北の魔王様は異界の記憶に前世を見る
———————————
北の魔王様は異界の記憶に前世を見る
———————————
四魔王が実際に対面するのは久しぶりのことである。
それも、この北の地でとなれば今の代では初めてのことである。
初というならば祝うべきであろうが、なんの前触れもなく訪問するなど歯に絹着せぬ言い様をするなら、迷惑千万。
お迎えの準備をする暇もなかった。本当に、本当にやめていただきたい。
田舎の実家から突然両親が遊びに来た一人暮らしの子の気持ちが分かるというものだ。
来るなら来るで連絡してほしいし、来ないで欲しいと言ったならば来ないで欲しいのである。裏の意味など何もない。
きちんと掃除された部屋、きちんと整えられた身なり、もてなしの料理。そんな、大人になって立派になった姿を見て欲しいというのは贅沢な悩みであろうか。
しかし、ふと思う。
うちの城、それら全て揃っているのでは……?
城主の身なりは魚であるので置いておいて。
みなきっちりと整えた服装で清潔感もあり所作も洗練された素晴らしい者たちばかりであるし、いつでも隅々まで掃除されておるし、いつでも食事は美味しい。
なんということだ。
これは、……これは、城の主以外は完璧では……?
我が北領の、我が城の、我が自慢の配下たちの素晴らしさを思えば些かも心配など要らぬことであった。
実際に、平素からいつでも利用できるように整えられた客室へ、従者用の部屋を含めて御三方をお通しできる準備は整っているとの報告を受けた。
準備が出来ていなかったのはただ自身の心の準備のみであったのである。何故か、悲しい。
西の魔王が執務室まで来てくれた状況は不意のことではあるが都合が良かったので、ついでとばかりに他の魔王たちも呼び話し合いをすることにした。
ツヤピカクリームを抽斗へしまった後、映像越しではない魔王たちと顔を合わせた。
ひと時の沈黙の後、西の魔王が口を開いた。
「来ちゃった!」
「来ちゃったで許されるのは、付き合いたての恋人か借金の取立てくらいではないかと思う」
西の魔王のあまりにも軽い言い様に我慢ならず、つい不満を隠しもせず言い返してしまった。
温かい茶の注がれたカップを手にした南の魔王が、微かに首を傾げて言った。
「どちらも場合によっては困りませんか?」
確かに。世の中何があるかわからぬものである。
「そのように困ったことでもあるのか『南の』は」
「どちらもありませんよ。アナタこそ剣にばかりかまけて借金作ったり恋人の悋気を煽っているのではありませんか」
「……『西の』のハーレムはどうして成り立っているのだろうな……」
「森の中では強さこそ正しさだからな!」
「我が主がお困りですのでそろそろ本題へ」
話の脱線の酷い空気の中、我が臣下である『右』が咳払いひとつと共に口を挟んだ。
通常の神経であれば口など挟めるはずもない魔王同士の会話に、まさか魔王でもない者が口を挟むなど誰が想像できただろうか。
室内に控えている各魔王の従者が目を剥いて驚いているのが見える。魚の視界は広いのだ。片目で180度近くまでカバー出来ているのである。
「そうだな、本題へ入るとすっか」
気にした様子もない西の魔王の様子に安堵しつつ、居住まいを正した。
とはいっても、魚体であるので少々前のめりになっただけであるが。
「兎にも角にも、『北の』の素材がこれ以上流出するのを防ぎ、且つ『北の』本人が連れ攫われて無体な目に会わないようにしなけりゃなんねえ。ここまではいいな」
素材さえ向こうに渡らなければどうとでもなるという事である。逆を言えば、素材が渡ってしまえば戦は長引く。長引けば民が困窮する。
私を葬ってしまえというようなことを言わぬのは、ただの優しさだけではないだろう。
素材の元が無くなってしまうことは、大きな損失であるという打算もある筈だ。
素材のために閉じ込め飼い殺しにされてもおかしくない。
それは、人種族の手にこの身が渡っても、魔王たちの手に渡っても同じ事だ。
魔王たちがそれをしないのは単純な理由だ。
「オレらが『北の』を飼っ……匿ってもいいんだがなぁ……うち、水槽ねぇから」
西の魔王よ、私、今、陸にいるのだけれども。
水槽いらないのだけれども。
森に川や湖は無いのか。あるよな、知っておるぞ私は。
「うちは火山にあるので暑いですし、傷んだら困りますよね」
「飼い方分からんし俺も無理だな。水槽を作れる職人はいるがな、剣の置き場が減るのも困るしエサも困る」
「『東の』! めっ! 言い方! いけませんよ!」
「『東の』もそうだが、『南の』もなかなか酷いことを言っておるぞ。分かっておるか……?」
東の魔王のあけすけな飼う発言を窘めた南の魔王ではあったが、生きている魚が傷むとは……? どういうことなのだ?
