北の魔王様は初心にかえる、そして……
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北の魔王様は初心にかえる、そして……
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滝の前である。
浅瀬でピッカピカ集魚灯魔王となってから、13日目のことである。
特に13日目に意味を持たせてはいない。
魔王方がまったく帰ってくれず自身の仕事が滞っていたためにその程度の日数が必要であっただけなのだが、そのおかげで少々腰あたりが痛い。
腰と言っていいのかわからぬが、こう、背びれあたりから尾びれあたりまでというのか、そのあたり全体と、足の付け根あたりの部分もなんかこう、じわじわと痛いし、もやもやするというかなんかこう、そう、全体的に何某かが良くない。
そもそもこの身体、長時間座って作業をして平気でいられる形状ではないのである。
かといって人であった時のようにマッサージでも、という形もしていないため、八方塞がりである。
人の形になるのに一生懸命なのは、そういう理由もあってのこと。
やはり、二足歩行で、背骨で身体をまっすぐに支える構造に世界は寄り添っているのだ。……とまでは言い過ぎか。
だがこの世の文明はおしなべて人の形をした者たちのよって作られてきたのだから、致し方あるまい。
とにもかくにも何をするにも、この身体は全てにおいて中途半端であるのだ。
というわけで、滝である。
先ほどから尋常ではない水量が滝つぼに流れ落ちているために、共に居る『右』の声が聞こえない。
何かを必死に伝えようとしているようなのだが、まあ、あまり重要なことを言っていない気がするので放置でよいか。
滝つぼから広がる大きな水面は、激しく渦巻いており、滝から遠く離れていても激流と言っていいほどである。
こうして滝を眺めていても時間が過ぎるばかりだ。
意を決して、大事な下駄から足を抜き、『右』に下駄を持たせた後、勢いよく水面に飛び込んだ。
流れが激しいが、魚人であるならばなんとかなる程度である。
水面から顔を出すと、『右』がちょうど下駄を懐に入れたところであった。
そこまでせんでも……。
その背後では、見物に来た魔王方が満面の笑顔でこちらを見ている。
『西の』は右腕を突き上げて、何か叫んでいる。筋肉とでも言っているのだろう。
『南の』は、松明と火炎瓶を手にしている。それは投げ入れなくても大丈夫なのでしまってほしい。
『東の』は、塩の入った壺を抱えて……それ、うちの厨房の……。
それぞれがこちらを見ている。
こちらからも、見ている。
声は届かない。
声を届かせる魔法はある。
けれど、何が影響するかわからない、初めての試みである。最小限の人員で、成るべく魔力の及ばぬように。
今、北の領地の各所では、陸魚隊をはじめ、領民や、魔王方に従ってこの地へ来ていた家臣達が、侵入しようと試みる人種族を追い払っている。
邪魔をされぬ為に。
魚魔王の鱗が、世界を変えるモノであるということを知った者たちが早速やってきたのである。
領民の中には、この地に残ることを選択した人種族もいる。
皆が心を一つに、守っている。
北の領地を。
北の魔王を。
弱く、なんの力もなく、皆にいらぬ世話をかけている北の魔王が、力を得るために成そうとすることを助けてくれようとしている。
一匹では何もできない我が身を、皆が。
私は、深く水に沈んだ。
大事な未来である魚玉を皆が守るように、中途半端なこの身に未来や希望を見て力を貸してくれる。
我が北領は、素晴らしい地だ。
成さねばならぬ。
魚人をも殺すといわれた滝に挑んででも。
挑む先が高ければ高いほど、強ければ強いほど、奇跡は起きる。
これは、前世の記憶も今世の記憶でもなく、世界の記憶だ。
渦巻く水を、力任せに、時にいなして進む。
視界が小さな光を拾う。
水流にもまれ、川底や岩に叩きつけられる身体から、鱗がはがれていく。
自分の鱗が再び発光しているのを見た。
どんなに一匹で努力をしても、私は人になれなかった。
今、鱗ある最弱の魔王と言われ続けた自分は、守るべき大事なものたちの思いとともに、水に帰るのだ。
私は、北の魔王。
生まれながらの魚人である。
そうであるなら、水の中は私の領地。故郷なのだ。
その時、全てを押しつぶそうと暴れていた水流が、凪いだのを感じた。
剥がれ流されたはずの鱗が、地の底から空へ向かってきらきらと連なり輝いて、行くべき先へ導いていた。