人は、人と話すのが苦でない部類の男のようである。
さらに言葉を重ねていけば、この主人、どうやら自分でもよくわからないうちにここにいたらしいことが分かった。悪意あってのことではないと言われれば、ほぼ同郷のその男を信じたくなった。
だから私は、醤油ラーメンと半チャーハン、餃子を注文することとした。
……わかっている。魔王領を預かるものとして、城内の命たちを預かるものとしての判断ではなかったということは。
その時の私は酔いも手伝って警戒心のかけらもなく、さらにはちょうど食べたいと思っていた醤油ラーメンが食べられると知って、欲望に抗えなかったのだ。
ラーメン食べたいだろう、飲んだ後は。
記憶も薄れたかつての思い出の味。
まあ、勿論、全く同じというわけでもないのだがやはり懐かしさで目が潤む。
へい、おまちぃ! と店主がカウンター越しに出してくれたラーメンは、私の思い描くままの醤油ラーメンだった。
置いてあった割り箸を手に取り、割る。
ちょっと斜めになったが使うに支障はない。
麺を橋の先で持ち上げて、啜る。れんげでスープを掬って口に流し込む。
……いや、うまいな……?
飽食の時代を生き、大人が自由に使える資金を持って様々なものを食べた人間であった私の記憶の中でも、トップクラスにうまいと断言できる。
店主、これ、すごいな……? 透き通る醤油のスープにはこの身を得てからは馴染みの少ない深みが存在している。野菜から出るうま味はよく出会うことがあるが、これは……なんだ、出汁? なんの? 全くわからん。が、うまい。
チャーシューはスープの熱さでとろけており、口に入れるとすぐいなくなる。え、もっと口の中にいてくれてもいいが? そのように急いで行かなくてもよくはないか?
そうだ、チャーハンもあるのだった。れんげで救ったチャーハンは、しっとりしていて、うん、あれだ、なるとが刻んで入っているな。好きだ。うまい。ラーメンのスープに合う。飯に油が均等に纏わされているのも好感度高い。やはり油。香ばしい油は正義。
餃子もニンニクがしっかり感じられるし肉感も野菜感もどちらもある。絶妙。焼き面はカリッと、閉じている側はしっとりもっちりで、いい。私は古式ゆかしい醤油酢ラー油の合わせダレが安心するので、今回もそのようにしたものにつけている。特に比率にこだわりはない。その時の匙加減だ。
すべてがうまい。
なんなのだこの屋台、有名な店なのか?
もちろん、私が感じた褒めポイントは店主へ伝えた。
考えていることと口から出ることは少々乖離があるが、それもまた酒のせい。
店主は私の誉め言葉に照れていたが、気を悪くすることはなく。
また来るということを約束してくれた。
なんと……。いいのかそんな安請け合いして。もう二度と会えないかもしれんと思っていたが、言ってみるものだな。
今度は『西の』も誘ってみるか。
その後、店主も下駄を愛用しているということで、私の下駄の素晴らしさを褒めてくれた。
陸魚隊以外から純粋に褒められ慣れていない私は、嬉しくなって一つ下駄を誂えて渡すことを約束した。
さりげなく七日後にもう一度会う約束を取り付けて。
一応言っておくが、ラーメンをまた食べたかったからではない、などという言い訳はしない。
勿論食べたいに決まっている。
何故なら、私は店主の手書きのメニューを見てしまったのだ。
味噌ラーメンも塩ラーメンもあるし、見たことのないラーメンの種類もある。
食べたいだろう、ほかのラーメンも。この身体になって初めてのラーメンだぞ。何度も言うが、食べたいだろう。我慢はしない。ラーメンを我慢して人間になれるわけでもないのだ。我慢をしても、いいことは何にもないのだ。
そんな中、おまけでもらった味付け玉子が大変好みの硬さと味付けだった。この屋台、ずっとうちの中庭に居てくれぬだろうか。
そんな素晴らしい夜を過ごした翌日。
私は下駄をいつも作成してくれる職人を城へ呼んだ。
そして、サイズは私の者と同じもので、贈り物用の下駄を作ってほしい旨を伝えた。
職人から、色などの指定はあるかと問われ、店主の顔を思い出そうとした。
思い出そうとして気が付いた。
私は店主の顔を覚えていなかった。
酒の席の後とはいえ、そのようなことがあるはずがない。
覚えているのは店主の声と大体の体格。そして、鍋から立ち上がる湯気の向こうの笑顔。
その笑顔もぼんやりとしたものだ。
美しいラーメンの姿も、完璧なチャーハンの姿も、餃子の羽まで覚えているというのに。
「そうだな、鼻緒は黒。あまり派手でないほうがよかろう」
あまり印象に強く残ってはならぬのだ。
きっと、あの屋台はそういうものなのだ。
出来上がった下駄を渡したときに、もう一度店主の笑顔を覚えておこう。
人間だったころの記憶のように、いつかきっと思い出せるだろうから。
end