北の魔王様は藍の未来を見る
自らの鱗の事など何も知らなかった頃。
結婚する妹の一人に鱗で作ったイヤリングを送った。
陸地に上がってすぐの頃の妹は、綺麗な鱗だと褒めてくれた最初の一人だった。
身内の欲目であろうと気にも止めていなかったが、今思えば彼女こそ鱗の力を本能で知る魚人であったのかもしれない。
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北の魔王様は藍の未来を見る
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初めて陸に上がった思い出の海岸へ一人きりでやってきた私は、程よく岩場がある産卵に向いた穴場へ向かった。
そこに、妹がいると聞いていたのだ。
身内であろうとも外から来たものに警戒する魚人の本能は、魚玉とよばれ美しく硬質な卵たちを守る為には尊重されるべきである。
だが、私はどうしてもこの浅瀬に身を置かねばならない。
突然鉢合わせて喧嘩になるよりは、一言なりとも声をかけておこうと思ったのである。
しかし、しばらく顔を合わせていないのだ。
もしかしたなら忘れられているかもしれない。
兄弟はとても多いのだ。
結果から言えば忘れられているかもなどという心配は杞憂に終わった。
私は、兄弟たちの中でも屈指の物珍しさのある見目である。忘れようにも忘れられぬ風貌であった。
名を呼べば岩場から顔を出した妹。鋭い歯を剥き出して威嚇をしていたが、すぐに身内であると気がついてくれた。
「魔王の兄様、こんなところまで来て、どうしたの」
今は産卵が重なっている時期だから、他の魚人も気が立っているのに、と妹は言った。
もちろん、把握している。
魚人は地球の魚ほどには多く卵は産まない。卵を守る戦力(父母)がほぼ常についているので、100万分の1に賭ける必要がない為だ。
だが、過酷な水の中の世界のこと、どれだけ守ってもすり抜ける命はある。
そんな風に守られて生まれた仔魚たちを祝うため、近頃北領の主要新聞で産卵時期と仔魚の生存率等を掲載しているのだ。
そうして周知すると周囲の大人たちが定期的に巡回をしてくれる、という良い効果を得ている。
しかし今回は、この海岸の状況を理解していて、それでも来たのである。
「卵たちの邪魔はせぬ故、少々この浅瀬にいることを許して欲しいのだ」
龍になる為に魚玉であった頃のように太陽の光と月の光を浴びるのだ、と、言った。
妹は、ならば他の者たちに伝えておくと約束してくれた。
礼を伝えると、妹はじっと私の姿を見つめてから、眩しそうに目を細めた。
「魔王の兄様の鱗は、やっぱり綺麗ね。キラキラ綺麗。ほら、みて。もらったイヤリングはずっとつけているのよ。無くさないように金具を変えたりしながらね」
海水で濡れた髪をかき上げて、懐かしい代物を見せてくれた妹。
妹の結婚祝いにと贈った、私の鱗でできた装身具。
若い頃に剥がれ落ちた鱗である。大事にしてくれているのだろう、ツヤツヤと健康そうだ。
兄様の鱗がキラキラ光るとね、卵たちもキラキラ光るのよ、と、妹は水面の下へ視線を向けて微笑んだ。母の顔だ。強い、母の表情。そして、悪戯な小さな妹の顔。
私と違って表情豊かな、人の顔で微笑んでいる。
何やら、感慨深い。
魔王として北領を守らねばと非才の身でありながら心砕いてきた。
その集大成が、今目の前にある。
「魔王の兄様、いつもわたしたちのために頑張ってくれて、ありがとう」
特別にね、と、水面の下に大事に隠された魚玉を見せてくれた。
深い藍色の美しい命たちがそこにあった。
そうだ、私が人の身になりたいと思ったのは。
かつてのように人に「戻りたい」という気持ちも勿論ある。
けれど、力が無いから人になれない。人になれないのは弱いから。
弱ければ、家族を守れない、大事な領民を守ることができない。
私が人の姿になりたいと思うのは、魔王としての責務を果たすためであり、逸れすなわち我が領民たちを守るためなのである。
……人に、早く人にならなければ。
その為に私は、自身の力の増強のため、滝をのぼる。
……ところで。
よく考えずとも、妹が褒めてくれるこの鱗を隠す為に人になるのが目的であったはずだな。
何故龍になろうなどという話になったのであろうか。
そもそも、人になれもしないのに龍になれるわけがないし、なりたいとも思っていない。
それなのに、当たり前のように、滝を登って龍になると思われている。
そんな訳がないというのに。
成程。
はしゃいでいたのはあの三魔王方だけではなかったのだ。
私も、知らぬうちにはしゃいでいたのかもしれない。
卵を守る魚人夫婦となるべく鉢合わせない位置を教えてもらい、ゆっくりと海に身を沈めながら思った。
そういえば陸でも魚になり隊が何も言ってこなかったのは、私自身が直接「人型になりたい」と言わなかったからではないか。
どうりで……、どうりであっさり送り出してくれておかしいと思ったのだ。
後で説教である。
もう、陸魚隊の会報用のインタビューは受けてやらぬ。
続く