私は、南の魔王の居城へ遊びに行ったら調理されてしまうのか……?
私の背後に立つ『右』が、凛々しい鰹の頭に乗せている眼鏡を外し、胸元の隠しに入れたのが見えた。
いかん、『右』が強目の説教をする合図だ。
元々が武闘派で鳴らした男が文官になったのだ、説教もパワフルである。
何とか話の方向を戻さねば。
「腐っても傷んでもこの地を任された魔王である。他領の世話になる訳にはいかぬ。
そもそも、一緒に食事をした事もあるだろう。見た目に引き摺られすぎではないか?」
そういえばそうか、と、三魔王はあっさりしたものだった。
飼い方なんぞ知らぬままでよろしい。
私は人のつもりであるのだ。
とはいえ、武力で囲いこまれては抗えなかったかもしれぬのだから、三魔王方が「なんか飼うの面倒そう」と思ってくれたのは良いことであるのか。
複雑な心境ではあるが。
そして、本題へと戻る。
「本人を何処かへ隠せぬとなれば、『北の』が鱗を隠せれば話は早いのではありませんか」
「しかしな、『北の』は……」
東の魔王が口篭ると、皆が揃って口を噤んだ。
そう、人の身に変化出来さえすれば。
鱗は見えなくなる。
そして、魔力そのものも強くなるのだ。
魔力が強くなれば鱗も強くなり、人の身から魚の身に戻っても刃から身を守りやすくなる。
「全て、私の力が不足している事が……」
私が沈んだ声を出したその時。
南の魔王が唐突に立ち上がった。
「それ、それです!」
「どれです」
「『西の』は黙らっしゃい」
発言の邪魔をされた南の魔王は、手にしていたカップを西の魔王に投げつけた。
西の魔王の従者が叩き落としたのだが、それ、うちの職人が作って献上してくれたカップ……。セット品であったのに……。
悲しい気持ちで割れたカップを見つめていたところ、申し訳ありませんっ! と、南の魔王の従者が魔法を行使してカップを再生してくれた。
おぉ、元通りとはいかないが金継ぎの様で繋ぎ目も美しくなったな。
そんな配下の者の仕事には目もくれず、南の魔王はびしり、と、人差し指を此方へとむけた。
「『北の』の領地には有名な滝がありましたね。やたらに水量の多い、高い滝が」
「よく知っておるな『南の』。最近旅行雑誌の売れ行きが良いのだが、もしやそれを見てくれたのか? あれはうちの自慢の観光地を網羅した……」
「自領の地形や建物などの情報を垂れ流しているような自衛の欠けらも無い雑誌だと思っていましたが、今回は役に立ちましたよ」
「……自衛……。確かに情報漏洩……いやしかし、うちの領地の良さを知って貰いたくて……」
「俺は逆に、余程防備がしっかりしているのだというアピールかと思っていたぞ」
そうなのか、『東の』!!
そんなつもりは一切無かった!
「『北の』」
南の魔王は一度言葉を切って、戸惑った魚の目を見つめて、キッパリと言った。
「滝を登りなさい」
「は……」
「滝を登れば、魚は龍という魔物になるという伝説があります。それをするのです。そうすれば……魔力が増え、人の形になれる」
……と思います多分きっと、と、南の魔王は雑に締めくくった。
聞いた事が、ある。
そう、聞いた事があるのだ。
私の記憶が蘇る。
それは、魚の記憶ではない。
鯉は滝を昇って龍になる。
嘗ての人の親であった時、鯉のぼりを見上げて子に語って聞かせた……。
世界は、やはりつくられたものなのだ。
かの方は、やはり、箱庭の主なのだ。
私は、素晴らしい発言をしたと満足気な南の魔王と、面白いことを聞いたと言わんばかりにニヤつく西の魔王と、よく分かっていない東の魔王を呆然とみやりながら、何処か納得もしていたのである。
続く